ソ連軍の秘密戦史28
高まる緊張
文:nona
https://nsarchive2.gwu.edu/nsa/cuba_mis_cri/photos.htm
米軍の戦術偵察機が低空から撮影したミサイル基地。
核の使用許可を10月22日夜、ケネディ大統領による緊急テレビ演説をうけ、GSVK(キューバ派遣ソ連軍グループ)は緊急会合を実施。司令官のプリーエフ大将は、GSVKが本国からの援軍を得られない不利な立場にあることを踏まえ、以下のように語りました。「我々は故郷から遠く離れ、後退する場所はない。弾薬も5、6週間しか持たない。GSVKの解体を迫られれば我々は師団として戦い、師団が維持できなくなれば連隊となって戦う。連隊さえも維持できなくなれば、山にこもり抵抗し続ける。」GSVKは、10月24日に開始された米国の海上隔離措置(事実上の海上封鎖)をうけ、計画されたすべての兵力を受領できませんでした。それでも兵員約4万2000人、戦車や火砲、戦闘機、各種のミサイル兵器などの戦力を保持。空襲に備え装備は分散隠蔽され、兵士達は塹壕を掘り、夜は小銃とガスマスクを手元に置いて兵器の側で眠り、戦闘に備えました。さらに、キューバ軍も予備役と女性を含む民間の志願者を募り27万人の兵員をかき集め、旧キューバ政府の装備とソ連からの供与兵器によって武装しました。ただ、ソ連本国はキューバ軍を戦力として期待しておらず、戦火が自国に飛び火することへの警戒から、米国と戦わせるようなことは全く望んでいませんでした。
事件の翌年、マリノフスキー国防相はキューバ軍が米軍に粉砕されるまでの日数を「二日かそこらでしょう」と語りフルシチョフも追認。これを聞いたカストロ首相を怒らせたことがありました。核使用を検討するGSVKマリノフスキーGSVKに対し先制攻撃および核の先制使用を禁止。プリーエフは22日の会合で「相手が核兵器を撃たない限り、我々は通常兵器で戦う」と指示しました。しかし、キューバ危機の表面化から数日が経過すると、GSVKの幕僚たちは自身が丸腰でいるかのような不安にかられます。協議の結果、米軍が上陸した時点での核使用を本国に求めることにしました。GSVKが有する戦術核兵器はFKR-1短距離巡航ミサイル、S-2ソプカ対艦ミサイル、2K6 ルナ(FROG-3)短距離地対地ロケット、IL-28爆撃機が搭載する戦術核爆弾RDS-4の4種。IL-28を除き、いずれの兵器も米国本土へ到達する射程はないため、防御的な使用に留まるものでした。(いわゆるベルカ式でしょうか。)しかし、この要求を知ったマリノフスキーは、以前に発した命令を維持するよう指示。
その後、現場の言動に不安を覚えたのか、27日に本国の許可なく核兵器を使用することを絶対的に禁止、としました。なお、事件当時に参謀本部からキューバに派遣されていたグリブコフ作戦部長は、本国がGSVKの戦術核兵器の使用を止める方法はなかった、と回想しています。持ち出されるテフニキ10月26日の夜、首都ハバナから南20km、ベフカルの洞穴に隠されていた「テフニキ(技術者)」が運び出されます。
これは核弾頭の隠語であり、要件が整い次第、すぐに戦術核を発射するためにプリーエフがとった措置でした。核弾頭は温度管理の必要から冷蔵トラックに積まれ、車列はヘッドライトを消灯。尾灯だけを点灯した状態で暗い夜道を走りました。ところが、車列が集落に入りキューバ人の目に留まると沿道から声援をうけます。市民はソ連軍が何を運んでいるか知らないはずですが、彼らを応援したかったようで車列は意図せずパレード状態と化したのです。さらには、暗がりを走行したために一部の車両が運転を誤り、沿道のキューバ人を巻き込んで谷底に落下。計3名が死亡する惨事となったうえ、車列の指揮官が慌てて無線機で救助を呼んでしまい、輸送計画が米国に察知されかねない状況にありました。
偵察機が与えた恐怖
http://www.granma.cu/cuba/2017-10-22/la-crisis-de-octubre-y-el-gran-peligro-22-10-2017-21-10-00
ハバナ・マレコン海岸に設置されたキューバ軍のvz.53。DShK 機関銃を元にチェコスロバキアで4連装化された対空機関銃。ケネディは海上検疫措置と同時にキューバへの空中監視を予告しており、23日からキューバ領空に対する領空侵犯が急増しました。米軍の戦術偵察機は低空からキューバ軍とGSVKの軍事施設へ接近し、地上の兵士達にプレッシャーを与えました。このような偵察飛行は続くと、キューバ軍は偵察飛行が本格的な爆撃の準備ではないかと懸念。10月26日夜におけるカストロとプリーエフの会談では、米軍による着上陸侵攻の可能性が低いと判断。その一方で、空爆は24から72時間以内に開始される可能性が高い、という認識が共有されました。そこでカストロ首相はキューバ軍に翌日からの対空射撃を指示。プリーエフ大将もマリノフスキー国防相へ「実行可能なあらゆる防空手段を用いる」許可を要求しました。その際にプリーエフ大将は「必ず内容を確認したという返事を大臣自身からいただきたい」と、ただし書きを加えます。ジュピターミサイルの撤去要求
