ソ連軍の秘密戦史34
高度な情報戦


文:nona

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https://nsarchive2.gwu.edu/nsa/cuba_mis_cri/dobbs/maultsby.htm
事件当時に使用されていた米空軍のU-2。

もう1機のU-2に迫った危機

 キューバの上空でU-2偵察機が撃墜された1962年10月27日、ソ連本土北東端のチュクチ半島において、別のU-2が意図せずソ連領空を侵犯する事件が発生しています。

 このU-2は27日の深夜0時にアラスカ内陸部のエイルソン空軍基地から発進した機体で、北極上空で空気試料を収集する任務を帯びていました。

 北極上空の大気にはソ連のノヴァヤゼムリャ列島にある核実験場から飛散した放射性物質が含まれることがあり、米国ではSAC(戦略航空軍団)に属するU-2に試料を収集させていたのです。

 この手の任務は、DEFCON2が発令されるような情勢では延期すべきでしたが、見過ごされてしまったようで平時の計画が継続されていました。

 このようにSACにおいて、平時と変わらぬ行動を続けた部隊は少なくなかったようです。

 例えば戦略ミサイルが配備されたカリフォルニアのヴァンデンバーグ基地においては、タイタンICBMが高レベルの発射準備態勢をとる傍ら、別のタイタンを使って発射訓練を実施しています。

 ソ連が訓練発射にどのように反応するかは、さほど考慮されていませんでした。

 また、SAC総司令官のトーマス・パワー大将も、27日は朝から司令部近くのゴルフ場へ出かけていました。


オーロラのせいで迷子に?

 U-2は北極点の近くまで進出し空気試料を収集したものの、その帰路において針路を誤ってしまいます。

 U-2に慣性航法装置や自動天測航法装置は搭載されておらず、電波航法は陸地の無線局から遠すぎるために使用できず、コンパスも磁極が近いため機能しませんでした。

 目測による天測航法が自信の位置を知る唯一の手段でしたが、それも夜空に輝くオーロラのせいで覆い隠されてしまった、とパイロットのモーツビー大尉は釈明しています。

 幸い、モーツビーは帰路で合流するはずだった救難機に助けを求めることができました。

 そこで救難機の乗員はU-2から見える星座とその方角を聞き出そうとしたものの、それでも位置を割り出せずにいました。

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https://nsarchive2.gwu.edu/nsa/cuba_mis_cri/dobbs/maultsby.htm
チャールズ(チャック)・モーツビー大尉


怪しげな声

 そうこうしていると、U-2の無線に聞きなじみのない声が呼びかけてくるようになり「右30°に旋回せよ」と指示を送ってきます。

 その声はソ連防空軍のニセ管制官が発したものでした。

 このときU-2はベーリング海峡の向こう側にあるソ連のチュクチ半島まで迷走しており、北極海に面するペヴェク基地からはMiG-19戦闘機が発進していました。

 もっとも、MiG-19はU-2が飛行する高度2万3千mまでは到達できず、ミサイル等で撃墜するとしてもキューバ危機の最中とあってはリスクが大きすぎます。

 いずれにしてもU-2の撃墜は困難だったため、防空軍はU-2のパイロットをだましてソ連領内へ引き込み、最終的に着陸を強制しようとしたのかもしれません。

 しかし、謎の誘導音声を不審に思ったモーツビーは、正規の管制官しか知らない暗号で呼びかけ、それを聞いた管制官は返事を返すことなく沈黙。

 しばらくして呼びかけは再開されたものの、モーツビーが耳を貸すことはありませんでした。

 なお、ソ連防空軍のパイロットは僚機と地上の管制官以外と交信できないよう、無線機の周波数帯域を意図的に狭く調整されていました。

 これは外国の口車に乗せられないようにする目的のみならず、外国との意思疎通を難しくすることで国外逃亡を防ぐ狙いもあったとされます。


司令官の冷徹な判断

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https://nsarchive2.gwu.edu/nsa/cuba_mis_cri/dobbs/maultsby.htm
迷い込んだU-2の航跡が記された地図

