無題Name名無し24/04/12(金)10:04:02 No.557455

本日4月12日はパンの日ですわよ
というわけで軍用パンスレ
無題Name名無し 24/04/12(金)15:05:24 No.557463
パン食の国はレーションにクラッカー入ってることが多いよね
あれは日本人的には主食というより酒のつまみだな

無題
Name名無し 24/04/12(金)17:42:30 No.557466
ヨーロッパの軍隊はクラッカーにレバーパテ&チーズの組み合わせが多いよね

無題
Name名無し 24/04/12(金)19:39:30 No.557467
1979年に海上自衛隊のうずしお型潜水艦「やえしお」などに乗艦取材された記者の五十嵐肇さんと言う方の著書によると、当時の海自潜水艦におけるある航海中の献立の一例は
<朝食>
トースト、バター、ジャム、牛乳、柿
<昼食>
ポークチャップ、フレンチポテト、野菜マヨネーズサラダ(一部罐詰使用)、鶏肉といんげんの味噌炒め、三つ葉辛子醤油、コーンポタージュスープ
<夕食>
太刀魚塩焼大根おろし添え、板わさ、ガンモ含煮、レバーたれ焼き、白菜浸し、佃煮、すいとん汁(鶏肉、大根、里芋、人参、ネギ、油揚げ)、たくあん
<夜食>
てんぷらそば

…という内容であったそうです

無題
Name名無し 24/04/12(金)19:40:56 No.557468
氏によればやはり乗組員の方々の一番人気は生野菜である一方、食パンなども人気食品の一つであったそうなんですが、通常の(艦内の)室温では4~5日間でカビが発生する為、生野菜同様、航海初期にしか食べられない御馳走であったとのこと

そこで当時の防衛庁技術研究本部の食糧研究室が対策に乗り出し、フィルム状の袋に食パンと共に、脱酸素剤やアルコール剤を入れて包装した試作品を製作したところ、室温で2ヵ月間にわたりカビの発生を抑えることに成功

更に実際に潜水艦に搭載し、1ヶ月間朝食に出しての実地試験も行ったそうなんですが、こちらも乗組員の方々へのアンケート調査では

良い…50% 普通…38% よくない…12%

…と、まずまず良好な結果であったんですとか

無題
Name名無し 24/04/12(金)19:43:04 No.557469
「『米の飯でなくちゃあ、腹持ちが悪くて戦にならん』かつての兵隊さんはこう言ったというが、今は違う(略)若い隊員は朝食にパンを好む。いわんや運動不足の潜水艦乗組員にとって、防衛庁技術本部のこの研究は大きな朗報であろう」

…という氏の言なんですが、これもすでにもう40年以上前の話、潜水艦「やえしお」も2代目が就役している昨今、海自潜水艦クルーの方々が艦内で召し上がるパンの保存技術やその味わいも、当時より更に格段に進化していたりするんですかしら…

無題
Name名無し 24/04/13(土)07:19:35 No.557475
>脱酸素剤やアルコール剤を入れて包装した試作品を製作したところ、室温で2ヵ月間にわたりカビの発生を抑えることに成功

焼きたてジャぱんで習った奴だ!
作者がロリ同人誌出身で美少女の絵が上手いので、全巻買い揃えて読み耽ったものだわ

無題
Name名無し 24/04/13(土)10:37:48 No.557480
野菜の窒素充填なんかも元々は軍用に開発された技術だと以前ここのスレで知ったな・・・

無題
Name名無し 24/04/13(土)19:08:19 No.557485
日持ちするパンの代表みたいなコモパン
自衛隊とも災害時の供給協定を結んでたりするけど
中の人にとっては自販機の方でお世話になった人もいるかと

無題
Name名無し 24/04/13(土)21:00:20 No.557489
1713009620895

米国の著名な従軍記者のアーニー・パイル=サンのコラムの中に、1944年、イタリアのアンツィオ橋頭堡を訪れた話があるんですが、曰く

「橋頭堡には大きな新式のベーカリーがあって何週間も稼働しており、移動式オーブンで香ばしくてかりかりの白パンを1日2万7000ポンドのペースで焼いている」
「このベーカリーには兵隊80人以上が働いている。アメリカ陸軍初のベーカリー中隊で、6月で創設3年になる。外地に出てから1年半、半ダースもの激戦の中をパンを焼き続けてきた」
「この橋頭堡でも、砲撃のため心身両面で損害を出している。彼らは砲撃の最中でもパン焼きを続け、空襲の場合は火を止めて退避所へ行くよう命令を受けてい」

…たそうです

無題
Name名無し 24/04/13(土)21:02:11 No.557490
1713009731862

そんなアーニー=サンを感銘させた米軍のパン焼き中隊なんですが、WW2勃発時に装備していた総重量3714ポンドの野外パン焼きオーブンは、制式採用から既に23年が経過という旧式のもので、パン生地の混合、成型、分割はすべて手作業、移動時には18もの部品に分割して運ぶ必要があり、とても海外遠征向けとは言えない設計であったんですとか

そこで1940年から急遽ガソリン燃料を使用する野外オーブンと動力ミキサーの開発が始められ、最終的には1942年、シンシナティのセンチュリーマシン社製造のオーブンを中心とする、M-1942野戦パン焼きユニットが新たに制式化され、各パン製造中隊に配備される運びになったんだそうで

無題
Name名無し 24/04/13(土)21:04:53 No.557491
1713009893323

M-1942のオーブンは各550ポンドの上下セクションの組み合わせからなり、各セクションは男性4人で持ち上げて運べるよう考慮されていた他、ガソリンエンジンで駆動する生地混合機と、M1937フィールドキッチンと共通のバーナーを備え、生地を発酵させる発酵室も内蔵

各製パン中隊に付きこのM1942オーブンが32台、ガソリン動力ミキサー車が16台、64個の断熱缶が備えられ、1日あたり2万4000から2万5000ポンドのパンを供給する能力を発揮するものとされたそうです

ところがそんな折角の久しぶりの新装備も、いざ部隊で使用してみると結局設置式のため機動性に乏しい、部隊の移動時には40から45台のトラックが必要、エンジンがミキサーに対して小さすぎる、発酵室の温度管理が適切に出来ず夏冬共に使用できない…等々の問題点が続出してしまったんだそうで

無題
Name名無し 24/04/13(土)21:06:16 No.557492
1713009976997

そこで補給本部が目を向けたのが、同盟国エゲレスの製パン部隊の装備だったんだそうなんですが、英国の老舗製パン会社ベーカー・パーキンス社製の移動ベーカリーはディーゼル燃料のオーブンや動力ミキサー、その他装置がトレーラーの上に効率よく配置され、製造に当たる人数もより少なくて済み、移動に必要なトラックも9台のみ…と格段に効率的であったため、1943年からはヨーロッパ戦線に従軍する米軍製パン中隊の多くがこの英国式ベーカリーに装備を更新しているんですとか

並行してM-1942オーブンの改良、更に英国式の長所短所を参考にした新型移動野戦パン焼きシユニットの開発も進められ、「2トン半トラックと同等の機動性」を備えるものとしたコンポーネントは最終的にM-1945移動ベーカリーユニットとして1945年秋に制式化されたものの、結局WW2には間に合わずに終わっているそうです

無題
Name名無し 24/04/13(土)21:07:35 No.557493
1713010055371

従って、アーニー=サンが見た「大きな新式のベーカリー」も、実際にはエゲレスから供与されたものであった可能性が非常に高いんですが、ヨーロッパ大陸に上陸した米国将兵さん達が焼きたてのパンにありつけたのは、英国製「マーリン」エンジンを搭載してWW2最強戦闘機に生まれ変わった「マスタング」戦闘機と同じような、英国からの技術支援の賜物だった…というハナシになるんでしょうか…w

無題
Name名無し 24/04/13(土)21:47:06 No.557495
1713012426667

第2次大戦開戦前の米陸軍は小所帯だったのは知られていますが
それでも製パン部隊がなかったのはいささか意外な気もしますね
画像は独軍第193製パン中隊(1941年の東部戦線)

無題
Name名無し 24/04/14(日)00:32:43 No.557499
ビスケットの語源はラテン語のパーニス・ビスコクトゥス(panis biscoctus)
「二度焼きしたパン」で
明治時代に乾パンを「重焼麭」「重焼麺麭」と呼称したのは
語源に遡って漢字を当てる当時の風をうかがわせる

無題
Name名無し 24/04/20(土)07:43:17 No.557634
>明治時代に乾パンを「重焼麭」「重焼麺麭」と呼称したのは
>語源に遡って漢字を当てる当時の風をうかがわせる
せっかくラテン語の語源まで閲した訳語も
「じゅうしょう」が「重傷」「重症」に通じると嫌われ
日露戦後は「乾パン」「乾麺麭」「堅パン」「堅麺麭」などと呼称されるように

無題
Name名無し 24/04/14(日)09:17:52 No.557502
1713053872215

>それでも製パン部隊がなかったのはいささか意外な気もしますね

画像はWW1時に米陸軍の為にパン職人さんを募集するポスターですが、WW2以前でも軍人または軍属からなる製パン部門自体は補給部隊の中に普通に存在してはいたんでないですかしら

因みにアンツィオに上陸した第5軍の編成表には、第102D製パン中隊の名が見られるんですが、この部隊は元々は1940年に発足した第94補給(製パン)大隊のB中隊として編成されたものであったそうです

アーニー=サンが聞いた「アメリカ陸軍初のベーカリー中隊」というのは、こうしてWW2勃発直後に急遽編成された新編部隊の中の一番手であったことを指すのか、若しくは参戦を見越して外征用に補給部隊の組織替えが行われて、戦前の編成と一線を画すことになったことを示すものだったのかも知れないですね

