無題Name名無し24/06/26(水)16:56:09 No.558780

1719388569344
本日は雷の日らしいですね
というわけで日本海軍局地戦闘機スレ


無題Name名無し 24/06/26(水)16:58:23 No.558781
1719388703741

雷電紫電震電・・・
思う存分語ってくだサンダー!

無題
Name名無し 24/06/27(木)21:22:15 No.558825
warthunderだと烈風より雷電のほうがレート高いな
実際カタログスペック上の数値だとかなり高性能だしな

Name名無し 24/06/27(木)22:40:23 No.558828
>No.558825
ワーサンダーは超リアルだぞ!
機首が上がらず滑走路外に突っ込んだのを再現して
当初は離陸すら真面にできない設定だった。
それじゃゲームにならんので改善されたが

無題
Name名無し 24/06/28(金)00:06:08 No.558829
雷電、紫電は単語として存在する言葉だが
震電、閃電は造語らしい

無題
Name名無し 24/06/28(金)04:52:52 No.558831
>震電、閃電は造語らしい
いや、震電も閃電も昔からある言葉だよ。
意味は両方とも「Lightning」だけど。
日本では稲妻は古来から神格化されたこともあり、稲妻を意味する言葉は非常に多い。

無題
Name名無し 24/06/28(金)19:59:45 No.558846
むかーしむかしの仮想戦記に「ラバウル烈風空戦録」なるものがありまして、「雷電」も登場するんですが、三菱の設計主任が開発中過労で倒れたのを(この辺史実どおりですね)引き継いだ他社の若手の技術屋さんが、視界問題なんてこうすれば問題ないんじゃないですかあ?ってバッサリ後部胴体上方を削って、水滴型風防に整形して完成させる…という歴史改編?がなされてましたねー

そしてもしかしたらこの元ネタになった話なのかもしれませんが、1945/1946年版の「ジェーン航空年鑑」などには、「JACK31」なる「雷電」の派生型が掲載されているんですが、添付の図面では水滴風防型の機体である、として描かれているそうです

無題
Name名無し 24/06/28(金)20:00:55 No.558847
1719572455613

実際に製造・実戦配備されていた「雷電」31型は、高高度性能向上型の32/33型に施された機体改修の内、胴体前部上面の横幅減少、風防の大型化などの視界改善策だけを暫定的に21型に施したもので、確かに風防は従来より大型化しているものの、基本的にはレザーバック形式のままで、ジェーン航空年鑑の想像図とは異なっておりましたり

ただ、戦中空技廠勤務のIJN技術少佐だった堀輝一郎さんと言う方の回想記によりますと、正確な時期は記載がないものの、

「戦局に鑑み、当時試作完了した(略)『雷電』を高高度飛行機にする場合、即応可能である様に(略)与圧室が製作され(略)低圧・低温実験室(鋼製円筒型タンク)に与圧室全体を入れ、成層圏と同一条件の下に実験し、良好な成果が確認され」

…ていたんですとか

無題
Name名無し 24/06/28(金)20:03:23 No.558848
https://may.2chan.net/39/src/1719572603040.jpg
要は高高度型「雷電」搭載用の与圧コクピットの実物が戦中実際に製作され、テストも行われていたということなんですが、添付された「PCー2」与圧室の取付概要図(画像)では、機体のアウトラインが水滴型風防として描かれていたりします

PCー2は金属製円筒の本体からドーム状の耐圧風防が突き出る形状で、その上を更に「雷電」の本来の風防が覆うという二重構造での装備案であったことが伺えるんですが、当然パイロットの動けるスペースは通常型より減少するはずで、あるいは悪化する後方その他の視界確保の為、気密室装備型では併せて水滴風防に改修する…というプランであったのかも知れません

もっとも、堀氏の手記文内には水滴風防化についての具体的記述はなく、あくまでこの簡易なスケッチのみからの推測になるんですが、実際にそうした改修案があり、、連合軍側の情報網にもかかったのが「JACK31」の想像図に繋がった、というなら…ちょっと面白い話ではありますですかも…w

無題
Name名無し 24/06/29(土)10:31:56 No.558863
雷電は排気タービン装備型もあったけど、例によって結局間に合わなかったのよね
真の意味での高高度局地戦闘機というのは陸海ともに最後まで持てなかったわけか・・・

Name名無し 24/06/29(土)10:55:24 No.558864
一方で米空軍のP47「サンダーボルト」の方は排気タービンは快調そのものでしたね
逆に高高度戦闘はあまり出番がなく、低空での地上攻撃等に多用されたので宝の持ち腐れになった場合が多いのは贅沢というか…

