無題Name名無し21/09/30(木)21:31:12 No.41017

800px-Lockheed_P-38_Lightning_USAF
めざし

って日本軍的にはどうだったの


無題Name名無し 21/09/30(木)21:56:45 No.41024
http://cgi.2chan.net/f/src/1633006605981.jpg
この前立ってたペロハチスレは落ちてたんですね

前スレでも日本軍のどの方面に展開した部隊からそう呼ばれるようになったについて書かれた書き込みは無かったです
Ospreyの太平洋のP-38のエース本によると太平洋側のP-38による初撃墜は1942年8月のアリューシャン列島とか
南太平洋ではガ島に展開した1942年11月とか

無題
Name名無し 21/10/01(金)21:12:24 No.41102
1633090344229

空母「瑞鳳」の戦闘機搭乗員だった岩井勉さんという方は、昭和18年3月8日、ラバウル基地から作戦中、初めてP-38戦闘機と対戦したそうなんですが、氏曰く

「墜としたのは、P-38がいちばん多かったです。あれは私ら、ペロ八とよんでました。とにかく空戦では絶対負けへん自信がありました」

…そうですw

もっとも、氏の手記によれば

「高度5000メートル以上では零戦よりも速度が速い。従って旋回圏は大きいきらいがあるが、瞬間をつかまえないと離れていってしまう」

…相手であったそうで、逃げに徹したP-38を捕捉するのは(特に高高度では)困難だったようで、一撃離脱戦法に徹っせられた場合には、さぞ厄介な相手であったことが察せられましたり

無題
Name名無し 21/10/01(金)21:15:46 No.41104
http://cgi.2chan.net/f/src/1633090546044.jpg
また、大戦末期「紫電」戦闘機隊の飛行隊長などを務めた岩下邦雄さんという方は、昭和19年、横空の戦訓調査団の一員として比島に視察に赴いた際、かつては零戦の好餌であったはずのP-38が逆に低空で零戦を追いかけ回し撃墜する光景をみてショックを覚えたそうなんですが、

「P-38が急に性能がよくなったわけではないでしょうし、これは、時の勢いとファイティングスピリットの問題ではないかと思っています」
「どんなにすばらしい戦闘機であっても、性能を発揮するのは、結局は人の力ですから。当時の搭乗員の士気は決して高いとはいえなかったですね」

…と回想されておられます

もっとも、岩下氏はほどなく「紫電」装備の戦闘401飛行隊長に任命され、やはりフィリピンで戦っておられるんですが、同部隊他比島での「紫電」の戦闘状況を追った渡辺洋二せンせいの著書によると、実際当時のP-38はかつてに比べて

無題
Name名無し 21/10/01(金)21:17:40 No.41105
http://cgi.2chan.net/f/src/1633090660052.gif
「2年前に南東方面に出てきたころのP-38はF型およびG型。これらにくらべ、『紫電』と戦ったJ型、L型は、性能でも戦闘法でも大きく向上していた。一撃離脱に徹した高速性能はもとより、運動性能も意外に優れた相手」

…であって、「紫電」隊の搭乗員さん達の間でも
「グラマン(F6E)よりP-38がいやだ」「P-38は(グラマンより)さらに要注意」
…と評するフインキがあったそうです

更に言えば、P-38はペロ八、怖くなかった!と述べる岩井氏は支那事変以来の大ベテランで、しかも初陣前にすでに800時間を超える飛行経験を積んでいたとのこと

これに対し、戦争末期の比島戦で戦った日本側パイロットの多くは遥かに少ない飛行・実戦経験しかないのが普通ですし、それが岩井氏の戦ったタイプよりずっと性能向上した新型と戦ったわけですから、ペロっと頂かれちゃう相手が逆転したのも、実際無理はなかった…ということなんですかしらん

無題
Name名無し 21/10/02(土)07:48:14 No.41135
岩井勉って調べたら零戦の初空戦のときからの古参であだ名が「ゼロファイター・ゴッド」て凄腕なのね
そんな人ならたいていの敵機はなんとかしちゃうだろうって・・・

