無題Name名無し24/02/09(金)10:59:58 No.556257

https://may.2chan.net/39/src/1707443998947.jpg
本日2月9日はお肉の日らしいですわよ皆様
というわけで軍隊と食肉のあれこれのスレ
軍隊調理法
糧友会
発掘刊行館
2017-09-15


無題Name名無し 24/02/09(金)11:01:58 No.556258
https://may.2chan.net/39/src/1707444118204.jpg
入隊すれば肉が食べられるぞっ!
(※毎日とは言っていない

無題
Name名無し 24/02/09(金)15:29:13 No.556265
のらくろ
図書館で読んだ
最後は軍隊をやめて中国大陸奥地に探検にいって消えてしまった

無題
Name名無し 24/02/09(金)19:24:18 No.556275
>最後は軍隊をやめて中国大陸奥地に探検にいって消えてしまった
消えてないですよ~、金脈を掘り当てて国に貢献。その後予備役として再招集されてます。

無題
Name名無し 24/02/09(金)21:14:07 No.556277
最後は喫茶店やってるんじゃなかったか?
スピンオフアニメの設定は知らんけど。

無題
Name名無し 24/02/09(金)15:30:30 No.556266
牛肉の缶詰の話と
夜間訓練の話は覚えてる、投光器と音響探知機が時代を感じてよかった

無題
Name名無し 24/02/09(金)16:26:32 No.556269
貧乏な家庭の子でも軍隊に入ると
牛肉の大和煮缶やコンビーフが(たまに
支給される。しかし米は麦入り

無題
Name名無し 24/02/09(金)19:09:51 No.556271
1707473391467

落語家の春風亭柳昇さんの手記に、IJAの兵隊さんだった時分、「軍用犬掛りになれ」と命令を受けて、1ヶ月半ばかり訓練を受けた時の話が出てくるんですが、柳昇師匠曰く

「犬の食事は1日に2回、それも必ず肉が無いといけないと、炊事場から毎日軍用犬用の肉をもらって、雑炊のように作って与えた。
『犬の飼料としては約1割の脂肪が入っているのが最もよいといわれているンだ(略)肉が少ないと犬はすぐハァハァいい出すんだから困る』
適当なことをいうと、何も知らない炊事班長は、霜降り肉は無理としても、1割くらいの脂肪付きの肉をくれるようになったので、半分は私がちょうだいした」
「一般兵隊には、肉なぞぜいたくの時であったが、私だけは別であった。まさにお犬さまである」

無題
Name名無し 24/02/09(金)19:11:31 No.556272
1707473491234

…と、相棒のお世話ににかこつけて要領よくやっておられたそうなんですが、それでもとうとうある日

「だが悪いことは出来ないものだ。悪事露見をしてしまった。
『お前よけいに要求したんだろう』
炊事班長は、こちらの返答次第では怒鳴ろうという構えできいてきた」

…んだそうで、しどろもどろになりつつなんとか切り抜けようとカンカンの炊事班長さん相手に弁解を続けたそうなんですが、そばに控えてそのやりとりをジーッと見ていた担当の軍犬「寒朝号」、どうも問い詰められる師匠が危害を加えられているとみたものか、あるいは会話のやりとりの中で「掛れッ」の号令が出たと聞き違えたものか、ふとした弾みにいきなり炊事班長に飛びかかってしまったんですとか

無題
Name名無し 24/02/09(金)19:16:58 No.556273
1707473818396

幸い、おどろいた炊事班長がはずみで後ろに尻もちをついた形になり、また師匠が直ちに静止の号令を掛けたため大事には至らなかったそうなんですが、すっかり度肝を抜かれた気の毒な炊事班長さんは
『この犬は秋本(※師匠)に忠実なのであります。訓練所で、秋本のためなら、生命を捨てる訓練をみっちり仕込まれてきております。申しわけありませんでしたァ!』
…という弁解を聞くと、蒼くなって帰っていかれたそうです

因みにその翌日からは、肉は減るものと思っていたところ、逆に多少量が増えたそうなんですがw
「寒朝号」からしたら、半分はピンハネされていたとはいえ、いつも脂の乗った美味しいお肉を調達してきてくれるご主人のピンチ、普段の恩義に酬いるぞ!なんて気持があったりしたのかも知れないですねえ…?

無題
Name名無し 24/02/10(土)20:15:26 No.556301
1707563726122

>犬の飼料としては約1割の脂肪が入っているのが最もよいと

食餌内容については軍犬兵教育で指導されていたため、秋本氏はその知識を活かしたのかもしれないですね
コスト面から残飯や臓物の利用が勧められていたものの、外地や満州国ではモツも人間が食べてしまうし、残飯に香辛料が混入していたりで難儀したとか

無題
Name名無し 24/02/10(土)14:39:43 No.556298
落語家さんだから面白おかしく話しているんだろうけど面白いかこれ

無題
Name名無し 24/02/10(土)16:59:18 No.556299
>面白いかこれ
俺は好きだよ。与太郎戦記でググれ

無題
Name名無し 24/02/10(土)01:16:40 No.556284
のらくろの世界は敵国として豚人とかも出てくるけど普通に
牛缶食べてるんだよね
果たしてどんな牛さんのお肉なんですかね・・・