無題
Name名無し 24/04/14(日)09:20:30 No.557503
1713054030901

余談ですが、東京帝国大学農学部構内にあった財団法人「糧食研究會」が昭和9年(1934年)に出版した「糧食研究」という機関誌の中に、IJA糧秣本廠所属の阿久津正蔵という主計将校さんが「軍用パンの進歩」なる記事を寄せられておられたりします

中味は本邦と世界における軍用パンの歴史の概要を紹介するものなんですが、曰く

「明治36年秋、糒代用の野戦食の案出の命があった。日露国交断絶の前兆に急がされた為である。現制乾パンの基は此の時に創められた」

「当時案出の基礎となったものは墺国軍用ビスケットである。標本はあったが如何にして作るか、全く当時は不明であったらしい」

無題
Name名無し 24/04/14(日)09:22:04 No.557504
1713054124305

「当時の研究はFladenTwieback(※恐らくZwieback、直訳すると『二度焼きパンケーキ』といったところ)の中間ものに着眼したらしく、乾パンの表面に光沢をつける方法は御弔いの焼き饅頭から出発して蒸気をかける方法の案出に成功したという。此の重焼麺麭はかくて日露戦争に重要な役割をつとめた」

「戦後佛国は大使館を通じて糧秣廠に製法の伝授を乞うて来た。その要点は乾パンの表面に光沢を附けることであった。表面の滑かなのは細菌の附着を防ぐに効果があるというのである」

「現制の佛国乾パンのみが表面に美しい光沢を備えていることは、此の事実を物語っている」

…とのこと

無題
Name名無し 24/04/14(日)09:23:01 No.557505
1713054181092

我が国で国産乾パンを開発する際に参考になったのが「葬式まんじゅう」の製法であったとか、乾パンの表面がつるつるしているのが食中毒防止に役だったとか、その技術に目を付けたフランスから引き合いがあったとか、色々と興味深い内容ではあります


著者の阿久津さんは大正10年に陸軍経理学校を優等卒業、以降も炊事自動車や電熱パン焼機の開発に携わり、1940年からは独国に駐在して軍用パンなどの研究を行うなどした優秀な主計将校であったそうなんですが、終戦後にはIJAの現役将校であった為に公職追放を受ける羽目に

それでも戦前戦中に積み上げたパン製造技術の知識を見込まれて、後に日本パン技術協会会長に就任、戦後も長く日本国内のパン食の普及と改善に当たられたという、軍民時代通じてパン一筋の人生であられたようです…w

無題
Name名無し 24/04/14(日)11:40:32 No.557507
自衛隊のカンパンはスプレッド付いてて好き

無題
Name名無し 24/04/14(日)12:50:49 No.557509
>自衛隊のカンパンはスプレッド付いてて好き

陸自向け乾パンのオレンジスプレッドは戦闘糧食Ⅰ型の構成品であって戦闘糧食Ⅱ型に移行完了した今ではもう目にすることはない。
海自の大型乾パンは知らんが。

無題
Name名無し 24/04/14(日)12:13:42 No.557508
帆船時代のイギリス海軍でも、日常の食事はビスケットが基本なんだけど、
単に「パン」と呼んでたみたいね
船乗りにとってはビスケットこそが普通のパンというところかな・・・

無題
Name名無し 24/04/14(日)23:10:32 No.557522


イギリスでのビスケットは生活必需品。
プレーンビスケットだと付加価値税は0%だけど、表面にチョコがコーティングされると標準税率の20%が適用される(ぜいたく品扱い)。
でもって、この「Jaffa cakes」はチョココーティングのビスケットに分類されて20%の税率がかけられた。
これに対して製造元が「これはビスケットじゃない、ケーキだ!」って裁判を起こした結果、裁判所は「ビスケットは日が経つと湿気て軟らかくなるが、ケーキは硬くなる。ジャッファ・ケーキの生地は硬くなるからケーキだ」として製造元の主張を認め、晴れて「Jaffa cakes」はケーキとして付加価値税は 0% が適用されるようになったんだ。

ケーキは生活必需品なんだね……
英国では「ティータイムにはケーキがないとね」ってのがその理由。

無題
Name名無し 24/04/15(月)00:31:33 No.557523
>No.557522
パンがなければケーキを食べればいい国って実在するんだ。

無題
Name名無し 24/04/15(月)11:21:14 No.557526
初期の日本海軍では脚気対策にパン食に切り替えたんだけど、
訓練中に兵隊さんがすぐへばるんでお前ら飯食ってるのか!
ってハッパを掛けたら、おやつ(パン)は食べたけどメシは
まだです!とか返されたらしいね
当時の一般常識的にはパン=おやつだったんだろな

無題
Name名無し 24/04/15(月)18:42:13 No.557529
俺は勤め先の経営者の趣味で業務でパン焼くことがあるけど
まじ難しいからな
温度設定とかちょっとでもミスるとうまく焼けない
戦場で安定したパンを焼き上げるのってまじで職人技だったろうなぁ
普通の白パンって長持ちしないしその都度焼き上げなきゃいけないからこそ製パン部隊が必要だったんだろうな
乾パンやクラッカーみたいなのばかりだと兵から不満も出そうだし
ドイツ軍のコミスブロートみたいなパンだとちょっとはもつだろうけど

無題
Name名無し 24/04/15(月)19:27:35 No.557530
1713176855604

IJN士官だった松永市郎さんの自伝に、海軍兵学校時代の食事の話も出てくるんですが、曰く

「兵学校では朝食は食パンにみそ汁、昼食、夕食は麦飯だった。佐賀の田舎育ちで、ビタミンとかカロリーの観念もなく、ご飯を腹いっぱい食べていた私には、パンではどうしても食べたような気がしなかった」

「朝食の食パンの端っこは、真中の部分に較べて部厚く密度が濃い。生徒は端っこの部分を、軍艦の防御甲板に見立ててアーマーと称していた。アーマーに当ればお腹はふくれるし、その日は手紙とか面会人とか幸運に恵まれると、言い伝えられていた」

…そうですw

無題
Name名無し 24/04/15(月)19:28:48 No.557531
1713176928910

因みに松永氏が入校する2年前の昭和10年(1935年)、IJN主計会報告に「海軍糧食行政に就て」と題した記事が掲載されているんですが、それに依りますと

「脚気予防の問題は、殆んど海軍兵食史の骨幹をなすものであるが、最近学者の研究によれば、抗脚気ビタミンの脚気予防量はオリザニン液20瓦とせられ、我兵食は66瓦以上であって、実に3倍以上を示し普通の給養状態にては全く安全である」
…ものの、
「今以て年々数百名の患者発生を見るは遺憾に堪えない」
「糧食によりて極力撲滅を期し引続き研究中である」
…というのが当時の状況であったそうです

「白米に代うるに胚芽米を胚芽米を可成り供給しつつあるのも此の為」
「胚芽竝に胚芽精製品を米麦に混じ使用せしむることも試験中である」

無題
Name名無し 24/04/15(月)19:29:46 No.557533
1713176986270

「『二幸胚芽』『米の母』等は何れも同精製品であって練習艦隊、第3艦隊、潜水艦等、脚気の発生し易き部隊に使用せしめている(略)結果。『米の母』を支給せしものに患者の発生率著しく少なき結果を見た」

…とのことで、今の食品サプリメントの走りみたいなのも積極的に利用していたみたいなんですが、昭和の時代になっても未だ脚気が軽視しかねる問題であったことが伺えますですね

その一方で、「麺麭食廃止問題」と題した章もありまして、曰く

「本問題は多年の懸案であって、慎重考慮中である。麺麭は元来脚気予防の目的にて採用せられたものであるが(略)今日の精製されたる麦粉を以てしては、予防力甚だ少なきこと立証せられ」

無題
Name名無し 24/04/15(月)19:30:18 No.557534
1713177018168

「一方兵員の嗜好に適せざる為、年々支給回数を減少し、今日は一旬2回乃至3回の支給に止まる状況である。されば今日は(略)麺麭食を強制するの理由は乏しき様に考えられる」

「しかし又日本人の悪習たる飽食の緩和による保健、携行、保存の便利、調理の変化を與え食欲の増進を計ること、主計兵の労力省約等の利点をも主張し得られるのであって、尚麺麭食が民間は年々盛んとなり陸軍も亦作戦上其の普及に努め居る趨勢に相反する点も多少問題になり得る」

「要するに廃止問題は(略)慎重に考慮中であるが、未だ決定を見るに至らない」

…とのこと

無題
Name名無し 24/04/15(月)19:30:48 No.557535
1713177048481

脚気対策として導入されたパン食が、原料の小麦粉の製粉品質が上って反って栄養面のメリットは薄れた、じゃあ元々不人気だったしパン食は廃止しようか…というのが骨子のようなんですが、一方で栄養面以外でもメリットのあることや、民間や陸サンではむしろパン食が推進されつつある現況を鑑みると簡単には決めかねる…という悩みがあったようです

先述の戦後の海上自衛隊で、隊員さん達にパン食が人気だという話と比べると隔世の感があるんですが、IJNの胃袋を管理する主計科の方々の間で大真面目にパン食廃止の是非が論じられていたあたり、まだまだおコメがパンに対して優勢だった時代のフインキが、伝わってくるような気はしますですねえ

無題
Name名無し 24/04/16(火)11:15:00 No.557542
艦上の炊事施設としてはパンを焼くのとごはんを炊くのはどちらが
手間なんだろかね
パンの方が日持ちはしそうではあるけれど