無題
Name名無し 24/06/29(土)17:50:35 No.558873
工業規格もないような日本帝国が
ターボなんぞつくれるわけねーべ

無題
Name名無し 24/06/29(土)22:02:35 No.558878
まあ
>アメリカでは第一次大戦末期という早い時期に飛行機用発動機用のものが開発されて高高度飛行が行われるなど、他国に先駆けた研究が行われ、1930年代中頃には次世代型軍用機用のパワーアップ用機材として本格的な量産化が進められ、1930年代後半には量産が可能な体制が整えられて、第二次世界大戦における連合国側の航空戦略の優勢に寄与した。

しょうがないよね

Name名無し 24/06/30(日)11:24:30 No.558888
1719714270995

昭和18年7月27日付の官房空機密第1497号航空機名称付与式により、IJNの航空機の新命名基準が設けられ、例えば戦闘機には今後気象に纏わる名称を付けるように定められたわけなんですが、この時新命名法の凡例として「迅雷」「飛電」「紫電」「陣風」「雷電」「旋風」の6つが挙げられていたそうです
「紫電」は川西の1号局戦(N1k1-J)、「陣風」も川西の18試甲戦(J6K)、「雷電」は三菱の14試丙戦(J2M)として具体化しているものの、残り3つについては結局どんな機体に付けるつもりだったか不明なままで終っているそうなんですが、当時各社で計画中だった新型機案をみると、例えば三菱の試局地戦闘機(後の「閃電」)の対抗馬にあたる中島17試局戦、川西で「紫電」系とは別に計画されていた19試局戦、三菱製の20試局戦など実に多様な計画が進行していたんですとか
多くはその後中止、もしくは未成で終るわけですが、あるいは「迅雷」「飛電」もその中のどれかに付けることが内定していた名称であったのかもしれないですなあ

無題
Name名無し 24/06/30(日)11:25:27 No.558889
1719714327054

戦中首都防衛のIJN防空戦闘機隊として名高かった302空で、「雷電」隊の指揮官であった伊藤進さんと言う方の回想に依ると

「地上から見ているとB29の大編隊が(略)東京上空に侵入してくるのがよく見える、それなのに味方戦闘機は知らぬ顔であさっての方向に飛び続けている。何を逃げ回っているんだと非難されたこともたびたびであった」
「しかし、高度1万メートルでは、空気は地上の5分の1(略)零下40度の悪条件では、視力も極度に減退して、地上で2.0を誇る戦闘機乗りの視力でも、地上の何分の一しか見えないのだ。それで巨体を誇るB29の大編隊でも、目の前に現れるまでは視界に入ってこないというありさまで、まことにふしぎな現象であった」

「それともう一つ、無電機の不備があげられよう」

無題
Name名無し 24/06/30(日)11:25:53 No.558890
1719714353980

「米軍機は自由自在に電話で話して連絡していたが、わが雷電隊はもちろん、零戦隊も連絡手段はモールス符号の電信と手まねによる以外は、以心伝心だけであった」

「自分が千葉上空やら、横浜上空にいるのやらもわからず、そんなありさまで敵を捕捉することがいかに困難であるか、雷電乗りだけが知る苦衷であった」

「B29を迎撃するため15機ぐらいで離陸すると、編隊を組むまでに必ず2機程度は故障で引きかえし、5千メートルくらいまでにも2機、ないし3機が腹痛をおこして引き返す。9千、1万メートルになって8機も残っていれば、まずまずの成績である。敵にやられたのではない、みな故障で引き返したものである」

無題
Name名無し 24/06/30(日)11:27:11 No.558891
…とのことで、機体自体の性能以外にも、なによりインターセプターを効率よく誘導・接敵させる各種システムの欠如が、十分な戦力発揮を妨げたことが伺えましたり

それでも伊藤氏曰く
「しかし、これは雷電だけの責任ではない(略)古参パイロットの搭乗機は故障で引き返す率がきわめて少なかった」
「不肖の子ほど可愛いものである。私もやっぱり雷電が可愛かった。暴れん坊のくせにすぐ病気をする。喧嘩をすればなかなかすばらしい喧嘩もやってのけるが、意外にもろく負けたりもする。こんな感じの雷電であった」

…とのことで、乗りこなした方にはそれなりに魅力と愛着を抱かせる機体であったことは確かだったみたいですねえ…

無題
Name名無し 24/07/01(月)11:48:43 No.558912
雷電開発時に大馬力のエンジンが火星かDBしかなくて、火星を選んだからあんなぶっとい胴体になっちゃったわけだけど、DBコースだったらどんな機体に仕上がったんだろかね
ラジエーターは付いてもスマートに仕上がりそうだし、高高度性能もマシになりそうだが・・・?