 ソ連防空軍がU-2を探知しMiG-19を緊急発進させたことは、すぐに米空軍の知るところとなりました。

 防空軍が用いる無線通信は大気上層の電離層で反射し、対岸のアメリカでも傍受できる状態にあったためです。

 SAC総司令官のパワー大将は第一報をうけると、ゴルフの予定を取りやめて急ぎ司令部へ戻ります。

 総司令部の地図上にはU-2のおおよその位置がプロットされていましたが、パワー大将はソ連側の情報に基づいてU-2を誘導することを拒否。

 防空軍の無線を米軍が傍受し、その内容で作戦機を動かしたとは悟られたくなかったのです。

 ほどなくしてU-2はチュクチ半島の内陸へ深入りしてしまい、米軍側との通信は途絶しました。


スラブな音色のラジオ放送

 孤立無援となったモーツビーは、無線機のチャンネルを操作し民間のラジオ放送を探します。

 ラジオの電波源を無線方向探知機でたどることで、アラスカに戻れると考えたのです。
 
 しかし、たまたま合わせたチャンネルから聞こえるのはスラブ音楽の音色でした。

 自分がソ連に迷い込んでいたことを悟ったモーツビーは、U-2の進路を東へとりソ連からの脱出をはかります。

 すでにU-2はソ連内を30分ほど飛行し、北極海からは300マイルほど内陸部に侵入していました。

 逃げるU-2に対し、チュクチ半島の南岸のアナディル(キューバにおける秘密作戦の由来となった)基地から発進した新たなMiG-19が追いかけます。

 とはいえ、このMiG-19もU-2に追いつけないうちに燃料が尽きてしまい、ソ連領内で追跡を断念しました。


滑空しながらソ連を脱出

 一方のU-2もソ連内を迷走するうちに燃料を消耗してしまい、ついにエンジンが停止。

 コクピットの与圧と暖房が停止し、減圧によって膨張した与圧服だけがパイロットにとって最後の命綱でした。

 絶体絶命に思えたものの、燃料を使い切って軽くなったU-2はグライダーのように滑空し、ベーリング海峡を横断。

 程なくして米空軍のF-102戦闘機に発見され、U-2は同機の先導をうけて海岸の氷上へ着陸しました。

 この時、U-2を出迎えたF-102はDEFCON2の発令によって兵装を空対空核ミサイルのAIM-26A(GAR-11)ファルコンに換装。

 そのほかの武装は搭載していなかった、とされます。

 F-102のパイロットであったシューマッツ中尉はMiGと遭遇した際の対応に迷っていたようです。


これはなんでしょうか、挑発でしょうか?

 この事件は直ちにホワイトハウスへ伝えられ、ケネディ大統領は「話を聞かない*****はどこにでもいるんだ」とカースワードをつぶやいたことが記録に残りました。

 一方のフルシチョフ第一書記は書簡でU-2の領空侵犯について触れ、

 「これはなんでしょうか。挑発でしょうか。貴国のうちの1機が、いまわれわれが経験しつつある不安な時期に、我が国の国境を侵犯したのであります。すべてのものが臨戦態勢に置かれているときに(中略)」

 「こうなればわれわれは、運命を賭けた措置を講ずるようになりましょう。」と批判的なコメントを送ります。

 ところが、この事件とほぼ同時にソ連軍がキューバの上空でU-2を撃墜。

 意図せずに米国を刺激したことに焦ったフルシチョフは、キューバからミサイルを撤去せざるを得ないと判断。

 これによって米ソ両国の緊張は緩和へ向かいます。

 なお、命からがらソ連から帰還したモーツビーは、この一件以来北極における観測任務から除外されることになりました。

 しかし、U-2による滞空時間の新記録(10時間25分)を樹立し、空軍は内々に祝われたようです。


参考
キューバ危機 ミラーイメージングの罠(ドンマン・トン デイヴィッド・A・ウェルチ 田所昌幸 林晟一 ISBN978-4-12-004718-3 2015年4月25日)
13日間 キューバ危機回顧録(ロバート・ケネディ 著 毎日新聞社外信部訳 ISBN978-4-12-203936-3 2001年11月1日)

Vanity Fair
Lost in Enemy Airspace(2008年6月1日 Michael Dobbs)

One Minute To Midnight Kennedy, Khrushchev and Castro on the Brink of Nuclear War(Michael Dobbs 2008年6月11日)