https://en.wikipedia.org/wiki/PGM-19_JupiterPGM-19ジュピターミサイル。ミサイルの基部は「flower petal shelter (花びらシェルター)」で保護され、発射の際に開傘する。キューバ軍とGSVKが孤立無援の状況で、否応なしに好戦的になりつつありました。これとは対照的にソ連本国は交渉を模索。26日にフルシチョフはホワイトハウスへ和解を呼びかけています。しかし、フルシチョフは前日の書簡で譲歩しすぎたと考えたのか、翌27日の書簡では追加の要求を加えます。それは米国がトルコの前進戦略基地に配備する15基のPGM-19ジュピターMRBMの撤去を求めるものでした。このミサイルは、かつて米国でミサイルギャップが騒がれた1950年代末に、ICBMの不足を補う目的で配備されたものでした。射程は2410km(1500マイル)で、モスクワを射程圏内としていました。今回、ソ連がキューバでやろうとしていることは、すでに米国がトルコでやったことに習ったもの、と言えます。しかしながら、米国の戦略ミサイルの数はソ連のそれを大きく上回るようになると、ジュピターは旧式扱いされ、主に政治的な理由で配備が続けられました。当時の駐米公使だったコルニエンコは、ジュピターの脅威を低く見ていたと回想します。ジュピターはソ連本土に近すぎるうえに発射準備に時間がかかるため、同種の戦略核ミサイルによる先制攻撃で容易に除去できるのです。面子の問題でジュピターの撤去をフルシチョフがわざわざ要求に付け加えたのは、米国からわずかでも譲歩を引き出すことで、交渉での勝利を印象付けるため、とされます。彼は「トルコの米軍基地の清算まで達成できれば、我々の勝ちだろう」と強調しています。しかし、エクスコム会議においてこの要求は不評でした。マクナマラ国防長官は「我々に返事をする時間も与えないで、取引の条件を変えてしまうような相手とどう交渉できるだろう」と発言。マクナマラ以上の強硬派の中には、価値の低下した核兵器であってもソ連の要求に屈して撤去したとなれば、今度は米国の威信が損なわれる、との主張がありました。最終的にケネディはジュピターの撤去に応じるものの、この時点では「キューバからのミサイル撤去とキューバへの不可侵」を交渉の条件とし、フルシチョフの追加要求は無視されました。参考
キューバ危機 ミラーイメージングの罠(ドンマン・トン デイヴィッド・A・ウェルチ 田所昌幸 林晟一 ISBN978-4-12-004718-3 2015年4月25日)十月の悪夢(NHK取材班 徳永敏介,山崎秋一郎,大和啓介,小谷亮太,阿南東也 IABN978-4-14-080072-0 1992年11月30日)対潜海域 キューバ危機幻の核戦争(ピーター・ハクソーゼン 著 秋山信雄 神保雅博 訳 ISBN4-562-03622-2 2003年6月26日)地域戦争と紛争におけるソ連 第10章 カリブ海の危機 世界は災害の危機に瀕した(Лавренов С. Я, Попов И. 2003年)
コメント
前後の文脈を省略してしまったことを
後悔しております。
長官の発言は
キューバ危機の最中に両外相が参加した会食の席で
グロムイコ外相が驚くほどに酒で酩酊した状態で
語られたものです。
ラスク長官がグロムイコ外相に示したのは
毅然とした態度ではなく
やけ酒に救いを求める姿だったので
一般的な解釈としては6様のお考えに近いかもしれません。
先のコメントは投稿先を間違えました。
失礼いたしました。
2様
本文にはベルカ式と書いたものの
GSVKでは水際での使用を望んでいたようです。
ひとたび米軍に着上陸され
敵味方と民間人が入り乱れた状態での核使用は
現実的には難しいようで。
ただグアンタナモ基地に対しては
FKR-1もしくはルナ(FROG-3)による攻撃を準備していました。
周辺は無人地帯でしたので気兼ねなく(?)攻撃できるようです。
名無しのミリヲタ(ワニ)様
リリカルなのは?
ノーマン・ポルマー氏の「原子力潜水艦」では
ジュピターはSLBM化を想定していた
と書いてあった気がします。
米ソ共に低評価のミサイルですが
陸海空3軍で運用された可能性があったのかもしれません。
こう見ると核兵器の高出力・小型化、長射程化、ホットローンチ等、技術の進歩は凄いですな。
現代でも一応自由落下型核爆弾の運用能力自体は残っているものの、キューバ危機時点でソ連側がIL-28で核攻撃しようとしてたなんて。
パイロットが可哀想。(小並
さすがに全面核戦争になる危険性を踏まえると理性的足らざるを得ないということでしょうか。
押して負けたらとんでもない責任問題だし、辞めればすむって問題でもない
当然反撃で国民も死ぬし産業も壊滅するから、その糾弾が待っている
たとえ勝ったところで沢山の生命や財産が失われるのは同じだから同様の追及はあるだろう
核戦争起こした責任をとれる指導者なんていないから避けたいのは道理
責任をとらない連中は好き勝手いうが
なのでミサイル発射されると映画の世界大戦争の東京防衛司令部の状況に。
反戦映画なので嫌悪する方もいるかと思いますが、この時代の全面核戦争に対する感覚が伝わる名画ですので機会があればご覧ください。
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