軽空母? いえ、いらない子ですね~小型空母という憂鬱な存在
文:烈風改
日本海軍は多数の艦隊型小型空母を運用しましたが、実際には日本海軍はこれらの空母を積極的に欲したことはありませんでした。実際の所、規模が小型なことからくるコスト的なものを除けば、空母戦において小型航空母艦には殆どメリットは無いのです。
では、なぜこれらの艦隊型小型空母…“軽空母”と俗称された艦は日本海軍で多用されたのでしょうか。
■軽空母の誕生経緯
鳳翔は、そもそも軽空母として建造された訳では無く、未知の新艦種「空母」に対する実験的な存在でした。空母として大型・小型という概念の無い中、 艦としての規模も含めて手探り段階の産物と言えるでしょう。
日本海軍が軽空母の建造を指向した契機は軍縮条約にありました。
大正12年のワシン卜ン軍縮条約で、日本海軍は米海軍が戦艦を転用した3万トン近い空母を計画していることに衝撃を受け、同様な空母を計画します。ですが条約の排水量制限もあり、米海軍と対等な数の大型空母を揃えるのは不可能でした。
そこで“やむを得ず”考えられたのが、条約制限外の一万トン以下の小型空母を多数揃えて対抗するプランで、この方針に従った第一艦が龍譲でした。
しかし、ワシントン条約に引っ掛からない艦艇を多数建造して、戦力比を埋めようとする日本海軍の目論見をアメリカやイギリスが見過ごすはずもなく、昭和5年のロンドン軍縮条約では、これらの抜け道はものの見事に塞がれてしまいます。(龍譲は条約制限枠に入れられることになってしまい貴重な排水量制限枠を小型空母で消費する羽目に陥りました)
追い詰められた日本海軍は“やむを得ず”、制限外の艦種に偽装した空母改装前提艦を整備する方向に切り替えます。異様に大きい軽巡や、やけに巨大なクレーンだらけの水上機母艦等と共に怪しい形状の潜水母艦、給油艦が「空母予備艦」として①~②計画で整備されました。
空母予備艦である大鯨は昭和8年11月、剣崎は昭和10年6月に進水しましたが、これらの艦は新技術として導入された電気溶接やディーゼル機関の採用が裏目となりました。
大鯨は溶接部の不具合で船体を何度も手直しするハメに陥り、さらに昭和10年10月の第四艦隊事件で露見した問題点のため、これらの艦は船体への補強工事が必要となってしまいます。このような状況の中、工廠が友鶴・第四艦隊事件対策に忙殺されたこともあり、進水した高崎、剣崎の工事は進捗せず昭和13年頃まで放置された状態となってしまいます。
無条約時代の到来と共に条約の制限が無くなったため、昭和13年7月頃に剣崎・高崎は、より最終状態の空母に近い状態に近づけた潜水母艦に改装されることがようやく決定し、先ず剣崎の改装が着手されます。
■苦境に立つ軽空母
しかし、そもそも条約の制限が無ければ、艦種偽装等するまでもなく必要な規模の空母建造が可能となるため、小型空母建造に拘る必要は無くなりこれら空母予備艦ベースの軽空母の意義は薄くなります。そして、この頃になると、これら空母予備艦の空母としての価値は微妙なものとなっていました。
当初はディーゼル機関で33ノットの高速を発揮する予定だったものの、大鯨での実績は芳しいものでは無く、安定稼働では20ノット程度の発揮が限界と見做されるような状態で、機関をタービンに換装したとしても、もはや高速空母に帯同して行動するような速力は得られないことが明らかでした。さらに、空母予備艦は当初、艦爆を搭載し、高速空母部隊と共に先制急降下爆撃任務に就く予定でしたが、新鋭機、九九式艦爆は機体の大型化で、九四/九六式艦爆と比較すると、配列機数は2/3程度となってしまい。ただでさえ飛行甲板のスペースが限られる小型空母では必要な攻撃力の確保に懸念が生じました。このような配列機数不足の問題は以降も小型空母の戦力化に対する大きな不安材料となり最後まで海軍を悩ませます。
