ソ連軍の秘密戦史33
帰るまでが作戦https://www.theatlantic.com/photo/2012/10/50-years-ago-the-cuban-missile-crisis/100387/
海上に浮上したB-59と、監視のヘリコプター
米艦との奇妙な交流1962年10月末、米海軍とキューバの周辺諸国は大規模な海上検疫(封鎖)と対潜作戦を実施。空母5隻、水上艦180隻、航空機200機という数の力もあって、4隻中3隻のソ連潜水艦を浮上させることに成功。浮上した潜水艦に対しては、友好的に接するよう指示されていました。浮上させられた潜水艦の1隻であるB-59は、随伴する米駆逐艦のコニーにパンとタバコを要求すると、実際にコニーはこれに応じ移送用のケーブルを渡しました。ただ、ソ連の水兵は索発射銃を知らず、銃声を攻撃と勘違いして艦内に隠れるハプニングがありました。B-59からは空母ランドルフが率いる艦隊の様子もよく見えたものの、サヴィツキー艦長には米艦の乗組員達がとても奇妙に見えました。非番らしき乗組員は半袖半ズボンで冷たげな飲み物を口にし、バンド員が楽器を鳴らしていました。さらには冗談のつもりで「ロシア人は帰れ」と拡声器で騒ぐ艦まであったようです。B-59が浮上した10月28日には、フルシチョフ第一書記がミサイルの撤去を表明しており、ちょうど日曜の休日でもありました。とはいえ、ソ連人のサヴィツキー艦長には、米海軍が艦内禁酒だとは到底思えず「酒に酔っているに違いない」と見えたようです。帰路のエンジン故障4隻の潜水艦は11月の半ばから順次帰投を命ぜられたものの、このうち2隻でディーゼルエンジンに深刻なトラブルが発生。帰りの航路では相当な苦労がありました。641型潜水艦 (フォックストロット型)潜水艦は3基のディーゼルエンジンを搭載し、それぞれ巡航用、バッテリー充電用、予備あるいは整備中としてローテーションしていました。とはいえ、今回の作戦では3基のエンジンがあるからといって、安心できることはなかったようです。ソ連の革命記念日である11月7日の夜、B-36の乗員は交代で海水のシャワーを浴びていました。しかし、この頃にエンジンへの空気吸入が不調となり、艦長がシャワーを終え発令所に戻ったとき、3基のうち2基のエンジンに海水が流入して停止していたのです。そこでB-36は唯一動くエンジンで航海を続けながら、故障した2基のエンジンを分解。比較的被害の少なかった左舷側に部品を取り付ける措置をとります。2週間後にはどうにか2基のエンジンが使用できるようにったものの、本調子までは回復しませんでした。B-130にいたってはエンジンは3基とも故障。なんとか動作する1基を用いても、1.5ノットでしか進めませんでした。B-130はソ連本国へ何度も現状を伝えたものの、あまり聞きたくなかったのか2日にわたって回答を保留され、その後に曳船との合流を指示されました。B-130は曳航船に引かれ、12月7日に母港のポリャルヌイ基地へ戻りました。怪しい混合燃料最初に母港のポリャルヌイ基地へ帰港した潜水艦は曳航されたB-130、次に11月20日までカリブ海で任務に就いていたB-4、その数日後にはB-59が戻ります。最後まで海上に残ったのがB-36でしたが、潜航中の運動で燃料が漏れ出したのか、帰りの燃料が2トン不足していました。このままでは、ノルウェーの北端であるノールカップ沖で燃料が尽きることが予想されました。そこからポリャルヌイ基地まではわずか500km程度。しかし、B-130のように軍の曳船がすぐに来てくれるとは限らず漂流する恐れがあり、通りがかった商船に助けを求めるとしても、それはドゥビフコ艦長の軍歴の終わりを意味しました。機関長は進退窮まった艦長を助けるため、残りのディーゼル燃料に潤滑油と水を混ぜて燃料にすることを提案しました。艦長は応じるほかになく、機関員は潤滑油3に海水とディーゼル油を1の割合で混合燃料を作りエンジンへ供給。混合燃料を投入されたエンジンは最初に「咳き込むような」音をたてたものの、そのまま運転を続けました。