無題
Name名無し 24/04/17(水)08:44:20 No.557570
パンは粉から作ると数時間かかるので
コメを炊くのとは全く比較にならん程の、巨大な手間が掛かる

無題
Name名無し 24/04/17(水)09:56:39 No.557571
博識な諸賢に質問!
船の上でどうやって料理するの?
特に中世の木造船時代だと、船の上に竈を設けるのは防火的に大変そう

無題
Name名無し 24/04/17(水)12:15:45 No.557572
>No.557571
船の食事ってビスケットに干し肉といった保存食で調理はしない認識。
(でもマリー・セレスト号事件では温かい食事が残っていたなんて証言もあるな)

無題
Name名無し 24/04/17(水)12:25:12 No.557573
船内にかまどはあったけど凪の時にしか火は使えなかったので
ちょっとでも荒れたら冷たいスープを飲む事になるとか
石炭のかまどではパンやスープがまずくなるとぼやいてる日記があるとかなんとか

無題
Name名無し 24/04/17(水)18:51:02 No.557577
https://may.2chan.net/39/src/1713347462154.jpg
船上調理自体は例えば紀元前2世紀頃のローマなどでも既に行われていた可能性はあるようなんですが、考古学的証拠に乏しいため詳細は不明なんですとか

明らかに加熱調理を行っていたことが物証と共に明らかになのは7世紀ごろで、ビザンチン時代の沈没船の調査ではタイル敷きの調理場が備えられ、船上で煮炊きしていたのが確かめられているとのこと

その後13世紀ごろから、木製や鉄製の箱の中に土を詰めてその上で火を焚いたり、レンガで組んだ炉を用いる船内調理室が各国の帆船に標準的に備えられて行くようになり、コロンブス=サンの大西洋横断航海などの際も、船上でシチューなどが乗組員さん達に提供され、簡易なパンが焼かれた記録なども残されているそうです

(画像は1545年に、仏軍の攻撃で沈没した英軍艦メアリ・ローズ号の調理用炉)

無題
Name名無し 24/04/17(水)18:54:00 No.557578
https://may.2chan.net/39/src/1713347640912.jpg
その後長らくレンガ製の炉が帆船調理場の標準であったそうなんですが、エゲレス海軍などでは1750年頃から重量の嵩むレンガ炉に代わって、鉄製のレンジを小型艦艇などに採用し始めたんだそうで

1780年にはスコットランド人技術者のアレクサンダー・ブロディー=サンが、「ブロディ・ストーブ」なる容量250ガロンのボイラー2基に、煙突内の排気で回転する焼き串や、蒸留水を製造できる復水装置、一度に約80ポンド(36kg)のパンを焼けるオーブンなどを組合わせた鉄製の複合調理装置を開発、その利点を認めた英海軍とめでたく長期独占契約が結ばれたそうです
(画像はネルソン=サンのトラファルガー沖海戦時の旗艦「ヴィクトリー」艦内のブロディ・ストーブ)

その後他社製の改良製品なども遂次導入され、普及していったそうなんですが、ちょうどナポレオン戦争期あたりが、軍艦艦上における調理設備の久々の大幅変革期になったということみたいですなあ

無題
Name名無し 24/04/17(水)18:54:51 No.557579
1713347691443

余談ですが、WW2時に米海軍のエセックス級空母「フランクリン」に配属になった従軍司祭のジョセフ・T・オカラハン=サンと言う方の手記に、同艦の調理施設についての記述も有るんですが、曰く

「調理室に隣り合ってパン製造所があり、そこは、どの部署からも羨ましがられるところなのだ。毎朝、ここの窯からは数百個のパン、上質の海軍パンが焼かれた。アメリカのお国自慢のために惜しまれるのは、自家製のパンを作り出す技巧が市民の世界で忘れられてしまったことである。しかし海軍のパン屋は、その腕前を立派に保っている」

「パン屋の前までくると、私の艦内巡視は公けではなくなった。それまで無言の観察者であった私が、そこでは自ら好んで協調者となった。パン屋の一人は私を招いて、パンの味見をさせるのだった」

無題
Name名無し 24/04/17(水)18:55:47 No.557580
1713347747688

「そこは、フランクリン号内の私の視察を切り上げるにふさわしい場所のように思えた(略)私はいっぱいの熱いコーヒーと、拳大の焼きたて海軍パンを手にして腰を落ち着け、もっともらしい理屈話をながながとこねまわすのだった。パン屋と友達になるのはつねに楽しいことである」

…とのこと

毎日毎日下手すれば数年前に焼かれたカチカチの乾パンばかりであったかつての帆船時代の船員さん達と比べれば大違いですが、私ら日本人が炊き立てのゴハンが船の上でも食べたい!と思うのと同様、やっぱり焼きたてホカホカのパンを食べたい!というニーズは、やはり海の向うでも切実なモノだったんでしょうか…w

無題
Name名無し 24/04/17(水)19:43:29 No.557582
https://may.2chan.net/39/src/1713350609514.jpg
北前船のような沿海航路なら弁当を持って乗れば炊事の必要は少ないかと思えば
(実際米子の駅弁屋「吾左衛門鮓 米吾」も廻船の船子の弁当として発達したと称している)
最下級の船員は「炊(かしき)」と呼ばれる炊事要員で常時炊事をしていたらしい
船員の食事は手っ取り早く炊ける為か当時としては贅沢な精白米で
交易をする港への入港前には大量に飯を炊き上げ、握り飯を土地の人や子供に振る舞って
客寄せ、景気づけにしたとか
また航行中は海賊に対する自衛用武器として大釜に粥を煮続けていたという話も
(柄杓で浴びせかけると熱湯よりも重篤な火傷になる)

無題
Name名無し 24/04/18(木)03:53:46 No.557586
みんな教えてくれてありがとー!
しかしナポレオン戦争当時から、既に軍船にボイラーが積まれていたとは初耳だったわ
船用ボイラーの歴史は、推進用の蒸気機関としてではなく、まず製水と製パン用として開幕したんだね

きっとパン職人と一緒にボイラーをメンテナンスする専門の技師も同乗するようになって、専門の教育課程やノウハウも発達して、
それがやがてイギリス海軍のいち早い蒸気機関の導入に繋がっていく事になってたりするのかな

無題
Name名無し 24/04/18(木)06:39:35 No.557587
イギリス海軍はなんだかんだで先進的よね
その一方でビタミンの効用を認めずに何世紀も壊血病の患者
を量産し続けるとかギャップが凄かったりもするけど・・・

無題
Name名無し 24/04/18(木)08:24:07 No.557589
THE ROPE(ザ・ロープ)という帆船模型サークルのホームページがあって
そこのコラムにあるエッセイ「帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー」
から「第3章 英国海軍の食卓」が各地の博物館の展示内容なども引用していて
わかりやすいのでご参考までに

無題
Name名無し 24/04/18(木)18:25:12 No.557596
https://may.2chan.net/39/src/1713432312336.jpg
IJN経理学校の教官だった森田廣せンせいの「調理法教科抜粋」等によると、IJNに採用された食パン(生麺麭)のレシピは、小麦粉1kgに対しじゃがいも(100g)1個、水720CC、砂糖112g、塩15g、茹でたじゃがいもに塩と砂糖の半量を加えてすりつぶし、乾燥イーストを加え12時間寝かせて発酵させたものをパン種として使用したそうです

東京下谷黒門町(現台東区上野)で1913年(大正2年)から食パン製造工場を営んでいた、田辺玄平さんと言う方の製パン法が導入されたそうなんですが、氏は1901年(明治34年)から1910年まで渡米して現地の製パン法を学んだ経歴の持ち主であったんですとか

エゲレス海軍に範を求めたIJNが、食パンに関してはアメリカ式を導入したのはちょっと意外な気もしますが、ある意味古き時代の米国製パン法の流れが、日本カイグンの中で脈々と受け継がれることにというコトみたいですね

無題
Name名無し 24/04/18(木)18:26:22 No.557597
余談ですが、1942年の米国陸軍のテクニカル・マニュアルの一つ「陸軍調理の手引き」の中には、野外用パン焼きオーブンの温度の計り方というのもきちんと載っているそうなんですが、先述のように、基本戦争初期の米陸軍の野戦オーブンは年代物の設計なので温度計がなく、、マニュアルによれば点火後に、パン焼き係の方がその中に手を入れてみて(できればゆっくりと)数をかぞえ、耐えられる回数により温度を判定できるとしているそうです
・8カウント…230度から260度(高温)
・9~12…200度から230度(熱め)
・12~16…160度から200度(中温)
・16~18…120度から160度(適温)
・18~20…90度から120度(低温)
…というのが目安だそうですので、何らかの理由でもし万全でない設備で手作りパンを焼かなかければならなくなった時には、覚えておくと役に立つかもしれません(棒)

無題
Name名無し 24/04/18(木)18:27:48 No.557598
一方、1941年に竣工した戦艦「ワシントン」のパン製造班所属だった二等兵曹のジョン・バーンズ=サンと言う方が、初めて乗艦した「ワシントン」で自分の仕事場を見た時の印象を語られている所によりますと、

「パン焼き場で、私は自分が見たものが信じられなかった。すべてが美しいステンレスの新式の設備だった。ミキサーでもオーブンでも、訓練中にしか見たことがなかったものだった。全く最新式のパン焼き場だったのだ。これに比べたら『テネシー』なんかはまるで古くさかった」
…そうなんですが、
「しかし誰が設計したのか、パン焼き場で何が行われるかということがまるで考えられていなかった。パンこね場は反対側というように、あらゆるものがまちがって配置されていて、とても仕事になりそうもなかった」