性能不足から、早くもその存在価値そりものに疑問符がつく状態となった軽空母でしたが、昭和14年頃に聯合艦隊から主力(戦艦)部隊支援用の空母が要望されると、これらの軽空母を支援任務に充てることが考えられるようになります。弾着観測や主力艦の警戒任務なら多数の艦攻や艦爆を同時発艦させる必要はないからです。
このような経緯から昭和14年9月に、ようやく、これら空母予備艦の主機をタービンに換装した上で空母へと改装することが決定しました。潜水母艦に改装中の高崎から空母改装が行われ、続いて剣崎、そして開戦後には大鯨も改装が着手され、それぞれ、瑞鳳、祥鳳、龍鳳となったのです。
これらの空母予備艦は新型機に対して不十分な能力だったため、飛行甲板は、発着艦能力向上のため艦橋より前側に延長されました。しかし、この措置は艦橋前方の視界を著しく悪化させ、以降に完成した平形甲板を持つ軽空母共通の欠点ともなりました。
軽空母は開戦時に4隻、改装中1隻という状態で昭和17年末には5隻が揃う予定でしたが、前述のような性能的な問題から開戦後も主力の高速空母部隊に配備されることは無く、単独で上陸部隊に付属した支援や訓練、輸送等、強力な敵空母や航空兵力の居ない第二線的な任務に使われるに止まりました。
それでも龍驤は航空脅威の少ない戦場で、上陸作戦支援に大活躍し、真珠湾の六隻以外で開戦の勝ち戦をくぐり抜けた唯一の軽空母となりました。
■空母部隊主力への道程
この状況を再度変転させたのが、ミッドウェ一海戦の大型中型空母の大量喪失でした。対空母戦用空母は翔鶴型の二隻のみとなってしまい、運用側である第三艦隊は残された小型空母の活用を考えざるを得ない状況に追い込まれます。
この結果、対空母用部隊である第一、第二航空戦隊に一隻づつ軽空母が配備され、艦戦と少数の索敵用の艦攻といった役割分担が行われます。
失われた主力空母を補いうる中型空母(雲龍型)の建造には2年以上かかるため、短期間で改装可能な小型空母を“やむを得ず”さらに追加することとなり、水上機/甲標的母艦の千歳型が軽空母として改装着手されました。しかし、千歳型は、空母予備艦と異なり空母化を殆ど考慮していない艦で、下部格納庫は配置的にも大きな問題が有り、何よりこれまでの軽空母と同じ攻撃戦力にあまり寄与できない艦であることは明かでした。
珊瑚海戦で祥鳳が、第二次ソロモン海戦で龍驤が失われたものの、千歳型が増勢され、軽空母は日本海軍の空母勢力の中で最多数を占め、これれまでの補助的な役割に止まらず、軽空母を攻撃の主軸として有効活用することが必要となってきます。具体的には、空母戦を有利にすべく先制急降下爆撃戦力を補完することが求められました。
しかし、新鋭・彗星艦爆は発艦距離が大きいため、十分な機数が配列出来ず、有効な発艦促進装置が間に合わないのも明白で、そもそも配備機数も限られ大型主力空母への補充で手一杯でした。
そこで考えられたのが、小型・短距離で離発着可能な爆装零戦(=爆戦)を主体とした戦法の導入でした。この考え方に従って編成されたのが、爆戦+少数の誘導用の艦攻という搭載編成です。昭和19年に編成された軽空母のみで構成された第三航空戦隊は、爆戦による対空母打撃力の獲得を目指した軽空母の再生プロジェクトと言っても良いでしょう。