無題
Name名無し 21/10/02(土)07:59:49 No.41136
「当たらなければどうという事はない」を地でいく人だったのだね

無題
Name名無し 21/10/02(土)09:11:22 No.41142
日本機ではとてもこなせないダイブで逃げていくP-38を見て、やった、撃墜したと勘違いする日本のパイロットがいたそうだな

無題
Name名無し 21/10/02(土)12:14:38 No.41159
>日本機ではとてもこなせないダイブで逃げていくP-38を見て、やった、撃墜したと勘違いする日本のパイロットがいたそうだな
案外P-38はそのまま回復できずに落ちる(急降下で衝撃波失速しやすい)らしいから初期には落ちたかもね
後期はスピードブレーキ装備したらしいけど

無題
Name名無し 21/10/02(土)14:05:39 No.41173
>案外P-38はそのまま回復できずに落ちる(急降下で衝撃波失速しやすい)らしい

それは寒冷なヨーロッパのしかも高高度に特有のトラブル(気温の関係)で、太平洋では問題なかったとか
ボング始めP-38でスコアを稼いだエース達が太平洋方面に集中してる理由の一つはそれ

無題
Name名無し 21/10/02(土)09:39:29 No.41146
山本五十六のラバウル視察の帰りに搭乗機落としたのってこれだっけ?

無題
Name名無し 21/10/02(土)19:59:01 No.41195
1633172341276

南太平洋の前線基地にP-38が展開した当初は、舗装不良の滑走路による脚故障、高湿度による電装品の作動不良や金属部品の腐蝕、更にはベアリングなどの補給部品不足などの諸問題が次々に生じたそうで、米陸軍航空隊戦史によるとニューギニアでは1942年10月までに、約60機のP-38が到着したものの1機も戦闘に参加できず、結局戦闘任務に就いたのは12月も末になってからであったそうです

因みに奇しくもというか、同じく1942年12月頃から、日本陸軍航空隊第12飛行団所属の「隼」戦闘機(飛行第1および第11戦隊)がラバウル基地に展開していまして、12月27日頃からニューギニア方面に展開したP-38戦闘機隊と交戦し始めているんだそうで

日本陸軍として初めてまみえたこの双胴の新型敵戦闘機について、当時第11戦隊が数度の空戦を経てまとめた「P-38」に対する所見の内容を見てみますと、

1、最大速度
…1戦(1式戦闘機)に比し、20-30キロ時大なるものの如し。超低空においてはほぼ同等なるものの如し。

無題
Name名無し 21/10/02(土)20:00:38 No.41196
1633172438338

2、上昇力(含余力上昇)
…1戦より若干優秀なり。ことに上昇速度において然り。上昇初期の引き起こしは極めて鈍し。
3、降下
…初動は鈍く、1戦をもって容易に追躡し得るも、爾後の速度増加率は大にして、追躡過速となり、空中分解の見地上これに追躡するを得ず(計器速度550-600キロ時)
4、旋回
…水平旋回、ほぼ2式複戦に同じ。垂直面、宙返りの円極めて大なり

…だそうなんですが、その戦闘法は「ロッテ式隊形」を取ることが多く、

「各ロッテごとに(略)30-45度の角度をもって突進し(略)射撃す。離脱後はいったん戦闘圏外に離隔したるのち、上昇高度を獲得し(略)戦闘加入するか、あるいはそのまま下方に離脱する」

「ロッテおよびロッテ間の相互赴援は、積極的にして、また攻撃精神旺盛なるも、格闘性能鈍重なるをもって、機動は機敏と認め難し。射撃技量は、比較的良好にして、あまり遠距離射撃をなさず」

無題
Name名無し 21/10/02(土)20:01:09 No.41197
http://cgi.2chan.net/f/src/1633172469209.jpg
…というもので、格闘性能では「隼」におとるものの、速度・上昇力・降下性能での優越を活かし、編隊で協力しつつの一撃離脱戦法で挑んでくると述べておりましたり