無題
Name名無し 24/07/01(月)12:34:47 No.558913
>胴体になっちゃったわけだけど、DBコースだったらどんな機体に仕上がったんだろかね
首無し雷電が並んで火星乗っけてみようかのオチかも

無題
Name名無し 24/07/01(月)12:39:50 No.558914
その場合も5式戦みたいに細い胴体に太いエンジンってなるからだいぶ印象変わりそう
和製フォッケみたいになる可能性もあるかな?

無題
Name名無し 24/07/01(月)15:02:13 No.558915
流線型に固執しないで四式戦みたいな形状にしたほうがよかったんじゃないか

無題
Name名無し 24/07/01(月)19:26:12 No.558923
https://may.2chan.net/39/src/1719829572183.jpg
4式というより2式戦だねー
2式のハ41エンジン直径が1260mmに対して火星が1340mm
上から見ると見事な逆三角形

無題
Name名無し 24/07/06(土)16:04:10 No.559005
>4式というより2式戦だねー
>2式のハ41エンジン直径が1260mmに対して火星が1340mm
>上から見ると見事な逆三角形
二式戦ってなんか小さくないか?
たぶんそのせいで航続距離が短かったんだろうし
重戦という区分にこだわったせいで速度を重視してああなったのかもしれないけど
一式や四式みたいな普通の大きさにすればよかったのにな

無題
Name名無し 24/07/02(火)19:52:36 No.558944
1719917556758

航空戦史家の秋本実せンせいによると、やはりWW2直後の時期の頃の海外の航空雑誌に、水上戦闘機「強風」は「雷電」を水上機化したものである、なんて記事が載っていたコトがあったそうです

機体スタイルもメーカーも異なり、「強風」から「紫電」が開発された経緯とも真逆で、或はソレが誤伝されてのことであったのかも知れませんが、同じ「火星」エンジンを積んでぶっとい胴体になったトコロなんかもちょっと影響しているのかも知れないですねw

因みに余談ですが自分が小学生の頃、ウチの親父さんがミリタリー好きの自分の誕生日プレゼントに、中野ま●だらけでちばてつやせンせい著の「紫電改のタカ」を買って来てくれたことがありましたり

無題
Name名無し 24/07/02(火)19:55:59 No.558946
1719917759581

今でも大事にとってあるんですが、主人公滝城太郎一飛曹が最初に配属になるのが「紫電」装備の第701飛行隊で、その隊長が滝さん曰く「日中戦争のときゼロ戦で初出陣して以来ずいぶんいろいろな方面で活躍した(略)立派な隊長」なる「白根少佐」という人物

戦闘701飛行隊は実在した「紫電」部隊で、「白根少佐」も昭和19年9月11日に飛行隊長に着任した白根斐夫大尉(当時)がモデルと思われるんですが、白根氏は実際昭和15年8月19日、零戦が中国空軍戦闘機隊に圧勝を収めた高名な空戦が初陣で、その後も空母「赤城」戦闘機分隊長として豪州、インド洋、ミッドウェイ作戦に参加、「赤城」沈没後は「瑞鶴」分隊長に転じて第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦で奮戦、昭和18年からは、S701の前任飛行隊長だった岩下邦雄さん曰く

「紫電が(略)実用実験に供された時いらい主任担当者としてこれにあたり(略)紫電の戦力化に心血を注がれた人」

無題
Name名無し 24/07/02(火)19:57:26 No.558947
1719917846032

…であられたそうです

「紫電改のタカ」劇中では、「白根少佐」は主人公らを率いて比島の米軍基地に攻撃に向かう最中、グラマンの大編隊と遭遇戦になり戦死してしまうんですが、モデルとなった白根斐夫さんの実際の戦いぶりについて、海兵64期のクラスメイトであった美濃部正さん(「彗星」夜襲部隊の指揮官として有名な方ですね)の語っておられるところを引用させて頂くと

「S701(略)雷電局地戦闘機が格闘戦に弱いとの不評から、年間6000機の量産体制に入ったばかりの機体部品の裁断迄終わった資材を捨てて、急遽登場した新戦闘機紫電の初期装備部隊であった」

「私も零戦52型改の新型機で苦労したが、白根も同じく据膳で、50機武装通信機器整備、資材完備のものを支給されたわけではない(略)パイロットは新鋭機故に経験者を配員されたとは言え、新人が過半数であった」

無題
Name名無し 24/07/02(火)19:59:11 No.558948
1719917951971

「10月10日には早くも(略)台湾進出、その直後の米KDB(※機動部隊)来襲。旗本の古参達は迎撃で散り、11月1日北比マルコット基地に配備後は相次ぐ特攻の直掩に駆り出された。これでは訓練も出来る筈が無い。新鋭機とは言え漸く飛ぶ新人、不慣れな異国の島々、土地勘もなく(略)敵戦闘機と渡り合ってバラバラになり帰り得る者幾人いただろう?」