この編成は実戦で必ずしも有効な戦果を上げた、とは言い難いのですが、爆戦は比較的入手容易な零戦と、艦爆に比して搭乗員が一人で済むため、錬成・補充が格段に容易であり、海戦の度に全滅に近い損害を受ける母艦の搭載機部隊を短期間で再建するために外せない方策となっていきました。
■軽空母の、そして日本空母の終焉
このように実戦における使いづらさが目立つものの、配備や増勢のハードルの低さから軽空母は、日本空母部隊の編成初期から供給が続けられました。そして、昭和18年の第三段作戦以降で主力空母の増勢が諦められた時も、“やむを得ず”ただ一隻追加が決まったのもまた軽空母だったのです。
最後に建造(改装)が計画された日本空母となったの軽空母-伊吹は、それまでの軽空母とは一線を画す艦でした。軽空母の標準型だった、歪な二段格納庫、飛行甲板の延長と引き替えに艦橋が機能不全となる平甲板型を諦め、一段ながら天井の高いクリアな格納庫、飛行甲板から舷外に張り出した島型艦橋、期待出来ない高角砲を大幅に減じた対空砲構成等、苛酷な戦訓を経て割り切った仕様や噴進器による発艦補助等新機軸の技術を限られた艦型に盛り込んだ設計は、新世代軽空母に相応しい内容と言えるでしょう。
しかし、昭和20年2月に、南方との補給路が断たれ、大型艦艇の行動が不可能になったことにより、伊吹の建造は中止されついに最後の軽空母は完成を見ること無く、海軍最後の空母戦となった昭和19年10月のエンガノ岬沖海戦では軽空母部隊の第三航空戦隊が主力となり全滅、その後、第一機動艦隊解隊時の最後の旗艦は唯一残存した軽空母“龍鳳”でした。
戦備計画の節目事に“やむを得ず”起用され続けた軽空母は帝国海軍の名実共にその掉尾を飾ったのです。
<著者紹介>
烈風改
帝国海軍の軍艦、特に航空母艦についての同人誌を多数発行。
代表作に『航空母艦緊急増勢計画』
Twitter: https://twitter.com/RX2662
コメント
源田サンなんかは戦前、単座の急降下艦上爆撃機なんてのも考案してたみたいですけど、
実現してたら案外戦闘機兼用できる戦爆みたいな機体に仕上がったかも…?
加賀でフライホイール使った発艦装置の研究してたらしいけどそこからは?
イギリスも護衛空母はアメリカにぶん投げつつ軽空母は自前で作ったけど、正規空母が揃うにあたってその価値が低下していったというのは日本と似ている
まあ結果論以前にその建造リソースと運用人員何処から持ってくるんだと言う話ではある
翔鶴型を2隻増やせばその分史実で作ってたはずの船を取り止めねばならんし、飛行要員も何処かからかっぱらうか純増させなきゃならん
かといって開戦遅らせて順繰り三番艦四番艦作ってたらアメリカにはエセックス級が就役し始める
結果論と弁えた上で「自分ならどうするか」を妄想すると大抵の場合史実が最適解、或いはそれ以上の歴史を自分では組み立てられないと言うところに行き着くので、やっぱ過去の偉い人も負けはしたけど頭は良かったのだなとつくづく思う
軽空母、小型空母、ポケット空母。
大型空母の到達点というものが、空母という機能に沿ってある程度1つに収斂できることに対して、軽空母の在り方というのは千差万別なんでしょうね。
みんな違ってみんないい、は私達ミリ好きの気持ちなんですが、運用サイドからすると構想から退役までが一元論で運命付けられる、使いづらい存在だったのでしょうね。
硫黄島なんかも、未だに自衛隊で研究してるけど、史実以上の手は無いというのが結論だしね
そもそも何と比較して「軽」空母なのかって話と、その比較対象たる、いわば正規空母を持つ国が化け物だって話でしかないか
単座は航法が出来ない弱点があります。爆戦の未帰還のかなりの割合は航法の問題で変えれなかったパターンが多い気もします。
