無題Name名無し24/11/24(日)10:03:40 No.561852
本日11月24日は和食の日!
というわけで古今東西日本軍糧食スレ
日本ハム/五宝堂
無題Name名無し 24/11/24(日)10:05:06 No.561853
古代の兵食から現代自衛隊のレーションまでなんでも語ってどうぞ
無題Name名無し 24/11/24(日)19:35:51 No.561872
懐かしいですね「戦場の衣食住」
今でも入門書としては面白く読めますよね
無題Name名無し 24/11/25(月)19:47:06 No.561892
>今でも入門書としては面白く読めますよね
兵士から軍用動物、食事からトイレまでを網羅してあって
とても有難かった
無題Name名無し 24/11/24(日)23:44:16 No.561882
結構、こういったロジスティックス系好きなもので、色々書籍買ってるんですけど
とあるYouTubeチャンネルで「大戦前後は、兵士1人あたり1日5合とか御飯食べてたんですよ」
「戦場では、手投飯って言って、1合お握り2個と漬物少々を自軍陣地内に投げ入れる事」云々と
書き込んだところ
「1食でそんなに食えるワケ(2合)無いだろ!」ですとか「肉とかおかず食えなくなるだろ!」ですとか
なんか非難ごうごう(笑
無題Name名無し 24/11/25(月)11:37:55 No.561890
今の自衛隊のレーションもご飯パックは基本2合だったような・・・
まあ身体使う仕事だろうからねえ
無題Name名無し 24/11/25(月)11:46:45 No.561891
老母は旧制高女の頃に炊き出しの経験が豊富だから
正確に一個一合の握り飯を器用に量産するな
無題Name名無し 24/11/28(木)20:53:30 No.561933
大東亜戦争が始まって暫くした昭和17年6月18日、東京九段の偕行社で関東の陸軍部隊指揮官クラスの将校サンらを集めて「健兵対策座談会」なる催しが行われたそうなんですが、部隊の兵隊さんらの健全な育成について話し合う中で、「残飯対策」についても触れられていたりしましたり
「副食物をもう少しよくしたら残飯が出ないのではないか」
「併し初年兵が食器洗場で残飯を食べると言うことがあります」
「一方二年兵の方は残飯を出すので将来は飯櫃にしたらどうかと思います。そうして自由に食べさせるということにしたら、そういうことはなくなると思いますが」
「残飯が出るというのは何か無理があると思います。一方には非常に空腹なものがいるのに」
無題Name名無し 24/11/28(木)20:55:00 No.561934
「分け方が悪いんだ。二年兵、三年兵の分を少くして初年兵の分を増したらよい」
…等、当時部隊内で多くの残飯が出ることについての意見が色々と出されているんですが、要は「おかずがマズイ」「本当に食べたい人間(初年兵)に適切に分配されていない」というのが主因だった、ということのようです
一方、この座談会とちょうど同じ時期(昭和17年6月)に陸軍軍医学校が主体となって、神奈川県溝口の東部第62部隊で健兵対策の各種実験を行った結果を報告しているんですが、それによると残飯が多量にでる今一つの原因は
「徴集人員の増加により兵の体格差には著しき差あり(略)体重大なるものは76キロに及び、小なる者はわずかに45.5キロなり」
無題Name名無し 24/11/28(木)20:57:08 No.561935
「かつ兵業は著しく分科し、同一中隊に於いても小銃、軽機、擲弾筒等に分かれ(略)各人の食需量に著しき差の生ずるは当然なり。これを従来のごとく食器に画一的に分配する時は、ある者には不足し、ある者には残飯を生ずるは当然」
…というところにもあったとのこと
個人ごとの体格差や労働量の違いを無視して、一律に同じ量の食事を支給しても不足を感じる人が出る一方で、反対に残飯が生じるという矛盾につながる…ということみたいなんですが、組織の構成員全員に対して一律に画一的な待遇を供することが、必ずしも全員を平等に満足させることには繋がらない…というのは、軍隊に限らず、色んなトコロで生じうる問題ではありますですかも…?
無題Name名無し 24/11/29(金)00:08:56 No.561941
結局ビュッフェ形式が一番理にかなってる給食方式ってことなのかな?
アメリカさんはやっぱ合理的だったんやね
無題Name名無し 24/11/29(金)09:43:05 No.561945
それはみんなが食べ放題食べても在庫切れにならないくらい
補給が潤沢な軍隊だから出来るやり方だから…(震え声
無題Name名無し 24/11/29(金)12:32:39 No.561948
こういうジレンマを見ると、各々が自身の需要や必要に応じて食事量を調整する市場って仕組みはよくできているんだなぁ。
(軍隊の一斉給食には向かないのは置いといて)
無題Name名無し 24/11/29(金)19:58:27 No.561951
でも何故か防大だと1学年は非人、2学年は奴隷なんだよね
同じロジカルな国防機関の筈なのに、実に興味深い
無題Name名無し 24/11/29(金)21:00:03 No.561955
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石原莞爾陸軍中将が昭和8年に、仙台の第4連隊長に赴任した際、隊内の生活環境改善に積極的に乗り出しているそうなんですが、兵食の量は十分なのに、調理が下手なために大量の残飯が出ている…と知ると、早速専門の料理人を軍属として雇入れたそうです
するとその日から残飯が激減したそうなので、ゴハンが進むおかずがいかに大事か、というエピソードになるんでしょかねw
因みに、大戦中IJAの経理将校だった横尾慎一さんと言う方の回想記に、候補生時代、原隊の炊事班長補佐を務めた際の話が出てくるんですが、日々の食事の献立表の整理の序に、変わりバエのない古い献立に代って、兵隊さん達が喜びそうな目新しい献立を工夫して、早速炊事場に持ち込んだんですとか
無題Name名無し 24/11/29(金)21:02:25 No.561956
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もっとも、当初は現場の炊事兵さん達の反応は今一つで、例えば煮魚一つにしても
「むすかしいですよ(略)バラバラになって、内務班で分配する時は、骨ばかりということんあってしまう」
…と、恐らくそれまでの大量調理の経験から消極的であったそうなんですが、奥村氏は五年兵の古兵さんに依頼して針金を調達してもらうと、コレを金網状に編み上げたものを用意して
「大きな鉄釜の中に、醤油、砂糖、ミリンを入れ、それが煮立ったところへ、冷凍ニシンを丸ごと並べてのせた金網をしずめる(略)魚は型を崩さずに煮上がるわけだ。それを何回もくり返し、煮崩れしていない尾頭付きの煮魚を、戸板の上に並べ」
…て見せたそうです
無題Name名無し 24/11/29(金)21:02:44 No.561957
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一回要領を見せると調理場の空気は一変、炊事の古兵さん達も自ら積極的に
「煮物用の他に、焼物用、揚げ物用の金網を作ろうぜ」
「でかいオロシ金を作るよ。焼き魚や精進揚げには、大根おろしがいるからな」
…等々、次々と新しいアイディアを提案するようになっていったそうで、
「尾頭付きの煮魚や焼き魚が1人1尾ずつつく食事は、兵隊たちに大好評であった」