「11月24日、1AFは、事もあろうにレイテ、魚雷艇基地の昼間銃撃命令を下した。白根は少ない残兵を率い敵戦闘機群の下を突入。不利な態勢下交戦散華」

「私はレイテ至近のセブ基地に潜入、夜間の魚雷艇狩りをしていた(略)電報で紫電4機魚雷艇攻撃に向かったとは知っていたが、白根とは知らなかった」

無題
Name名無し 24/07/02(火)20:01:45 No.558949
1719918105599

「幕僚に無茶な運用を詰ったが彼らは、攻撃命令の起案において効果の分析もせず、兵棋演習の駒の如く作戦に忠良な戦士を乱費して居た」
…とのこと

実際に白根中佐(最終階級)の最後の任務が魚雷艇基地攻撃であったかは諸説あるようなんですが、ともあれ美濃部氏が

「級随一の美男子(略)ヨーロッパ遠洋航海では外出にも連れ立ってトルコ、パリの街を散策した。最後に会ったのはインド洋作戦打合せ会議で、空母赤城に新たに着任したにこやかな友との一時。その彼が目と鼻の至近戦場で私より先に先立った」

…と惜しむ白根さんが、機材人員と共に万全とは言えない状況下で、自らが戦力化に尽力した「紫電」と共に、最後まで陣頭に立って奮戦されていたことは確かであったみたいですねえ…

無題
Name名無し 24/07/03(水)03:42:44 No.558955
雷電があまりに太ましいから目立たないけど、紫電もかなり太い胴体よね
紫電改でもまだ太く見えるけど、本格的に変えたらそれはもう完全に新型機じゃんってなるしなあ

無題
Name名無し 24/07/04(木)10:19:54 No.558984
強風なんかも巨大なプロペラスピナーも付けてせめてシルエットは流線形にしようと努力してましたね
実際には空力学的なメリットはそれほどでもなかったようですが…?

無題
Name名無し 24/07/04(木)11:19:18 No.558986
紫電は中翼で太い胴体のせいでグラマンに間違えられて誤射されたこともうあったはず

無題
Name名無し 24/07/04(木)11:48:19 No.558987
まあ逆にアメリカ側が味方機かも?って撃つのをためらったこともあったみたいだし・・・

無題
Name名無し 24/07/05(金)05:45:33 No.558993
雷電の紡錘形の形は空気力学的に優れてると思われてたんだけど、プロペラから発生するプロペラ後流は内側に向かって絞るように流れる為、雷電の様な紡錘形だと一度内側に絞られた後流が再び広げられてしまうのでプロペラ機の形状としてはあまり芳しくなかったのかも
中島機は逆にエンジンカウリングから後方に向かって絞る様な機体形状になってる

無題
Name名無し 24/07/06(土)21:24:59 No.559011
1720268699721

航空戦史家の渡辺洋二せンせいの著書にある話なんですが、戦闘701の「紫電」搭乗員だった塩野三平さんと言う方は、比島戦時、基地に帰投中空中でF6Fの2機編隊と反航状態で遭遇したものの、向こうが「紫電」と気付かないとみてとるやバンクをうってアイサツ、すっかり油断した敵機とすれ違いざまに急旋回して攻撃1機を墜として離脱した、なんてこともあったそうですw

因みに白根中佐の最後の空戦の話も出てくるんですが、それによると出撃は午後1時ごろ、2時間ほど飛んでオルモック湾に入るあたりで、「紫電」隊より1000mほど優位の高度6000mから「P-38八機」が二手に分かれて降ってきたとのこと

この攻撃に参加していた松場秋夫さんと言う方は高空性能に秀でたP-38とこの高度で戦うのを避け、高度3000mまで降下、巧みな機動で1機のバックを取り発火させ、パイロットを落下傘降下に追い込んだんだそうで

無題
Name名無し 24/07/06(土)21:26:35 No.559012
1720268795042

列機3機もなんとか無事に空戦を切り抜け、ネグロス島の陸軍飛行場に降着して燃料補給の後、本拠地のマルコットに帰投したそうなんですが、ややあって遅れて戻ってきた白根少佐の列機から、少佐と他1名(小池貞夫上飛曹)の戦死を知らされたそうです

白根さんの「紫電」の最後の相手となったのは「ライトニング」であったみたいんですが、このP-38は太平洋戦線で戦争前半から戦い抜いてきた歴戦の第475戦闘航空群の内、第433戦闘飛行隊の所属機で、この日「雷電(誤認)」4機と「飛燕」2機、「零戦」1機の撃墜を主張しているんですとか