…んですとか

無題
Name名無し 24/04/18(木)18:28:30 No.557599
「私が独り言でののしると、そのとき、そばにグリーンの作業衣を着て野球帽をかぶった大きな男がいて、何か問題があるのかと聞いた。そこで私は、ここの配置を決めたバカ者の悪口を言ってどなった」

「その男は、あとでわかったんだがベンソン艦長で、翌日雑役兵たちが大ぜい降りてきて、動かせる限りの設備を動かした。それでずいぶん使いよくはなった。しかし、最も効果的に使えるようなところまではいかなかった」

…そうなんですが、温度計も付いていない旧式オーブンと最新鋭機器満載の艦内製パンライン、陸海軍でいかにも対照的ながら、実際に現場で働く人のことをまるで考えていないマニュアルや設計に悩まされていた、という所だけは共通だったというコトなんでしょうか…w

無題
Name名無し 24/04/19(金)07:52:03 No.557610
>「しかし誰が設計したのか、パン焼き場で何が行われるかということがまるで考えられていなかった。パンこね場は反対側というように、あらゆるものがまちがって配置されていて、とても仕事になりそうもなかった」

キッチンの配置はなかなか難しそうな問題だな
陸上のキッチンなら動線だけを考えていればいいけど、
軍艦ともなると、吸排気・上下水の配管の関係のせいで配置自由性は狭いし、さらに加えてダメコン時の復旧性や避難の動線まで考えなきゃいけないからな

無題
Name名無し 24/04/19(金)10:10:19 No.557611
戦闘中にフィッシュアンドチップスを揚げていて被弾時の被害が拡大した海軍があったらしいね(棒
まあ、実のところは違ったそうだけど・・・

無題
Name名無し 24/04/19(金)10:30:36 No.557612
ドイツ海軍のUボートの中には洋上補給用のタイプもあって、他のボートに海上で燃料補給していたそうなんですが、その艦内にはパン焼き機もあって、焼き立てのパンも一緒に補給して喜ばれたそうですね
今の原子力潜水艦とかなら、自分の艦内で普通に色々製造できるんでしょうけれど…

無題
Name名無し 24/04/19(金)17:39:09 No.557618
WW2中、米海軍のクリーブランド級軽巡「モンペリエ」の乗組員だったジェームズ・J・フェーイー=サンと言う方の戦中の日記が書籍化されているんですが、巡洋艦内での食事の様子は

「今日の夕食はステーキとレモンパイというゴキゲンなものだった」
…なんて日もある一方、

「ハムサンドイッチを一つ、クッキー一つ、リンゴ一つの夕食」
…なんて寂しい日が有ったり、

「パンには小さくて堅い虫がみっしり入っている。小麦粉にいっぱいこの虫がはいりこんでいて、それをより分けるのは無理なのだ(略)だが、僕らは虫は気にしない。もう慣れたからだ」

…と、如何にも船乗りっぽい昆虫パンの話なんかも出てきましたり

無題
Name名無し 24/04/19(金)17:39:58 No.557619
「僕らは食事にケーキを作って(※パンケーキですかしら)、それをクラッカーの箱にたくさんしまいこんだ。砲座についている連中は実によく食べる。長い戦闘配置に備えてキャンディーバーも買える。キャンディーバーで日本軍をやっつけるようなもんだ」

「深夜から4時までの当直の仲間に、大きなチェリーパイを持って行ってやった(略)炊事班は仲間に、果物や甘いものにたっぷりありつけるチャンスを運ぶものなんだ」

「戦闘配置のため(略)食べものと言えばサンドイッチだけだが、それもたっぷりとはないから、いつも腹が減っている。家一軒だって食べられそうだった」

「昼食はひどいもので、食べられたのはバターを塗ったパン二切れだけ(略)いつもはたいていうまいんだが、おいしいものを料理する時間がなかったのだろう(略)ベーカリーでは1日1000個のパンを焼いているという」

無題
Name名無し 24/04/19(金)17:41:14 No.557620
「ここ数日は一日じゅう配置についているから、食べるものといったらサンドイッチだけなのだけど」

…とのことで、IJNでいう戦闘配食のおにぎりは、USNではサンドイッチ(とキャンディーバー)が主なものであったようですねえ

一方、海の下が仕事場の米潜水艦部隊の場合、例えばIJNの空母「信濃」を撃沈したガトー級米潜水艦「アーチャーフィッシュ」艦長ジョセフ・F・エンライト=サンの手記によれば

「コックが2名(略)それにパン焼き係(略)が配属されている。彼らはわれわれのために毎日3回、うまい食事を用意する」
「本艦の冷蔵庫は、骨を抜いた肉──ステーキ肉やロース肉、あばら肉やひき肉などでいっぱいだ」

無題
Name名無し 24/04/19(金)17:42:46 No.557621
「パン焼き係は毎朝0300に起きて、焼きたての食パン、ロールパン、ケーキやクッキーを用意する」

「たいていの潜水艦では、烹炊室は”出入り自由(オープン・ドア)”という方針を採る。つまり、たいてい、常時、だれでも冷蔵庫を開けて、勝手にハムや卵や、ありとあらゆるコールド・ミートやチーズの薄切りを取り出し、サンドイッチをこしらえてよろしいということだ。入れたてのコーヒーがいつでも手に入る」

…とのことで、当直のコックさんが交代で作って提供するメニューを、別に乗り込むパン職人さんが毎日焼くパンで補う形の給食形態であったみたいなんですが、潜水艦が見事敵艦船撃沈の戦果を挙げた折には、艦長さんにお祝い用の「勝利のケーキ」をパン職人さんが焼くのが慣習であったそうです

無題
Name名無し 24/04/19(金)17:44:52 No.557622
因みに1944年10月のレイテ沖海戦において、栗田艦体への襲撃に見事成功して重巡「摩耶」「愛宕」らを沈めた米潜「ダーター」は翌日運悪くサンゴ礁に座礁、放棄を余儀なくされてしまうんですが、艦内爆破の準備を進めていた乗組員のジム・クレッパー=サンと言う方の証言によると
「調理室に入った時、奇妙な光景を見た。コックが焼いたばかりのパンの入った数個の平らな鍋に小●をかけていた」
…んだそうで

クレッパー=サンが何をしているのかと尋ねると、「いまいましいジャップが俺の焼いたばかりのパンを食べないようにするためさ」という返事が返ってきたそうなんですが、その後放棄された「ダーター」には実際日本側の調査チームが乗り込んで、レーダー等の技術調査の記録も残されているんですとか

まあまず無かったとは思いますが、調査の折、うっかり残されていたパンを見つけて、米軍糧食の実地調査を行ってしまった人はいなかったと思いたいですねえ…

無題
Name名無し 24/04/20(土)04:57:07 No.557631
昔は虫入りのパンなんて劣悪な品質の代名詞だったけど、今やわざわざコオロギ粉入りにしようなんて時代だもんな
水兵たちにゾウ虫入りの乾パンばかり食わせていたイギリス海軍はやはり未来を見通していたんや(錯乱

無題
Name名無し 24/04/20(土)07:05:06 No.557632
>ゾウ虫入りの乾パンばかり食わせていた
それは大航海時代の話でしょ?

無題
Name名無し 24/04/20(土)08:38:05 No.557636
>>ゾウ虫入りの乾パンばかり食わせていた
>それは大航海時代の話でしょ?
各国海軍将兵はいつ頃虫の湧いたビスケットから解放されたのだろう
艦船が木造から鋼鉄造になって内部湿度などが改善してから?
蒸気推進化で寄港・補給の間隔が短期化してから?
金属罐やパラフィン紙といった密閉性防湿性の高い素材が量産化され普及してから?
ちょっと考えつく理由だとだいたい19世紀後半かな

無題
Name名無し 24/04/20(土)10:06:07 No.557640
第二次大戦中でも小麦粉に虫が湧いたって話が上にでてるからなあ・・・
まあ、さすがに現代先進国内でそのレベルの糧食出したらマスコミ巻きこんで大騒動になるだろうけど

無題
Name名無し 24/04/20(土)10:27:42 No.557641
まあ水温が高い海面に行くと米に虫が湧くのは珍しくないんだが無洗米になってマシになったけど

無題
Name名無し 24/04/20(土)13:51:35 No.557647
WW2における米海軍の水中工作班、いわゆる「フロッグマン」の創設初期のメンバーだったドレーパー・カウフマン=サンと言う方の手記に、フロリダ東海岸での訓練中お世話になった「狂ったロシア人」なる爆発物の教官の話が出てくるんですが、ウクライナ出身のこの教官さん、革新的な新装備の数々を開発するなど非常に優秀ではあったものの、およそ協調性というものがない上に、しばしば奇矯で衝動的な行動に走り、周囲を困惑させてもいたんだそうで

それでもドレーパー=サンは個人的には好感を抱き、その才能を頼りにもしていたそうなんですが、ある日突然に宿舎ののホテルから姿を消してしまい、てっきり脱走したものと思ったドレーパー=サンが上層部に慌ててその旨を報告すると、逆に落ち着くよう諭された上で、その失踪について誰にも口外することの無いよう釘を刺されるという、謎めいたお別れになってしまったそうです

無題
Name名無し 24/04/20(土)13:53:00 No.557648
この「狂ったロシア人」ことジョージ・キスチャコフスキー=サンは、1900年帝政ロシアのキエフでウクライナ・コサックの家庭に生まれて、その後内戦に陥った祖国から逃れた先のドイツで物理化学の博士号を取得、更に1926年にまた米国に移住し、1930年からはハーバード大学の教員を務めておられたとのこと