>カタパルト
昭和17年末に射出機からRatoに方針転換中だけど、間に合わなかった形ですね。本文にあるように伊吹はRato前提の設計がされているようです。
>翔鶴型あと四隻
実際にはあの通りで昭和19年になっても載せる彗星や天山、搭乗員が間に合ってないので箱だけあっても有効活用は難しいかも。
>アメリカの事情
この手の小型空母は、制空権を確保した進攻作戦で活躍出来ます。緒戦期の龍驤しかりで、アッツ島戦以降の米軍が上陸作戦で小型空母を活用したのもそれですね。
アメリカのように世界中の海に艦隊を派遣するような国だと、艦隊の規模・任務に
よっては軽空母のサイズ感が使いやすいこともある、というのはなんとなくわかる。
ぶっちゃけ当時の国力だと飛行要員の錬成の観点からも開戦時の正規空母6隻が限度だったりする
五航戦の練度がアレだったのはそのためよ
しかしこれも大戦後半の艦戦の大型化で無理になってくるし、カタパルトが実用化できなかったことを考えればアメリカみたいに少数の旧式艦攻積んで商船護衛やるしかなかったかと思う
せめて開戦時から艦隊の搭載艦戦不足が認識されていればな…
改装空母ぶんのリソースを翔鶴型に回せば資材の用意自体はできなくもないし、隼鷹飛鷹みたいに準主力を除けば輸送艦にしかならない改装空母を思えばその方が良かったのは確か
ただそれでも史実と比べて大型空母が1~3隻増える程度だろうし戦力化も43年以降になるだろうからどこまで貢献できたかは難しい
翔鶴型を作っていればというよりも改装小型空母が明確に失敗だったからそれよりマシだったろうとしか言えないのが苦しいところ
現代のは、見栄えがするってのとハリアーの存在が大きいと思う
日本やロシアのように対潜に特化した軽空母もあるけど、そんなのは敵に戦略原潜が居ないとペイしないからきっと例外
大型空母だと決戦用に出し惜しみってなりそうだし護衛戦力の捻出とか問題は多そうね
便利屋的に使える小型空母が減ると戦線の維持も難しかったと思うし
水上機空母のままで、二式水戦や瑞雲運用したほうが、
船団護衛や、高速輸送船として活躍できたのに。
小型空母は、カタパルト無いと活用できないんだし。
加賀の実験的カタパルトが火薬式じゃなく、潜水艦と共用できる空気式だったら普及したんだろうか?
翔鶴型を建造できる設備が、横須賀に2個、神戸1個、呉1個、長崎1個しかないんだよ。
大和型建造止めても、その分の3隻しか増えない。
新型戦艦無しで、アメリカの新型戦艦と海戦しろとでもいうのかね?
航空機の前線への輸送に、馬車場で活躍してたしな。
海軍休日間に大神海軍工廠が完成していれば、スタートダッシュで数揃えれてたんだが。
(予算無視した場合ですが)
アメリカ海軍が、正規空母の補完で護衛空母使用したことは無いはずだが。
インデペンデンス級は、護衛空母じゃないし。
確かに難しい。
難しいながらも、細かい部分を見ると、シャルンホストのように戦争中に機関載せ替えとか、ミッドウェーでやられてからの小型空母増勢は作ることが目的化してる感がね。
開戦前から作ってたのを急速にやるとか、大鳳をなんとかもう一隻とか、それくらいしかできないけど、無茶な改装をやるならそのまま輸送任務につかせるとか。
伊吹を空母にするんじゃなくて、重巡ベースの高速タンカーにするとか、信濃もタンカーにするとか、やりようはそれなりにあったとは思う。
な訳ないやろ。
電気溶接には、高性能な溶接棒の製造と
非破壊検査技術の獲得が必須なんだよ。
完全にツライチの中身に巣が入って脆くなってる事が多くて、コイツの検出と欠陥溶接の削除手直しが必須なんだよ。知らんかったろ?