無題
Name名無し 24/02/10(土)07:03:10 No.556287
のらくろって今どこで読める?
著作権はとっくに切れてるだろうから、ネットのどこかに転がってたりしないかな

無題
Name名無し 24/02/14(水)18:05:37 No.556432
https://may.2chan.net/39/src/1707901537609.jpg
>著作権はとっくに切れてるだろうから、ネットのどこかに転がってたりしないかな


自己レスだがよく調べてみると、のらくろの著作権って2037年まで有効らしいね
そりゃネットを漁っても転がってないわけだわ

というわけで電子書籍版を買ってみた
現代人の視点で見ても十分面白いなこれ

無題
Name名無し 24/02/10(土)08:34:56 No.556288
https://may.2chan.net/39/src/1707521696080.jpg
「天皇の料理番」秋山篤蔵シェフは福井の料理屋の次男で
あるとき鯖江の歩兵三十六連隊の将校集会所でカツレツを食べ
その味に感動して西洋料理の道を志したとか

無題
Name名無し 24/02/10(土)08:46:18 No.556289
https://may.2chan.net/39/src/1707522378229.jpg
実家が連隊の賄いに仕出し業者として入っていた伝手で食べさせてもらえたようですが
1988(明治21)年生まれの篤蔵少年はのちに高等小学校卒業を待って16歳で上京しますから
時期的には日露戦争の終戦(1905年)直後くらいと思われます
その頃でも裕福な料理屋の息子がカツレツを知らなかったわけで
東京など大都市はともかく福井あたりの地方で西洋料理に触れられるのは
軍隊くらいしかなかった状況がうかがえます

無題
Name名無し 24/02/10(土)10:46:52 No.556292
日本軍の食事メニューを見るとお肉が出る場合は牛肉が多い気がするなぁ
現在の日本だと(というかアジア全般?)
鳥と豚のほうが摂取量が多い気がするけど当時と今だと畜産業とかまったく違うんだろうなぁ

無題
Name名無し 24/02/10(土)11:57:49 No.556294
1707533869765

間宮の資料を見ても畜肉は牛が基準になってる感じするね
ローストビーフを有難がるイギリス文化のと豚より労働力として牛が普及してた日本の文化がマッチしたんかな

無題
Name名無し 24/02/10(土)20:06:19 No.556300
>No.556292
まさかとは思うが当時は貧農出身者が多かったから一つの餌として牛肉を主体にしたのでは?と思うが、
実は牛は飼料である穀物の消費量が1頭当たり豚や鳥に比べ非常に多く、その飼料を生産するための土地のへの負担が大きく、豪州や米などの広大な農場が無ければ成立しない代物なので、
当然、元々貧乏で貧弱な小作農でしか支えられていない農業規模の旧大日本帝国では牛肉の大量生産なんて夢の中の夢であり、
平時でそれなのに戦時下では当然前線に豊富に供給なんて事は不可能で無理な話であり精々米しか送れなかったのは当然、もっとも豚や鳥に変えてもさほども変化しなかったであろう事も想像できる。
旧陸海軍ももうちょっと戦時の補給のあり方を真剣に考えておくべきだったと思う。

無題
Name名無し 24/02/10(土)12:14:07 No.556295
ちなみに現代のイギリスでは高品質なWagyu(和牛)を独自ブランドとして確立する動きがあるようで
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2020/e85e372f946d3c2e.html
ジェトロの記事だから日本の産業やブランドを脅かす競合として警戒してるけどカツカレーの逆輸入現象みたいで面白くもある

無題
Name名無し 24/02/10(土)21:29:45 No.556303
1707568185754

食文化研究家の小菅桂子さんの著書によると、明治初年の東京府下における1日の屠牛は1頭半から2頭といった程度だったのが、明治8年になると肉食の最も盛んな神戸で1ヶ月に800頭、次いで横浜が600頭、東京が500頭、大阪・名古屋が300頭と顕著に消費量が増大しているそうです
うむ、神戸ビーフの伝統はこの頃から始まっていたわけですね!

そしてこうした消費量の増大の一因となったのはやはり軍需からの需要で、例えば明治19年には陸軍省より「兵隊一同へ牛乳食料為致度との御評議」が出て、調達委託を受けた大倉喜八郎さんが牧場経営に乗り出していた渋沢栄一さんなどに牛肉供給可能量などを問い合わせているそうなんですが、この時には年間200~300頭程度の肉牛納入を希望していたとのこと

無題
Name名無し 24/02/10(土)21:37:19 No.556304
1707568639222

一方、豚肉の方は琉球や鹿児島などで明治以前より食用とする文化があったとはいえ、小菅氏曰く
「明治期における本土では30年を過ぎるころまで統計資料もなく」
…というマイナーな存在であったんだそうですが、逆にその豚肉が脚光を浴びるようになったのもまた牛肉の軍需増大の故であったんだそうでして、

