無題Name名無し24/06/26(水)16:56:09 No.558780
本日は雷の日らしいですね
というわけで日本海軍局地戦闘機スレ
無題Name名無し 24/06/26(水)16:58:23 No.558781
雷電紫電震電・・・
思う存分語ってくだサンダー!
無題Name名無し 24/06/27(木)21:22:15 No.558825
warthunderだと烈風より雷電のほうがレート高いな
実際カタログスペック上の数値だとかなり高性能だしな
無題Name名無し 24/06/27(木)22:40:23 No.558828
>No.558825
ワーサンダーは超リアルだぞ!
機首が上がらず滑走路外に突っ込んだのを再現して
当初は離陸すら真面にできない設定だった。
それじゃゲームにならんので改善されたが
無題Name名無し 24/06/28(金)00:06:08 No.558829
雷電、紫電は単語として存在する言葉だが
震電、閃電は造語らしい
無題Name名無し 24/06/28(金)04:52:52 No.558831
>震電、閃電は造語らしい
いや、震電も閃電も昔からある言葉だよ。
意味は両方とも「Lightning」だけど。
日本では稲妻は古来から神格化されたこともあり、稲妻を意味する言葉は非常に多い。
無題Name名無し 24/06/28(金)19:59:45 No.558846
むかーしむかしの仮想戦記に「ラバウル烈風空戦録」なるものがありまして、「雷電」も登場するんですが、三菱の設計主任が開発中過労で倒れたのを(この辺史実どおりですね)引き継いだ他社の若手の技術屋さんが、視界問題なんてこうすれば問題ないんじゃないですかあ?ってバッサリ後部胴体上方を削って、水滴型風防に整形して完成させる…という歴史改編?がなされてましたねー
そしてもしかしたらこの元ネタになった話なのかもしれませんが、1945/1946年版の「ジェーン航空年鑑」などには、「JACK31」なる「雷電」の派生型が掲載されているんですが、添付の図面では水滴風防型の機体である、として描かれているそうです
無題Name名無し 24/06/28(金)20:00:55 No.558847
実際に製造・実戦配備されていた「雷電」31型は、高高度性能向上型の32/33型に施された機体改修の内、胴体前部上面の横幅減少、風防の大型化などの視界改善策だけを暫定的に21型に施したもので、確かに風防は従来より大型化しているものの、基本的にはレザーバック形式のままで、ジェーン航空年鑑の想像図とは異なっておりましたり
ただ、戦中空技廠勤務のIJN技術少佐だった堀輝一郎さんと言う方の回想記によりますと、正確な時期は記載がないものの、
「戦局に鑑み、当時試作完了した(略)『雷電』を高高度飛行機にする場合、即応可能である様に(略)与圧室が製作され(略)低圧・低温実験室(鋼製円筒型タンク)に与圧室全体を入れ、成層圏と同一条件の下に実験し、良好な成果が確認され」
…ていたんですとか
無題Name名無し 24/06/28(金)20:03:23 No.558848
https://may.2chan.net/39/src/1719572603040.jpg
要は高高度型「雷電」搭載用の与圧コクピットの実物が戦中実際に製作され、テストも行われていたということなんですが、添付された「PCー2」与圧室の取付概要図(画像)では、機体のアウトラインが水滴型風防として描かれていたりします
PCー2は金属製円筒の本体からドーム状の耐圧風防が突き出る形状で、その上を更に「雷電」の本来の風防が覆うという二重構造での装備案であったことが伺えるんですが、当然パイロットの動けるスペースは通常型より減少するはずで、あるいは悪化する後方その他の視界確保の為、気密室装備型では併せて水滴風防に改修する…というプランであったのかも知れません
もっとも、堀氏の手記文内には水滴風防化についての具体的記述はなく、あくまでこの簡易なスケッチのみからの推測になるんですが、実際にそうした改修案があり、、連合軍側の情報網にもかかったのが「JACK31」の想像図に繋がった、というなら…ちょっと面白い話ではありますですかも…w
無題Name名無し 24/06/29(土)10:31:56 No.558863
雷電は排気タービン装備型もあったけど、例によって結局間に合わなかったのよね
真の意味での高高度局地戦闘機というのは陸海ともに最後まで持てなかったわけか・・・
無題Name名無し 24/06/29(土)10:55:24 No.558864
一方で米空軍のP47「サンダーボルト」の方は排気タービンは快調そのものでしたね
逆に高高度戦闘はあまり出番がなく、低空での地上攻撃等に多用されたので宝の持ち腐れになった場合が多いのは贅沢というか…
無題Name名無し 24/06/29(土)17:50:35 No.558873
工業規格もないような日本帝国が
ターボなんぞつくれるわけねーべ
無題Name名無し 24/06/29(土)22:02:35 No.558878
まあ
>アメリカでは第一次大戦末期という早い時期に飛行機用発動機用のものが開発されて高高度飛行が行われるなど、他国に先駆けた研究が行われ、1930年代中頃には次世代型軍用機用のパワーアップ用機材として本格的な量産化が進められ、1930年代後半には量産が可能な体制が整えられて、第二次世界大戦における連合国側の航空戦略の優勢に寄与した。
しょうがないよね
無題Name名無し 24/06/30(日)11:24:30 No.558888
昭和18年7月27日付の官房空機密第1497号航空機名称付与式により、IJNの航空機の新命名基準が設けられ、例えば戦闘機には今後気象に纏わる名称を付けるように定められたわけなんですが、この時新命名法の凡例として「迅雷」「飛電」「紫電」「陣風」「雷電」「旋風」の6つが挙げられていたそうです
「紫電」は川西の1号局戦(N1k1-J)、「陣風」も川西の18試甲戦(J6K)、「雷電」は三菱の14試丙戦(J2M)として具体化しているものの、残り3つについては結局どんな機体に付けるつもりだったか不明なままで終っているそうなんですが、当時各社で計画中だった新型機案をみると、例えば三菱の試局地戦闘機(後の「閃電」)の対抗馬にあたる中島17試局戦、川西で「紫電」系とは別に計画されていた19試局戦、三菱製の20試局戦など実に多様な計画が進行していたんですとか