これに対する対策は

・奇襲をうけざるごとく、索敵に注意(敵の連携にも注意)
・戦闘圏を遂次低空に導くも一法

…とのことなんですが、また

「P-38の後方に対する警戒は、不良なるが如し。また機体構造上、下方の視死角大なるため、下方の索敵不良なるをもって、側下方塔より接敵攻撃するを有利とすること多し。上昇下降の初動鈍きをもって、この時機は射撃の好機なり」

…というのが、P-38の弱点と分析していたようです

無題
Name名無し 21/10/02(土)20:02:25 No.41198
1633172545034

また、P-40に比して比較的被弾時に発火しやすいと述べている他、武装については機首に13ミリ4門またはそれ以上…とほぼ正確に推定している一方、

「旋回銃、中央胴体後方に、7.7ミリ1銃あるものの如し」

…なんて一文も見受けられます

言うまでもなく、実際は単座のP-38に後方銃は装備されていなかったわけですが、或はなまじ馴染みの2式複戦ほかの双発戦闘機の知識があったが故に、「双発機なら複座な筈!」という思い込みがあったりしたせいなんでしょかね…?

無題
Name名無し 21/10/02(土)21:56:56 No.41202
>「2年前に南東方面に出てきたころのP-38はF型およびG型。これらにくらべ、『紫電』と戦ったJ型、L>型は、性能でも戦闘法でも大きく向上していた。

トップエースのボングの撃墜成果(40機)の半分以上は1943年に残したもので、そのとき使った機体はF型、G型、H型
名人は道具を選ばないという事かね

無題
Name名無し 21/10/03(日)07:26:08 No.41222
>一撃離脱戦法で挑んでくる
P-38関係の本ではよく初期には日本戦闘機に格闘戦を挑んで撃墜された…なんて出てきますけど、この時はすでに一撃離脱戦法なんですね
やはり、米軍自身もP-38ではドッグファイトはすべきでない、という認識だったんでしょうか…

無題
Name名無し 21/10/03(日)07:58:09 No.41223
欧州ではP-38はドックファイトでFW190よりも優位と聞いたことがありますが
横転性能は圧倒的にFW190が上だと思いますが

無題
Name名無し 21/10/03(日)08:44:38 No.41224
格闘戦はできないと分かっていてもついつい敵機の尻を追いかけちゃうんだろうね
私もゲームでよくやる
墜とされる

無題
Name名無し 21/10/03(日)10:57:48 No.41233
米軍は2機1組で空戦してたのに対し
日本軍は単機で空戦してたの?
連携や組織的な戦い方はしなかったのかね?

無題
Name名無し 21/10/03(日)11:35:59 No.41235
海軍は初期は3機編隊
通信機が漏電していて僚機が隣にいれば会話できたけど
空中戦になると通信できないから戦闘開始から時間が経って乱戦になると米軍が有利
源田の剣部隊はサッとしかけて混戦になりかけたら撤収していた

そもそもゼロ戦の7.7mmは直進性がいいんで命中率は高かったが、追いかけ回して張り付いてペチペチ撃つという性質が戦争と戦闘の推移にそぐわなくなっていった
サッチウィーブなどでは、接敵する一瞬でブワッと弾を大量にぶちこむことが要求される

無題
Name名無し 21/10/03(日)11:43:56 No.41236
>日本軍は単機で空戦してたの?
>連携や組織的な戦い方はしなかったのかね?
テンプレ的な回答すると、日本機の航空機無線がほぼ使えなかったので開戦初期は熟練搭乗員どうし手信号でやり取りしてたけど熟練搭乗員が枯渇した中盤以降まともな空戦が(特に海軍では)全くできなくなった
航空機無線が改善されたのは十九年後半
そのころには飛行機をやっと飛ばせるだけの訓練で送られてきた新兵に、空中戦の訓練をできる余裕なんか全くなくなっていたとさ