薄肉高張力鋼のロケットモーターケースが作れなくてはどうにもならんよ。
これはつまり、大型機の油圧化にも影響があり
シリンダーが作れないことから舵が重くて、機敏な飛行が出来ない、鈍重な動きになり撃墜され易くなるというもの。
せめて、磁気探知機搭載の対潜哨戒機東海と護衛機を軽空母で運用出来てればね。
木板甲板の空母は軒並みダメやね。AT1スカイレイダー程度までだね。
そもそも、島の飛行場を敵に奇襲占領されたのを奪還するなんて考えをするのは専守防衛国しか無いからな。
他国は、開戦準備した!と判断したら、先制攻撃含みになる。
確かに200m位しか無い、建設途中の飛行場でも
強行離陸可能だからな、96艦戦は。
そもそも、日本からラバウルまで飛ばす燃料に問題があるし。
レーダー搭載出来る上空直掩機をカタパルト発進出来れば意味があったろうがな。
九六艦戦は零戦(一号戦)と離陸距離は殆ど変わりません。九六艦戦と九七艦攻の登場が小型空母の価値激落を招いた契機ですね。
>加賀の実験的カタパルト
は全て空気式のようですね。フライホイル式は回想はありますが、資料が無い。
>改装空母ぶんのリソースを翔鶴型
必要なのは船渠と船台なので、戦艦を止めないと大型空母は建造不能ですね。
>航空機の前線への輸送
結果だけ見ると日本海軍に貢献したのは大鳳より大鷹ですな。
イギリスだってフォークランドとられてから奪回に動きだしてるけど。
鷹型は航空機輸送に活躍してますね。軽空母は大戦初期には活躍したというかこれが無かったら南方作戦に踏み切れなかったでしょう。
水上機は海面の状態が少し悪いと発艦、収容ができなくなるんだよ。艦爆搭載できる軽空母の方がいくらかまし。
いやそこは実際自ら大して使わなかったからな…
兼ねる甲標的母艦にしてしまったことで空母改造が手間になった気はするけど。
実際、ミッドウエー海戦時には鳳翔がそういった使われ方してましたね。
まあ、日本の場合箱物よりパイロットが圧倒的に足りない……真珠湾の時ですら完全充足とは言い難い状況だし。
ただそれが思惑通りに行かなかった 最大の問題はパイロットの補充かな 空母乗りともなると一段高めの練度が要るし 陸上機部隊に「航空艦隊」の名を与えたのもむべなるかな
言うて大和型の無い日本海軍は単純に戦艦2隻分の戦略が低下すると言うだけで無く、前線泊地への駐留戦艦のローテーションがキツくなり近代化が事実以上に遅れる
その分翔鶴型増産すれば航空戦力は増えるように思えるけど、空母が増えても機体とパイロットが増えんことには戦力にならんので、大和型取りやめて翔鶴型増やしたとして、どれだけ戦力が増えるかと言うと未知数
そうして低下した戦艦戦力と増加した空母戦力を持った日本を相手に、アメリカがどう動くかを正確にシュミレート出来んことには、「大和は使わなかったからいらない」とは中々言えんのや
良い方に動くこともあるかもだし、日本の石油枯渇のタイミングが速くなったり、古い戦艦では戦線支えきれずに史実より早く日本が負けるかもわからん
案外大和型のポジションが長門型になって、長門型が引きこもることになるだけだったりね。それでその世界線では長門型要らなかった論になるのだ…
96艦戦は馬力不足で返って発艦距離が長くなるとか聞いた
構造的には改装は前提とされていないようですね。唯一、空母改装を考えていたという回想のある艦本側のものでも「速度以外は考慮しなかった」とありますね。
>水上機空母のままで
水上機母艦が活躍できる局面は無いのですが、多数のクレーンがあるので重火器の揚陸輸送に有用ですね。実際に日進がそのような運用をされています。
船体中央の機銃甲板も飛行甲板の一部のように言われてるけど
実際には高さが違うそうだね
昭和の時代は、アレが飛行甲板の一部に…みたいなのがプラモの説明書にもありましたね。
本来アレは2つ載せて、有事の際はくっつけて100m程度の艦上機着艦専用甲板にするためのものでした。俄には信じがたいと思われますが。
何でそんなことを考えたのかも含めて書いていくと非常に長くなるなるのですけど。
そもそも伊吹は空母化決定の前は高速給油艦に改装予定でした。空母化の後も図面レベルでは給油装置が残されていたりします。
瑞鳳の原型の高崎型も第一状態は給油艦だし、千歳型も給油設備があります。
プライオリティの問題で結局給油艦以外のものに改装されちゃうのですね。
流石にどんな小型空母でも、と言う訳にはいかんからF4Fを軽量化した
FM-2が居たんだけど
ごめん、ヘルキャットと間違えてた
後知恵で色々と考えてもクーデター覚悟で米との対立を徹底的に避けないと結局開戦当時以上の準備って出来ないんだよな
それこそ必要な工業設備(大型クレーンや大型トレーラー、フォークに精度の高い工作機械、半自動溶接機)なんかが天から大量に降ってこない限りはスタート地点にすら立てない
それでも時間と人間が足りないんだけどな!