一方同隊もこの日、2機のP-38が「被弾不時着大破」したそうなので、或はこの内1機が松場氏の戦果に当るのかも知れないですね

Name名無し 24/07/06(土)21:28:52 No.559013
1720268932762

渡辺氏の聞き取り取材によると、当時比島に進出していた「紫電」搭乗員(戦闘701、401、402の3隊)の間では、F6Fよりも寧ろP-38の方が手強い相手と評価する向きがあったそうで、実際、攻撃隊直掩や基地防空に出た「紫電」が高速・強武装の「ライトニング」に翻弄された空戦の例もも幾つか紹介されておりましたりします

1944年12月7日、オルモックに向かう米輸送船団攻撃の際にも、特攻隊の直掩として出た戦闘401の高井利次、辻谷敏夫、村上卓各上飛曹の「同期トリオ」の「紫電」が、第475戦闘航空群所属の第431戦闘飛行隊のP-38との空戦で全機未帰還になるなどやはり苦戦になったそうなんですが、同戦闘飛行隊の戦史によるとこの日のオルモック上空で戦闘は「P-38によるフィリピン戦最大の空中戦」で、報じられた日本機への戦果は36機に上ったのに対し、失われた「ライトニング」は1機/1名に過ぎなかったそうです

無題
Name名無し 24/07/06(土)21:29:50 No.559014
1720268990134

もっとも、この唯一未帰還となったパイロットのメリル・M・スミス=サンは米陸軍航空隊入隊が1940年、1943年に第475戦闘航空群が創設された際からの幹部メンバーで、ニューギニア、ボルネオ、フィリピンと転戦を重ね、一時期は同航空群の司令も務めていて、この時までに自身も日本機7機撃墜を公認されていた、隊内上下からの信頼も厚いベテランであったんですとか

最後の空戦でも「雷電(誤認)」2機を撃墜したものの、直後に別の紫電の攻撃を受け戦死されたそうなんですが、奇しくも公認撃墜数(9機)と最終階級(中佐)は白根さんと同じでありましたり

日米開戦前からの古参指揮官パイロットであるお二人、共にオルモック上空でその戦歴を閉じられたということみたいなんですが、「紫電」と「ライトニング」の初対決となった比島戦、全般に「紫電」側の劣勢ぶりは否めない結果に終ったものの、時には「紫電」が一矢を報いたこともあったようですねえ…

無題
Name名無し 24/07/07(日)09:26:29 No.559019
>第475戦闘航空群所属の第431戦闘飛行隊
アメリカ陸軍トップエースのマグワイアとボングがいたところだよね
日本機との戦い方は熟知してたろうし、紫電が初見殺しとはいかなかったのかな・・・

無題
Name名無し 24/07/08(月)11:24:02 No.559029
>マグワイア
対日本戦闘機マニュアル(低空での格闘戦は避ける、等)を作成して隊内に配布していたりもしていたんですっけ
紫電は自動空戦フラップが売りの機体ですけれど、格闘戦に付き合ってくれない相手だと宝の持ち腐れになってしまったのかも…

無題
Name名無し 24/07/09(火)10:33:16 No.559048
でもマグワイア本人は最後は疾風相手に低空のドックファイトに付きあって戦死してるのよな
ボングの撃墜記録を抜きたくて焦ってたとかも言われてるらしいが・・・

無題
Name名無し 24/07/12(金)12:22:45 No.559067
人間だもの、連日戦闘して疲労も蓄積すれば"魔"に取り憑かれることもあるよ

無題
Name名無し 24/07/14(日)10:19:47 No.559091
プロペラ付け根に強制冷却ファンとかいうのがついてるらしいけどあんなので効果あったんだろうか
そもそもあの程度の工夫で冷やせるならいろんな機体で冷却に苦労してないような

無題
Name名無し 24/07/15(月)02:15:37 No.559101
>プロペラ付け根に強制冷却ファンとかいうのがついてるらしいけどあんなので効果あったんだろうか
>そもそもあの程度の工夫で冷やせるならいろんな機体で冷却に苦労してないような
紡錘型の胴体に拘って機首の開口部が小さくなってしまったことへの対応だったはず。
他所でもダクテッドスピナーなんかが一部で流行ったりしましたね。

無題
Name名無し 24/07/17(水)21:45:05 No.559142
1721220305530

レイテ戦では1944年11月頃からタクロバン飛行場にP-47「サンダーボルト」を装備した部隊が進出、戦闘に加入しているんですが、その中でも一番乗りだった第460戦闘飛行隊所属パイロットのジョージ・デラ=サンと言う方は、11月24日に「雷電11型」1機の撃墜を報じているんですとか