WW2勃発後にはルーズベルト大統領が1940年に設立した国防研究員会の一員となり、主に爆発物および推進剤の研究部門を担当、強力な新爆薬であるトリメチレントリニトロアミン(通称RDX、プラスチック爆弾の主成分でもありますね)の開発などに大きく貢献

1943年からは成形炸薬研究の経験を買われ、原爆製造プロジェクトにも参加、爆縮レンズの設計に深く関与しているんだそうで、恐らく先述の謎めいた「失踪」も、当時最高レベルの国家機密だったこの計画への参加によるものだったんではないですかしら

無題
Name名無し 24/04/20(土)13:54:19 No.557649
そんなキスチャコフスキー=サンの数々の仕事の中の一つに、特殊工作部門である国家戦略局(OSS)の依頼で製作された「食用爆薬」なるものがあるそうなんですが、コレはRDX製造過程の副産物であるシクロテトラメチレンテトラニトラミン(通称HMX)なる爆薬を、通常の小麦粉と混合したものであったそうです

当時米国でポピュラーだったホットケーキミックスの名に肖って、「ジェマイマおばさん」と呼ばれたこの爆薬、主に中国大陸の対日ゲリラに、日本軍の検問を怪しまれず突破できるような爆薬を供給したい…という要求に応えて作られたそうなんですが、通常の小麦粉と同様にパンに焼き上げても、適切な起爆薬/装置により爆発させることができるという優れモノであったんだそうで

もし検問所で日本軍の番兵にアヤシイ白い粉の正体を疑われた時でも、目の前でそれをパンなり饅頭なりラーメンなりに加工して食べてみせれば、何だただの小麦粉か、ヨシ通れ!…と切り抜けられるわけですなw

無題
Name名無し 24/04/20(土)13:55:55 No.557651
もっとも、あくまで非常の際の手段と言うことで使用者自身の経口摂取は推奨されておらず、また初期の製品は実際若干の毒性もあったそうで、例えば中国大陸で工作活動に従事していたフランク・グリーソン=サンと言う方の回想によると、届いた「ジェマイマおばさん」がパンに焼き上げられた後でも爆薬として使えることを示すサンプルを作るため、現地の中国人料理人さんに「マフィン」を焼かせたことがあったんだそうで

当然、いいか、食べるなよ!絶対に食べるなよ!!とフr…念押ししていたそうなんですが、いざ焼き上がったマフィンはふっくらと如何にも美味しそうな出来栄え、さてはアメリカ人め、この輸入メリケン粉のマフィンを独り占めしたくてそんなことを言ったアルね…!と早合点した料理人さんはコッソリつまみ食い

覿面に体調を崩し、危うく命を落とす所であったそうです

無題
Name名無し 24/04/20(土)13:58:24 No.557652
その後も研究が続けられ、もう少し毒性の低い製品も完成、結局およそ15トンほどの「食用爆薬」が中国に送られたそうなんですが、果してこの量で実際どれだけの健康被害を日本側将兵さん達にもたらしたんでしょかね

因みにコレは余談なんですが、HMXもRMXと同様軍用炸薬などに使用され、重量当たりの威力はより大きいものの、価格もまた約10倍と大幅に高価なんですとか

従って搭載スペースや重量の限られた兵器に採用される傾向があるそうなんですが、2019年に小惑星「りゅうぐう」から日本の探査機「はやぶさ2」がサンプル採取に用いた成形炸薬にも、このHMX系爆薬が採用されていたんだそうで

キスチャコフスキー=サンが、かつて自らが開発し、対日戦用の「爆発する小麦粉」に用いた爆薬が、数十年後にその日本の宇宙探査機に積まれて、重要な役割を果たすなんて知ったら、一体どんな感想を抱かれたでしょうか…w

無題
Name名無し 24/04/21(日)11:32:00 No.557677
>No.557652
JAXAの技術で成形炸薬が唐突に出てきた感があったけどH-Iロケットのころから自壊用につかってたのね
↓のP61あたり
https://www.jes.or.jp/mag/stem/Vol.50/documents/Vol.50,No.1,p.53-69.pdf

無題
Name名無し 24/04/20(土)14:35:39 No.557654
ダイナマイトは羊羹の味だとかニトログリセリン舌下錠もダイナマイト工場から発案されたとかあったなあ
小麦粉は現代でも指定可燃物だったりするし何年か前の台湾でもライブ会場でコーンスターチの爆燃事故あったり取扱い難しいね

無題
Name名無し 24/04/20(土)17:53:02 No.557658
自衛隊でも昔
教官「ほら、プラスチック爆弾は甘いんだぞ、なめてみろ」
生徒「ほんとだ、甘いっすね~(中毒)」
って事案があったような・・・

無題
Name名無し 24/04/21(日)05:49:40 No.557666
帆船時代に、砲弾の切れた船がパンじゃないですけどチーズを砲に詰めて撃ったことがあったとか…
まだ大砲の発射圧が低かったから出来たのか、よほど硬いチーズだったのか…

無題
Name名無し 24/04/21(日)08:56:02 No.557669
海上での長期保存用なら限界まで水分量減らすだろうからカチカチではあったんだろうな
当てますところで損害は与えられなかっただろうが

無題
Name名無し 24/04/21(日)10:39:10 No.557672
ウルグアイ艦隊としても古くなって喫食不能なまでに固くなり放置されていたチーズを射出した模様
それを変に深読みして退却したアルゼンチン艦隊の指揮官、イギリス海軍出身のウィリアム・ブラウン提督(ちなみにウルグアイ艦隊指揮官ジョン・コー大尉は彼の元部下)も別に怯将愚将として名を残したわけでもなく「アルゼンチン海軍の父」として同国の歴代海軍艦艇や南極基地、大学、無数の街路にその名を冠せられる名誉ある人物

無題
Name名無し 24/04/21(日)21:28:35 No.557685
新谷かおるせンせいの戦場ロマンシリーズに、「グルマン定期便」と題した1作が有るんですが、内容は小麦粉を積んだ米軍C-47輸送機が航法をドジってドイツ軍の基地に降り、鹵獲されてしまうというもの

小麦粉の領収サインを独軍司令官さんに書いてもらう羽目になった輸送機クルーの面々、自分たちが運んできた小麦粉で作ったふかふかのパンを食事に与えられるんですが、降りた先が重水製造の独軍機密工場だったため、パンの中には口封じの為に毒薬が…!

しかし危険を察していた主人公らは機転を利かせて切り抜け、脱出と工場の破壊を計るんですが、反撃の切り札になったのも小麦粉で…という、まさに小麦粉で始まり小麦粉で終る話でしたですねえ

無題
Name名無し 24/04/21(日)21:29:46 No.557686
因みに、IJA第8飛行戦隊(99双軽)勤務の主計中尉だった佃藤吾さんと言う方の手記に、戦争初期に台湾の屏東からルソン島北部のツゲカラオ基地に初めて進出した際の話が出てくるんですが、先発の飛行場大隊に続いて双軽で乗り込んだのはいいものの、

「ツゲカラオの街を見て歩くと、街は全く人影もない(略)敵の憲兵隊本部や学校等を宿舎に割り当てたが、早速夕食の心配をしなければならない。飛大も他の地上部隊も米を持っていない。現地にも米がない。ただ、小麦粉と砂糖はいくらでもある。特に砂糖は、土嚢代わりに使っているところもある位だった。これらの部隊は、上陸以来スイトンを主食としているらしかった」

「街を廻るとパン屋が数軒ある。つい数日前まではパンを作っていた気配もあるが、如何せんパンの職人がいない」

…という状況であったんですとか

無題
Name名無し 24/04/21(日)21:30:22 No.557687
「そこでチョッとひらめいたのが、屛東時代、酒保に出入りしていたパン屋の職人、周某のことだ。早速戦隊本部のT少佐に相談し、翌朝ただちに同少佐操縦の重爆で屏東に帰り、パン屋の主人を口説き、人事的な手続も後廻しで即日ツゲカラオへ連れて行った。飛行機の中で見せられた小さな瓶に入っているのが、イースト菌だった。なるほど学校時代に習ったこともあるような名前だったが、これがなくては小麦粉もパン工場も宝の持ち腐れかと苦笑する始末であった」

「気のきいた兵隊3名を周君の下につけて、佃屋パン工場?は操業開始。原材料には不自由しないし、能率も上々で、各種パンを続々生産した」

「終いには、過剰気味で、他の部隊にも頒けてやる始末。油もふんだんにあったので、特にアゲパンに砂糖をまぶしたのは、大好評だった」

無題
Name名無し 24/04/21(日)21:32:27 No.557688
…そうで、見事現地自活に成功されたそうなんですが、功労者の台湾のパン職人さん達との縁はその後も続いたというか、後にビルマに転戦した際にも、

「経(※理学)校甲種学生の受験勉強をしていた(略)毎夜10時を過ぎる頃、ドアをノックして周君がまんとうを運んでくれる、周君は、比島に連れて行ったパン職人の弟で(略)兄貴に代わって正式軍属として連れてきた酒保の傭人である」
「当時酒保では、追送品以外に、周君の手によるまんとうを作って好評を博していた(略)売れ残りでなく、特製を毎夜(略)作ってくれたのである」
「中村屋の月餅やまんとうも及ばない。毎夜、無味乾燥な戦地での受験勉強を慰めてくれたまんとうの有難味は忘れられな」
…い、とのこと