初期からたいして進化していない。
米軍は護衛戦闘機の管制やら近接信管やらピケット艦配置やらレーダー管制射撃やらで、アウトレンジ以前の話と思う。
給油艦より空母っていうのは分かるけど、昭和18年の末ぐらいから戦争の成り行きと改装の手間と期間を考えたら、手間も時間もかからないタンカーにして燃料とか資源の輸送をした方が…後知恵だけど載せる飛行機ないし、防戦なら基地航空隊もあるし、中型量産空母の雲龍型も出てくるし。
何となく、空母に出来そうな船体があったから無理矢理改装してみましたっていう海軍独特の運用はあまり考えてない自己都合の机上の空論感がね。
馬力だとか速度だとかも大事だけど、航空戦で一番大事なのは先に見つけて先に意思決定ができる事だと世界最強の戦闘機造った人も言ってた
先に見つけて、先に通報して、先に戦術整えて、先に優位ポジに配置できるんだから、そら終盤の米軍が航空戦で負けることは無いわなあって
この当時OODAループの概念はまだないけど、要するにこの部分が日米では圧倒的に差があったと言う訳なんだな
開戦が3年ほど早ければ(その時期に造られていたと仮定して)補助空母として戦力価値はあったし、遅れていれば現行機が使えないと分かり切ってる物を今更つくらない
日本小型空母は排水量だけなら2万トンで雲龍型と同等にあるから使えそう感は出てしまうのも不幸だったかも
もし改装されてなければ新田丸級17000トン22ノットの高速大型輸送船がドック入りせずに用いられてたと考えると惜しさを感じる
軽空母と護衛空母は別物
また、軽空母と護衛空母は米海軍用語なのだから軽空母を護衛空母と呼んだりはしない
ちなみに米海軍用語といったように日本海軍には軽空母や護衛空母という名称は使用していない
アソコは、まさか大英帝国に戦争仕掛ける国があるとは思わなんだ!という有様ゆえ
いっそタンカーに飛行甲板付けて搭載機も載せて速吸のできあがり。
英海軍も似たようなことはやってるけど。
加賀のカタパルトは火薬式では無く空気式ですが
あと当時、潜水艦の実用化されている空気式カタパルトは呉式一号四型だけど(加賀のとは別物)、最大重量オーバーしてるんで零戦も99艦爆も射出出来ません
そりゃ自分が楽しければいいの趣味人と実際の運用サイドは全く違うからなあ
例えば、アメリカ海軍にとってはインディペンデンス級軽空母は使いづらいという評価受けている
何故かミリオタはカタパルトあればいいと雑に考えがちだけど
ほとんどしてませんが
それだけ実用的な油圧式の射出機は作れる見込みすら立ってないということ
砲塔のっけ終えてからの改装だしな
そのまま重巡として建造してればどうにかレイテ戦には参加出来てるんだよね
参加出来るからどうだと言われればそれまでだが、結局未完成で終わるよりかは
なんぼかマシだろう
> 上空直掩任務の肩代わり
なるほど。
アーレイバーグくん達が、週間空母に見えて来ました。
結局ここでも基礎工業力の差が出ちゃってるんだよね
せめて性能が低くてもレーダーが十全に使えていたら
その性能と運用に価値を見出してより積極的に活用できていたかもしれないと考えるとね
飛鷹、準鷹は使えたけどね。
使いづらくてもカタパルト(だけじゃないけど)のおかげで仕事できたのも事実なのだから別段間違った評価とも思えんが
その二つの評価は矛盾しない
インディペンデンス級って小型よ
龍驤よりマシとはいえ、瑞鳳や千歳の方が大きいってくらい飛行甲板が短い
米海軍がインディペンデンス級を使いづらいとされた理由は主にこれ
カタパルトあっても発艦の全ては補えないし、着艦に関してはカタパルトは全く関係無い
そいつらは他の商船改造空母とはサイズが違うだろ
そもそもインディペンデンス級軽空母はTBFを少数しか積んでいないのように基本的に攻撃用ではなく、艦戦による制空と艦攻による索敵が任務
どの道、過荷重のTBFはカタパルト性能不足で発艦不可だしな
つまり日本の小型空母がやろうとしていることは同じということ