多くはその後中止、もしくは未成で終るわけですが、あるいは「迅雷」「飛電」もその中のどれかに付けることが内定していた名称であったのかもしれないですなあ
無題Name名無し 24/06/30(日)11:25:27 No.558889
戦中首都防衛のIJN防空戦闘機隊として名高かった302空で、「雷電」隊の指揮官であった伊藤進さんと言う方の回想に依ると
「地上から見ているとB29の大編隊が(略)東京上空に侵入してくるのがよく見える、それなのに味方戦闘機は知らぬ顔であさっての方向に飛び続けている。何を逃げ回っているんだと非難されたこともたびたびであった」
「しかし、高度1万メートルでは、空気は地上の5分の1(略)零下40度の悪条件では、視力も極度に減退して、地上で2.0を誇る戦闘機乗りの視力でも、地上の何分の一しか見えないのだ。それで巨体を誇るB29の大編隊でも、目の前に現れるまでは視界に入ってこないというありさまで、まことにふしぎな現象であった」
「それともう一つ、無電機の不備があげられよう」
無題Name名無し 24/06/30(日)11:25:53 No.558890
「米軍機は自由自在に電話で話して連絡していたが、わが雷電隊はもちろん、零戦隊も連絡手段はモールス符号の電信と手まねによる以外は、以心伝心だけであった」
「自分が千葉上空やら、横浜上空にいるのやらもわからず、そんなありさまで敵を捕捉することがいかに困難であるか、雷電乗りだけが知る苦衷であった」
「B29を迎撃するため15機ぐらいで離陸すると、編隊を組むまでに必ず2機程度は故障で引きかえし、5千メートルくらいまでにも2機、ないし3機が腹痛をおこして引き返す。9千、1万メートルになって8機も残っていれば、まずまずの成績である。敵にやられたのではない、みな故障で引き返したものである」
無題Name名無し 24/06/30(日)11:27:11 No.558891
…とのことで、機体自体の性能以外にも、なによりインターセプターを効率よく誘導・接敵させる各種システムの欠如が、十分な戦力発揮を妨げたことが伺えましたり
それでも伊藤氏曰く
「しかし、これは雷電だけの責任ではない(略)古参パイロットの搭乗機は故障で引き返す率がきわめて少なかった」
「不肖の子ほど可愛いものである。私もやっぱり雷電が可愛かった。暴れん坊のくせにすぐ病気をする。喧嘩をすればなかなかすばらしい喧嘩もやってのけるが、意外にもろく負けたりもする。こんな感じの雷電であった」
…とのことで、乗りこなした方にはそれなりに魅力と愛着を抱かせる機体であったことは確かだったみたいですねえ…
無題Name名無し 24/07/01(月)11:48:43 No.558912
雷電開発時に大馬力のエンジンが火星かDBしかなくて、火星を選んだからあんなぶっとい胴体になっちゃったわけだけど、DBコースだったらどんな機体に仕上がったんだろかね
ラジエーターは付いてもスマートに仕上がりそうだし、高高度性能もマシになりそうだが・・・?
無題Name名無し 24/07/01(月)12:34:47 No.558913
>胴体になっちゃったわけだけど、DBコースだったらどんな機体に仕上がったんだろかね
首無し雷電が並んで火星乗っけてみようかのオチかも
無題Name名無し 24/07/01(月)12:39:50 No.558914
その場合も5式戦みたいに細い胴体に太いエンジンってなるからだいぶ印象変わりそう
和製フォッケみたいになる可能性もあるかな?
無題Name名無し 24/07/01(月)15:02:13 No.558915
流線型に固執しないで四式戦みたいな形状にしたほうがよかったんじゃないか
無題Name名無し 24/07/01(月)19:26:12 No.558923
https://may.2chan.net/39/src/1719829572183.jpg
4式というより2式戦だねー
2式のハ41エンジン直径が1260mmに対して火星が1340mm
上から見ると見事な逆三角形
無題Name名無し 24/07/06(土)16:04:10 No.559005
>4式というより2式戦だねー
>2式のハ41エンジン直径が1260mmに対して火星が1340mm
>上から見ると見事な逆三角形
二式戦ってなんか小さくないか?
たぶんそのせいで航続距離が短かったんだろうし
重戦という区分にこだわったせいで速度を重視してああなったのかもしれないけど
一式や四式みたいな普通の大きさにすればよかったのにな
無題Name名無し 24/07/02(火)19:52:36 No.558944
航空戦史家の秋本実せンせいによると、やはりWW2直後の時期の頃の海外の航空雑誌に、水上戦闘機「強風」は「雷電」を水上機化したものである、なんて記事が載っていたコトがあったそうです
機体スタイルもメーカーも異なり、「強風」から「紫電」が開発された経緯とも真逆で、或はソレが誤伝されてのことであったのかも知れませんが、同じ「火星」エンジンを積んでぶっとい胴体になったトコロなんかもちょっと影響しているのかも知れないですねw
因みに余談ですが自分が小学生の頃、ウチの親父さんがミリタリー好きの自分の誕生日プレゼントに、中野ま●だらけでちばてつやせンせい著の「紫電改のタカ」を買って来てくれたことがありましたり
無題Name名無し 24/07/02(火)19:55:59 No.558946
今でも大事にとってあるんですが、主人公滝城太郎一飛曹が最初に配属になるのが「紫電」装備の第701飛行隊で、その隊長が滝さん曰く「日中戦争のときゼロ戦で初出陣して以来ずいぶんいろいろな方面で活躍した(略)立派な隊長」なる「白根少佐」という人物
戦闘701飛行隊は実在した「紫電」部隊で、「白根少佐」も昭和19年9月11日に飛行隊長に着任した白根斐夫大尉(当時)がモデルと思われるんですが、白根氏は実際昭和15年8月19日、零戦が中国空軍戦闘機隊に圧勝を収めた高名な空戦が初陣で、その後も空母「赤城」戦闘機分隊長として豪州、インド洋、ミッドウェイ作戦に参加、「赤城」沈没後は「瑞鶴」分隊長に転じて第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦で奮戦、昭和18年からは、S701の前任飛行隊長だった岩下邦雄さん曰く
「紫電が(略)実用実験に供された時いらい主任担当者としてこれにあたり(略)紫電の戦力化に心血を注がれた人」