もっとも、この時期の比島には「雷電」装備の第381空がいたものの、展開していたのはマニラ近郊のニコルス基地で、デラ=サンが戦闘した中部フィリピンの戦闘には参加しておらず、おそらくこの「サンダーボルト」が撃墜したという「雷電」も戦闘701の「紫電」、もしくはその他の機種の誤認であったというのが正しいようです

因みに白根中佐の戦死後、戦闘401飛行隊長として比島に赴任した岩下邦雄さんの回想記にも、P-47に関するエピソードが出てくるんですが、曰く

無題
Name名無し 24/07/17(水)21:46:00 No.559143
1721220360434

「ある日(略)列線に十数機の紫電を並べて、藤田怡与蔵隊長の命令を聞いているとき、はるか西方ルソン山脈の高空に、チラッと米戦闘機2機を認めた。私は危険を感じて注意をあたえようとしているうちに、紫電は発進準備のため一斉にプロペラを始動し、その意を果さなかった」

「このP-47は耳を聾するすさまじい機銃を連続音とともに、紫電隊をひとなめに掃射した。つぎの瞬間みるみる前期は猛烈に炎上しはじめ(略)搭乗員は脱出のいとまなく機上にて戦死、または重傷を負い(略)まことに悪夢のような凄惨な修羅場であった」

「この憎むべき米機2機は、あまりに低空に降下したので、ともに味方地上射撃によってすぐ撃墜され黒煙を上げて炎上したが、敵ながら勇敢な振舞であった」

…とのこと

無題
Name名無し 24/07/17(水)21:47:17 No.559144
1721220437381s

壊滅した「紫電」の大半は前日に内地から到着したばかりの最後の補充機で、人員に対するものも含めとんだ落雷被害を受けてしまったようなんですが、米側の記録によるとこの攻撃に参加したのは第310及び第311戦闘飛行隊所属のP-47Dで、実際には各飛行隊から2機ずつ、計4機であったようなんですが、310飛行隊の指揮官エドワード・F・ロディ=サンによれば攻撃自体は午前9時15分から始まり22分までに終了、駐機中の飛行機の列を銃撃しながら通過中、翼から人が飛び降り、数機の飛行機が炎上するのを認めたものの、対空砲火が激しかった為、最大出力で退避

日本側の証言ではこのP-47は機首を黄色く塗っていたとあり、310飛行隊所属機のカラーリングと一致するんですが、対空砲火で撃墜されたのは311飛行隊の所属機の方で、第58戦闘機グループ司令のグウェン・G・アトキンソン=サンとロイ・E・カインドレッド=サンの搭乗機が墜落、アトキンソン=サンは脱出に成功したものの、カインドレッド=サンの方は機と運命を共にされておられるそうです

無題
Name名無し 24/07/17(水)21:49:49 No.559145
1721220589145

アトキンソン=サンは戦後日本に進駐した際、偶々知り合いになった日本軍将校さんから、当時クラーク飛行場周辺に約300の対空火器があったことを教えてもらった…なんて後日談もあるそうなんですが、前述の藤田怡与蔵さんの手記によると

「比島前線では、部品が欠乏したため、飛べない紫電が多数出てきた。341空ではその20ミリ機銃を取り外し、架台を作って(略)対空機銃陣地を作り、余った搭乗員が銃手として、わが物顔に低空を飛ぶ敵機を5機撃墜して溜飲を下げたことも」

…あったんですとか

「紫電」隊を壊滅させた「サンダーボルト」隊に手痛い反撃を与えた対空砲火の中には、もしかしたらこの「紫電」の20ミリも混ざっていたのかも知れませんですねえ…

無題
Name名無し 24/07/18(木)11:05:32 No.559148
誉エンジンは外地で整備はきつかったろうな
負け戦ならなおさら・・・

無題
Name名無し 24/07/19(金)10:30:22 No.559159
誉や熱田の機体なんて作らないで火星や金星でそこそこの性能でちゃんと動く機体を作ればよかったのに

無題
Name名無し 24/07/19(金)10:41:36 No.559160
でも相手は2,000馬力オーバーばかりだから…

無題
Name名無し 24/07/19(金)21:16:33 No.559164
https://may.2chan.net/39/src/1721391393767.jpg
昔の丸メカニック「雷電」の巻に、同率縮尺での「雷電」と2式単戦「鍾馗」の比較図が掲載されているんですが、オイルクーラー含むエンジンカウリング直径はほぼ同じなのに、後は全てにおいて「雷電」が一回り大きくて、ちょうど「鍾馗」がすっぽり機内に収まるくらいのサイズ比になるみたいなんですね