無題
Name名無し 21/10/03(日)13:43:05 No.41250
1633236185980

>トップエースのボング

1942年12月27日、ニューギニアのブナ上空で日本陸軍の「隼」戦闘機と初めて交戦したP-38戦闘機は、第39戦闘飛行隊の所属機であったそうなんですが、そのメンバーの中にリチャード・アイラ・ボング=サンも含まれていたんですとか

おそらくP-38に乗り換えてから初と思われるこの空戦で、ボング=サンは零戦および99艦爆各1機の撃墜を報じているんですが、米軍側記録によると、飛行隊全体では発進した12機のP-38が戦闘機9機と爆撃機2機を確実撃墜したのに対し、損害は1機が被弾損傷して不時着したのみという、「11対1」の大勝利であったと見做されているようで(他に第9戦闘戦闘飛行隊のP-40も戦闘に参加)

一方、当日第39戦闘飛行隊と交戦した飛行第11戦隊の空中勤務者だった谷口正義さんの手記によると、攻撃に参加したのは海軍の99艦爆12機、零戦12機と、飛行第11戦隊の「隼」31機であったそうなんですが、日本側の損害実数は99艦爆1機が未帰還、1機が被弾不時着し、零戦1機が燃料切れで不時着したほか、11戦隊は「隼」1機が未帰還(吉竹正准尉機)、1機が被弾不時着(栗原軍曹機)というものであっったそうです

無題
Name名無し 21/10/03(日)13:46:47 No.41251
1633236407439

日本側の損害実数4ないし5機に対し(ただし谷口氏によれば吉竹機を撃墜したのはP-40とのこと)、P-38の報告数は明らかに過大なんですが、一方で11戦隊がP-38・7機を撃墜したと報告しているのに対し(海軍側は不明)、先述のようにP-38の損害は実際には1機のみですので、「隼」と「ライトニング」の初対決となった空戦は、引き分け、もしくはP-38の判定勝ちといった所であったようで

更に続く12月31日のラエ上空での戦闘でも、第39戦闘飛行隊のホイト・アースン=サンは「零戦」3機の撃墜を報じて、先の空戦での戦果2機と合わせ、早くも同飛行隊および太平洋の「ライトニング」では初めての「エース」の座についたほか、損害もP-38・3機が損傷しただけ(内1機は敵機と空中衝突)であったそうなんですが、再び谷口氏の著書によれば、当日実際に交戦したのは11戦隊の「隼」8機で、損害は1機被弾墜落、1機大破のみ

4機撃墜を報じた11戦隊の戦果は全て誤認で、11戦隊の敗北ではあるんですが、やはり損害実数で見れば、アースン=サンの「ライトニング」初エース到達というのは、やや怪しいものだったみたいですなあ

無題
Name名無し 21/10/03(日)13:47:36 No.41252
1633236456982
ともあれ、新型機P-38が期待通り日本機を圧倒している(実情は前述の通りですが)ことは、現地の米陸軍司令部を大いに喜ばせたそうなんですが(棒)
翌1943年1月7日、輸送船団護衛に当っていた11戦隊の「隼」と第39戦闘飛行隊のP-38の空戦では、P-38側は損害なしで一方的に「隼」7機撃墜を報じているのに対し、11戦隊は実数で4機が未帰還となった上、他にP-40との空戦で1機を失うという一方的な敗北を喫しているそうです

またこの日の米第39戦闘飛行隊の戦果の内、2機はボング=サンによるものであったそうなんですが、続けて翌8日の空戦でボング=サンは僚機に反航戦で果敢に突進する「隼」1機を撃墜、これで「ライトニング」での累計撃墜数は5機に達し、やはり「エース」の座を獲得したとのこと

この日ボング=サンの射撃を受けた「隼」は、P-38の大火力の集中で粉々になるという凄まじい最期をとげたそうなんですが、米戦記の訳注で梅本弘せンせいはこの機を、日本側ではP-38に正面衝突して戦死したとされている、第3中隊長平野中尉では?と推定されておられましたり

