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-軽巡洋艦搭載機小史Ⅰ-
文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
最近急に「阿賀野に瑞雲」というパワーワードが目に入るので、色々突っ込みどころ満載なのはとりあえず気にせず、阿賀野型軽巡洋艦に瑞雲載せる状況について真面目に考えることにしました。
やろうと思えば瑞雲だろうが紫雲だろうが載るだろうと思うのですが(小並感)、問題は日本海軍が「せや、阿賀野型にも瑞雲載せたろ!」という酔狂にもほどがある発想をするか?という素朴な疑問です。
日本海軍が軽巡洋艦の搭載機についてどのような定見を持ち、どのような機体を搭載し、そして実際どのような運用を行ったか。それらの積み重ねによって阿賀野型への瑞雲搭載の可能性は、ある程度類推することができるのではないかと思います。
また、日本軽巡洋艦の搭載機は「九四水偵→零式水偵」と一見実にシンプルですが、公文書上の機種に従って書くと意外にその実情は複雑なものでした。
昭和25年に第二復員省(旧海軍省)で編纂された『航空部隊編制及飛行機定数表』に基づき、その辺りの経緯を振り返ってみましょう。
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【軍事講座】急降下爆撃~栄光と散華に彩られた対空母必中戦法
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文:烈風改
■対艦攻撃の新戦法
昭和4~5年頃、米国発の新戦法・急降下爆撃は威力はともかく、その高命中率が注目されました。即効的に艦を沈める程の威力は無くても、飛行甲板を破壊すれば発着能力を奪える対空母用の攻撃方法としては有力で、戦艦同士の艦隊決戦前段階(と当時見なされていた)の空母航空戦における価値が大きいと判断されたのです。これにより「まず急降下爆撃機で相手空母の飛行甲板を潰す」という戦法が検討されるようになります。
最初の艦爆である九四式艦上爆撃機(採用時は軽爆撃機)が採用される(昭和9年)より前から、日本海軍は水上偵察機による『急降下爆撃』(実際は緩降下爆撃だった可能性が高い)を実戦で行っていた記録もあり、急降下爆撃の効果は非常に期待されていました。
このような経緯を経て艦爆搭載用の空母として蒼龍以降の新造艦が計画され、既存の空母も艦爆搭載のための改装が企図されます。(例えば加賀は改装により30機の艦爆が増載される予定となっていました)
【軍事講座】第二遊撃部隊旗艦は「長門」-軍令部第一課部員の志摩艦隊増強案-
【【軍事講座】第二遊撃部隊旗艦は「長門」-軍令部第一課部員の志摩艦隊増強案-】の続きを読む昨日、ソーシャルゲーム『艦隊これくしょん』において期間限定イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」が開始されました。
このことについて、12月31日(日)開催予定のコミックマーケット93で新刊『「捷号作戦」艦隊編成』を発表するサークル「烈風天駆」の加賀谷康介様が、非公式タイアップとして捷号作戦について寄稿されましたので掲載します。
なお、加賀谷康介様は寄稿後、海防艦「択捉」「占守」「国後」「松輪」「対馬」「佐渡」捜索の為、離島巡りに旅立たれました。
【軍事講座】書評「日本軍の陸戦兵器」入手し易い書籍編
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文:烈風改
■入手し易い書籍
以上のように紹介した“定番本”は発行年が古かったり、古書市場で値段が高騰しているなどの理由により入手性に難があることは否めません。代用という訳ではありませんが、近年に発行された比較的容易に入手可能なお勧め書籍を選んでみました。
【軍事講座】書評「日本軍の陸戦兵器」定番書籍編
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文:烈風改
兵(つわもの)が集まる当ブログの常連である皆さんには既知の情報かもしれませんが、お勧め書籍の紹介をさせていただきたいと思います。今回の対象ジャンルは「日本軍の陸戦兵器」です。運用・兵器体系や開発史的な記載内容よりも掲載兵器の種類が充実している図鑑的な書籍を優先して選んでみました。筆者の独断と偏見がかなり入っていますが、どうかご容赦を。
【軍事講座】戦場のメリークリスマス presented by Skate
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文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
【免責事項】
この記事は季節感最優先でお送りいたしますので、学術的正確性は二の次にしていることを予めご承知おきください。あと文章のノリが過去作と異なる点も生暖かくお目こぼしいただけると幸いです。
【軍事講座】戦艦扶桑の「渾作戦」-囮理論とその後の周辺-
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文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
昭和19年(1944年)5月27日、米第6軍がニューギニア西部のビアク島に上陸作戦を行いました。
(http://www.sekaichizu.jp/のフリー素材を筆者加工)
【軍事講座】戦艦扶桑の「あ号作戦」-囮理論とその周辺-
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文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
この記事は以前投稿した『戦艦扶桑の「常在戦場」』の後日談にあたります。
本文には以前の投稿内容を踏まえた個所がありますので、未読の方は前作も併せてごらんください。
○大事なことは全部提督の決断で学びました。
史上最大の空母航空決戦となった「マリアナ沖海戦」。
参加した日本戦艦は「大和」「武蔵」「長門」「金剛」「榛名」の5隻です。
昔のSLGでばっちり学習しましたから、間違いありません。
残る「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」の4隻は母港で新たな艦隊を編成し、呉から増援として出撃。こういう遊び方をした人は多いのではないでしょうか?