「日清日露戦争が起って牛肉の罐詰が軍事食糧として盛んに戦地に送られるようになると肉牛の相場が暴騰して、37年に十貫目(約38キロ)14、5円であった牛肉が翌春には25、6円という極端な高値を示してくる。加えて罐詰用として屠畜していた肉牛の数も、それまでは1日に40頭ぐらいであったのが、この戦争によって1日に500頭を上回るようになる」

無題
Name名無し 24/02/10(土)21:43:06 No.556305
1707568986434

「さらにロシア軍の捕虜も6万人を数えるようになるとこのための需要も大きく(略)さらに1日に500頭の生肉が必要となり、1年にすると35、6万頭の牛を屠畜しなくてはならない」
「牛肉が値上がりしてくれば安い豚肉に目を向けるのが人間のチエ、豚の飼育頭数は急増してくる。明治38年まで20万頭あまりであった豚は翌39年には28万5千頭になり、40年になると32万頭と急激に増えてくる」
…んですとか

それまで牛肉が一般的だった洋食屋の「カツレツ」に、豚肉を用いるようになり始めたのもこの影響だったりするそうなんですがw
それでも明治39年の東京市民の豚肉消費量は、1人の1日あたりにすると僅か3.75グラムに過ぎなかったそうです

とはいえ、今日のように広く普及した近代日本の豚肉食のルーツは、この時代に始まった…ということなんでしょかね

無題
Name名無し 24/02/11(日)10:44:44 No.556331
日露戦争の時は牛缶用の牛肉が国産だけじゃ足りないってんで、アメリカに醤油を送って製造してもらったんだってね
製品を買うより高くついただろうけど、やっぱりコンビーフとかでなく
大和煮でないと駄目だったんだろうなあ

無題
Name名無し 24/02/11(日)11:25:46 No.556335
>製品を買うより高くついただろうけど、やっぱりコンビーフとかでなく
>大和煮でないと駄目だったんだろうなあ
初期には輸入コンビーフも使ったけど
「飯のオカズ」にどうにも不向き、と言う実に日本的な理由で不評だったと聞く

無題
Name名無し 24/02/11(日)12:56:14 No.556336
>初期には輸入コンビーフも使ったけど
>「飯のオカズ」にどうにも不向き、と言う実に日本的な理由で不評だったと聞く

コンビーフは割とご飯に合うと思うんだけど、当時のコンビーフは合わなかったのか、それとも日本人の舌が慣れてなかったのかな・・・。

無題
Name名無し 24/02/11(日)13:05:43 No.556337
日本製なら日本人の味覚に合わせてるはずでおすし
海外の缶詰とか時々すげえ味のあるますし

無題
Name名無し 24/02/11(日)10:48:33 No.556333
江戸時代のころのでも豚というか猪も山クジラと言って食ってたけど量なんて微々たるものだったろうな

無題
Name名無し 24/02/11(日)11:21:16 No.556334
>江戸時代のころのでも豚というか猪も山クジラと言って食ってたけど量なんて微々たるものだったろうな
魚と違って保存方法が確立してなかったので、流通に全く乗らなかったからその場で処分(食べる)しかなかったのでしょう
まあ冷蔵保存技術もないのに魚をあれだけ流通させていたのは逆にすごいところですが

無題
Name名無し 24/02/11(日)19:19:59 No.556346
>まあ冷蔵保存技術もないのに魚をあれだけ流通させていたのは逆にすごいところですが
干したり塩蔵したりしやすいし獣肉と違って宗教的な面倒も無いし…
逆に軍隊的な栄養面だと魚介だけじゃタンパク源として物足りなかったのかなぁ…

無題
Name名無し 24/02/11(日)22:37:38 No.556359
>逆に軍隊的な栄養面だと魚介だけじゃタンパク源として物足りなかったのかなぁ…
単純な栄養面より生きたまま連れ回せたり何頭か捌けば一度にン百kgの肉が得られるとかの兵站面のメリットがでかそう

無題
Name名無し 24/02/11(日)13:11:43 No.556338
昔々その昔、日本にデ〇ーズが入ってきた頃当時の〇ニーズはアメリカ本国のメニューと同じものが出されてて、その中にラム肉のステーキがあったんだけど、今から40年くらい前の日本人は臭気が気になるのか一口食べて食べ残すのがざらだった
でも今はラム肉どころかパクチーやら花山椒やら平気で食べてるのを見ると味覚は変わるんだなという感慨が

食べ残したラム肉はうちの犬用に持ち帰らせていただきましたw

無題
Name名無し 24/02/11(日)13:36:56 No.556339
団塊ジュニアの貧乏人は黒いマトン焼肉缶で育った筈だからな。
慣れたんだろ。

無題
Name名無し 24/02/11(日)14:00:36 No.556340
>団塊ジュニアの貧乏人は黒いマトン焼肉缶で育った筈だからな。
我々の頃は黒缶は鯨肉だったんだけどね
羊肉になった頃はニュージーランドの誇るオールブラックスをCMに起用して
「栄光の黒」という惹句で売り出してたな