戦争で活躍したしないの話と軍艦としての評判の話は全く別
重巡の伊吹であれば後ろの砲塔と魚雷を取っ払って燃料タンクを増設して上に飛行甲板を取り付ければ、手間を最小限に最短でタンカーであり、航空巡になるね。
そうなると航空巡になった最上とコンビになって、艦歴3か月で除籍になりそう。
まあ空母に偽装した客船みたいなもんだね。
輸送船は実質陸軍の担当だしなあ、N型ライナーちら見。
日本海軍は小型空母と中型空母以上とでは役割分けている
小型空母と飛龍雲龍とはまるで違うものと見ているということ
小型空母は時期によって期待されている任務は異なるとはいえ、開戦が3年ほど早ければ補助空母として戦力価値はあった、でも史実では価値がない
って主張がよくわからない
数年早くても(安易な日本優位狙いのイフはどうかと思うが)史実と変わらないだろうな
そもそも、使える使えないってどういう意味で言っているんだろうな
まともな対艦攻撃戦力としてなら、小型空母は最初から期待されてない
そこは瑞鳳だろうがインディペンデンス級だろうが変わらないし
なんでもいいから敵を攻撃して戦果上げれば使える扱いっていうなら、龍驤は使える扱いになるし、南方作戦に参加してないから龍驤のような戦果こそ無いけど瑞鳳も同じ能力はあるがね
その当時の構想は補助空母として空母数を補完出来る可能な打てる手立てだったと思うけど航空機の進化スピードが補助空母の母艦としての機能の陳腐化が極端に早まったのかも
既に開戦当初には正規空母ですら艦載機に使える燃料タンクや弾薬庫から計算上ですら出撃出来る機数や回数が制限されてるし
当時の視点で考えると、妥当性はあると考えます。
実際、伊吹の使い方はかなり検討が重ねられていて、「なんとなく」空母という経緯ではないです。
インディペンデンス級と比較しても電子装備とカタパルト以外では遜色無く、上回ってる点も多いかと。
ただ、1隻も完成できずと、短期間に二桁隻数建造というあたりはもうどうしようも無いですけど。
>2、3年ズレて
本文で述べた通りなのですが、本来、九五艦戦+九六艦攻あたりで運用される想定の仕様なのですね。
なので5年以上戦争が早まらないとダメかも。
> 排水量
軽空母は最大の龍鳳でも公試で1万6000トン程度。商船改装空母は船体構造が違うので全長の割に排水量が大きいのです(むっちり)。
ヨークタウン級以上は夜間戦闘機とアベンジャーをフル装備で出撃させる時くらいか
日本の軽空母にもカタパルトがあれば活躍出来たかもしれんが中型以上には不要やろ
TBFをフル装備って日本海軍でいう過荷重状態だとカタパルトの性能不足で射出出来ないが
カタパルトは同時発艦機数を増やしたいわけで、これがあると飛行甲板に多くの攻撃隊を並べられるんだよ
逆に言えば、これが無いと発艦距離が増大している新型機の同時発艦機数が少なくなってしまうということ
機体をカタパルトにセットする時間が必要な分、滑走発艦より時間が
掛かる事を知ってる人は少ないよね
だからアメリカでもカタパルトを使うのは、滑走距離がとれるまで
その後は滑走発艦させてる
日本海軍の空母用カタパルト開発で問題点の一つとされたのは
カタパルトにセットするのに時間かかるわ
だから発艦の間隔が長くなるわ
だからなあ
まあ日本海軍のカタパルトについて興味ある人なら知っていて当たり前の話だとは思うけど
日本海軍の場合は、射出機を装備した場合は、滑走/射出併用でなく、全機が射出となります。射出間隔は1分。
機体は事前に全機射出架台に載せておきます。
ドイツのグラーフツェッペリンに近いタイプですね。
空母:8点、巡改空母8点、護衛空母3点、戦艦10点、巡洋艦5点。
正規空母と同じぐらい硬いって評価が凄い。
飛行甲板の強度ならあまり変わらんからね。むしろ戦艦が低評価な気がする。
いずれにせよ、上手く誘爆引き起こすとかでないと特攻で撃沈は難しい。
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