無題
Name名無し 21/10/03(日)13:48:52 No.41253
http://cgi.2chan.net/f/src/1633236532932.jpg
谷口氏によると、この前日、平野中尉はB-17重爆との戦闘で見事撃墜を果していたものの、その際
「平野中隊長の片腕と頼む中川中尉は、P-38の攻撃を受けて壮烈な最後を遂げ」
…ていたんですとか

最後の突進攻撃も、部下の復仇ならず…といったところであったのかもしれませんが、ともあれ、ニューギニア方面でのP-38のデビュー戦以降の戦いぶりは、戦果報告こそ過大に過ぎるものの、実数でも互角或はそれ以上の勝利を上げていたということのようです

第39戦闘飛行隊はP-38に機種転換前はP-39が使用機種で、屡「零戦」との戦闘で苦杯を甞めさせらていたものの、その戦訓から格闘性能に優れる日本機との戦闘法を身をもって学んでいた…という事情もあったようなんですが、初めて「P-38」と対戦した日本陸軍の「隼」戦闘機隊にしてみれば、「ペロ八」どころではない、実に手強い相手であったようですねえ

無題
Name名無し 21/10/03(日)13:59:41 No.41257
そもそもP-38が活躍し出す頃にはすでに日本は劣勢だったしペロっと行けた例なんか殆ど無かったんじゃ

無題
Name名無し 21/10/03(日)19:31:53 No.41279
>そもそもP-38が活躍し出す頃にはすでに日本は劣勢だったしペロっと行けた例なんか殆ど無かったんじゃ
ラバウルあたりの迎撃戦ではP38が結構落とされた日もあったそう
まあ、トータルで見ればやはり互角な戦績だったらしいが

無題
Name名無し 21/10/03(日)15:48:53 No.41265
http://cgi.2chan.net/f/src/1633243733302.jpg
>P-38の大火力の集中で粉々になるという凄まじい最期

P-38のようなWW2世代の双発機の利点って機首に大きい武装を装備できる点があるよね(P-39や震電等は例外)
機の中心線にP-38なら20mm1門と12.7mm4門が(弾道の違いこそあれ)まとまって飛んでいくから命中率も高い
中心線から数メートルも離れた主翼装備だと、ちょこっと機をロールするだけで左右翼の弾道が大きくずれちゃう、交差距離の設定もあるしね
ナチスドイツがモーターカノンにご執心だったのも同じ理由よね

無題
Name名無し 21/10/04(月)01:50:47 No.41292
1633279847284

日本海軍のベテラン戦闘機搭乗員だった角田和男さんの手記に、1943年4月14日、ニューギニアのラビに碇泊する連合軍艦船を攻撃する陸攻隊の護衛にとんだ時の話が出てくるんですが、曰く

「空戦場から離脱できたかと思った時、陸攻隊の後下方千5百メートルほどにP38一機が喰い付いているのを見た。ぐんぐん上昇している。私も全力を出しているのだが(略)5百メートルくらいまで近付いた時、P38はすでに陸攻隊の右端のいわゆる鴨番機の後下方百五十メートルにぶら下がり、射撃を始めた」

「ようやく射距離に入る直前、敵は右下方に急避退する(略)内回りして迫った。しかし、水平速力ではわずかだが、降下、上昇速力では遥かに零戦より早く、見る見る離されてしまう」

「しかも、ラビに帰ると見せかけ、降下しながら大きく一回りすると、今度は急上昇しつつ再び陸攻を追う」

無題
Name名無し 21/10/04(月)01:52:17 No.41293
1633279937433

「相当内側を回っていたのだが、また5百メートル以上離されてしまった(略)再び前の鴨番機に射撃(略)遂に陸攻は火を吐き、自爆態勢に入ってしまった」

「ようやく近づけば、再び右下方へ逃走する(略)速度差をいやというほど知らされた」

「私はこの日の戦闘詳報に(略)所見として、『P-38の水平速力はやや零戦より優り、上昇、降下に於ては相当の差あり。敵に戦意無き場合これを捕捉すること極めて困難なり』とつけ加えた(略)零戦の力の限界を知り、早く対策をたててもらいたいという希望を秘めた積もりだった」