無題
Name名無し 24/02/11(日)14:10:24 No.556341
ほんとたかだか四半世紀で味覚変わるんだなと
当時から私は臭いものというか味の強いものが好きでラムマトンはもちろんダークラム(もちろん英国海軍御用達のやつ)やらエールやらを好んで飲んでましたが、ある日会社の同僚とビアガーデンに行ったとき珍しく黒ビールがありまして早速注文して飲んでました
それを見た同僚の女の子がちょっと飲ませてくれというので飲ませたら感想が「正露丸みたい」少々ショックを受けました
でも今や黒ビールなんざありふれたメニューですからね

日記みたいになり失礼しました

無題
Name名無し 24/02/11(日)19:42:42 No.556349
https://may.2chan.net/39/src/1707648162232.jpg
兵庫県相生市に感状山城と言う中世の山城の遺構が残されているんですが、昭和60年に行なわれた三曲輪発掘調査の際、平均で胴径80センチ、器高52センチ、容量2石(約360リットル)という備前焼の大甕9個が埋設される遺構が発見されているそうです

この大甕内に付着していた物資の化学分析の結果、大甕内に保存されていたのはイノシシの塩蔵肉であったことが判明したそうなんですが、9個で最大3240リットル容量分という大量の塩漬けイノシシ肉、城内に詰めていた将兵さん達の日常或いは戦時の兵糧であったんでしょうけれども、果してどんな風に調理して召し上がっておられたんですかしら…

無題
Name名無し 24/02/11(日)19:46:10 No.556351
1707648370799

余談ですが時代は下って昭和の時代、中国大陸で輜重兵として従軍されておられた浦直人さんと言う方の回想記に、現地で300キロと言う大物の黒豚を手に入れたときの話が出てくるんですが、なにせ日頃のおかずと言えば乾燥わかめいりの乾燥味噌汁がせいぜい、
「生のブタ肉などというヤツには、内地を出て以来、お目にかかっていない。分厚いトンカツやブタ汁の味なども忘れてしまったくらい」
…であったところでみな大喜び、早速元肉屋の店員さんだった兵隊さんを中心にゴボウ剣で解体を開始、

「『これはトンカツ用』『ここは煮付け用』『これは素うで(※茹で)用』と、それぞれに適した一番よいところをまず選り分ける」
「腸も適当な長さに切り、中の臓物(※ママ)を取り除いた。これは『ヤキトリ用』なのだそうである」

無題
Name名無し 24/02/11(日)19:47:08 No.556352
1707648428733

「スープをつくるのに必要な骨もチャンと選り分けたり、ラード用にする脂身もぬかりなく用意しているところなどは、さすがに商売人らしい」

…と手際よく捌いて、その晩は各種豚肉料理が食べ放題の大盤振る舞いとなり、久しぶりの満腹感に「夢心地」のまま眠りについたそうです

また班員15名ばかりでは流石に食べきれる量でないため、再び元肉屋の兵隊さんが
「お前は肉屋なんだから売ってこい」
…ということで、助手役の古兵さんと共に他部隊に物々交換の交渉に回ったそうなんですが、こちらも、

「チャンチュウ(中国酒)あり、タバコあり、カンメンポウあり、牛肉の罐詰あり(略)みんな欲しいものばかりである。なかでも『圧巻』だったのは。1羽の生きた鶏だった」

無題
Name名無し 24/02/11(日)19:48:49 No.556353
1707648529026

…という、なかなかの大戦果であったとのこと

因みに、そうして交換で得たカンメンポウをサイダー瓶で細かく砕き、即製のパン粉にして「トンカツ」を作ったそうなんですが、揚げ油はラードがあるにしても、小麦粉や溶き卵も用意できたのかはちょっと気になる所ではあります

パン粉代わりの乾パンもちょっとゴマの風味がありますし、「トンカツ」というより「変わり揚げ」みたいになりそうな気もしますが、旧IJA風野戦調理式トンカツ、腕に覚えのある方は御家庭で再現に挑戦してみてはいかがでしょうか…w

無題
Name名無し 24/02/11(日)21:22:31 No.556356
>「腸も適当な長さに切り、中の臓物(※ママ)を取り除いた。これは『ヤキト>リ用』なのだそうである」
これがドイツ人あたりなら血と雑肉を腸に詰めてソーセージなんかも作ったところでしょうかな
中国人も血は無駄にせず米に染み込ませて料理したりしますが
沖縄以外の日本では血はなかなか料理に使いませんな
スッポンや鯉の生血はどちらかというと薬用の意味が強そうだし

無題
Name名無し 24/02/12(月)09:03:36 No.556362
中国だったらめっちゃ豚食うんだから結構豚肉手に入りそうなもんだけど貴重だったってことは一般庶民が日常に食べれるものではなかったってことかなぁ
アメリカ兵がスパムばっかり食わされてうんざりしてたのに
ソ連兵はそのスパムの大量支給に喜んだってことだから
やっぱ兵士にお肉をしっかり食わせられたアメリカはお金持ちってことか

無題
Name名無し 24/02/12(月)15:42:28 No.556369
アメリカも1920年代後半から30年代にかけての大恐慌の影響で、少なからぬ人口が貧困生活を経験しているわけですので、例えば開戦前に米国徴兵委員会委員長のルイス・B・ハーシー=サンなどは、召集兵の5人に2人は、栄養不良による健康障害から軍務には不適格であると警告を発しており、また公衆衛生局長官だったトーマス・パラン=サンも、貧弱な食事に起因する健康の悪化は、軍事力のみならず、工業生産をも減速させ、数百万人の士気を損なうだろう、と危惧していたそうです