「炊事へ入ってくる食事当番の初年兵の声が一段と元気づく」
「炊事の当番兵たちは(略)兵営内のどこへいっても幅をきかせることができるようになった」
…とのこと
無題Name名無し 24/11/29(金)21:03:11 No.561958
https://may.2chan.net/39/src/1732881791348.jpg
「大根おろしつきの精進揚げ、タルタルソースつきのトンカツなど、毎日の献立にバラエティがついてくる」
…と、
「さすがに経理の幹部候補生だと、将校集会所では、部隊長はじめ将校たちのあいだで大変な人気だったぞ」
…と、糧秣委員の准尉さんがわざわざ炊事へ飛んできて手放しで褒めてくれたり、部下の兵隊さんには
「班長殿が炊事へゆかれてから、毎日の食事が、うちでたべているような家庭的な味がするようになった」
…と感謝されたりするようになって、ご本人としては些か面映ゆい思いをされたそうなんですが、部隊全般の空気も向上する仕事を見事にやりとげて、大いに面目を施したそうです
きっとこの部隊では、残飯もさぞ少なかったんでしょうねえ…w
無題Name名無し 24/11/30(土)01:51:58 No.561959
>一回要領を見せると調理場の空気は一変、炊事の古兵さん達も自ら積極的に
>「煮物用の他に、焼物用、揚げ物用の金網を作ろうぜ」
>「でかいオロシ金を作るよ。焼き魚や精進揚げには、大根おろしがいるからな」
これ自分が発案して現場に提案したものを、そういう立場からこう評価されると本当に嬉しいんだよな
無論部下からこう提案してくれるのも、現場が若返るし活気付くから本当に嬉しい
無題Name名無し 24/11/30(土)10:11:00 No.561962
>「残飯対策」
それでも後世の小学校みたいに「完食強制」という発想だけは出てこないんだな
無題Name名無し 24/11/30(土)12:37:30 No.561963
俺も大量給食の場で働いてたことあったけどまず決められた時間までに決められた予算で、食中毒を出さずに作ることが第一目標とされていて味は2の次どころか3の次ぐらいだからなぁ・・・
無題Name名無し 24/11/30(土)13:21:15 No.561964
>食中毒を出さずに作ることが第一目標とされていて味は2の次どころか3の次ぐらいだからなぁ・・・
集団で食事するんだからある程度仕方ないとしか…
無題Name名無し 24/11/30(土)16:59:09 No.561966
艦だと給養員は常に競争してるようなところがあるな
艦載機搭乗員とか実習員が色々な艦に乗組んですぐ評判になるから
無題Name名無し 24/11/30(土)17:35:31 No.561968
日本軍の時代だと飯を美味く作る難易度は現代よりはるかに上だろうな
なにせ現代の便利な調味料とかほとんどないだろう
カレーでさえカレー粉とスープで一からルー作らないといけないし
今と違ってググるなんてできないし便利な料理本とかもあんまりないだろうし
その環境下で徴兵された素人が料理すればそりゃ美味くできないよね
無題Name名無し 24/11/30(土)19:21:01 No.561971
タルタルソースて昭和初期な結構な昔から、日本でも食べられてたんすねえ
無題Name名無し 24/11/30(土)20:26:58 No.561972
お肉が普通に日本軍では出てたから庶民と比べて材料に金かかってるのは確かよね
無題Name名無し 24/12/01(日)10:11:45 No.561975
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昭和56年発行の「月刊朝雲」誌12月号に、同年9月に東及び北富士演習場で行われた第1連隊戦闘団対第34連隊戦闘団の部隊対抗演習に関する記事が掲載されているんですが、それによると当時の陸自のご飯の予算は駐屯地で1日3食分が凡そ750円
コレに演習時加算が26円、増加食費(丙)99円を足して1日875円というのが、5日間の演習の間の予算であったとのこと
演習中のメニューについては、事前に基本案を演習参加部隊に提示して更に部隊からの要望も聞いて決定(例えば1普連からは炒り豆腐のリクエストがあったそう)
敵中潜伏する偵察隊員や通信拠点に張り付く通信隊員にもたせる缶詰食なども含め、1食に付き6種類ほどのメニューを用意したそうなんですが、この回の目玉は冷凍パックの蒲焼を用いた「うな丼」であったそうですw
無題Name名無し 24/12/01(日)10:12:58 No.561976
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材料に関しては地元業者さんを中心とした入札で調達、大量仕入れということもあり市価よりは安く買えるものの、検品や仕分け(1普連、34普連、1戦大、1特連1・2大隊、1偵、統裁部など)はやはり大変な作業で、各部隊で異なるメニューに従い、調味料の類も計量して区分けするそうなんですが、
「最近はビニール袋が良くなったので助かります。醤油や油もビニール袋に入れられますからね」
…という補給隊の方の証言には時代を感じさせられましたり
そして補給隊の段列から各中隊へ配分された食材は炊事車で調理されるわけですが、朝食の支度開始が午前4時から、午前7時頃までに朝食の分配が終わってすぐ8時ごろから昼食(12時)の用意、午後は夕食(17時)の用意、場合によっては夜食の支度
更に時に「ゲリラ」の襲撃があるので、銃をとって応戦するなど、炊事担当もなかなかハードな勤務であったそうです
無題Name名無し 24/12/01(日)10:13:41 No.561977
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数キロの範囲に広く展開している隊員への配分も一苦労だったそうなんですが、
「これでも楽になったんですよ。パックがありますからね。パックがない頃は大変だった」
…なんてのはやはり時代感(略)
それでも例えば1普連重迫中隊の炊事担当者さん曰く
「食事の評判は、やはり気になりますね。今回の人気メニューは、カツカレーでした。『レストランで食べるカツカレーよりもうまいよ』と言われると、嬉しくなっちゃう」
…とのことで、やはりお客さん(違)に喜ばれると、炊事担当者の方々も苦労のし甲斐があったようですねえ
無題Name名無し 24/12/01(日)10:14:42 No.561978
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余談ですが、先述のように戦闘(演習)中ということで、炊事中の隊員さんもいつでも応戦できるよう態勢を整えているわけで、記事には手榴弾を戦闘服にぶらさげながらアジフライを揚げる隊員さん、なんて写真も掲載されておりましたり
でもコレ仮にうっかり外れて墜としたりして、揚げパイナップルになっても大丈夫なんでしょか…
無題Name名無し 24/12/01(日)21:22:31 No.561986
まあアイスクリームだって天ぷらに出来るし・・・
それはともあれペットボトルとかジップロックとか無い時代はやっぱり大変そう
今当たり前のようなものだって無い時代はやっぱりあるもんね
無題Name名無し 24/12/02(月)10:17:43 No.561997
包装材だけでなく保温材や加熱材、断熱材…
それこそ戦前の日本軍補給部隊の人から見れば今の自衛隊の装備なんか
想像を絶するくらい便利になったと思えるんでしょうか…?