さすがにパワーは不足し推進力にならなかったようですが、バッテリーを充電しモーターで推進すれば、なんとか航行できたそうです。この翌日には燃料がストレーナー(ろ過器)を詰まらせてしまったものの、ストレーナーを清掃し、あらかじめ残しておいた純粋なディーゼル燃料でエンジンを再始動。すかさず混合燃料に戻しエンジンの運転を維持したのです。純粋な燃料は、ある機関員が「こんなこともあろうかと」少量だけ確保しておいたものでした。B-130は混合燃料の使用を開始してから10日後、12月25日にポリャルヌイ基地に帰港。すでに戻っていた3隻の乗員は露天甲板から声援を送りました。白眼視される乗組員約2か月半の航海を終え、欠けることなく帰還した4隻の潜水艦でしたが、通常の長距離哨戒任務と異なり出迎えのセレモニーはなく、桟橋は海軍歩兵によって封鎖。乗組員の上陸も許されませんでした。これはカーマ作戦の詳細が外に漏れるのを避けるためでしたが、3隻が敵前で浮上してしまったことで、海軍は彼らを好ましく思っておらず査問をするつもりでした。乗組員が冷遇される中、4隻を送り出したリバルコ少将は、1隻ずつ潜水艦が戻るたびに出迎え、妻に用意させた帰還祝いのご馳走と新鮮な食材を艦内へ届けました。帰港日の晩、B-130の艦内の乗組員は食堂兼ねる後部発射管室に集まり、シュムコフ艦長と共に乾杯しウォッカを飲み、艦長に万歳を叫びました。そんな中で艦長はさっと身をひるがえすのですが、これは目に浮かぶ涙を見られたくなかったからでした。翌日に少将は給水船を派遣し乗員が真水のシャワーを浴びられるよう手配し、医療班を乗艦させて診察をうけさせるなど、衰弱した乗組員のための支援を忘れませんでした。年末には乗組員たちの拘束も解かれ、新年を黒海の保養所で祝いました。しかし、艦長たちは少将に元気がない様子を感じ取っていました。彼は無線の件でゴルシコフ元帥の命令に背いたとして、立場が危うくなり辞任に追い込まれたのです。理解のない上層部短い休暇の後、4人の艦長は海軍総司令部への出頭を命ぜられ、キューバの任務に関してソ連軍事評議会に報告するよう指示されました。当初はフルシチョフ第一書記の出席が予定されており、事前の練習を繰り返すなど入念に準備がなされたものの、彼は多忙を理由に出席をキャンセル。艦長たちは、代理として第一国防次官のグレチコ元帥(後の国防大臣)へ作戦の経過を報告しました。このとき、元帥は艦長たちへ潜水艦を浮上させた理由を問い詰めたようですが、彼らの潜水艦がディーゼル潜水艦であると知って、逆に驚いたとされます。ソ連軍の上層部ではキューバに派遣された潜水艦は627/627A型(ノヴェンバー級)原子力潜水艦だと信じられていたからでした。この頃にソ連原潜は10隻以上が建造され、その存在は国内外に広くアピールされていました。しかし、死亡事故が相次ぐなど信頼性に乏しく、カーマ作戦のような長距離哨戒任務に投入できる状態ではなかったのです。こうした不都合な内情は現場で握りつぶされ、軍のトップまで届かない、というのはソ連の体制では珍しくないことでした。唯一の救いキューバ危機の翌年1月、フルシチョフはカストロ首相との関係を改善する目的で、冬のソ連に招待。艦隊の観閲も予定され、潜水艦B-4と艦長たちの参加も認められました。艦長達は大いに喜び、B-4へカストロが乗艦することも期待し、ペンキを塗り替えてきれいに掃除させていました。しかし、カストロの案内役のグレチコ元帥はB-4に目もくれず、最新の658型(ホテル型)ミサイル原潜へと彼を案内しました。艦長達は大きな憤りと失望を感じたものの、部下たちまでも同じ屈辱を味わずに済んだことが唯一の救い、そう自分に言い聞かせるほかにありませんでした。参考対潜海域 キューバ危機幻の核戦争(ピーター・ハクソーゼン 著 秋山信雄 神保雅博 訳 ISBN4-562-03622-2 2003年6月26日)
コメント
フルシチョフが欠席してて命拾いしたのはこの人なのでは?