無題Name名無し 24/07/02(火)19:57:26 No.558947
…であられたそうです
「紫電改のタカ」劇中では、「白根少佐」は主人公らを率いて比島の米軍基地に攻撃に向かう最中、グラマンの大編隊と遭遇戦になり戦死してしまうんですが、モデルとなった白根斐夫さんの実際の戦いぶりについて、海兵64期のクラスメイトであった美濃部正さん(「彗星」夜襲部隊の指揮官として有名な方ですね)の語っておられるところを引用させて頂くと
「S701(略)雷電局地戦闘機が格闘戦に弱いとの不評から、年間6000機の量産体制に入ったばかりの機体部品の裁断迄終わった資材を捨てて、急遽登場した新戦闘機紫電の初期装備部隊であった」
「私も零戦52型改の新型機で苦労したが、白根も同じく据膳で、50機武装通信機器整備、資材完備のものを支給されたわけではない(略)パイロットは新鋭機故に経験者を配員されたとは言え、新人が過半数であった」
無題Name名無し 24/07/02(火)19:59:11 No.558948
「10月10日には早くも(略)台湾進出、その直後の米KDB(※機動部隊)来襲。旗本の古参達は迎撃で散り、11月1日北比マルコット基地に配備後は相次ぐ特攻の直掩に駆り出された。これでは訓練も出来る筈が無い。新鋭機とは言え漸く飛ぶ新人、不慣れな異国の島々、土地勘もなく(略)敵戦闘機と渡り合ってバラバラになり帰り得る者幾人いただろう?」
「11月24日、1AFは、事もあろうにレイテ、魚雷艇基地の昼間銃撃命令を下した。白根は少ない残兵を率い敵戦闘機群の下を突入。不利な態勢下交戦散華」
「私はレイテ至近のセブ基地に潜入、夜間の魚雷艇狩りをしていた(略)電報で紫電4機魚雷艇攻撃に向かったとは知っていたが、白根とは知らなかった」
無題Name名無し 24/07/02(火)20:01:45 No.558949
「幕僚に無茶な運用を詰ったが彼らは、攻撃命令の起案において効果の分析もせず、兵棋演習の駒の如く作戦に忠良な戦士を乱費して居た」
…とのこと
実際に白根中佐(最終階級)の最後の任務が魚雷艇基地攻撃であったかは諸説あるようなんですが、ともあれ美濃部氏が
「級随一の美男子(略)ヨーロッパ遠洋航海では外出にも連れ立ってトルコ、パリの街を散策した。最後に会ったのはインド洋作戦打合せ会議で、空母赤城に新たに着任したにこやかな友との一時。その彼が目と鼻の至近戦場で私より先に先立った」
…と惜しむ白根さんが、機材人員と共に万全とは言えない状況下で、自らが戦力化に尽力した「紫電」と共に、最後まで陣頭に立って奮戦されていたことは確かであったみたいですねえ…
無題Name名無し 24/07/03(水)03:42:44 No.558955
雷電があまりに太ましいから目立たないけど、紫電もかなり太い胴体よね
紫電改でもまだ太く見えるけど、本格的に変えたらそれはもう完全に新型機じゃんってなるしなあ
無題Name名無し 24/07/04(木)10:19:54 No.558984
強風なんかも巨大なプロペラスピナーも付けてせめてシルエットは流線形にしようと努力してましたね
実際には空力学的なメリットはそれほどでもなかったようですが…?
無題Name名無し 24/07/04(木)11:19:18 No.558986
紫電は中翼で太い胴体のせいでグラマンに間違えられて誤射されたこともうあったはず
無題Name名無し 24/07/04(木)11:48:19 No.558987
まあ逆にアメリカ側が味方機かも?って撃つのをためらったこともあったみたいだし・・・
無題Name名無し 24/07/05(金)05:45:33 No.558993
雷電の紡錘形の形は空気力学的に優れてると思われてたんだけど、プロペラから発生するプロペラ後流は内側に向かって絞るように流れる為、雷電の様な紡錘形だと一度内側に絞られた後流が再び広げられてしまうのでプロペラ機の形状としてはあまり芳しくなかったのかも
中島機は逆にエンジンカウリングから後方に向かって絞る様な機体形状になってる
無題Name名無し 24/07/06(土)21:24:59 No.559011
航空戦史家の渡辺洋二せンせいの著書にある話なんですが、戦闘701の「紫電」搭乗員だった塩野三平さんと言う方は、比島戦時、基地に帰投中空中でF6Fの2機編隊と反航状態で遭遇したものの、向こうが「紫電」と気付かないとみてとるやバンクをうってアイサツ、すっかり油断した敵機とすれ違いざまに急旋回して攻撃1機を墜として離脱した、なんてこともあったそうですw
因みに白根中佐の最後の空戦の話も出てくるんですが、それによると出撃は午後1時ごろ、2時間ほど飛んでオルモック湾に入るあたりで、「紫電」隊より1000mほど優位の高度6000mから「P-38八機」が二手に分かれて降ってきたとのこと
この攻撃に参加していた松場秋夫さんと言う方は高空性能に秀でたP-38とこの高度で戦うのを避け、高度3000mまで降下、巧みな機動で1機のバックを取り発火させ、パイロットを落下傘降下に追い込んだんだそうで
無題Name名無し 24/07/06(土)21:26:35 No.559012
列機3機もなんとか無事に空戦を切り抜け、ネグロス島の陸軍飛行場に降着して燃料補給の後、本拠地のマルコットに帰投したそうなんですが、ややあって遅れて戻ってきた白根少佐の列機から、少佐と他1名(小池貞夫上飛曹)の戦死を知らされたそうです
白根さんの「紫電」の最後の相手となったのは「ライトニング」であったみたいんですが、このP-38は太平洋戦線で戦争前半から戦い抜いてきた歴戦の第475戦闘航空群の内、第433戦闘飛行隊の所属機で、この日「雷電(誤認)」4機と「飛燕」2機、「零戦」1機の撃墜を主張しているんですとか
一方同隊もこの日、2機のP-38が「被弾不時着大破」したそうなので、或はこの内1機が松場氏の戦果に当るのかも知れないですね
無題Name名無し 24/07/06(土)21:28:52 No.559013
渡辺氏の聞き取り取材によると、当時比島に進出していた「紫電」搭乗員(戦闘701、401、402の3隊)の間では、F6Fよりも寧ろP-38の方が手強い相手と評価する向きがあったそうで、実際、攻撃隊直掩や基地防空に出た「紫電」が高速・強武装の「ライトニング」に翻弄された空戦の例もも幾つか紹介されておりましたりします