戦地でも美味しいパンを確保したいなら、単に材料だけでなく、やはり腕の良いスタッフの確保が、何より重要であったみたいですなあ…w

無題
Name名無し 24/04/22(月)11:51:28 No.557692
大西洋でUボート狩りしていた駆逐艦の乗員が、すぐそばに浮上してきた潜水艦にじゃがいもを投げつけて攻撃したなんて話もあったね
その時は夢中なんだろうけど、考えたらもったいない話ではあるな・・・

無題
Name名無し 24/04/22(月)13:09:02 No.557694
漫画「のらくろ」の中に、乾パンが余りに硬いので、敵の銃弾に当てて割るシーンとかもありましたね…
そこまで硬いなら、胸ポケットに乾パンを入れて助かった!なんてネタもできそうですが(笑)

無題
Name名無し 24/04/22(月)18:41:13 No.557697
>パン食の国はレーションにクラッカー入ってることが多いよね
旧軍の軍歴のある亡父もMREの中でチーズクラッカーとチョコレートケーキだけは高く評価してたな

>『米の飯でなくちゃあ、腹持ちが悪くて戦にならん』かつての兵隊さんは
>こう言ったというが、今は違う(略)若い隊員は朝食にパンを好む。
昭和一桁の老母も戦中戦後の嵩増し飯や芋のせいで病的なレベルの白米飯原理主義者
(山陰だったから都市部のように飢えた訳でもなく、食べ物なら何でも有難いとはならなかった)
こちらは小学校で見せられた教育映画(と言うよりプロパガンダ映画)で
登場した白衣の化学者が『米飯食がどんなに頭と体に悪いか』をわかりやすく解説してくれた世代
家庭の米飯一辺倒の反動もあって独り暮らし30年ほとんど米飯は食べなかった

>特に砂糖は、土嚢代わりに使っているところもある位
蟻が凄そうだが大丈夫だったんだろうか

無題
Name名無し 24/04/22(月)18:50:27 No.557698
俺も一時期糖質制限してて米をどころか炭水化物全く食べなかった時期があったけど長時間立ち仕事したり肉体労働する場合は向かないねあの食事法は
自衛隊の食事をみると炭水化物多いのが納得
つまり激しい運動するのに運動選手に米を食わさない某球団監督の采配は確実に間違いですな(笑)

無題
Name名無し 24/04/24(水)03:42:19 No.557711
森永製菓の社員だった池谷光治さんと言う方の回想記によると、大戦中、IJA糧秣廠との話合いにより、南方戦線への補給を考え、フィリピンのミンダナオ島ダバオに森永と軍の合弁で乾パン工場を建設することが取り決められたことがあったそうです

設立メンバーの一人に選ばれた池谷氏は1944年4月、フィリピンへ向け出発するんですが、肝心の乾パン製造ライン機械一式が敵潜水艦の攻撃により輸送船もろとも海の藻屑になり、乾パンの製造は不可能に

結局紆余曲折の後、セブ島に渡りそこで

「戦前砂糖精製用に使われていた大きな鉄釜を据え付け、砂糖と寒天を原料にしたゼリー羊羹を製造することにした。ゼリーは寒天を溶かし、砂糖を大量に入れて煮つめ、大きな箱に西洋紙を敷き詰め流し入れ、固まらせて羊羹型に切断、更にそれに白砂糖をまぶし製品とした。私たちはそれを森永ゼリー羊羹と名付けた」

無題
Name名無し 24/04/24(水)03:42:47 No.557712
…と、急遽手に入る材料と設備で兵隊サンむけのお菓子工場を始めるんですが、
「製品は、毎日数千本作ったものを各部隊がトラックで割当てに応じ取りに来て、大変に喜ばれた」
…んですとか

因みに、前述阿久津正蔵さんによると、IJAが自前で糧秣廠で重焼麺麭の製造を開始したのは日露戦争後の明治41年になってからであって、それ以前、明治38年ごろには米津風月堂、東洋製菓会社など民間の製菓会社に製造を委託していたそうなんですが、内「甲号」は原料が小麦粉・米粉・鶏卵・乳脂・食塩、「乙号」は小麦粉・米粉・食塩・炒大豆…という原料配分であったとのこと

そうした経験を積んだ民間からの協力を得て、製造が始められた陸軍製品は

「小麦粉、砂糖、食塩、胡麻等を原料とする無発酵の乙号麵麭であった」

無題
Name名無し 24/04/24(水)03:45:36 No.557714
…そうなんですが、
「翌年には米粉、馬鈴薯、ホップスをも加えて酛種仲種本捏の工程をとる甲麵麭に改められ、発酵法によった香味、色澤共によく消化の良いものに」
…され、その後も改良は重ね続けられ、

「結果は小麦粉、砂糖、食塩に純粋培養の酵母を以て、仲種発酵を行わしめるものが最良の製法であるという現状にある」

「此の間前述の如く米粉、大豆粉は勿論其の他の各種穀粉の混用も試みられた。殊に最近にては新しい方法によって製した脱脂大豆粉をも混用する研究を始めたが、成品が堅くなることを最大の欠点としている」

「乾パンの特徴は適当な硬さをもち、食べて飽きがこずに相当に美味しいというのでなければならない。水分を6%程度に減少して、而も此の要件を満たすことは非常に困難なことである」

無題
Name名無し 24/04/24(水)03:45:58 No.557715
「資源という点から考えて米粉(略)が最初から原料とされて研究されているが、平時数年間貯蔵品として置く乾パンには今日尚小麦粉のみを主原料としている。併し戦時に於ける軍用乾パンに此の原則をも守ろうというのではない。小麦粉以外の穀粉を用いて、乾パンを良く作るという研究については、非常な努力を続けている」

…とのことで、IJAの乾パンが、常にマイナーチェンジを続けて、改良され続けていたことが伺えましたりします

また
「携帯上の便、特に極寒地に於ける食用上の形態等より小型パンの必要を感じ、先年来採用するに至っている。この小型パンは独国(略)のものと殆ど同形であるが、其の製法に於て、成品に於て本邦のものは相当に進んでいる」

無題
Name名無し 24/04/24(水)03:46:20 No.557716
「小型パンは製造も容易であり、一般市販形としても利用し得て戦時調達上便利であるために近年これが製造を民間ビスケット工場に実施せしめているが、会社によって相当に製品に甲乙が生ずる。これは本邦市販品中には発酵ビスケットの需要なく、民間会社にその経験の少ないためである」

…とのことで、要は改良を続け行き着いた小型乾パン(現行のものの原型ですね)は、諸々の理由から再び民間委託で製造する所に戻ったというわけみたいですね

先述の森永製菓との提携もその一環だったというわけなんでしょうけれど、会社の経験、若しくは力量によって製品の出来栄えに非常に差があるという環境で白羽の矢が立ったという当たり、やはり森永さんの製品は評判がよろしかったんでしょうか…w

無題
Name名無し 24/04/24(水)03:46:47 No.557717
余談ですが池谷さん、その後は上陸したアメリカ軍に追い回され密林の中を逃げまどい、空襲や砲撃や飢餓で視線をさまよう羽目になってしまうんですが、何とか生き延びて収容された捕虜キャンプでは、幸いというか米軍食堂の手伝いという比較的楽な勤務に就けたそうなんですが、

「我々と違って米国軍は食糧も豊富で、食パンなどなかだけ食べてまわりの耳は捨て、外の食物も食べ残してはドンドン捨ててしまうので(略)収容所に残されている多くの兵隊達に持って行って食べさせた。皆、喜んでむしゃぶりついた」

…とのこと

このパンだって、きっと米軍炊事班の方々が心を込めて焼いたものだったでしょうにねえ…全く、MOTTAINAI…!

無題
Name名無し 24/04/25(木)19:27:44 No.557742
阿久津正蔵氏曰く、

「戦争はパンを要求する。パンは最高文化の表徴である。パンの本質を文化的に考察するならば、たたかいは文化の母であるということを再びここに言わなければならない。飯を常食とする吾々日本人の不便さ(略)は戦争に最も大きく響く」
…とのことなんですが、

「日露戦争における旅順露軍の要塞は、奉天で焼いたパンを汽車輸送で補給していた。凍結した古いパンは殆ど食用不能であって、給養上の一大失策とされている。戦後露国が世界中最優秀のパン焼車を研究完成したのはその故である」

「併し飯を常食とする邦軍も、戦地は飯をのみ食用を望むならば同様の困難に遇うことを考えなければならない」
「邦軍がパン食を実用化したのは西伯利出兵に初まる」

無題
Name名無し 24/04/25(木)19:28:22 No.557743
「大正7年は米穀の不足を告げ(略)出兵に対する米麥の輸送は多くの不利と困難とを伴うことが考慮せられ、同時に出征地の西伯利にはパンを得易いために、出征地にパンを焼かせ兵食とするの必要なる考えから(略)野戦炊具急造土竈でパンを焼く方法、梱包用鐵葉箱で蒸す方法を研究(略)出征軍野戦パン製造自給の第一歩を指導」

「併し飯常食の本邦人が初めて初めて戦地にパンを食べるということは、給養上遺憾の点が多く、常時よりこれに慣れしめるることの必要が痛感されたので、米穀不足に伴う雑穀食普及と共に、パン食の普及化運動が当時行われた(略)田辺玄平氏等(※海軍パンのレシピを作られた方ですね)もこれに協力した」

「大正9年にはオルダーショッド型の移動式野戦パン焼竈が考案せられて西伯利に追送された」

無題
Name名無し 24/04/25(木)19:29:51 No.557744
「其の後2弾焼組立式のパン焼竈が考案せられて、燃料の経済と焼上作業の容易化で効率の良いものになり、昭和3年の済南事変には此の竈が追送せられて吾々は現地にこれを指導した」