無題Name名無し 24/12/02(月)23:40:24 No.562004
バッカン(飯缶、麦缶)が保温容器になっただけでも全然違うよね
平成初期くらいは冬場だと温食と言いながら氷の浮いた汁物やらシャーベット状のポテサラもしばしば
無題Name名無し 24/12/07(土)19:08:53 No.562099
>冬場だと温食と言いながら
吹雪の中で食った冷やしカレーのおいしい事…
いや数分前までは確かに湯気が出るくらい温かかったわ( ゚Д゚)
無題Name名無し 24/12/04(水)03:45:06 No.562007
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IJNでは、戦闘配食のおにぎりを包むのに竹の皮を用いていたそうなんですが、戦艦「霧島」の主計兵だった高橋孟さん言う方の手記によると、炊いたばかりの御飯でおにぎりを握り続けて火傷しそうになる手を、濡れた竹皮が適度に冷やしてくれて按配が良かったそうですw
もっとも、時に数千人分のおにぎりを用意する戦闘配食作業の苦労はやはりどこの艦でも悩みの種で、戦艦「武蔵」では手動式のおにぎり製造器が乗組員さんによって独自に考案され、艦内の工作科で作成して使用されていて、
「たきあがった熱い飯を大きなおけにうつし(略)掌衣糧長発明のにぎりメシ型にもりこむ(略)型ブタをして押栓器を下へまわすもの、おすもの、はずしてにぎりメシをとりだすもの(略)どんどんまわる(略)一つの型で正三角形のにぎりメシが六コできる」
…というものであったんですとか
無題Name名無し 24/12/04(水)03:46:42 No.562008
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また、戦史作家の森史朗せンせいの「海軍戦闘機隊」の中に、戦艦「大和」艦内で使用されていた「自動おにぎり器」なるものの話が出てくるんですが、こちらは
「鉄のおわん状の機械があって、強い力で圧縮すると、たちまちおにぎりが出来上がるという仕かけ」
…だったとのこと
瀬間喬氏の「日本海軍食生活史話」にも、
「昭和19年9月に主計長主管・艦営需品・貸与品として握飯器が新規設定された」
…なんてあって、こちらは器械の詳細まではないんですが、「おにぎり製造器」が各艦独自に工夫されたものだけでなく、制式の備品として用意されつつあったことが窺えましたり
一方、戦後の海自の「戦闘配食」の内容ですが、昭和39年に護衛艦「てるづき」に便乗取材された記者の佐藤永充さんの手記によると
無題Name名無し 24/12/04(水)03:49:39 No.562010
https://may.2chan.net/39/src/1733251779728.jpg
「献立は、おにぎり、めざし、煮しめ、味噌漬少々とりんご1個」
…という内容であったそうなんですが、
「記者さん、お手ふきとデザートがついているあたり、海軍は違うでしょ」
…と副長さんに自慢されたそうです
ともあれ、戦後も「戦闘配食」におにぎりは引続き定番のメニューであったようなんですが、平成に入って間もないころの護衛艦「しらね」の戦闘配食(画像)を見ると、流石におにぎりは竹皮ではなく、ホカ弁(死語)に使われていたような発泡スチロール容器に入れられておりましたり(おかずはウインナーに揚げ物ですかしら)
これももう30年以上前、令和最新の護衛艦内の戦闘糧食配膳の模様はまた様変わりしているんでしょうけれども、艦内の省力化と自動化推進が進められつつある昨今、その一環として今後建造される最新鋭艦で、案外「自動おにぎり製造器」が、改めて搭載される日が来たりしないですかね…?