腕に覚えのある方は、同縮尺のプラモを魔改造して、「鍾馗」のボディの上に「雷電」のオーバーボディだ!とかチャレンジしてみてはいかがでしょうかw

余談ですが、先述の岩下邦雄さんと言う方は第37期飛行学生を卒業の後、まず大分空で教官を務めた後、「雷電」装備の301空に転勤、硫黄島に進出しての初陣では「零戦」で初撃墜を果したのち「紫電」装備の341空所属の飛行隊長となり比島進出、帰国後所属した横空では「紫電改」にも搭乗しておられるんですとか

無題
Name名無し 24/07/19(金)21:18:15 No.559165
従って「零戦」はもとより、「雷電」「紫電」「紫電改」とIJNで制式採用・量産に至った電電電の局戦トリオ全てを乗りこなしたわけですが、氏によれば各機の操縦し易さは、「わが恋人」とまで惚れ込んだ「零戦」を5とすると、「紫電」は3、「雷電」は2、というところであったそうです

逆に言えば「零戦」の2.5倍乗りづらいという「雷電」について、岩下氏が搭乗を命じられた時の様子を語られているところによると、

「零戦とは似ても似つかぬ、太い胴体の不格好な雷電を見て、正直なところ、いやだなあ、と思いましたね(略)前方視界が悪く、急激な操舵ですぐ失速するなど操縦の難しい戦闘機で、『まるで熊ん蜂のように恰好が悪い」とか、『座席がだだっ広くて宴会ができる』とか、皆で悪口をたたいたりして」

…おられたとのこと

無題
Name名無し 24/07/19(金)21:19:17 No.559166
1721391557403

そんな岩下氏、戦後縁があって「雷電」設計者主任の堀越二郎さんと会食する機会があったそうなんですが、

「席上、『あのすばらしい零戦をお作りになった堀越さんが、なぜ雷電のような飛行機をお作りになったのですか』と、いま思えば大変失礼なことをききました」

「堀越さんは、ちょっといやな顔をされてお答えになりませんでしたが、ずいぶん後になって、堀越さんが、『私が設計したなかで雷電が最高の飛行機だと考えている』と書いておられたことを知り、汗顔の至りでした」

「私もふくめて、当時の戦闘機乗りは零戦が全ての基準になっていて、勝手の違うものはハナから受け付けなかった。これは反省しないといけませんね」

無題
Name名無し 24/07/19(金)21:20:22 No.559167
1721391622373

「のちに厚木の302空が、雷電でB-29邀撃に大きな戦果をあげましたが、彼らは対大型機には最高の飛行機だった、と口をそろえますからね」

…などと語られておられるそうです

一方、堀越さんの方は自著で

「本機の精悍な流線形を美しいと認めている操縦者が、日本にもアメリカにもいた。これらはいずれも大体当を得た批評だと思われた」

…なんて書かれておられるんですが、あるいは「雷電」の機体ラインが不格好に見えるうちは素人、やがて美しく見えるようになってきたならば、おのずと機体自体の真価にも気づけるようになる…ということなのかも知れません…?

無題
Name名無し 24/07/20(土)02:27:18 No.559170
雷電は鹵獲機テストしたアメリカ人パイロットからは好評だったみたいね

無題
Name名無し 24/07/20(土)06:44:54 No.559171
試験飛行時に「操縦席で宴会が出来る」とテスパイに嫌味を言われた雷電
大柄の米国人パイロットに好評だったのがよくわかります

無題
Name名無し 24/07/21(日)02:40:23 No.559193
>『あのすばらしい零戦をお作りになった堀越さんが、なぜ雷電のような飛行機をお作りになったのですか』
(´∀`;) 惑星ウォーサンダーで日本機を飛ばしている人たちがみな思うことですね。
雷電を護衛するための戦闘機が必要だとも…。

ちなみにレシプロ時代の飛行機は設計者の女性の好みが反映されるという説があります。
さしずめ糸川英夫さんや土井武夫さんはスマートな女性がお好みで、一方堀越二郎さんはふと・・・
いや、わがままボディーの女性が好みなのではないでしょうか? (´∀`)b

無題
Name名無し 24/07/21(日)03:53:34 No.559194
これぐらいでかいと迫力あるね
やはり着陸は難しいのかな
https://youtu.be/g8BCphFhb5I?si=nx4ZRcsRF56B2h0t

無題
Name名無し 24/07/21(日)07:00:12 No.559195
どんなにブサイクな子でも勝てる機体なら文句も出ないんだし、一式陸攻で火星を使っているんだからもう少し稼働率を上げられなかったものかな?