「ところが、その晩(略)司令部偵察機の操縦員大原猛飛曹長の訪問を受けた。予科練同期生の首席である。彼は、怒りか屈辱感のためか、顔面蒼白となり、唇を振るわせて質問というより詰問にきたのである」

「『角田、貴様の今日の戦闘報告は何だ。貴様、戦争する気があるのか』」

無題
Name名無し 21/10/04(月)01:53:16 No.41294
http://cgi.2chan.net/f/src/1633279996985.jpg
「『今までどこの部隊からも世界中に零戦に勝る戦闘機があるなど、報告の出た例は無いぞ。貴様が意気地がないからあんなことを書くのだ。司令部の参謀連中からは散々の悪評だ。貴様のために「二空の戦闘機隊は、敗戦主義者の集まりだ」と決めつけられているんだ。P38が怖いんなら貴様戦闘機乗りをやめてしまえ。俺は恥かしくて司令部に座っておれんじゃあないか』

と、まくしたてた。5年近くも一緒に教育を受けて暮らした仲だが、彼のこんな興奮した顔を見たことが無かった。しかし、私にも言い分はある。

『あれは他人の報告や意見ではない。ブナ上空で2回、今度で3回目だが、俺が自分で追って追いつかなかったんだ(略)俺が言わなきゃ、司令部はいつまでも分らんじゃあないか』

さすが、わが期トップ、言うだけ言うと(略)私の口下手な抗議にも耳を貸す余裕があった。

無題
Name名無し 21/10/04(月)01:54:08 No.41295
http://cgi.2chan.net/f/src/1633280048031.jpg
『よし、貴様の言いたいことは分かるが(略)今度見たら、貴様は雄飛会(予科練同窓会)より除名するから承知しておれ』

と、まだ不服そうに帰る後ろ姿に(略)気の毒には思ったが、自分の意見が間違っていたとは思わなかった」

…そうです

この日、P-38の零戦に対する性能差を存分に活かしてまんまと陸攻を撃墜し、角田さんに愛機零戦に危機感を抱かせた相手というのがまた、どうやらこの日陸攻2機の撃墜破を報じているリチャード・ボング=サンであったようなんですが、この頃まで現場の搭乗員さんから、司令部の参謀サンに至るまでが抱いていた「零戦」への絶対的信頼を、初めて揺るがせたきっかけというのは、もしかしたら「ライトニング」であったのかも知れないですなあ

無題
Name名無し 21/10/04(月)03:38:34 No.41297
ていうか、当時の零戦への信頼度ってそこまで
確固たるものだったんだな・・・というのが興味深い

無題
Name名無し 21/10/04(月)11:27:53 No.41321
旋回半径が大きくても、速度が早ければ旋回時間は短くなるので、戦い方次第ではそんなに不利にならないらしいね
最初から小回りで勝てないと割り切っているなら、逆にそれに応じた戦法に専念しやすいのかも知れん

無題
Name名無し 21/10/04(月)14:28:16 No.41327
零戦の信頼性と言うか都合の悪い事は聞きたくないって日本兵特有の硬直反応じゃないの。
意気地が無いとか自分が恥をかいたなんてのは見間違いや勘違いではないのかと疑ってその原因を追究しようって態度からは程遠い訳で。
報告者を罵倒してあわよくば無かった事にさせようとしていたとしか思えない。
最後の予科練の同窓会から除名してやるなんて捨て台詞も当人にそんな権限があるのか判らんけど、脅しでしかない。

無題
Name名無し 21/10/04(月)22:08:16 No.41362
>零戦の信頼性と言うか都合の悪い事は聞きたくないって日本兵特有の硬直反応じゃないの。
真珠湾攻撃の時アメリカは近眼の日本人に飛行機を飛ばせるわけがない、ドイツ人が操縦してるに違いないなんて人種偏見丸出しのことをいってるんだから、想定外の事態に直面した際の人間のよくある反応だろう
日本兵特有なんてのは偏見そのものだろう