無題Name名無し 24/12/04(水)12:17:57 No.562014
素手でマスクなしでおにぎりを盛り付けてるのが時代を感じますな
無題Name名無し 24/12/04(水)13:58:46 No.562015
言われてみれば衛生管理とかも随分変わってるんだろね
まあコロナショックは別格だったけど・・・
無題Name名無し 24/12/05(木)09:17:44 No.562028
集団給食に艦内とか隊内とか閉鎖環境…
食中毒だけでなく感染症も軍隊の大敵よね
無題Name名無し 24/12/06(金)18:39:02 No.562063
https://may.2chan.net/39/src/1733477942230.jpg
以前仕事の関係で、HACCPの講習会を受けたことがあるんですけれども、講師の方が食中毒の事例の一つに「自衛隊の護衛艦でいかの塩辛により発生」という話を挙げておられましたり
その後調べてみると、これは2007年9月に起きた事例で、護衛艦「はつゆき」「しらね」「はるさめ」の3艦の他、横須賀の第2術科学校などでも患者が発生する騒動であったようなんですが、塩辛といえば元来旧軍時代、高温多湿の潜水艦でも使用されていた常温保存可能な伝統保存食品
それで何故食中毒が?と当然疑問に思われる方もおられるかと思うんですが、講師の方曰く、昨今嗜好の変化で塩辛い伝統的な製品は嫌われ、保存性は低下しているのに「塩辛といえば保存食品」という先入観から、要冷蔵の必要性が製造や消費の現場で充分認識されていなかったのが原因、とのことでした
講習の他の内容は今ではさっぱり忘れてしまいましたが、コレだけは今でも鮮明に記憶に残っていますw
無題Name名無し 24/12/06(金)18:45:02 No.562066
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因みにこちらは海自のP-3C哨戒機についての話なんですが、1989年刊の防衛庁技術研究本部技報に曰く、長時間飛行の場合、機上での食事が2回として、1食目は基地で調整した弁当食(幕ノ内弁当)が食べられるものの、2食目は衛生上どうしても各種缶詰や冷凍弁当、ピザパイ等(市販品含む)を利用せざるを得ない…というのが当時の状況であったとのこと
それでもやはり「嗜好及び連食性の面から、第1食目と同様に通常に調整された弁当食が強く望まれている」ということで、より良い機上でのお弁当の保存法に取組んでみましたわ!というのがこのレポートの要旨なんですが、技本の方々が採用したのが当時一般化しつつあったチルド冷蔵保存法と、窒素充填を併用するやり方
P-3C装備の電気オーブンでの加熱(185~200℃)に耐える耐熱性フィルムで、耐熱性樹脂容器に盛ったお弁当を真空包装・ガス置換するものであったそうです
無題Name名無し 24/12/06(金)18:46:16 No.562067
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「喫食試験試料」は実際に基地で提供されている弁当食を参考にした内容で、例えば「牛肉の豆板醤炒め弁当」は白飯300g・牛肉豆板醤炒め70g・鯵の天ぷら55g・南瓜、蕗、筍、椎茸の煮物95g、蓮の炒め物20g、佃煮10gの計550g(890KCal)という内容
実際にP-3搭乗員さん達に提供してみての実施調査の結果も上々で、冷蔵庫で1ヶ月程度の保存に耐え、機上オーブンでの加熱時間も冷凍食品より短くて済み節電にも繋がる、緊急発進時にもすぐ用意できる…と、試験結果はなかなか良好であったそうです
もっともこれまた今は昔のお話、P-3CもP-1に置き換わろうという令和の搭乗員さん達の機上食事情はもっと進歩しているんでしょうけれども、食中毒防止は勿論大切、だけどやっぱり出来るだけ美味しいものも食べたい(食べさせたい)よね!という熱意から来る各種の研究は、今後もずっと引き継がれて行くんでしょうねえ…
無題Name名無し 24/12/06(金)23:47:25 No.562079
日本人は結局米食わないとダメなんだなぁ…
無題Name名無し 24/12/07(土)10:54:22 No.562085
https://may.2chan.net/39/src/1733536462703.jpg
>日本人は結局米食わないとダメなんだなぁ…
ブラックホール迎撃のため木星爆破に忙殺されるミネルヴァ基地でも炊き出しのお握りが…
小説版にはないシーンだが
無題Name名無し 24/12/07(土)11:52:32 No.562086
>>日本人は結局米食わないとダメなんだなぁ…
「俺は日本人だヨ! 朝から米のメシ喰わないと力が入らないんだヨ!!」
某警察署の団長さんのお言葉です
妹さんがせっかく作った「日本の平均的リーマンの朝食」はヤギのエサとかナントカおっしゃっていました
無題Name名無し 24/12/07(土)12:05:56 No.562087
我々が小学生の頃は学校行事で見せられた教育映画(と言う名のプロパガンダ映画)で
登場した白衣の化学者が「米飯食がいかに頭と体に悪いか」をわかりやすく解説してくれたもんだった
無題Name名無し 24/12/07(土)12:42:44 No.562088
>日本人は結局米食わないとダメなんだなぁ…
でも日本人のお米一人当たり消費量って世界で50位なんだよね
無題Name名無し 24/12/07(土)14:53:32 No.562089
>でも日本人のお米一人当たり消費量って世界で50位なんだよね
そこで示されてる量って、一位バングラディシュでも一日3合程度で
日本は一日0.8合ってことになってんだよな
日本は米食わない人が結構多いって話だと思う
無題Name名無し 24/12/07(土)17:47:24 No.562093
>>でも日本人のお米一人当たり消費量って世界で50位なんだよね
>そこで示されてる量って、一位バングラディシュでも一日3合程度で
>日本は一日0.8合ってことになってんだよな
>日本は米食わない人が結構多いって話だと思う
お米1合で平均的なお茶碗2.2杯分なので
食べなくなったというかお米が意外に高カロリーで
昔の日本人が肉体労働でガンガン動くのに何合も食べてたから釣り合ったのであって
運動不足ですらある今の日本人が同じ量食べたらあっという間に肥満&糖尿病コースだからだと思う
無題Name名無し 24/12/07(土)09:09:31 No.562083
https://may.2chan.net/39/src/1733530171961.jpg
軍隊の糧食というより戦国時代の兵糧の話になってしまいますが、薩摩のえのころ飯などは捕まえた犬の内臓を抜いて、代わりに米を詰めて丸焼にする…という豪快な料理だったそうですが、食べるのはあくまで腹の中の飯だけみたいなんですよね
これも結局米が主役というか、この場合犬は肉を食べるというより鍋替わり(味付けも兼ねているとはいえ)にしているだけなんでしょうか…?
無題Name名無し 24/12/07(土)15:41:08 No.562090
>本日11月24日は和食の日!