機械油はともかく海水はかなりやべー気がしますが、フィルターとかで案外なんとかなるもんなんでしょうか…?
>原子力潜水艦
現場と上層部の乖離とかは良くソ連の悪い面として取り上げられる気がしますが、まさかここまでとは。
燃料補給の有無は大きいですし、下手をすると「燃料?いらんはずやろ頑張れや」なんて言われかねない…
機関長いわく1時間に4回ほど(フューエル)ストレーナー
を清掃(交換)する必要があった、とのことです。
ただ、それさえ怠らなければエンジンは回転を続けるわけですから
ディーゼルエンジンというものはすごいですね。
後の時代のことですが
T-80戦車のガスタービンエンジンは多燃料機関として設計されたそうです。
RBTHの報じるところでは
(通常の燃料として)レギュラーガソリン、灯油、ディーゼルエンジン
緊急時には燃料油、天然ガス、水性ガス、アルコール、船舶用燃料、粉砕石炭を
使用できるという話です。
ウォッカで戦車が動いもおかしくはなさそうですが
兵隊の燃料でもある以上、そんな使い方が許されるのかは不明です。
昔コンバットコミックから出てた漫画でどんな燃料でも動くガスタービンエンジンの事を豚の胃袋エンジンって言ってたな…その話では近くの村で入手した上等な小麦で動いてたな…
大戦中の現場の創意工夫は知ってたけど、冷戦期にも苦労してたんだな
そして組織的というか制度的硬直化が既に末期直前だったとは…
結局エンジンや配管が腐食に耐えられないということで、実用化は見送られてしまったけど(うちの父親によると、過去に燃料危機が起こる度に現れてはボツになるアイデアだそうな)、それを考えると、海水をエンジンに突っ込んで燃やすのは正気の沙汰とは思えない…。
あとカクテル燃料のレシピが、どう考えてもその場でサッと思い付けるような代物じゃないように思えるけれど、もしかするとそのレシピが必要になるような事態が、当時は珍しくなかったのではないかと。
それと何故かディーゼル燃料隠し持ってる乗員ェ…
※6
大戦末期の大陸では、日本軍が村落から徴発した酒を一生懸命蒸留して純アルコールを作って、それで戦車を動かしていたと聞いたことがある。
ちなみにディーゼルエンジンを発明したルドルフ・ディーゼルさんは、当初は液体燃料だけでなく石炭粉も燃料にできるようにするつもりだったのが、その試みがうまくいかず、エンジンのセールスにも失敗して精神を病んで、アメリカからの帰りの船で身投げしてしまい、それがディーゼルの母国であるドイツでディーゼルエンジンが発達しなかった伏線に繋がるという…。
黒葉鉄「メタリック・シンバ」ですな、懐かしい。
「燃えるものならなんでもござれの、称して"豚の胃袋エンジン"」の台詞は、正確には工業用アルコールを調達してきた時。
燃料として近くの村から上等の小麦粉と水を調達してくるエピソードは第一話冒頭で出てくるんですが、これが実は単行本化の際に追加された部分で連載当時は無かったんですよね。だからその辺の時系列がちょっと変なことになってるんですが、まあ細かいことは(ry
>>6じゃなくて>>7です。
記述にもあるように緊急事態も緊急事態、とにかくエンジンが動きさえすれば後のことはどうでもいい、くらい追い込まれてますからね。その意味では見事な措置ですよ。
コメントする