召集兵、特に歩兵の中には「不況下の落伍者、スラムの若者、アパラチア山脈や深南部など貧しい片田舎の少年たち」が相当な割合を占めていたそうなんですが、そこで戦中米軍上層部では士気、または戦闘力の強化・維持という観点からも、努めて栄養豊富な食事の供給を目指したんだそうで

米軍兵士に支給される食肉の量は年間約106キロで、これは民間人の約63キロ(※これも当時の世界の他国からしたらエライ高い水準ですが)の倍近く、他にも一人半パイントの牛乳や豊富な野菜類が、民間の配給量を犠牲にしても確保されたんですとか

無題
Name名無し 24/02/12(月)15:44:02 No.556370
1707720242885

こうして前線で戦うアメリカン・ボーイズにステーキやハンバーグを提供するために、米国国内だけで1941年から45年までに、およそ2900万頭の牛さん達が祖国に命を捧げているそうなんですが、これらのお肉を前線の将兵さんに届ける過程で大いに役立ったのが、当時開発が進んでいた冷凍食品技術であったそうです
もっとも、冷凍牛肉自体は1918年、WW1でヨーロッパで戦う米軍向け糧食として採用されていて、骨や脂肪、軟骨などを取り除いて25%ほど軽くなった牛の4分体を長方形に整形して冷凍し、麻布とパラフィン紙で放送して100ポンド(約45キロ)詰めとした「箱詰牛肉」は、列車や船舶での輸送時に、搭載スペースを従来より6割ほど削減できるとして歓迎され、WW1中に消費されたおよそ20万トンの牛肉の内、8%ほどを占めていたとのこと

しかしながらこの時代の「箱詰牛肉」は、あらゆる箇所がまとめて冷凍されていた為、解凍・分配時の不満が生じ(「なんであいつはステーキなのに、俺はハンバーグなんだ!」)
またゆっくり時間をかけて冷凍された肉は暗褐色に変色して、とても食欲をそそるシロモノではなかったんだそうで

無題
Name名無し 24/02/12(月)15:45:44 No.556371
それでも戦後も地道に改良の努力が、民間の食肉会社や冷凍食品会社の協力を得て進められていたそうで、1938年に海軍獣医部のジェシー・ホワイト=サンが新たに開発した冷凍牛肉は、骨抜き技術の改良で可食部の採取量が増大した他、分離した可食部もローストおよびステーキ用の肉(40%)、スープおよびシチュー用の塊肉(30%)、挽肉用の肉(30%)と別々に包装されるようになり、急速冷凍法の採用によって、見た目も食感も従前よりグッと改良されていたとのこと

この冷凍肉が、国内および世界各地で戦う米陸海軍の将兵さん達に戦中提供されたわけなんですが、米海軍などでは冷凍糧食供給用の給糧艦(多くが民間の冷凍貨物船を買収して改装したもの)は牛肉を多く冷凍貯蔵していたことから、「ビーフ・ボート」なる愛称で親しまれていたそうです

これらのフネが供給した冷凍箱詰牛肉の支給の様子について、例えば大西洋にUボート・ハンティングに派遣された護衛空母「ボーグ」の例を見てみると、

無題
Name名無し 24/02/12(月)15:46:59 No.556372
1707720419398

「格納庫の下には兵員食堂が設けられており、下士官兵たちはここのキャフェテリアで行列をつくって食事を受けとった。各人は仕切りの付いたトレイにハンバーグ・ステーキ、フレンチ・フライ、いんげん豆、アイスクリーム添えのアップルパイを盛り付け、コーヒーかココアが支給された」

「艦内には食糧庫と冷凍庫が設置されており、成長期の若い水兵に十分な給食を行っても、まだ余裕が生じるほどの食糧が貯蔵されており、その中にはサーロイン・ステーキ用の肉まで含まれていた」

「主計長はこれまでの海軍で行われたいた方式──あばら肉を大きな塊のまま搭載し、必要に応じてカットする方式──をやめようとはしなかったが、今や、ステーキ用の肉、チョップ用の肉、ヴィール・カツレツ用の肉はすべて一定のサイズにカットされており、主計兵は単にこれらの肉が入っている箱を開き解凍するだけの作業になっ」

…ていたそうです

無題
Name名無し 24/02/12(月)15:51:13 No.556373
因みに戦中、アメリカ軍では新規に同様の給糧艦を30隻ほど追加建造りしているそうなんですが(棒)
コンパクトかつ合理的な「箱詰牛肉」は、主計兵さん達の手間を省くというだけでなく、輸送時の収容スペースの減少は、Uボートの跳梁する海面を運行する輸送船の便数を減らしリスク回避につながり、浮いた輸送能力の他用途への振り向け、護衛部隊への負担減なども含めれば、兵站、若しくは戦争遂行上の価値は非常に大きなものであったそうです