ワ(輪=0)シ(4)/ヨ(オ=O=0)ク(9)
で4月9日とかなら苦しくも分からなくもないけど
なぜ11月24日なんだろう
無題Name名無し 24/12/07(土)16:25:11 No.562091
いい に(ほん)し(ょく)
ただのこじつけだけど、まあどうでもいいことだね
無題Name名無し 24/12/07(土)20:24:28 No.562100
昔はおかずが貧相だからね
漬物と味噌汁だけだったりする
バングラデシュが米食いまくるのも貧しくてコメだけで食事を完結させる必要があるから昔の日本と同じ感覚でしょう
まあでもやっぱり現代日本人が米食う量が少ないとはいえ米は日本人の遺伝子に刻まれた物だと思う
婚活でダイエットしてて数年米を一切というくらい食ってなかったあとにたらふく食った白米の美味さは忘れられないわ
無題Name名無し 24/12/08(日)09:01:48 No.562103
中学の行事で日帰り飯盒炊爨やったがうちの班に混じった校長(元砲兵少佐)によると
分解した山砲を人力担送する場合は一食四合だったとか
しかし少佐だったなら陸士出で師範学校には行っていないだろうに
当時は校長になれたのか
無題Name名無し 24/12/08(日)09:42:20 No.562105
戦国時代の美濃の侍に、伊藤金左衛門さんと言う方がおられて、若い頃から武辺ものと評判であったそうなんですが、ある負けいくさで一人はぐれて敗走の最中、敵兵が1人腰兵糧を使っているところに行き会ったので
「走り寄て斬伏せ腹をさいて飯を取出し、川水にひたし、洗いて打喰らい」
…腹を満たし、無事自陣に帰りついたと伝えられているそうです
あまり味の方は想像したくないですが、まあ洗ったからセーフ…なのですかしら
ともあれオコメは神代の昔から日本の兵食の基本、明治のご一新で欧風化が進められて行く中、IJNでも兵員の食器からお箸が消え、お昼とおゆはんはパン食に切り替えられたそうですが、それでも朝ご飯はお味噌汁に米飯をフォークで掻きこんでいたそうですw
ただまあ主力の軍艦自体が、そもそも大多数海外からの輸入品という時代とあって、当時の艦上でのご飯炊きというのは、なかなか苦労のいる仕事であったんですとか
無題Name名無し 24/12/08(日)09:43:18 No.562106
https://may.2chan.net/39/src/1733618598581.jpg
横須賀海軍軍需部所属の遊佐榮さんという方が、1936年にIJA外郭団体誌「糧友」に寄稿されておられる記事によりますと、日露戦争までのIJN艦艇における主要炊飯具は
「釜の大きさは巾1尺6・7寸、長さ2尺2・3寸、深さ1尺8・9寸ぐらいの長方形の箱型」
…で、それが
「それが高さ3尺8・9寸近くもある竈内に」
…2個装備されるのみ、という簡素なものであったそうです(画像)
一般的には各釜の一つはおかず用、もう一つが炊飯兼茶湯用とされていて、炊飯は釜に湯を沸かしたところにちょうどハマるサイズの竹籠(笊)に洗った米麦を入れて沈め、茹で上がったところで桶に移して蒸らしたとのこと
無題Name名無し 24/12/08(日)09:45:14 No.562107
聞くと簡単そうですが、実際には多人数の乗組員さん達の分を茹で上げる時間が最初の内には1回25分のところ、米麦から溶け出すでんぷん質(糊)で湯が濃厚になるので後の方は40分、更にあまりに濃すぎると湯の交換も行う…いうことで、1食分の炊飯にかかる時間は結局実に4時間余り、更に同じ釜でその後茶の湯も沸かすとあって、朝飯準備だけで5時間を要したそうです
従って炊き立てのゴハンは「夢にも望まれない」上、肝心の炊き具合も最初のロットの湯の中に糊分が溶け出し過ぎてパラパラ(しかも当然一番冷めたモノ)か、途中からの糊分で熱伝導が悪くなるので搔きまわしながら炊く(というか茹でる)ため、
「柔らかいお餅のような所々に骨のある半煮えの混じった代物」
…になったもののどちらか
おかずも釜1個とあって、汁・煮魚・煮込が主のレパートリーの少ない内容にならざるを得なかったんだそうで
無題Name名無し 24/12/08(日)09:45:54 No.562109
艦によっては直接角釜でご飯を炊く荒技に走る所もあったそうなんですが、底に1寸ほども焦げ付いてしまい、この焦げ落としがまた難事であったとのこと
日露戦争後には当時新式の「戦利品の露式釜」が導入(恐らく蒸気釜)されたそうなんですが、これも本来炊飯を考慮していないためか、後に採用された国産品に比して深過ぎたため、炊飯に使うと中心への熱伝導が悪く、
「炊飯途中で1度掻き廻さねば中心部が煮えないので、此の為に飯の出来栄えはスカスカする上に生煮えの混じった様な」
…ようになってしまうので、なかなか理想のゴハンは炊けなかったそうです
より改良された蒸気釜、電熱式の調理機器が導入された昭和期に入っても、「めしたき」の苦労は絶えなかったことは色々伝えられているんですが、「艦上炊飯」の維持には、いつの時代も並々ならぬ努力と工夫が積み重ねられてきた(いる)、というお話になるようですねえ
無題Name名無し 24/12/08(日)10:14:23 No.562111
南極料理人こと西村淳氏も南極の小規模拠点で大人数が働く作業の際
炊飯器はあれど発電機の容量不足から一時に炊ける飯は一升炊き炊飯器一基分と甚だ不足
海上保安官であった氏は旧式の巡視船で重油バーナーを使って行われていた
「湯炊き」で対応したとか
無題Name名無し 24/12/08(日)10:21:42 No.562112
戦後の学校給食はアメリカが小麦を売るため日本人にパン食を植え付ける側面があったが
昭和も50年代になると古古米余剰米問題が深刻化しついに米飯給食導入となった
しかし当時の給食調理設備は当然ながら米飯給食を想定しておらず
米飯導入初期は弁当箱に米と水を入れてパン焼き釜で無理矢理炊飯するような無茶も…
無題Name名無し 24/12/08(日)10:22:28 No.562113
美味しいものをたべたいという欲望が
いかに文明を発展させたかの例っすね
無題Name名無し 24/12/09(月)20:54:14 No.562161
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前述遊佐氏の記事によると、日露戦争開戦直前の頃には、戦艦「朝日」「敷島」などの新鋭艦には蒸気利用の「戸棚式炊飯装置」なるものが備えられていて、
「浅い鉄製亜鉛鍍金の箱に洗った米麦を入れ、水加減して戸棚に納め、固く扉を閉めて蒸気を通す」
ことで炊飯できたそうで、
「其の飯は頗る美味であるが炊き殖(※ぶえ)は少なかった」
…とありましたり
これもやはり前述の「日本海軍食生活史話」によると、戦艦「朝日」に据え付けられていたものは横須賀工廠の設計になるもので、計4個の長方形をした鉄製蒸気炊事竈の大きさは内径で長さ2尺2寸、幅1尺6寸、高さ3尺2寸、容積11.26立方尺
コレに蒸気管が連結されていて、庫内底を一周する部分に小通気口が開けられ、ここから噴出する蒸気でご飯を蒸す設計であったそうです