無題
Name名無し 21/10/04(月)22:30:25 No.41367
上の続き

しかも大原氏は角田氏と同期で階級もおなじ、偵察機のパイロットだから畑違いの戦闘機の運用に口を挟める立場でもない
ようするに当事者と部外者の認識の齟齬というこれまたよくあるエピソードでしかない
だから角田氏も大原氏を軽蔑したり非難したりしてないわけで

無題
Name名無し 21/10/04(月)20:21:10 No.41343
1633346470028

日本海軍204空の飛行隊長だった小福田皓文さんが、「P-38」と初めて遭遇した時の印象は、まるで「凧」のような妙な格好の飛行機だ、というものだったそうなんですが、

「日本機で、この戦闘機と立ち向かうのは、おれがはじめてにちがいない。絶対に負けられない初対面の初試合だ、と闘志を湧かした」

…と勇んだものの、乗機が整備点検中で弾丸を積んでいない機と知らずの出撃だった為、イザという所で弾が出ず慌てて退避するという、締まらない結末に終わってしまったとのこと

因みに204空は、1942年11月18日、ガダルカナル島基地から発進したP-38(第339戦闘飛行隊)との交戦で1機(後藤彦治飛長)を失っているんですが、コレが南太平洋に進出してきた「ライトニング」部隊にとって初の撃墜戦果となるという、204空にとってはある意味不名誉な戦闘であったそうです(P-38側は損傷機のみ)

無題
Name名無し 21/10/04(月)20:27:10 No.41344
1633346830047

以降204空とP-38は屡々干戈を交えているんですが、1943年2月13日の空戦で同僚を失った、中澤政一さんという方は自身の戦陣日誌に
「親友山本は遂にP-38の為に戦死す」
「何時の日か必ず余の手にて仇を報いん。善戦せる山本よ安らかに眠れ」
…と記されておられたりします

そして同年3月3日、輸送船団護衛中の204空の零戦は、来襲してきた連合軍の戦爆連合と激しい空戦になるんですが、主な相手は怨敵P-38で、指揮官宮野善治郎大尉以下204空が報じた総計9機の撃墜戦果の内、先述の中澤飛長は協同で3機撃墜と、最大の活躍ぶりを見せているんですとか

誓いどおり親友山本飛長の仇を討った中澤氏ですが、空戦中深追いしすぎたは逆にP-38に逆襲され被弾、危うく友の後を追うことになりそうな所を、宮野隊長の救援により難を逃れたそうで

無題
Name名無し 21/10/04(月)20:28:11 No.41345
1633346891200

204空側の損害は2機であったそうなんですが、連合軍側の記録によれば、この日204空の零戦と交戦したのは第9および第39戦闘飛行機隊のP-38で、第39飛行機隊が実際に空戦で失った3機の中には、先に太平洋地域で初めて「ライトニング」のエースとなった、ホイト・アースン=サンも含まれていたりするんですとか

第39戦闘飛行隊のパイロットで、この日の戦闘にも参加したC・W・キング=サンによると、同隊が一時に3機ものP-38を失ったのは、この日の空戦のみであったそうで、対戦した零戦隊について

「これまでに遭遇した日本機の中では、最も手強い相手だった」

…と述べていて、204空の方々の奮戦ぶりが窺える内容であったりしましたり

(但し、この日日本側では「瑞鳳」戦闘機隊、253および252空の零戦も若干のP-38への戦果を報じているそうです)

無題
Name名無し 21/10/04(月)20:29:01 No.41346
1633346941941

因みに204空は後に山本五十六元帥の前線視察の際、搭乗する1式陸攻の護衛機を出した部隊でもあるんですが、その援護をかいくぐって元帥機を撃墜したのがまた、かつて「南太平洋地域におけるP-38部隊の初めての戦果相手」という苦汁をなめさせられた、第339戦闘飛行隊の所属機であったりするわけでして

互いに墜としたり墜とされたり、とにかく204空にとってP-38は色々な意味で忘れがたい、因縁の相手であったみたいですなあ
引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/41017.htm