他にも、食堂の生ごみが減り、基地の環境が清潔になったなんてメリットも生じたそうなんですが、戦前の40万人から、最大1千200万人近くにまで膨れ上がった米軍の将兵さん達が、(例外はあるとはいえ)世界各地でおニクに不自由しなかった理由の一つは、こうした冷凍食肉の大規模な採用であった…というお話になるみたいですなあ

無題
Name名無し 24/02/13(火)02:37:07 No.556387
糧食のスレは面白いな

無題
Name名無し 24/02/13(火)13:30:27 No.556393
動物性たんぱく質は体格に影響がもろに出るからねえ・・・
日本が軍隊の糧食に獣肉を取り入れるのに積極的だったのも、
兵士の体質というか体格向上の意図もあったはず

無題
Name名無し 24/02/13(火)14:48:43 No.556395
近代の帆船時代の海軍で、蛆のわいたビスケットに塩抜きも十分でない塩漬けの肉…なんてのがひどい食事の典型みたいによく言われますけれども、実際には都市の貧民層からしたらまだ魅力的な(少なくとも量は)内容だったみたいですね
ただビタミンの概念がまだない時代ですから、仮におなか一杯食べられても、壊血病で亡くなる方も多く出てしまったわけですが…

無題
Name名無し 24/02/13(火)17:27:06 No.556397
ベレンコの亡命理由の一つが食事が悪く肉もほとんど食わしてくれないというものだったんだよね
親子丼なんて庶民的な料理に感動し、その辺の店から出前した食事ですら
「俺のために作ってくれた特別料理かこれ?」
と驚いてたくらいだからな
体が資本の軍人さんにタンパク質食材を十分な量を支給するのは贅沢でなくて必須なんでしょうね
そりゃ欧米人と比べて小さい日本軍がなんとか庶民より肉を食わそうとするわな

無題
Name名無し 24/02/13(火)18:18:38 No.556398
https://may.2chan.net/39/src/1707815918074.jpg
基地の向かいにあるごく普通のレストランの料理に感動するベレンコ……

まぁ現代日本でも、大勢のインバウンド観光客が来日してごく普通のレストランで舌鼓を打ってるように、日本のレストランは軒並みレベルが高い方なのかもしれないが

無題
Name名無し 24/02/13(火)19:27:37 No.556399
近くの店から出前した料理って何だったんだろうな
わかるわけねぇけどw
前に再現ビデオがテレビでやってたけどハンバーグセットだったなぁ
最初親子丼なんて謎チョイスだったわけだけど美味いと気に入ってたんだから結果オーライなのかな

無題
Name名無し 24/02/13(火)22:39:35 No.556405
昔は牛乳と並んで飛行機乗りの特権のイメージがある卵だが現在のロシアも経済制裁で鶏の飼料が手に入らなくなり卵が高騰してるとか
日本でもインフレやら鳥インフルやらで高くなってるがその日本と変わらぬ1パック250円くらい
ロシアの平均月収は日本円で7~8万円だから感覚的には1パック1000円とかか
当然鶏肉も入手困難になるはずだから親子丼は現代のロシア人にも高級料理だな

無題
Name名無し 24/02/14(水)20:57:15 No.556445
W2中、米国防総省は誇らしげに
「軍が牛肉の加工技術を進歩させたおかげで、現在世界中に展開している陸軍はどこへ行ってもほぼ確実に牛肉を食べられるようになった。陸軍は骨なし牛肉──生の牛肉を冷凍して梱包してあるので、調理や給仕の際に間違いが起こりえない──をこれ以上の実験がもはや必要のない段階までもってきた。これからは民間でも利用できる」
…なんて誇らしげにコメントを発表していたりするそうなんですが、WW2終結後、数々の紆余曲折はあったものの、実際米国内の民間食肉業界では戦中に発達した技術のフィードバックにより、従来の骨付き枝肉主体から、既に出荷時点で部位や等級で区分され梱包された箱詰精肉の製造・流通のノウハウを確立するに至っているんだそうで

そして米各軍と取引のあった大手精肉業者の方々は、当然のこととして、莫大な資金のある軍としては、国家の為に身命をささげる兵士たちの為に、最高の部位のみを選んで購入するはず…!と、数百万キロに及ぶであろうステーキ肉や骨付きリブロースの納入最低価格については、アメリカ食肉協会が交渉に応じますよ!と提案したんですとか

無題
Name名無し 24/02/14(水)20:58:48 No.556447
ところが米軍側からの反応は期待を裏切るというか、
「折角好きな部位の肉を選んで買えるようになったんだから…手に入る最も安い肉でいいじゃあないか…!(ニチャア)」
…というものであったそうで、さしあたりくず肉を活用して、肉への軍の支出を6割削減する…なんて目標が定められたそうです
研究は具体的には、従来のモノよりより「本物」に近い加工肉の製造法の開発を目指して進められたそうなんですが、軍のネイティック研究所のみならず、民間の大学や企業の協力も得て進められた作業は容易とは言えず、10年間ほど様々な試行錯誤が試みられたそうなんですが、肉片同士をつなぎあわせる「肉の接着剤」の開発、塩に少量のリン酸塩を加えて肉分子の保水性を高める手法の発見などが徐々に実を結び積み重なっていき、1960年代から70年代にかけて、ようやくプロジェクトは具体的な成果を生み出し始めたとのこと
1966年にネイティックの食品技術者さんらは、「柔軟なパウチに入れて熱安定化した肉製品の一つとして、きわめて受容性の高い『ビーフステーキ』を開発した」と報告しているそうなんですが、