無題Name名無し 24/12/09(月)20:54:52 No.562162
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各槽内にはお米5升を入れられる「鉄葉箱」10個が収納可能で、20磅以下の汽圧で炊飯時間が50分、2石の御飯が一時に炊けるうえ、「その味も亦美」…と喜ばれていたんですとか
一方、「朝日」と同じくエゲレス生まれの装甲巡洋艦「浅間」の乗組員だった有延芳太郎さんと言う方の回想に依ると、「浅間」での炊飯は
「ざる鍋で米をざるで蒸したものでした」
…とのことで、おそらくまだ戸棚式炊飯装置ではなく、旧来の角釜が使用されていたものと思われるんですが、1905年の日本海海戦において勇戦敢闘した「浅間」は自らもまた被弾多数、
「烹炊室では茶鍋も汁鍋も弾が当たり(略)蒸し鍋さえも破損」
…してしまったんだそうで
無題Name名無し 24/12/09(月)20:59:06 No.562163
しかもメインの米倉庫も後部最下甲板にあったため浸水で水没、小出し糧食庫も吹き飛ばされた為、結局夕食の内容は「酒保の朝鮮飴2、3本」という侘しいものに
これはこれで当時のIJN艦酒保に「朝鮮飴」が並んでいたことが知れる貴重な証言なんですがw
一晩中防水作業で疲れ果てた翌朝の朝食も、
「メリケン粉と若布汁1杯」
…だけであったそうです
そしてようやく凱旋帰投した舞鶴に入渠した際、鎮守府からの炊き出しの大きな握り飯にありつき、「一同盛んに頬張った」そうなんですが、
「人間が久しく常食に離れたら、大人もかくまで子供らしくなるものかと心恥かしくございました」
…などと述べておられましたり
無題Name名無し 24/12/09(月)20:59:59 No.562164
同じく日本海海戦当時「浅間」乗組みだった古川甲七さんと言う方も、この時の握り飯について思い出を書き残されておられるんですが、
「入渠と同時に心から温かき麦飯を5日目(※ぶり)に口にした。その美味なることは永久に忘れることの出来ない味で、今に物が不味いとか何とかいえば、この時の麦飯の味を思い出し、決して贅沢はしないようになった」
…とのこと
やはり空腹…空腹は全てに勝る調味料…!
無題Name名無し 24/12/09(月)23:52:24 No.562169
米飯はやっぱりパンより艦上食としては手間が掛かるのかねえ…
まあイギリス海軍みたいに数ヶ月毎日ウジ入りビスケット、てのもイヤだが
無題Name名無し 24/12/10(火)09:11:56 No.562174
朝鮮飴って長い歴史があるんすねえ…
無題Name名無し 24/12/10(火)10:11:43 No.562176
それこそ加藤清正が兵糧として使ったくらいだからねえ
携帯非常糧食の先祖みたいなもんだ
無題Name名無し 24/12/10(火)10:50:12 No.562177
ある意味兵糧丸の一種みたいな感じですかね
今でいうエナジーバーみたいなものですし…(笑)
無題Name名無し 24/12/11(水)03:48:34 No.562225
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携帯性や保存性(出来ればもちろん味も)に優れた携行糧食は、いつの時代も軍隊には必要不可欠で、より良いものを求める研究は常に進められているわけですが、わが自衛隊でも1990年代にある新世代の戦闘糧食の試作が進められていたんですとか
当時既に缶詰式の戦闘糧食Ⅰ型はあり、レトルトパウチ方式のⅡ型も制式されつつあった頃なんですが、防衛庁技術本部の中の人曰く
「これらは喫食時にいずれも再加熱を必要とするものである。寒地においては加熱後個人へ支給されてから喫食までの時間経過に伴い、凍結して喫食不能となることがある」
…とのことで、新たな形式の非常用糧食の開発に取り組んだんだそうで
無題Name名無し 24/12/11(水)03:49:09 No.562226
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「本食品は、調理済み食品又は調理を兼ねて加熱した食品を凍結乾燥し、ガスバリヤー性のプラスチックフィルム袋に真空包装したものである。喫食時は袋を破り、そのまま食べることができる。したがって、乾燥状態であるため凍結の心配は不要である」
…というこの新型糧食、携帯しやすさを目指して軽量小型のスティック型(約105~110㎜×70㎜×15㎜)またはカード型(約105㎜×55㎜×3㎜)に成形されるもので、「紅鮭ごはん」「赤飯」「ビーフスティック」「ポークスティック」等主食とおかずはスティックにして、これに「いちごカード」「バナナカード」「ほうれん草カード」などデザートや野菜のカードを添える、というコンセプトであったようです
もっとも、最初に出来上がった試作品では、主食類は乾燥によりかさつくため食感が悪く、また果実類のカード製品は変色や軟化を起すなどの問題があったとのこと
無題Name名無し 24/12/11(水)03:49:43 No.562227
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そこで食感を改善するために主食類は油脂を加えてドライカレー・釜めしなどを追加、オレンジやパイナップルなどの果物はスティック状に変更
おかずの品数も魚介類が増え、更に粉末ウーロン茶なども添付されて完成された改良品は保存性の問題もクリア、東富士演習場に於て演習中の第一空挺団の隊員の方々に実際に提供しての喫食試験まで進んだんだそうで
もっとも、肝心の試験結果の方はというと、アンケート調査の結果によれば・腹持ちが悪い(75%)・胸焼けする(74%)・喉が渇く(100%)…と、空挺団の猛者の方々の評価はお世辞にも良いものとは言えなかったようです
それが災いしたものか、結局今日に至るまで「スティック食」が制式採用される気配はないわけなんですが、結果的に不成功とは言え、こういう試行錯誤の積み重ねはきっと、今後の為の貴重な経験になっているんでしょうねえ…
無題Name名無し 24/12/11(水)12:40:34 No.562233
>No.562227
乾燥すればそれだけ濃厚になるってことだしなあ・・・
味のバランスがうまく取れなかったんだろね
無題Name名無し 24/12/11(水)21:45:38 No.562236
こういうレーション開発とかも今は民間の食品会社とかと提携するか
委託したほうが良いものできそうだけど…
まだ色々難しいかな?
無題Name名無し 24/12/11(水)22:46:19 No.562238
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少なくとも缶メシの時から既に民生技術と提携しての開発メインでは・・・・?
パック飯でも大手は日本ハムやニチレイ等の製造だし
無題Name名無し 24/12/13(金)19:41:15 No.562287
>少なくとも缶メシの時から既に民生技術と提携しての開発メインでは・・・・?