無題
Name名無し 24/07/21(日)19:08:48 No.559203
P-38の戦闘機部隊として南太平洋で戦った第49戦闘航空群所属の通信将校だったジェームズ・P・ギャラガー=サンと言う方の著書にも、「雷電」に関わるエピソードがいくつか出てくるんですが、曰く

「フィリピンの周辺で、1944年の11月から12月にかけて、アメリカ軍のパイロットたちは、出会ったことのない何機かの日本の飛行機を見ていたのだが、その中の一つは、ずんぐりした格好で、頑丈そうだが速く飛ぶ飛行機であった。この機種は”Jack”と呼ばれたが、私はその当時、第49戦闘航空群のP-38のパイロットたち9人が、今まで会った日本軍のどの戦闘機より優れていると話しているのを聞いた」

「私は、日本海軍航空隊が、『雷電』を一体どのくらいフィリピン作戦に投入したのかを、事実に基づいて報告しているレポートを見たことがなかった」

無題
Name名無し 24/07/21(日)19:09:19 No.559204
1721556559627

「そう多くない機数しかこの戦線には使われなかったにも拘わらず、私の知るアメリカのパイロットの間で一番話題になった飛行機であった」

…そうです

因みに第49戦闘飛行群は戦争後半のレイテ戦に真先に加入、終戦後には日本本土(厚木基地)に真先に進駐した部隊でもあったそうなんですが、飛行場に遺棄されていた多くの302空所属機の中にあった「雷電」を、初めて身近で見たギャラガー=サンの印象は

「この機体は空冷星型エンジンでも流線形を引き出すため、さらに多くの空気で冷却するために、エンジンによって回されるファンが前方に装着されていた。プロペラについたスピナーの大きさが、この飛行機の前の方の顔つきを空気力学的にも美的にも素晴らしいものにしている」

無題
Name名無し 24/07/21(日)19:09:54 No.559205
1721556594754

…というものであったそうなんですが、一方で当時米軍基地として整備が進み、そんな厚木の「雷電」も次々と処分が進められていたものの、ギャラガー=サンによると

「第49戦闘航空群のパイロットだけでなく、地上要員でさえ、他の日本海軍の普通の飛行機に比べて『雷電』のデザインと質を賞賛していた。彼らはこの飛行機には何処か無骨な美しさを感じた」

「いつの間にか、『雷電』を助けて、飛べる状態で保存しなければならないと思いだした。もう、どっちにしろ占領は確実なものになった訳だし、我々の戦闘航空群がP-38以外の飛行機を持っていたって何の問題も無いだろう」

無題
Name名無し 24/07/21(日)19:10:24 No.559206
「ある機付長が冗談に言ったものである。『マッカーサーは知らなくて良いのさ』。飛行場の片隅のはずれの掩体壕の中に、見た目だけは稼働不能に見えている1機の『雷電』があった」

「地上要員の何人かが(略)集まり、ブルドーザーの運転手の応援も取り付けて仕事に取り掛かった(略)この『雷電』は、未完成の格納庫の中に収められ(略)第一段階は完了した。『雷電を救え』作戦は成功したのである」

「次の段階は機体の修復である。周りには部品取りの機体は沢山ある。必要な部品が戦闘航空群の格納庫に集められて保管され、第49戦闘航空群のモノとなった『雷電』の復元作業が始まった」

…んですとか

無題
Name名無し 24/07/21(日)19:12:12 No.559207
1721556732381

もっとも、結論から言うと「雷電」がフライアブルに仕上がる前に、45年10月頃からギャラガー=サンを含む第49戦闘航空群の要員の多くは次々と本国に復員、交代して厚木に進駐した部隊にはこうしたいきさつ、あるいは思い入れは引き継がれなかったようで、残念ながら結局この「雷電」も多くの仲間たちと同様、スクラップとして厚木の土になってしまった可能性が高いようです

ともあれ、一時は米兵さん達の好意で救われそうになったというジャックたん、或いは米国的感覚ではそこまで惚れ込むほどの、グラマラスな美人に見えたのかも知れませんですね…?

無題
Name名無し 24/07/22(月)01:45:55 No.559211
雷電がどこかに埋められている
厚木航空基地の隊員ならたいてい聞いたことがある伝説

無題
Name名無し 24/08/16(金)22:53:42 No.559565
14試局戦は火星13搭載のままで先行増加試作して戦技研究してもよかったかなぁ
とは思う
あと14試局戦改で火星23を搭載した最初の試作機の初飛行では振動問題が出なかったのは雷電11向けVDMペラが官給品で間に合わなくて1号局戦(紫電)のVDMペラを応急的に装備していたという
誉21の2000馬力という想定で剛性が高かったんだろうか

その辺、14試局戦改、火星23に1号局戦のVDMペラ付きで実用化を進めてたら雷電の実戦化は1年は早かったんじゃないかな
引用元:https://may.2chan.net/39/res/558780.htm

局地戦闘機 雷電と紫電改 完全ガイド
松田孝宏
イカロス出版
2023-03-15