1944年12月7日、オルモックに向かう米輸送船団攻撃の際にも、特攻隊の直掩として出た戦闘401の高井利次、辻谷敏夫、村上卓各上飛曹の「同期トリオ」の「紫電」が、第475戦闘航空群所属の第431戦闘飛行隊のP-38との空戦で全機未帰還になるなどやはり苦戦になったそうなんですが、同戦闘飛行隊の戦史によるとこの日のオルモック上空で戦闘は「P-38によるフィリピン戦最大の空中戦」で、報じられた日本機への戦果は36機に上ったのに対し、失われた「ライトニング」は1機/1名に過ぎなかったそうです
無題Name名無し 24/07/06(土)21:29:50 No.559014
もっとも、この唯一未帰還となったパイロットのメリル・M・スミス=サンは米陸軍航空隊入隊が1940年、1943年に第475戦闘航空群が創設された際からの幹部メンバーで、ニューギニア、ボルネオ、フィリピンと転戦を重ね、一時期は同航空群の司令も務めていて、この時までに自身も日本機7機撃墜を公認されていた、隊内上下からの信頼も厚いベテランであったんですとか
最後の空戦でも「雷電(誤認)」2機を撃墜したものの、直後に別の紫電の攻撃を受け戦死されたそうなんですが、奇しくも公認撃墜数(9機)と最終階級(中佐)は白根さんと同じでありましたり
日米開戦前からの古参指揮官パイロットであるお二人、共にオルモック上空でその戦歴を閉じられたということみたいなんですが、「紫電」と「ライトニング」の初対決となった比島戦、全般に「紫電」側の劣勢ぶりは否めない結果に終ったものの、時には「紫電」が一矢を報いたこともあったようですねえ…
無題Name名無し 24/07/07(日)09:26:29 No.559019
>第475戦闘航空群所属の第431戦闘飛行隊
アメリカ陸軍トップエースのマグワイアとボングがいたところだよね
日本機との戦い方は熟知してたろうし、紫電が初見殺しとはいかなかったのかな・・・
無題Name名無し 24/07/08(月)11:24:02 No.559029
>マグワイア
対日本戦闘機マニュアル(低空での格闘戦は避ける、等)を作成して隊内に配布していたりもしていたんですっけ
紫電は自動空戦フラップが売りの機体ですけれど、格闘戦に付き合ってくれない相手だと宝の持ち腐れになってしまったのかも…
無題Name名無し 24/07/09(火)10:33:16 No.559048
でもマグワイア本人は最後は疾風相手に低空のドックファイトに付きあって戦死してるのよな
ボングの撃墜記録を抜きたくて焦ってたとかも言われてるらしいが・・・
無題Name名無し 24/07/12(金)12:22:45 No.559067
人間だもの、連日戦闘して疲労も蓄積すれば"魔"に取り憑かれることもあるよ
無題Name名無し 24/07/14(日)10:19:47 No.559091
プロペラ付け根に強制冷却ファンとかいうのがついてるらしいけどあんなので効果あったんだろうか
そもそもあの程度の工夫で冷やせるならいろんな機体で冷却に苦労してないような
無題Name名無し 24/07/15(月)02:15:37 No.559101
>プロペラ付け根に強制冷却ファンとかいうのがついてるらしいけどあんなので効果あったんだろうか
>そもそもあの程度の工夫で冷やせるならいろんな機体で冷却に苦労してないような
紡錘型の胴体に拘って機首の開口部が小さくなってしまったことへの対応だったはず。
他所でもダクテッドスピナーなんかが一部で流行ったりしましたね。
無題Name名無し 24/07/17(水)21:45:05 No.559142
レイテ戦では1944年11月頃からタクロバン飛行場にP-47「サンダーボルト」を装備した部隊が進出、戦闘に加入しているんですが、その中でも一番乗りだった第460戦闘飛行隊所属パイロットのジョージ・デラ=サンと言う方は、11月24日に「雷電11型」1機の撃墜を報じているんですとか
もっとも、この時期の比島には「雷電」装備の第381空がいたものの、展開していたのはマニラ近郊のニコルス基地で、デラ=サンが戦闘した中部フィリピンの戦闘には参加しておらず、おそらくこの「サンダーボルト」が撃墜したという「雷電」も戦闘701の「紫電」、もしくはその他の機種の誤認であったというのが正しいようです
因みに白根中佐の戦死後、戦闘401飛行隊長として比島に赴任した岩下邦雄さんの回想記にも、P-47に関するエピソードが出てくるんですが、曰く
無題Name名無し 24/07/17(水)21:46:00 No.559143
「ある日(略)列線に十数機の紫電を並べて、藤田怡与蔵隊長の命令を聞いているとき、はるか西方ルソン山脈の高空に、チラッと米戦闘機2機を認めた。私は危険を感じて注意をあたえようとしているうちに、紫電は発進準備のため一斉にプロペラを始動し、その意を果さなかった」
「このP-47は耳を聾するすさまじい機銃を連続音とともに、紫電隊をひとなめに掃射した。つぎの瞬間みるみる前期は猛烈に炎上しはじめ(略)搭乗員は脱出のいとまなく機上にて戦死、または重傷を負い(略)まことに悪夢のような凄惨な修羅場であった」
「この憎むべき米機2機は、あまりに低空に降下したので、ともに味方地上射撃によってすぐ撃墜され黒煙を上げて炎上したが、敵ながら勇敢な振舞であった」
…とのこと
無題Name名無し 24/07/17(水)21:47:17 No.559144
壊滅した「紫電」の大半は前日に内地から到着したばかりの最後の補充機で、人員に対するものも含めとんだ落雷被害を受けてしまったようなんですが、米側の記録によるとこの攻撃に参加したのは第310及び第311戦闘飛行隊所属のP-47Dで、実際には各飛行隊から2機ずつ、計4機であったようなんですが、310飛行隊の指揮官エドワード・F・ロディ=サンによれば攻撃自体は午前9時15分から始まり22分までに終了、駐機中の飛行機の列を銃撃しながら通過中、翼から人が飛び降り、数機の飛行機が炎上するのを認めたものの、対空砲火が激しかった為、最大出力で退避
日本側の証言ではこのP-47は機首を黄色く塗っていたとあり、310飛行隊所属機のカラーリングと一致するんですが、対空砲火で撃墜されたのは311飛行隊の所属機の方で、第58戦闘機グループ司令のグウェン・G・アトキンソン=サンとロイ・E・カインドレッド=サンの搭乗機が墜落、アトキンソン=サンは脱出に成功したものの、カインドレッド=サンの方は機と運命を共にされておられるそうです