>パック飯でも大手は日本ハムやニチレイ等の製造だし
日本ハムが販売してる非常食
加温しなくてもそこそこおいしかった
無題Name名無し 24/12/11(水)23:03:15 No.562239
>もっとも、肝心の試験結果の方はというと、アンケート調査の結果によれば
>・腹持ちが悪い(75%)・胸焼けする(74%)・喉が渇く(100%)
>…と、空挺団の猛者の方々の評価はお世辞にも良いものとは言えなかったようです
お湯で戻せば何かいけそうなラインナップだけどそれだと水や燃料に容器は要るわ冷えたら嫌だわで元の木阿弥かぁ…
無題Name名無し 24/12/12(木)01:22:33 No.562242
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一応アメリカではフリーズドライレーションとして1960年代にはLRPレーションを、その後同じ構成の寒冷地用レーションを採用しているわけで
いっぽう冬季レンジャーで凍ったⅡ型を齧らせてる自衛隊はぶっちゃけ正直・・・
無題Name名無し 24/12/12(木)08:19:26 No.562244
朝鮮飴のことが気になってwikipedia見たら
>江戸時代中期までは肥後藩が買い上げる御用達とされ、製法も管理されて一般への流通は許されていなかった。兵糧として極めて有用だった事から一種の戦略物資として扱われていたようである。
>明治時代には大久保利通が「透明にして風味甘美」「製法老熟の妙あり」と評している
ってあったけど、よく考えたらあの時代で貴重な保存が効いて高カロリーな携帯食なんだよな飴って。
長持ち&場所をとらない&甘未なので兵員にも好評となりゃそりゃ酒保にも置くわな。
無題Name名無し 24/12/12(木)09:00:37 No.562245
https://may.2chan.net/39/src/1733961637626.jpg
必要であれば民生品の栄養食品やサプリメント支給したり
カラフルなパッケージでメンタルケアにも効果があるとされてるそうな
無題Name名無し 24/12/13(金)21:06:50 No.562289
大東亜戦争も末期、比島方面の戦局が風雲急を告げるなか、戦力増強策の一環としてIJAでははるばる内地から潜航輸送艇(まるゆ)を内地から回航しているんですが、1944年11月にレイテ島オルモックに強行輸送を計ったまるゆ2号艇の塔載物件として、精米600梱、バッテリー30梱包などの他に、「救急食」なるものが50梱積まれていたと伝えられているそうです
この「救急食」、IJA糧秣廠の小山栄二技師らが中心となって開発された携帯食料で、戦後間もない1946年刊の「食物と栄養知識」なる書籍の解説によれば
「今度の戦争の末期には南方戦線への食糧輸送はほとんど不可能となり、潜水艦で補給することになったので救急食なるものがつくられた」
無題Name名無し 24/12/13(金)21:07:27 No.562290
「炒った玄米に大豆油を吸収させ、これに馬肉とほうれん草の乾燥粉末を混合し、更にビタミンB1とB2に食塩を添加して、煉瓦を半分に切ったくらいの大きさに圧搾したものである。
「1日分の食糧で熱量はせいぜい1000カロリー(ママ)位しかない。血気盛りの兵隊には最低2000カロリーを必要とするとされておったが、この救急食は栄養が完備している上にビタミン(略)が十分に補給されるため、僅か半分の熱量で兵隊はどうやら健康を保つことができたのであった」
…という内容であったそうです
比島戦線の他、南洋の離島や内地などでも補給されていたようで、1945年の沖縄戦の際、米軍飛行場に突入した義烈空挺隊の隊員の方々も、「持久食の一つとして救急食3個を携帯されていたと記録されておりましたり
無題Name名無し 24/12/13(金)21:08:01 No.562291
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また、中部太平洋の孤島カロリン諸島メレヨン島に駐屯していたIJA部隊の将兵さん達の戦時日記などにも、潜水艦で運ばれてきた補給糧食の一つとして「救急食」の描写が何度も出てきまして、曰く
「救急食をも貰い、たべた。19年製でうまい」
「救急食2片をたべる。落花生の油しみてうまし。カロリーありて快い」
「救急食は油気ありて舌にとろけるが如く美味例えん方なし。真に救急の思いあり」
「章魚漁へ 救急食が 褒美かな (俳句)」
…などなど
ただメレヨン島は補給事情の特に厳しかった所の一つで、残念ながら守備隊約6千500名ほどの内、戦死300名余りに対し4千400名以上もの餓死・戦病死者が出ており、せっかくの「救急食」も全員には行き渡らなかったようなんですが、それでも生還者さん達の幾許かは、文字通り「救急食」のおかげで命を繋がれた、ということみたいですねえ…
無題Name名無し 24/12/14(土)10:44:33 No.562319
貨物容積の小さな潜水艦でなるべく多くの人分ってことで高カロリー圧縮食を作ったってことでいいのかな
脂が多いと保存性入り悪くなりそうだけど…
無題Name名無し 24/12/14(土)11:40:28 No.562322
兵站に熱心じゃなかったと言われがちな旧日本軍だけど、色々なシチュエーションに
対応するレーションの開発自体には凄く熱心よね
下手したらアメリカ軍より種類だけなら多いんじゃね?ってレベル
無題Name名無し 24/12/14(土)12:13:21 No.562323
むしろ、兵站に関心がないからこそいろんなメニューを乱発したんじゃ感
無題Name名無し 24/12/14(土)21:01:58 No.562335
まあ大事なのはとにかく必要なところに届くかどうかだからな…
無題Name名無し 24/12/15(日)07:48:09 No.562339
不勉強なのでmesh氏の書かれている「救急食」は存じないのですが
帝国陸軍では昭和六年には「熱糧食」というものが正式化されており、北支派遣軍にはかなりの量が送付されていたとか
現在巷にあふれているサプリメントの元祖は、日本陸軍の携行食料を研究した米国陸軍の担当者が開発したもの。。とかいうそれこそ真偽もわからない説もあります
無題Name名無し 24/12/15(日)10:11:25 No.562340
大東亜戦争終戦後の1947年に刊行された「最新科学トピック集」という本には、まだまだ苦しかった当時の食糧事情を反映して
「『すき焼を一度食べれば死んでも良い』と考えている人が如何に多いことであろう」
…なんて切ないことが書かれているんですが、そんな目下の食糧難、殊におニク不足を解消してくれるかもしれない「驚くべき一光明」だとして紹介しているのが