無題
Name名無し 24/02/14(水)20:59:45 No.556448
「このステーキをつくる特許取得済みの工程は以下のとおり。くず肉に少量の塩を加え、熱凝固性タンパク質で表面全体が覆われるように処理し、型かケーシングに詰めて、タンパク質が固まるのに十分な温度まで加熱し、最後に盛りつけに適したサイズでカットする。この工程はおそらく豚肉、仔牛肉、鳥肉にも応用できる」

…と言う報告を受けた軍人物資配給諮問委員会の肉製品小委員会はこの結果におおいに喜び
「成形肉の将来はきわめて有望なので、この分野の研究を継続すべきである」
…と評価、1970年代初頭にはプロジェクトは試験生産を外部に委託できるまでに進み、機械で成型したグリルステーキ、スイスステーキ、ミニッツステーキ、ブレックファーストステーキなどの生産が始まり、1976年からは陸軍の食堂で成形肉を使用したカツレツやラムチョップ、ポークチョップ、ビーフステーキなどが提供されるようになっていったんだそうで

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Name名無し 24/02/14(水)21:00:43 No.556449
日本でも、ラミネートパックの米軍MREレーションを試食してみた方が、

「ビーフステーキと思って開けたら何か得体の知れないハムみたいなのが出てきた…」
「チキングレービーと言うけれど、これ一体どこの部位の肉なの…?」

…などと困惑されている体験をネット上にアップされておられたりすることがありますが、恐らくこれもオニクにかかるコストを安く上げたい!という米軍の執念が生み出した、長年の苦心の結晶だった…ということなんでしょかね(棒)

因みに、この進歩した成形肉技術もやはり民間製品にフィードバックされたそうで、ネイティック研究所の食品技術者だったジョン・シークレスト=サンと言う方によると

「軍製品評価委員会から、ステーキとかチョップとかその手のものの価格はどうしたら下げられるのかと尋ねられた(略)そこで、フレーク製造機を使った業務の拡大を狙っていた(略)オハイオ州の会社と組んで(略)プロジェクトに着手した」

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Name名無し 24/02/14(水)21:01:26 No.556450
https://may.2chan.net/39/src/1707912086948.jpg
「どんな肉にでも似せることができた──ポークチョップでもラムチョップでも。殆どの精肉業者が無償で試験生産をやってくれた。というのは、軍を満足させられれば、最初にそれを成し遂げた会社として、同業他社から抜きん出ることができるからね」

「デ(※自粛)ーズはわれわれのつくった成型ビーフステーキを店舗で使い始めた。今でも使っている(※米国内の店舗の意でしょうね)」

…とのこと

また余談ですが、今の若い方々はもしかしたらご存じないかも知れないのですが、昔某マクド●ルドにあったマ●クリブと言う、八ンバーガーより細長いパンにやはり細長く大き目の豚肉のパテを挟んで甘辛いBBQソースで味付けしたメニューも、やはりこの成型肉の技術開発から生まれたのでは…とする説も有るそうです

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Name名無し 24/02/14(水)21:03:28 No.556451
米本土では1981年から販売が開始された●ックリブ、産みの親と自称する人物も何人かいて実のところ発祥の経緯ははっきりしなかったりするそうなんですが(軍と完全に無関係とする説もあり)、「マックリ●の父」の一人である著名な食品科学者のロジャー・マンディゴ博士はこの件について

「文献や技術移転を通じて、ネイティックの影響を受けたのは確かだ。政府の生み出した知的財産は特許で押さえられていないので、誰でも使える。技術会議で資料も発表されていた(略)ただし私はちょっと変更を加えた。軍は自分たちのところで開発した製法を私達に使わせてくれたのだ」

…などと語られているんだそうで

マッ●リブとMREが兄弟みたいな存在だったというのもちょっと面白い話ですがw
或いは今私らが普通に口にしている他の食品の中にも、この時の技術開発の流れを汲むものがあったりするのかも知れませんですねえ…

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Name名無し 24/02/15(木)02:24:04 No.556464
業務用スーパーのサイコロステーキ用の肉とかもそうなんじゃろか・・・

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Name名無し 24/02/15(木)11:11:58 No.556466
コンビーフなんかも、それまで捨てるしかなかった余ったくず肉を活用して安く製造できる手法を採用したおかげで、
軍隊から家庭まで手軽に買える保存肉として大々的に広がったらしいですね
兵隊の立場からしたら、やはり生の肉が食べたいというのが本音ではあるんでしょうけれども…

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Name名無し 24/02/15(木)18:48:33 No.556475
>コンビーフなんかも、それまで捨てるしかなかった余ったくず肉を活用して安く製造できる手法を採用したおかげで、
どうでもいいけど、コンビーフとかランチョンミートって、本州じゃ結構高い缶詰だな
ノザキコンビーフは容器リニューアルしたときに量減ったし