無題Name名無し 24/07/17(水)21:49:49 No.559145
アトキンソン=サンは戦後日本に進駐した際、偶々知り合いになった日本軍将校さんから、当時クラーク飛行場周辺に約300の対空火器があったことを教えてもらった…なんて後日談もあるそうなんですが、前述の藤田怡与蔵さんの手記によると
「比島前線では、部品が欠乏したため、飛べない紫電が多数出てきた。341空ではその20ミリ機銃を取り外し、架台を作って(略)対空機銃陣地を作り、余った搭乗員が銃手として、わが物顔に低空を飛ぶ敵機を5機撃墜して溜飲を下げたことも」
…あったんですとか
「紫電」隊を壊滅させた「サンダーボルト」隊に手痛い反撃を与えた対空砲火の中には、もしかしたらこの「紫電」の20ミリも混ざっていたのかも知れませんですねえ…
無題Name名無し 24/07/18(木)11:05:32 No.559148
誉エンジンは外地で整備はきつかったろうな
負け戦ならなおさら・・・
無題Name名無し 24/07/19(金)10:30:22 No.559159
誉や熱田の機体なんて作らないで火星や金星でそこそこの性能でちゃんと動く機体を作ればよかったのに
無題Name名無し 24/07/19(金)10:41:36 No.559160
でも相手は2,000馬力オーバーばかりだから…
無題Name名無し 24/07/19(金)21:16:33 No.559164
https://may.2chan.net/39/src/1721391393767.jpg
昔の丸メカニック「雷電」の巻に、同率縮尺での「雷電」と2式単戦「鍾馗」の比較図が掲載されているんですが、オイルクーラー含むエンジンカウリング直径はほぼ同じなのに、後は全てにおいて「雷電」が一回り大きくて、ちょうど「鍾馗」がすっぽり機内に収まるくらいのサイズ比になるみたいなんですね
腕に覚えのある方は、同縮尺のプラモを魔改造して、「鍾馗」のボディの上に「雷電」のオーバーボディだ!とかチャレンジしてみてはいかがでしょうかw
余談ですが、先述の岩下邦雄さんと言う方は第37期飛行学生を卒業の後、まず大分空で教官を務めた後、「雷電」装備の301空に転勤、硫黄島に進出しての初陣では「零戦」で初撃墜を果したのち「紫電」装備の341空所属の飛行隊長となり比島進出、帰国後所属した横空では「紫電改」にも搭乗しておられるんですとか
無題Name名無し 24/07/19(金)21:18:15 No.559165
従って「零戦」はもとより、「雷電」「紫電」「紫電改」とIJNで制式採用・量産に至った電電電の局戦トリオ全てを乗りこなしたわけですが、氏によれば各機の操縦し易さは、「わが恋人」とまで惚れ込んだ「零戦」を5とすると、「紫電」は3、「雷電」は2、というところであったそうです
逆に言えば「零戦」の2.5倍乗りづらいという「雷電」について、岩下氏が搭乗を命じられた時の様子を語られているところによると、
「零戦とは似ても似つかぬ、太い胴体の不格好な雷電を見て、正直なところ、いやだなあ、と思いましたね(略)前方視界が悪く、急激な操舵ですぐ失速するなど操縦の難しい戦闘機で、『まるで熊ん蜂のように恰好が悪い」とか、『座席がだだっ広くて宴会ができる』とか、皆で悪口をたたいたりして」
…おられたとのこと
無題Name名無し 24/07/19(金)21:19:17 No.559166
そんな岩下氏、戦後縁があって「雷電」設計者主任の堀越二郎さんと会食する機会があったそうなんですが、
「席上、『あのすばらしい零戦をお作りになった堀越さんが、なぜ雷電のような飛行機をお作りになったのですか』と、いま思えば大変失礼なことをききました」
「堀越さんは、ちょっといやな顔をされてお答えになりませんでしたが、ずいぶん後になって、堀越さんが、『私が設計したなかで雷電が最高の飛行機だと考えている』と書いておられたことを知り、汗顔の至りでした」
「私もふくめて、当時の戦闘機乗りは零戦が全ての基準になっていて、勝手の違うものはハナから受け付けなかった。これは反省しないといけませんね」
無題Name名無し 24/07/19(金)21:20:22 No.559167
「のちに厚木の302空が、雷電でB-29邀撃に大きな戦果をあげましたが、彼らは対大型機には最高の飛行機だった、と口をそろえますからね」
…などと語られておられるそうです
一方、堀越さんの方は自著で
「本機の精悍な流線形を美しいと認めている操縦者が、日本にもアメリカにもいた。これらはいずれも大体当を得た批評だと思われた」
…なんて書かれておられるんですが、あるいは「雷電」の機体ラインが不格好に見えるうちは素人、やがて美しく見えるようになってきたならば、おのずと機体自体の真価にも気づけるようになる…ということなのかも知れません…?
無題Name名無し 24/07/20(土)02:27:18 No.559170
雷電は鹵獲機テストしたアメリカ人パイロットからは好評だったみたいね
無題Name名無し 24/07/20(土)06:44:54 No.559171
試験飛行時に「操縦席で宴会が出来る」とテスパイに嫌味を言われた雷電
大柄の米国人パイロットに好評だったのがよくわかります
無題Name名無し 24/07/21(日)02:40:23 No.559193
>『あのすばらしい零戦をお作りになった堀越さんが、なぜ雷電のような飛行機をお作りになったのですか』
(´∀`;) 惑星ウォーサンダーで日本機を飛ばしている人たちがみな思うことですね。
雷電を護衛するための戦闘機が必要だとも…。
ちなみにレシプロ時代の飛行機は設計者の女性の好みが反映されるという説があります。
さしずめ糸川英夫さんや土井武夫さんはスマートな女性がお好みで、一方堀越二郎さんはふと・・・
いや、わがままボディーの女性が好みなのではないでしょうか? (´∀`)b
無題Name名無し 24/07/21(日)03:53:34 No.559194
これぐらいでかいと迫力あるね
やはり着陸は難しいのかな
https://youtu.be/g8BCphFhb5I?si=nx4ZRcsRF56B2h0t
無題Name名無し 24/07/21(日)07:00:12 No.559195
どんなにブサイクな子でも勝てる機体なら文句も出ないんだし、一式陸攻で火星を使っているんだからもう少し稼働率を上げられなかったものかな?