「併し定置式の此の竈は尚運搬に多大の困難を伴うので(略)各国軍の野戦パン焼車を廣く研究し、邦軍の野戦用に適する構造のものを完成し、満州事変の行動部隊のために役立たしめた」

「パン焼装置を改良研究すると共に、製パン法の改良も世界的な新しい方法を採用し、又独特の新しい方法をも研究してきた(略)国産のコンプレストイーストが今日の如く確立し(略)本邦のパンが全體として向上してきたのは、兵食にパン常食を全軍に命じた結果と併せて、一半は軍部の指導によるものといってよい」

無題
Name名無し 24/04/25(木)19:30:21 No.557745
…と、日本のパン食の普及と、今日私たちが美味しいパンを食べられるようになったことに対するIJAの貢献具合について自負する所を語られておりましたり

更に「パン形態の革新」と題する章の中に、

「飯は粒食発展の最高段階であり、パンは粉食発展の最高段階(略)だが我々は米を粒のままで作ったパンを茲に考えることが出来る。これは飯の文化とパンの文化を更に発展せしめた大きな進展であろう。邦軍は既に携帯口糧として膨張米食の利用を完成している」

…とあるのは、所謂「圧搾口糧(米粒を「ポン菓子」のように加熱膨張させた圧搾成型して、やはり乾燥圧縮した味付梅肉と削鰹節、固型砂糖を添えたモノ)」の事を示しているものと思われるんですが、

「従来の乾パンに代るべきものであり、併用さるるものである」

無題
Name名無し 24/04/25(木)19:32:25 No.557746
「斯くの如き膨張米食への進展は、本邦の資源と食習慣との要求を科学的技術的に解決し、軍用の目的を達せしめんがために研究されたものであるが、人類の文化殊に飯食民族は総ての穀物を斯くの如き加工食用に向かわしむるものではないかと考えられる」
「総じて我が軍用パンを考える時、たたかいは食文化の母であることに気付くであろう」

…という氏の結言からは、戦後GHQの統治下で進められた欧米型パン食の導入とはまた違う、単なる外来文化の模倣に止まらずに、日本発の新しい食文化創設の創設につなげるのだあ!という戦前のパン食推進派の意気込みが感じられましたり

米粒を形のまま加工し、梅干しとカツブシを添えた圧搾口糧が、かつてのコメ加工保存食品である糒の焼き直しというよりは、むしろ日本の国情に有ったパンのカタチを追求した結果生まれたものであった、というのは、ちょっと興味深い話ではありますですねえ…

無題
Name名無し 24/04/25(木)20:04:55 No.557747
米粉パンや味噌パン的な路線には行かなかったんだ…

無題
Name名無し 24/04/26(金)01:20:28 No.557758
米粉は乾パンに入れたりもしたけど、小麦粉だけの場合よりガチガチに硬くなったり、
逆にその為に割れやすくなっていざ食べようとしたら粉々になってとりとあまり
成績が良くなかったみたいね
小麦粉の中ですらそういう理由で乾パンに向かない品種とかあったみたいだし・・・

無題
Name名無し 24/04/26(金)09:32:13 No.557763
戦国時代の兵法書では、干した梅干しの果肉だけを固めて携帯するよう勧めているんですが、口にする為ではなく見て口の中に唾を沸かせるためということらしいですね(笑)
兵糧丸なんかも考えてみれば、糧食パンの元祖に当たるわけなんでしょうか…?

無題
Name名無し 24/04/26(金)12:08:44 No.557764
西洋から鉄砲と一緒にパンの製法なんかも伝わってるはずなんだけどね
兵糧としては余り広まらなかったな

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:40:19 No.557769
そもそも4月12日が「パンの日」とされた由来は、1842年のこの日、伊豆韮山代官だった江川太郎左衛門(坦庵)さんが、自宅の庭に築いた竈でパン製造を始めた故事に由来するそうなんですが、此の時江川さんが製法の伝授を乞うたのが氏の西洋砲術の師匠だった高島秋帆さんの門弟作太郎さんと言う方で、長崎のオランダ屋敷で料理方を務めておられたそうです

従って、江川さん以前から日本国内でもパン製造は行われ、レシピも知られてはいたそうなんですが、海防警備の任務を幕府から与えられた立場で、なおかつ当時の諸外国との緊張した関係に危機感を覚えていた江川さんが、将来起こりえる本土防衛戦での携帯糧食として改めてパン製法の確立を目指した…という経緯が評価されての「パン祖」認定で有るんだそうで

つまりは日本近代パン史自体が、軍用レーションとして開発から始まった…ということになるみたいですなあ

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:42:02 No.557770
そんな江川さんが作太郎さんから学んだオランダ仕込みの製パン法は、「饂飩粉(小麦粉)」を「饅頭の元(醴、酒ダネ)」で発酵させた後石積みの竈で焼き上げるという、若干「長崎の工夫」の入った日本風にアレンジされたものであったそうなんですが(パン酵母の代用なんでしょうね)、「出陣等に用い候分」については、一度焼き上げたパンを、十分に中で薪を炊いて加熱した釜の余熱で、更に水分を充分乾燥させるとしているそうです

そのようなパンは1年程は持ち、長崎では既に「大釜二つ」が造られていて、火災時などの非常食として備蓄されているともしているんですが、鶏卵や砂糖などを入れ「味宜候」とすることはできるものの、そういうパンは「却って飽き、十日と食し訳にはまいり兼」るため、小麦粉に塩だけ加えたシンプルな味付けが一番だ…というのは、後年の旧軍の研究にも通じる所があって、興味深いところでありましたり

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:42:32 No.557771
其の後、伊豆韮山で製造が始められた兵糧パンのレシピを見ると、更に独自の改良が加えられて行ったことが見て取れるそうで、例えば建設に手間のかかる石窯ではなく、鉄製の平鍋で焼くことで、パン焼きに向いた設備や経験者の乏しい当時の日本でも、出来るだけ手軽に製造できるように考慮されたものになっているんですとか

また江川さんが紹介する「西洋人兵糧」たる「パンの方」は何種類かあり、「麦粉160目、砂糖40目、玉子5つ」を水でこね、「焼鍋」で焼くというオカシめいたものから、小麦粉と砂糖を醴で発酵させた生地を焼くもの、小麦粉と醴だけのものと様々なんですが、一方ではこれらは「いづれも製方手重にて不宜」であるため、「一番手軽候て実用に相成」方法として、水でこねた小麦粉を醴を入れずそのまま「まるめおし平め、ぬく灰にて焼」くなんて、野戦向けの方法なども紹介しておられたりするそうです(塩気が欲しい時は塩水でこねると良いそう)

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:44:00 No.557772
他にも水戸、長州、薩摩藩などでも独自に「兵糧パン」の開発が進められていたそうなんですが、西洋兵学導入に積極的で、兵糧パン開発も自ら主導したという薩摩藩藩主島津斉彬さんなどは、

「軍の要は兵士を大切にし、第一食事乏しからざるように心を用いるを肝要とす、此品(※兵糧パン)は攻守の間において已むを得ざる場に用いる手当なれば、分て念入れ、味良きように製すべし」

…と訓示されておられるんですとか

薩摩藩でも、パンを煮炊きできない状況下での非常用携帯食と位置付けていたことが伺えるんですが、その後戊辰戦争の折にも、江戸の菓子商風月堂に5千人分の「黒胡麻入りの麺包」を委託発注し、大いに活用しているんだそうで

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:45:58 No.557773
当時の風月堂は未だ和菓子屋さんだった時期、従って製法は薩摩藩側から指導が行われたものと推測されているそうなんですが、その後明治期に先述のようにIJAから風月堂が乾麺麭の製造を委託されること、また現在も流通する乾パンの多くが黒胡麻入りだったりすることを思うと、その辺の歴史上の繋がりが感じられる気がしますですね

因みに余談なんですが、戊辰の戦の最終段階、旧幕府軍が松前城を攻略しした際にも、地元のお菓子屋さんに兵糧パンの製造を命じているんだそうで、その菓子商の息子さんだった大野藤造さんと言う方の回想に依ると

「親父が顔を出すと役人から『近く戦が始まるが、パンちうものをつくってくれ』という話で、ポンと小判で百両の金を渡された」

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:47:58 No.557774
「お恥かしい話だがパンちうものは見たことがない(略)板の間に頭をつけて断った、しかし、お役所では『それでは製法を教えてつかわす』ということになって、小麦粉でつくるパンをはじめて知った」

「ところがその小麦粉がなかなか間に合わない。ソコで(略)ごめかも(※カモメ)の卵のことを考え出した(略)小島と大島(福山より数マイル沖の無人島)にごめかもの卵が島一面にうみつけてある」

「何千という卵を船で運んで、これでパンをつくって(略)納めたところが、大変な評判、こいつは好物だとまた三百両を渡されたが、まもなく戦いがはじまり、パンは間に合わなかった」

…そうです

無題
Name名無し 24/04/26(金)21:49:35 No.557775
お菓子商さんですら「パンちうものは見たことがない」時代に、顧客の軍隊側からレシピを教えて製造してもらったというあたり、おそらく薩摩藩と風月堂とのやり取りも似たようなものだったと思われるんですが、カモメの卵をたっぷり使った北海道ならではの御当地兵糧パン、少なくとも当時の榎本軍の方々には大いに好評であったようです