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Name名無し 24/02/15(木)19:01:50 No.556478
https://may.2chan.net/39/src/1707991310549.jpg
>どうでもいいけど、コンビーフとかランチョンミートって、本州じゃ結構高い缶詰だな

>ノザキコンビーフは容器リニューアルしたときに量減ったし
牛肉輸入自由化前の日本では肉自体が高かったから
相対的にコンビーフがお手頃だったんだな
今じゃ80グラムのコンビーフ缶が輸入アンガスのステーキ肉一枚より高い

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Name名無し 24/02/15(木)12:07:23 No.556467
軍隊において獣肉の供給を熱心に行ってたのは軍装品に必需品である革の生産のためでもあるだろうな
畜産がしょぼい日本だと革もめちゃくちゃ不足しただろうなぁ

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Name名無し 24/02/15(木)20:29:20 No.556479
1707996560439

>畜産がしょぼい日本だと革もめちゃくちゃ不足しただろうなぁ

根強い仏教的殺生観から皮革業界の発展が日露戦争まで遅れたあげく
日中戦争では皮革の最大輸出元だった中国と戦争になるしで
舶来(輸入革)不足に危機感を抱いた商工省は、昭和13年から戦時皮革統制をはじめるワケです
翌年の規則改正では三味線皮(犬革)や豚皮(食用)も統制対象となりました
※羊毛のみは日本羊革統制株式会社による配給となっています

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Name名無し 24/02/15(木)12:14:10 No.556468
鎧とか刀に使われるから牛皮の生産自体はやってたのよな
ただ近代国家の軍隊になると必要量が桁違いになるんだろうし・・・

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Name名無し 24/02/15(木)18:26:30 No.556473
近江彦根藩主の井伊家は徳川家中で陣太鼓製造を担当していたことから
言わば「軍需産業」という大義名分で若牛の屠畜が定常的に行われていた
使役された老牛より若牛の肉が軟らかくて美味なことは言うまでもなく
建前上「副産物」である近江牛肉の味噌漬けは将軍家・御三家などに献上される名物となり
元禄期の人物である大石内蔵助なども好物としていた記録がある

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Name名無し 24/02/15(木)18:33:16 No.556474
定量的な根拠のない話ながら
19世紀まで南米諸国は牛革を輸出して肉は棄てていた
第一次大戦でのコンビーフ缶の需要激増さらには冷凍設備を有する船舶の普及で肉も輸出品に

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Name名無し 24/02/15(木)18:57:04 No.556476
1707991024083

上で出ている給糧艦間宮も就役当初は活牛47頭分として、19,010立方フィート (538 m3)
の牛舎と屠畜設備を持っていたものの実際には野菜庫として使用していて
生きた牛を船で運ぶのはあまり実用的ではなかった模様ですな
いわゆるバルチック艦隊のロジェストヴィンスキー航海でも
乗せていた雌牛は乳を出さなかったそうで

画像は間宮にアイスクリームとラムネの製造機を搭載する決裁
軍務局第一課長は井上成美

無題
Name名無し 24/02/15(木)20:36:43 No.556480
https://may.2chan.net/39/src/1707997003806.jpg
老母の体験談だが
戦時中各家庭に仔兎が配られ、大きく育てて持ってくるように指示された
航空兵用被服などの毛皮用だったらしく持って行くと肉は育てた報酬としてか返してもらえた
兎肉は「おしろい臭い」ので嫌だったとのこと

無題
Name名無し 24/02/15(木)20:46:06 No.556482
>戦時中各家庭に仔兎が配られ、大きく育てて持ってくるように指示された
もともとは貧困農村の救済策として始まった養兎ですが、農林省の狩猟報国運動と共に軍用皮革調達にも貢献しました
しかし信仰心篤い地域では「ウサギの生皮を剥ぐなんて無理」と拒否反応があったため、毛を刈るだけで済むアンゴラ兎も導入されていますね

無題
Name名無し 24/02/15(木)20:37:06 No.556481
スパム缶が沖縄でよく食われるのも戦後米軍が沖縄に放出したからなんだよな
もとから中国の影響が強く豚食文化が根強い沖縄で手軽に食べれるスパム缶は重宝された
あれ美味いけど減塩タイプじゃないと塩辛すぎるよね
焼いたスパム缶に泡盛ロックとか暑い日には最高

無題
Name名無し24/02/15(木)22:16:33 No.556485
肉が大ご馳走だった戦前時代にホルモンとか全く受け入れられてなかったってのはちょっと興味深いよね
内蔵なんてそんなもん食えるかレベルだった
昔より遥かに飽食な現代でもホルモン人気なのにな
肉が貴重なくせにその副産物である内臓肉を積極的に利用しようとしてないとは貧しい割にはもったいないことしてるね

無題
Name名無し24/02/15(木)22:47:35 No.556486
まぁ江戸時代では大トロ捨ててたって言いますし
引用元:https://may.2chan.net/39/res/556257.htm

与太郎戦記 (ちくま文庫)
春風亭 柳昇
筑摩書房
2005-02-09