無題Name名無し 24/07/21(日)19:08:48 No.559203
P-38の戦闘機部隊として南太平洋で戦った第49戦闘航空群所属の通信将校だったジェームズ・P・ギャラガー=サンと言う方の著書にも、「雷電」に関わるエピソードがいくつか出てくるんですが、曰く
「フィリピンの周辺で、1944年の11月から12月にかけて、アメリカ軍のパイロットたちは、出会ったことのない何機かの日本の飛行機を見ていたのだが、その中の一つは、ずんぐりした格好で、頑丈そうだが速く飛ぶ飛行機であった。この機種は”Jack”と呼ばれたが、私はその当時、第49戦闘航空群のP-38のパイロットたち9人が、今まで会った日本軍のどの戦闘機より優れていると話しているのを聞いた」
「私は、日本海軍航空隊が、『雷電』を一体どのくらいフィリピン作戦に投入したのかを、事実に基づいて報告しているレポートを見たことがなかった」
無題Name名無し 24/07/21(日)19:09:19 No.559204
「そう多くない機数しかこの戦線には使われなかったにも拘わらず、私の知るアメリカのパイロットの間で一番話題になった飛行機であった」
…そうです
因みに第49戦闘飛行群は戦争後半のレイテ戦に真先に加入、終戦後には日本本土(厚木基地)に真先に進駐した部隊でもあったそうなんですが、飛行場に遺棄されていた多くの302空所属機の中にあった「雷電」を、初めて身近で見たギャラガー=サンの印象は
「この機体は空冷星型エンジンでも流線形を引き出すため、さらに多くの空気で冷却するために、エンジンによって回されるファンが前方に装着されていた。プロペラについたスピナーの大きさが、この飛行機の前の方の顔つきを空気力学的にも美的にも素晴らしいものにしている」
無題Name名無し 24/07/21(日)19:09:54 No.559205
…というものであったそうなんですが、一方で当時米軍基地として整備が進み、そんな厚木の「雷電」も次々と処分が進められていたものの、ギャラガー=サンによると
「第49戦闘航空群のパイロットだけでなく、地上要員でさえ、他の日本海軍の普通の飛行機に比べて『雷電』のデザインと質を賞賛していた。彼らはこの飛行機には何処か無骨な美しさを感じた」
「いつの間にか、『雷電』を助けて、飛べる状態で保存しなければならないと思いだした。もう、どっちにしろ占領は確実なものになった訳だし、我々の戦闘航空群がP-38以外の飛行機を持っていたって何の問題も無いだろう」
無題Name名無し 24/07/21(日)19:10:24 No.559206
「ある機付長が冗談に言ったものである。『マッカーサーは知らなくて良いのさ』。飛行場の片隅のはずれの掩体壕の中に、見た目だけは稼働不能に見えている1機の『雷電』があった」
「地上要員の何人かが(略)集まり、ブルドーザーの運転手の応援も取り付けて仕事に取り掛かった(略)この『雷電』は、未完成の格納庫の中に収められ(略)第一段階は完了した。『雷電を救え』作戦は成功したのである」
「次の段階は機体の修復である。周りには部品取りの機体は沢山ある。必要な部品が戦闘航空群の格納庫に集められて保管され、第49戦闘航空群のモノとなった『雷電』の復元作業が始まった」
…んですとか
無題Name名無し 24/07/21(日)19:12:12 No.559207
もっとも、結論から言うと「雷電」がフライアブルに仕上がる前に、45年10月頃からギャラガー=サンを含む第49戦闘航空群の要員の多くは次々と本国に復員、交代して厚木に進駐した部隊にはこうしたいきさつ、あるいは思い入れは引き継がれなかったようで、残念ながら結局この「雷電」も多くの仲間たちと同様、スクラップとして厚木の土になってしまった可能性が高いようです
ともあれ、一時は米兵さん達の好意で救われそうになったというジャックたん、或いは米国的感覚ではそこまで惚れ込むほどの、グラマラスな美人に見えたのかも知れませんですね…?
無題Name名無し 24/07/22(月)01:45:55 No.559211
雷電がどこかに埋められている
厚木航空基地の隊員ならたいてい聞いたことがある伝説
無題Name名無し 24/08/16(金)22:53:42 No.559565
14試局戦は火星13搭載のままで先行増加試作して戦技研究してもよかったかなぁ引用元:https://may.2chan.net/39/res/558780.htm
とは思う
あと14試局戦改で火星23を搭載した最初の試作機の初飛行では振動問題が出なかったのは雷電11向けVDMペラが官給品で間に合わなくて1号局戦(紫電)のVDMペラを応急的に装備していたという
誉21の2000馬力という想定で剛性が高かったんだろうか
その辺、14試局戦改、火星23に1号局戦のVDMペラ付きで実用化を進めてたら雷電の実戦化は1年は早かったんじゃないかな

![海軍局地戦闘機「雷電」(世界の傑作機№61[アンコール版]) (世界の傑作機 NO. 61)](https://m.media-amazon.com/images/I/51+jx1qem5L._SL160_.jpg)

























コメント
FW190Dのエンジンくらいだよな
まあ英国もマーリンには二段二速スーチャーつけてたけど他は特につけてなかった気がするから、二段式って特別選ぶようなものではない?
(セントーラスやセイバーは一段二速だったような)
雷電はぶっとい胴体にする事で空力的な効果を狙っていたので違うな
細く仕上げた二式単戦との比較で分かる通りデメリットの方が大きかった
もっとも舞台はネバダとネリスだったし、主人公は海兵隊所属だったんだから、普通にそのまま海兵隊の他基地でたまたま生き残ったVMFAをかき集めて迎撃したって設定で良かったのでは?と思ってたのですが、
映画をコメント付きで見てたら「海兵隊の空母艦載機が陸上基地から発進するのは不自然だけど、空軍の協力が得られなかったのでFA-18を空軍って設定」なんて話があって、まぁ一昔前の映画はこういう変なヒネりかたがまあまああるものだなと。
航空機の規格として日本航空機規格というものもあって、適合しない航空機部品の製造・使用は禁止されていたそうですけど、戦時中の日本の工業力や工員の技能による量産だと歩留まりがどうなったかわからないし、規格外れ品も製品として出荷してたんだろうなぁというのは何となく想像がついてしまう
輸入工作機械なんて行き渡らないので、粗悪で単純な日本製工作機械使ってましたあよ
日本ニュース(ニュース映画)で喧伝してた
我が国が誇る工作機械がどうの、風雲急をつげる戦局に間に合わないから単純な工作機械を大量にどうのこうの
新米工員も大量に増え、婦人や正規雇用に進出できた黒人労働者も大幅に増加
一人あたり5倍生産できるって工作機械のレベルが違ったは
艦戦は無理でも純粋な陸上機である局戦は陸軍の重戦と最初から機種統一出来たと思う
でも重戦は航続距離も捨ててないから航続距離を犠牲にしていい局戦と合意形成不可能なのか?