もちろん私もその一人でした。
そのため何かの本で「扶桑」が当時ダバオに居たと知ったとき、最初に感じたのは違和感でした。
「旧式戦艦が姉妹艦と別れて1隻だけ、どうしてこんなところに?」
その答えにたどり着くまで約10年。
これは、役立たずの欠陥戦艦と誹謗される彼女が、戦史の狭間で演じた一人舞台に関する記録です。
【軍事講座】戦艦扶桑の「常在戦場」
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文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
○「はぁ……、空はあんなに青いのに……」
なんだか空耳が聞こえてくる今日この頃ですが、本日は戦艦「扶桑」の話です。
「扶桑」と言えば浮かぶ違法建築、海外でも何故だか大人気の日本戦艦ですが、スリガオ海峡で駆逐艦相手に瞬殺されたこともあり、武勲の面で評価されることはまずありません。何となく幸薄い艦、という印象は大多数の人に共通のものではないでしょうか。
「武勲に恵まれなかったほうでしょうな」
「扶桑」の元艦長(鶴岡信道・元海軍少将。昭和18年6月~19年2月まで艦長)もそう言っていますから、武勲がないのは否定のしようがありません。
ですがこれは、「扶桑」の功績は武勲の有無だけで決まるもんじゃないよ、というお話です。
【軍事講座】そして「飛龍」は残った -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画。その後-
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<そして「飛龍」は残った -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画。その後->
文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
一 捨てる神あれば拾う神あり
「昭和15年研究方針」に基づき計画された諸爆撃機がほとんど開発中止か不採用に終わった今、辛うじて審査が続いていたキ67も安泰とは言い難かった。
そもそも、キ67の属する「重爆撃機」カテゴリそのものが、「昭和15研究方針」において著しく精彩を欠く機種であった。
「昭和15年研究方針」を以前の「13年研究方針」「12年研究方針」と比較すると、文言に若干の変化みられるものの、用途及び性能に大きな進歩はなく、他機種の長足の進歩に比べて停滞感の否めない内容となっている。
「昭和15年研究方針」の前の大改定「昭和12年研究方針」の内容にしても、さらに前の「昭和10年研究方針」の内容がほぼそのまま踏襲されていたから、キ67は実に5年前の思想に基づいて試作に着手された機体であった。
その意味では、キ67=四式重爆を評して「時代遅れの新型重爆」と形容するのも、あながち間違いとは言えない。
完成したキ67はただちにテストに着手されたが、試作機の当初発揮した最高速度は510キロと、要求仕様の550キロに40キロも及ばない結果となった。
速度性能こそは「昭和15年研究方針」において、わざわざ一節を割いて「速度は努めて大ならしむ」とした重爆撃機カテゴリの最重要項目であったから、その点で要求を満たせない以上、キ67の採用も危ぶまれる事態となったのである。
しかし、陸軍にはキ67をすぐ不採用にできない事情が存在していた。
それは、開戦後急きょ浮上した陸軍雷撃隊構想の影響である。
キ67の審査が続く昭和18年、陸軍はソロモン、ニューギニアの南東方面で連合軍の反攻に直面していた。地形上この方面での戦闘は敵の海上進攻を阻止しうるか否かが勝敗を左右したが、本来その任務に当たるべき海軍機は消耗激しく、また決戦志向の強さから地味な船団攻撃より派手な艦隊攻撃を優先する傾向が強かった。
海軍航空を頼るに頼れない陸軍航空は、「重爆不要論」で揺れる重爆隊を改変し、自前の艦船攻撃部隊を編成する構想に着手。まず海軍に対し天山100機の譲渡希望を行うが、海軍としても本格生産を開始してまもない新型艦攻を陸軍に融通する余裕はなく、代案として海軍側から雷撃機としてキ67が適している旨の返答がなされた(昭和18年12月20日、参謀本部と軍令部の協議)。
図らずもキ67は海軍機の一式陸攻と同じ三菱が開発を担当しており、設計構造上も一式陸攻の経験が反映された機体であったから、キ67に雷撃装備をフィードバックするのは他の陸軍機と比べても最も迅速かつ確実な方策であった。
(他の候補機としては九九双軽や一〇〇式重爆などが検討されたが性能面で折り合わず断念された。仮にこの両機に雷装を施すとしても構造・艤装の大改装を余儀なくされ、後のキ67=四式重爆がやったように雷装・爆装を使い分ける柔軟性は持ち得なかったと想像される)
また、懸案であった速度性能も推力排気管の採用などの改良によって537キロまで向上。要求仕様の550キロにはやや足りなかったが、状況の切迫から許容範囲内と判断され、19年3月に量産1号機がロールアウト。この時点で陸軍は量産17号機以降の全機に雷撃装備を施すことを決定しており、事実キ67=四式重爆の部隊配備は、陸軍雷撃隊の第一陣として完全海軍式の訓練に着手していた飛行第98戦隊から開始された。
陸軍雷撃隊の構想が具体化した昭和18年末の段階でキ67の審査はおおむね終了しており、雷撃機としての使用がキ67採用の直接の理由ではないと考えられるが、量産開始間もない昭和19年前半、キ67=四式重爆は陸軍雷撃隊の2個戦隊(98戦隊と7戦隊)に集中的に配備されており、明らかに雷撃機としての使用が優先されていた。