あの土方歳三も食べた(かもしれない)!トシちゃん感激!!パンとして復刻したら、あるいは需要があるかもしれませんが、本物のカモメの卵を原料に使うのは、ちょっと現代では色々とハードルが高すぎるかもしれませんですねえ…w

無題
Name名無し 24/04/27(土)10:43:18 No.557783
https://may.2chan.net/39/src/1714182198833.jpg
戊辰戦争では佐幕側だった越後長岡藩でも兵糧に「固パン」を採用していますがこれも製造に当たったのは藩御用達の菓子舗「紅屋重正」
同店名物の「大手饅頭」は酒饅頭の一種なので
この固パンの発酵にもイーストでなく酒種が用いられていた可能性が高いと思われます

画像は同地の越乃雪本舗大和屋で製造販売している『継さ』
(長岡藩の指導者でカットリング砲で有名な河井継之助の渾名にちなむ)
『戊辰戦争時に越後長岡藩に兵糧として納めたパンからイメージして』
越後長岡藩主牧野家の家紋の三つ柏の焼き印が押されている焼菓子ながら
如何に菓子屋の製造になるとは言え実際の兵糧がこれに近かったとは考えにくいですねえ

Name名無し 24/04/27(土)14:33:10 No.557786
>他にも水戸、長州、薩摩藩などでも独自に「兵糧パン」の開発が進められていたそうなんですが
そのうち長州では長崎に滞在した経験のある萩の科学者 中嶋治平(なかしま じへい)が陶磁器で焼いた「備急餅」という名前のパンを作ったという記録がありまして
長州藩はこのパンを兵糧食として採用し、幕末維新の際奇兵隊や振武隊など諸隊に支給
そのレシピは「麦粉一斤、卵五ツ、糖少許、本五勺」と書かれていることから小麦粉、卵、砂糖、そして本(もと)と呼ばれる酒母が材料に使われていることがわかります
レシピはそれとして「陶磁器で焼いた」というのが引っかかるところでしてオーブンを持たない日本文化のこととてパン焼き窯が無いのは当然ながら「陶磁器」とは萩焼の本場のこととて陶磁器でダッチオーブンのようなものでも作ったのかと想像しますが
この辺地元などで詳細を御存知の方はおられませんでしょうか

無題
Name名無し 24/04/27(土)19:56:34 No.557788
江川太郎左衛門さんの高島流西洋兵学における兄弟弟子にあたる方で、出羽山形藩の水野忠邦さんの腹心だった砲術家の秋元宰介さんと言う方がいらっしゃるんですが、この方の残した「銃礮必書」と題する手記の中にやはり「パン法」が紹介されているんですが、こちらのレシピもほぼ江川流と同様で

「うどん(※=小麦粉)160目、甘酒5勺」
…というものなんですが、これを
「土鍋に油をよくぬり、それへ蕎麦の練り加減にて丸めて入れ、まず下より焼き、こげ候えば、かえし上より焼く」
…としています

江川さんの鉄鍋に対し、土鍋で焼き上げるのが秋元流であったみたいなんですが、コレもパン焼竈を必要としない製法の一つということみたいですねえ

無題
Name名無し 24/04/27(土)19:58:15 No.557789
因みに長州藩の「備急餅」、実際に大量製造を担当したのは、椿郡の泉流窯の経営に従事されていた大賀大眉さんという陶工さんであったそうで、「日本のパン四百年史」などによると、慶応2年(1866年)5月、中島治平さんから伝授された「備急餅」を本格的に製造してみたいので、どうか補助金くださいませ!という請願書を藩庁に提出されておられるそうです

「焼調候に付竈にて先ず相試可申と奉存候」

…とのことで、もう窯で焼く準備は出来ているとしているあたり、江川流や秋元流のように鍋で焼くための竈を作っていたのか、或はもともと陶器製造業ということで、陶器用の窯を流用したものかのどちらかと思われるんですが、この申し出はめでたく許可されて、「銀4貫目」が支給されたとのこと

無題
Name名無し 24/04/27(土)20:00:00 No.557790
実際の「備急餅」ファーストロットの製造にかかった費用の内訳は、小麦粉10袋(1袋懸目150目入)が25匁、玉子15斤が6匁、焼き上げるための薪7把が10匁5分、作業に当たる職人さんが2人でお賃銀が20目、合計61匁5分

これで製品が172個、1個あたりの代金が3分6厘2毛という見積もりであったそうなんですが(この時は砂糖は入っていなかった模様)、実際にこの年6月から戦われた第2長州征伐(4境戦争)では早くも使用されていたようで、石州口に出兵した「振武隊」から軍制総掛だった木戸孝允さんに、兵粮が不自由なので、「パン1万ほど」補充してほしい、なんて依頼が出された記録が残されているんですとか

タイムリー過ぎて、これだけの数が実際に製造できるだけの製造ラインが間に合ったのかはちょっと気になりますが、或は長州側の勝利には、この新型携行糧食も、いくらかは貢献していたのかも知れませんですなあ

無題
Name名無し 24/04/27(土)23:45:23 No.557795
だいぶ昔にここで見たスレだけど。
戦後、ほとんど被害が無かった東京のパン工場が、駐留軍に接収された話を思い出した。

焼き麩はパン替わりにならないのかな?基本は乾燥して販売だから、適切に保管すれば日持ちする。

無題
Name名無し 24/04/28(日)07:02:49 No.557798
麩は小麦から蛋白質であるグルテンを抽出して作るものだから
残った小麦澱粉を別途利用する手段を講じるなど無駄が多いのでは

無題
Name名無し 24/04/28(日)11:28:32 No.557801
昭和17年(1942年)の読売新聞文化欄のコラムに、IJAの糧食研究の大家として高名な川島四郎せンせいが、関西の焼き麩屋さんから「航空糧食」にうちの製品を採用してくれまへんか?と売り込みがきた話を書かれておられるんですが、どういうつもりで焼き麩が良いと思ったのか?と訊ねたところ、返ってきた返事は

「軽るおますさかいなあ」

…の一言

日頃自分が一生懸命研究している航空糧食も、世間の理解はコンナものか…と思わずガックリ来てしまったそうです

無題
Name名無し 24/04/28(日)11:29:45 No.557802
とはいえ、川島せンせいによれば、当時IJA糧秣廠などには毎日1~2件は民間から新しい軍用食のアイデアが持ち込まれていたそうで、決して粗相には扱わず、丁寧に審査の上回答しておられたそうなんですが、流石にいちいち口頭で説明していては手数がかかるので、予め文章に例えば携帯口糧なら
・目方の軽いこと
(例、餅は日本人の共通の嗜好品で主食になるが(略)重いので落第)
・おいしいがいくら食べてもあきの来ないもの
(例、カステラは真にうまいが三日もつづけたらあきてしまう)
…などの必要条件を列挙した採点表を作成、それらの項目パスしているかどう
かチェックすることで、分かりやすく採点していたんですとか

そしてこちらでも、焼き麩は軽くてよく、また沢山食べれば腹ごたえはできるが、かさばって困るとして、携帯口糧には向かない…とされておりましたり

無題
Name名無し 24/04/28(日)11:30:19 No.557803
そんな川島せンせいが、
「しかるに日本にはこれらの(※軍用)ビスケット、乾パンにまさるともおとらぬくらいの立派な一種の乾パンがある」
…と激推しなのが、「高野豆腐」だったりするんですが、
「目方が軽いし、容積も四角でキチンとしてかさばらないし(略)良質の蛋白質ばかりで(略)腐る心配もない」
…とのこと

ただまあ、製法が乾パンより少し手間がかかるのが大量生産にはネックになりそうではありますが…

また余談ですが、古来の兵糧丸にも着目して研究を進めたせンせいが、我々の研究に、面白いヒントを与えてくれた…と評価するのが
「大坂夏の陣に使った徳川勢の携帯口糧」
…であったそうです

無題
Name名無し 24/04/28(日)11:31:24 No.557804
「『委縮した体を引き起こし、沈滞した士気を引き起こす』というので、当時その兵糧丸の名前を『ひきおこし』といっていた。ところが、いつの頃からか『ひきおこし』の『ひき』が取れてしまって『おこし』という言葉だけが残るようになった」

「大阪名物の『おこし』がそれである(略)そう思って見ると、この『おこし』は、粟を炒ったり、米を炒ったりして、それを飴で圧搾して固めたもので、明らかに携帯口糧の風格を備えている」

…とのこと

温故知新という言葉がありますが、将来もしかしたら自衛隊の戦闘糧食にも、「高野豆腐」や「おこし」利点が生かされた新型ビスケットかクラッカーが、採用されるようなこともあり得るかもしれませんですね…w

無題
Name名無し 24/04/29(月)12:06:35 No.557819
逆に軍用ビスケットをルーツとする菓子として英国に「ガリバルディ」というのがありまして
1840年代に始まるイタリア統一戦争にジュゼッペ・ガリバルディ(ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッツィ級軽巡洋艦の2番艦として御存知の方も多いかと)のもとで従軍した英国人傭兵が、サルディニア軍で支給されていた干し葡萄入り固パンを英国に持ち帰り、かつての上官の名を冠して商品化したものとも、ジュゼッペ・ガリバルディがイギリスを訪れたことを記念して作られたともされるものなんですが、製法としては2枚の固パン種の間にレーズンを挟みこんで押し伸ばし、焼く、というもの。
>このお菓子のガリバルディに出会った東ハトがその製法をベースに開発した商品が、東ハトオールレーズンである。
んだそうで、お茶請けにこれを摘まみつつイタリア統一戦争をしのぶのもよろしいかと
引用元:https://may.2chan.net/39/res/557455.htm

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2017-05-11