あくまでも海軍としては終戦間際まで空母を建造していた事から見ても空母運用が主体で、局地戦運用はその支援を兼ねた予備機も含まれるであろう事考えると、
そのままでも局地戦運用可能な能力はある事を見ても陸軍とより海軍内で統一したかったのは分かるかなと。
特に当時の対米戦略は局所的な島嶼防衛ではなく、強力な戦艦部隊や空母部隊を中核とする艦隊決戦ドクトリンだから、局戦運用を陸軍と合わせるとなると大規模な戦略変更も伴わないと、かえって機材増による混乱のデメリットが大きそうだし。
もし仮に工業規格が存在しないなら作る製品はすべて一品物になるので機種統一してもしなくても同じになる、完成品を構成する部品が何かを定義するのが工業規格なので
日本製DB601のボールベアリングの話で海外より1桁も精度が悪かったとか言われるけど、実際には平均真球度0.4㎛で収まってて問題なく製造されてたりする、ってかここに大きな問題があったのなら空冷エンジンだって造れない
こういう機械分野の話はとうぜん理工学の話になるわけだけど、歴史に興味を持つ人はいわゆる文系で理工学の素養を持ってない人も少なくなくので戦前の日本には工業規格が無かったみたいな理工学知識が無い人を騙す嘘やデマが多い
陸攻を中心とした基地航空隊も帝国海軍では重要視されており併用って感じだな
空母が減少した際は、第一航空艦隊の名は空母飛行隊から基地航空隊に受け継がれ、こっちが主体に
問題なく製造できるなら、潜水艦で運んでまで北欧からベアリング調達する必要なんて無かったんですけどね
ストックホルムでの和平交渉で知られる小野寺さんは、ベアリングなど工業製品の買い付けが重要な任務だと仰ってましたね
直接工場回って買い付けていたと
問題なく作れるなら、大馬力エンジンにあんな苦労もする事もなかった
ドイツのエンジンの精度を計測した際、日本ではとても不可能だと嘆いた話しなど色々あるし
問題なく作れたなんてことはないっすね
二段二速の過給機エンジンより一段式の方が低高度では有利。
ドイツ空軍は地上部隊への支援がメインだし、
日本陸海軍共に航空撃滅戦を主にしてるから
高高度に興味無いかと。
R2800エンジンよりは細いのに無駄に太くしちゃったよな。
何故か堀越(三菱全体?)が誘導抵抗は気にしても
タンク博士みたいに冷却抵抗に気が回らなかった不幸。
空技廠の十三試艦爆開発チームは考慮してたのに。
三菱は、自家製マザーマシンを自慢してた。
日本の当時の冶金レベルだとマトモな爪ができたとは思えない。
日本の学徒より知的レベル低いアメリカの下層婦人や黒人で
よく生産できたもんだ。
マニュアルのおかげだな。
雷電は成功してれば、陸軍も襲撃機として採用予定だったよ。
エンジンを最初期案の DB601採用してれば成功してたかもね。
零戦で瑞星エンジンはねられた恨みで自社製エンジンに拘ったんだろうな。
重戦は制空戦闘機、局地戦闘機は迎撃機で開発の目的が違うからなぁ
目的が違う以上統合するのは難しいかと
航続距離は雷電よりも二式単戦の方が短かったり
スウェーデンのベアリングはイギリスすら密輸入するぐらい高性能だからな。
海軍は支那事変でのSB爆撃機の取り逃しやアメリカ陸軍のB-17相手には20mm砲必須だったが、
陸軍には迎撃任務を理解してないから
20mm砲搭載戦闘機の重要性を理解するには、
ノモハン空中戦での大敗を待たなければならない。
あったが、あまりにも歩留まりが低く消耗も激しく、生産が追い付かな過ぎて結局規格外品や粗悪品も出荷せざるを得なくなったというエピソードはよく聞きますね・・・・・
最高品質を造れなかったと必要品質を造れなかったは別の話
そもそもスウェーデン製ベアリングは米英独ですら勝てなかった超最高品質、言ってしまえば特注品の部類
潜水艦で買い付けできる程度の量で日本のベアリング需要をまかなえると思う? 参戦してから飛行機だけで6万機も造ったんだよ日本
戦争後期の稼働率の低さとかの話があるけどこれは資源の払底で代用材を使ったことや補給の問題で起きてることで、同様の事態は追い詰められたドイツでも起きてるしなんなら負けこんでた当初の米英でも起きてる
きちんと整備した部隊は高い稼働率だった話とかあるのも部品がちゃんと造れてたから成立してる話
いくら料理人の腕が良くても腐った食材で調理すれば腹を壊すのと同じで、駄目な部品は整備で解決することじゃない
当時の日本は工業のトップ層ではないけど十分工業国を名乗れるだけの力はあったんだよ
で
欧米と日本を比較した場合、日本は遜色なかったという主張ですか?
当時の技術者が敵わないと言ってるので、君の主張よりは彼らを信じますけどね
アメリカの大出力空冷エンジンとか、あれだけ気筒ならべて冷却に問題ないとか日本の技術者はたまげておりましたね
ダブルサイクロン(B-29エンジン)は、冷却不足で出火しやすいエンジンだったが。
(ツインターボのせいだが)
話しを全く理解していないことが分かった。
少ない事例で誤魔化そうってのはよくないですね
それがどの程度かっていうね
よくある話のそらし方ですわ
職人技に頼らないと製造できない設計、工作機械だからね
一方、新入りでも高品質な製品つくれてしまうアメリカ
ダブルワスプやツインサイクロンでは問題出てないが、
ダブルサイクロンだけは、実害多数出してるんだが?
垂直尾翼に雷マークの疾風なら「飛行第一一戦隊」かと。
雷マーク>雷電の認識なのかも。
イギリス、ソ連を忘れちゃ困る
どこにも日本の技術や工業力がアメリカと同等だと言ってないのに勝手にそう決めつけられても・・・
日本の技術はアメリカに当然遅れてるよ、ただしそれは日本が工業国家じゃなった理由にはならなくて日本はれっきとした工業国家だったと言ってるだけ
理工学について無理解というのは、例えば工作精度がエンジンの振動問題だと言ってるとこ
工作精度はエンジンの振動とはさほど関係が無い、仮にアメリカが火星エンジンを自分たちの流儀で作っても振動問題は起きる
なぜなら火星クラス以上の大出力エンジンの振動問題は全世界すべてのエンジンで共通の問題だったから、より厳密に言えばそれより小さい出力でも振動問題は起きるけど
このクラスのエンジンはどうしても振動問題が起きる、エネルギーがありすぎて溢れてしまうからそれをどう解決するかは各エンジンと飛行機のセットで考える問題
ガチガチに軸受け周りを頑丈にして対処するBMW801もあればダイナミックダンパといったバランサーなどで対処するR-2800、そしてプロペラとエンジンの固有振動数の調節で対処したのが雷電の火星エンジン
開発初期の雷電は電気式三翅プロペラだった時には振動問題は起きず、油圧式四翅プロペラになってから振動問題が起きた、問題はエンジンだけではなかった
ならば三翅に戻せばいいと思いがちだがこれは故障が多く扱いづらいうえ、雷電は速度が要求より低く性能も向上させる必要がある、なんとか現状で解決しようとしてドツボにハマってしまったのが雷電の生産遅延になったというわけ
なおダイナミックダンパは誉エンジンには採用されたので振動問題は起きてなく、日本製DB601ことアツタ、ハ40もダイナミックダンパで対処してた
火星エンジンもダナミックダンパを付けようとしたものの完成前に終戦、仮にダイナミックダンパをもっと早く装備できてれば雷電の歴史も変わったかもしれない
飛んでる時に出力が安定しない
エンジンからのオイル漏れで風防前面が汚れて見えなくなる
整備したばかりのエンジンで試運転飛行したら離陸直後にエンストして墜落しパイロットも死亡
あまりに不具合が多いのでメーカーのエンジニアを飛行機に載せて原因究明
これなんのエンジンの話だと思うだろうか
日本のエンジン? 正解はF4Uをはじめアメリカ戦闘機の主力エンジンであるR2800の話
後ろ二つはうろ覚えで違う機体だったかもだけどいずれにしろアメリカ機のエピソード
アメリカ機のエンジンはオイル漏れが無い~というのはB-17のエンジンのエピソードだったはずだけど、これは当然でB-17のエンジンR1820の原型は31年生まれで長く使われ親しまれてたエンジンだから不具合が解消されてたというだけの話
なおドイツのBf109やFw190もオイル漏れしまくってるし、Fw190のオイル漏れは深刻で最悪の場合出火炎上までしていたという
イギリスのバラクーダでは油圧機器に問題があってなんとパイロットにオイルが噴射される事故が多発、しかもオイルを浴びたパイロットは気を失って墜落死してしまうため長らく原因不明の事故扱いで判明と解決に2年以上かかたっとも言われてる
これが当時の世界の実情だったり
川崎「オイルが漏れるのはオイルが入ってるからヨシ」
2カ国とも落ちぶれ過ぎじゃね?日本が成長しすぎただけ?