「御承知の如く大東亜戦の中に発表されて、そのまま姿を消した『空気肉』」
…なるものでありましたり
無題Name名無し 24/12/15(日)10:12:55 No.562341
この「空気肉」、同著によれば農学博士小山栄二氏(前述のIJA糧秣廠技師さんですね)らによって発明されたものなんですが、要は空気中に含まれる窒素を土中などに生息する窒素固定細菌を培養することで、タンパク源として利用しよう!という着想で、キモは既存の肥料や火薬製造に使用されている窒素化合物の製造法より、細菌を利用することでより簡便に生産できる、という所にあったようです
完成品はほろ苦い茶色っぽい乾燥した粉末で、タンパク質の含有率は50%、パンや味噌醤油などに自在に使えるんですとか
一方、1972年刊の「奇跡の発明」なる本の中でも、「空気肉」が「救急食」などと共に戦時中の発明の一つとして紹介されているんですが、同著によれば戦中「空気肉」の本格的生産は昭和20年6月ごろから目黒や広島、或は台湾といった国内外のビール工場の施設を転用して行われることになったものの、本格的生産が軌道に乗る前に終戦になってしまったとのこと
無題Name名無し 24/12/15(日)10:13:59 No.562342
https://may.2chan.net/39/src/1734225239600.jpg
そこでキリンビール株式会社編の「麒麟麦酒の歴史」を見てみますと、実際昭和20年6月ごろから、同社広島工場はIJAに「特殊糧食」を供給する施設に転用が始められているんですが、同史の記述をみる限り、生産予定だったもののうち「特殊栄養粉食」の方は、濃厚仕込みの麦芽醪を「特殊発酵」して得た「酵母」から作るもので、やはりタンパク質補助食品とされているものの、ちょっと「空気肉」と違うモノの様に思えます(「特殊発酵」といのがちょっと気にかかりますが)
ただ、「特殊飲料」の方はこの「特殊栄養粉食」の製造過程で分離された発酵液からアルコールを除去したものを加工してつくるものだそうで、あるいはこちらを窒素固定菌の培養に使う計画であったのかも…とも思われるんですが、いまのところ麒麟麦酒で製造予定だった「特殊糧食」がイコール「空気肉」であったかどうかは、残念ながらはっきりしませんでしたり
無題Name名無し 24/12/15(日)10:17:18 No.562343
https://may.2chan.net/39/src/1734225438864.jpg引用元:https://may.2chan.net/39/res/561852.htm
ともあれ、日本の食糧事情が改善されていく中、結局「空気肉」は復活することなく現在に至っているわけですが、近年米国の「エア・プロテイン」社という所が、やはり空気成分を原料とすることが謳い文句の「エアミート」なる人造肉製品の開発に成功、製品化に取り組んでいるそうです
こちらは1970年代に、NASAが閉鎖空間内の食糧再生産を研究した成果を利用したもので、やはり微生物がプロセスに関わってくるそうですが、窒素固定細菌ではなく、水素栄養細菌によるCO2代謝を利用するもの実現すればかつて数十年間にIJAで企画されていた「空気肉」に近いものを、今の我々が口にすることが出来るようになるかのも知れませんが、まあそう聞いてもやはり皆さん半信半疑ですよね?
「空気をくうきか!?」
…ってn(略)
コメント
脚気に掛からずに済んだのに。
可能性を感じるアイデアと行動力でその場の空気がガラッと変わって職場環境が劇的に改善する好例だ
「スーパーくいしん坊」を思い出しちゃいました
これは本当か知らないけど教育隊や施設部隊がある駐屯地はカロリーベースも高くてそれに合せて予算も良いから美味いとか話はあるけど、個人的にはあまり気にした事は無かった。
世界的に世論の反対があって(カップヌードルの謎肉の都市伝説になった)
界面活性剤とか化粧品などにしか使われていない。
昆虫食へのクレームから見ても、コウジや酵母の発酵アミノ酸は良くても、
空気肉は受け入れられるのは難しいんじゃないか。
これに関しては古今東西ロジスティクスに付き纏う至上命題なんだろうな
海自とかは専門の教育を受けて調理してるけど、陸自だと今でこそアウトソーシングだけど、昔は駐屯地の糧食も臨時勤務で部隊の実質二軍、三軍の隊員が行ってたし、今でも演習とかの炊事は似たような物だからね。勿論設備や道具に制限がある事も一つの理由だけど。
ただどこの部隊にもめちゃくちゃ料理が上手い人が一人二人はいる感じ。
海軍の将校は食事代を払ってたという話があるのもプロにお願いしてたから
一方陸軍はどうかというと将校であっても戦地では炊事兵に任せるしかないが街などに駐屯してると料亭から出前をとったりできたので結構良いもの食べてたりしてる
なおこの場合もプロにお願いしてるわけだから食事代を払う
このせいで陸軍海軍ともに新米将校は給料が少ないのに食事代をとられて大変で、内地の若手陸軍将校の中には兵員食堂に家族連れで食事をし周りも懐事情を理解してるので黙認してたそう
芋縄は分からんが干し飯は台湾征伐辺りまでは使ってたけど台湾の現地環境があれすぎて
持ち込んだ分が全滅、そのままお払い箱になったという話をどこかで聞いたような
芋縄の方も問題あったとしたら似たような感じかも分からんね
ズルチンみたいな甘味料がしばらく使われてるように
推進と対になる規制が全く作用しないから最初から推進するなって言われるのは当然かなって感じ
どうしても普及させるなら言論統制とセットじゃないと無理かもね(Twitterとかまとめブログのコメント欄を見ての偏見)
教育部隊のある駐屯地が美味いというのも絶対ではないな
確かに、山走狂のある板妻は美味かったが、117と工科学校のある武山はなぁ
一度武山、特に南食堂こと工科学校側が基準になると大抵の駐屯地のは美味く感じるようにはなるが…
出席者と司会者を見るに「座談会」と銘打ってるが対策会議じゃないかな。
先ず第1回は現状報告をして、対策案を出したという感じに見える。
第2回目以降は具体的な対策を実施した結果の報告と結果に対する対策案の検討という感じで続くんじゃないかな。
日清戦争では道明寺干し飯を携行させてますよ
陸自では各人の活動量を算出して、食事量を調整するように指導している
対策は既にやっているんだが、食堂で食うのは主に営内者でな、営外者の食事までは手が回ってない
16です、ありがとうございます。ついでにうかがいたいのですが、指導はやはり栄養士や管理栄養士の方によるのでしょうか。
そうです
月間の献立を作るのも、各駐屯地に1人はいる栄養士の方々の仕事です
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