納入する軍用機にスパナ置きっぱなしにする令和の御時世のボーイングの話とか聞いてると、その手の話ってマジで信憑性ゼロの神話みたいだよね
『規格』を運用できてないだけだよね
航空機の規格はすでに総動員してる戦時体制中に制定してるから泥縄もいいところ
実際、生産ノルマ優先で禄に検品されてない規格外品が出回って現場の稼働率低下に繋がってたわけだ
三菱、中島の元請けに弾かれた部品が軍には直接納入出来たとか、その逆があったとの証言もあるし、形だけの検品が横行してたみたいだから、自力の工業力限界を超えてる状況だと当たり前のこと
関係者に課された生産ノルマ優先で問題を先送りにしてただけだよね
逆に無理して厳格に規格運用してたら生産機数が減るだけだと思う
冷戦後のアメリカの製造業は悲惨の極みなので...。
???「エンジンの中からオイルが漏れてるということは、オイルがエンジンの中から漏れているということを示しているんです」
その人、総理大臣になったら2+2=80って言い始めませんかね?
雷電の設計を佐野栄太郎(零式観測機設計者)に任せてれば成功したかも。
V12気筒エンジンは、振動少ないのでは?
星型エンジンは構造上振動を打ち消し合いできないが、
直6やV12は振動打ち消し合いすると聞いた。
ソ連はW WⅡ開始時には、世界最大の空軍戦力と戦車と火砲持ちだよ。
イギリスも空襲下でも日本以上の航空機や軍艦・船舶を製造してる。
没落は…アメリカのせい。
R2800は、1941年代は未だアラ出し時期。
だからF6Fは試作機はR2600。
と思いきや実は振動は起きてしまう、V型エンジンの振動の打ち消しあいはピストン部の慣性力を相殺(理論上)しエンジンの回転数からの振動も相殺(理論上)するけど長いクランクシャフトの捩じりから来る振動までは消せない
なお前者2つの振動を配置で相殺できるのは6の倍数の気筒だけで他の数だと相殺できない分が出てくる
なのでV型エンジンの気筒の数は6の倍数か慣性力だけは相殺する4の倍数とかに落ち着きやすい
イギリスのマーリンエンジンは重量増加と馬力のロスを嫌ったのか、それとも錘がある方がマイナスが大きかったのか錘を取っ払ってしまったので振動がモロに出て現存するマーリンエンジン機に乗った人は思ったより振動があると言い、戦時中の話でもきちんと振動対策とってたアリソンエンジン慣れしたアメリカのP51パイロットがマーリンエンジンの振動の多さに文句言ってる
ただその振動が運用上問題になるレベルかどうかが焦点で少なくとも当時のイギリス人やP51パイロットの許容範囲ではあったから用いられた
実際に捨てちゃいないんだろうけど、なんてもったいない
当然のようにイギリスやドイツでも起きてるとしか。
当然のようにイギリスやドイツでも起きてるとしか。
外観はラバウル烈風空戦録に出てきた形がいいんだが、あの強風を低翼化した形であれば、性能、視界、量産性や整備性もよく、紫電改なみに人気も実績も出たんじゃないかなぁ。
実に惜しい。
だってあの子色んなボルトが勝手に緩むくらいの暴れん坊なんだもの
それはそのう、陸軍の飛龍と同じく発動機架を強化して、ボルト大きくすれば何とかなる…と思いたい。
振動対策で色々こねくり回すよりかは、多分なんじゃないかなぁ。何となく。
アレ安定してる様に見えるの、初期型で初期不良や振動が少ない火星一〇型を使ってたからで
すげぇ振動の(まぁ大直径エンジンはアメリカのも含めてみんなそうなんだが)火星二〇型使ったハ214は最終的に切られたと言う曰く付きでなぁ
多分、もういいもん!誉積むもん!!となりそうなのが悲しい所よ
三菱「この発動機の名前は八奈見です」
昔さんざん流行ったやん、和製スピットファイアだのfw190のエンジン積んだ雷電だの
まぁ、強化型の死屍累々な有り様は否定出来ないですが、昭和18年19年の日本の状況でちゃんと稼働する大出力エンジンはハ42しかない訳なんで、渡辺洋二の書いた『雷電』ではハ42を搭載した性能試算もされていたようなんですよ。
ハ42が審査期限にちょっと間に合わなかったために搭載されなかったのが運の尽きなのか、海軍としてはあまり興味の湧かないエンジンだったのか…空技廠関係者からハ42に関する証言とかないのがなぁ。
そりゃ当初はMK6を当てにしてたからなあ
誉が見込めるならMK6に興味をわく理由が見つからない
ああ、一部のミリタリーファンがいうような、誉はクソエンジンで、MK6は堅実で整備性が高く稼働率が高い良エンジンっていう論調なら結構です。
ハ42ことMK6は生産台数が2000台いかないくらい、誉は6000台以上。
三菱か中島の違いもあるし生産台数の違いもあって、ホントのところハ42も誉なみの台数になったら、その評価がどうなるかは分からない。
ハ40が本来なら200台そこそこの台数と思われたのを戦争による増産で2000台以上を作ることになったり、戦前の前提が急に変わったり(材料、加工、燃料)、生産途中に追加の変更があったり、
誉に限らず栄エンジンも火星エンジンも海軍と企業の共同で開発したものを陸軍でも用いる形だし、水メタノール噴射装置のような補助器具も海軍が研究してから陸軍へだし
枢軸的には高度を維持する馬力にスーチャー稼働の馬力を合わせるせいで効率が悪いから、推進にほぼ使わない排ガス圧を活用するターボにしたかった
セイバーは二段を検討してたけど実用化できなかったんだったかな
一段スーチャーはタービンが大きくなって馬力が必要になる(重くて大きいものをぶん回すのでモーメントが大)問題があるけど、馬力があれば良いので
セントーラスは多少効率が悪くても一段二速で十分まかなえたのかもね
カワサキのバイク乗りの共通認識
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