ソ連軍の秘密戦史26
スカートの下にひそんでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Cuban_Foxtrot_submarine.jpg
フォクストロット級潜水艦。写真は1986年に撮影されたキューバ海軍のもの。
頼りになった敵国のラジオ10月1日にムルマンスクを出発した4隻のソ連潜水艦は、GIUKギャップにおける哨戒機の監視を嵐でかわし、着々と大西洋を南下。モスクワのVLF電波送信所からは暗号化された短文の指令が定時で送信されており、各艦は潜航したまま受信し、本国からの指示に従いました。しかし、これらの指令はごく短く説明不足であったため、艦長は何らかの手段で情報を補完する必要に迫られます。そんな時に助けとなったのがVOA(ボイス・オブ・アメリカ)やBBCの短波ラジオ局が放送するロシア語のニュース番組でした。これらの放送は西側のプロパガンダを含んでいたものの、しばしば自国のモスクワ放送よりもはるかに有益な情報源とされました。ソ連は西側のラジオ放送を聴くことを禁じていたものの、艦長は同乗する政治将校に事情を説得し、それを聞かなかったことにしてもらいました。外国のラジオ番組を聞くことは通信手にとっての密かな楽しみでもあり、VOAから流れるジャズなどのアメリカ音楽は特に人気があったそうです。一方、西側のアナウンサー達が話す流ちょうなロシア語には、本国では使われなくなった死語も多く、それを発見することも西側放送の楽しみ方でした。米軍の無線を盗み聞くラジオ放送に加え、海上を飛び交う各種無線通信の傍受も、有益な情報を艦内にもたらしました。各艦には英語を理解できる人員が5人ほどおり、彼らが西側各国の軍艦や哨戒機、民間商船の無線交信を分析することで、自艦の周囲を取り巻く艦船や航空機の動きを把握したのです。ソ連の潜水艦は水上艦や航空機が発するコールサインはもちろん、パイロットのTACネームまで逐一記録。こうした情報をもとに、周囲を飛行している航空機の機種はもちろんのこと、誰が操縦しているか、といったことさえ識別していました。過酷な旅路
4隻のソ連潜水艦は南下するにつれ、次第に生活環境が悪化しました。
B-4とB-59は海水温の上昇にともない酷使した空調装置が故障。艦内温度は40℃に達することさえありました。各艦に36t搭載されたという真水は(乗員80名とする場合)1人当たり450Lの割り当てだったものの、長期航海には心許なく飲用も制限されました。
艦内には造水機も搭載されエンジン作動中に使用できたものの、造水量は毎時5L程度にすぎず、生温く悪臭もあるなど飲用には不向きでした。規則であれば週に2回のシャワー使用も守られたことがなく、乗員の間で湿疹や潰瘍など皮膚炎が蔓延。
乗員には使い捨てタオルが配布され、それがなくなると消毒用エタノールに浸した脱脂綿が毎朝配給されました。
当然、これは体をふく目的で配給されたわけですが、当たり前のように代用酒として吸って飲もうとする乗員も少なくなかったそうです。食糧事情に限ってはソ連軍の中では比較的恵まれており、キャビアの缶詰やワインなども積まれていました。ただし、前述の通り真水の使用が制限されたことで調理に海水を使ってしまい、食事を塩辛くする悪手がとられたようです。規則無視でリフレッシュこの頃のディーゼル潜水艦では浮上航行時に非番の隊員を司令塔に上げて交代でリフレッシュさせたのですが、急速潜航の妨げともなるため、その人数は厳しく制限されていました。しかし、乗員の疲弊を感じ取ったB-4の艦長は規則を無視し、一度に5人もの乗員を上げる特別措置をとりました。B-36も、換気のため艦尾のハッチを開けたまま航行していました。こちらも突然の大波が艦内に流入し、後部発射管の電気回路がショートする恐れがあったのですが、乗員の状態を考えてやむなく規則は無視されました。スカートの中10月20日、B-36はキューバまであと数百キロという地点にあり、本国からの指令をうけ、西インド諸島のカイコス水道を通過しました。この頃に米国はキューバに核ミサイルが配備されつつあることに気づき、この日にケネディ大統領はソ連船に対する事実上の海上封鎖を決定。米海軍の監視が厳しさを増そうとしていた時、B-36の艦長は民間船の航跡に隠れて潜航することで、監視をやり過ごす戦法を実行しました。無線傍受と潜望鏡で手ごろなタンカーを見つけたB-36は、その船の背後を潜航しながら、つかず離れずの距離を保って静かに追尾します。その最中、タンカーは機関の故障によってカイコス水道の途中で急停止し、タンカーの停止に気付いた米艦が接近してきました。周辺の海域は浅くB-36が隠れる場所は限られており、接近する米艦にB-36の存在を感づかれる危険もあったものの、タンカーが無線で事情を説明すると、米艦はあっさりとその場を離れました。ほどなくしてタンカーも航行を再開したため、B-36は誰に気づかれることもなく、カイコス水道を通過。安堵した部下は「女のスカートの下にひそんで難をのがれたなんて、なんとも愉快だったですね」と冗談を言いました。これは、タンカーと米艦が交信したさい、タンカー側がノルウェーのグレーテルと名乗ったからでもありました。参考
対潜海域 キューバ危機幻の核戦争(ピーター・ハクソーゼン 著 秋山信雄 神保雅博 訳 ISBN4-562-03622-2 2003年6月26日)アナディール作戦のファイル(TASS通信 2017年9月8日)
コメント
「ラジオ聴くのに政治将校にちょっと相談してOKもらう」なんて話聞くとその説が補強される気がしてくる
高校卒業と同時に「いっちょ海とやらでも見てやろかい!」
といって海軍に入隊して鍛えられていくという話を聞くんだが
徴兵中心のソ連の場合はどうだったんだろうか?
※2
そういえばネブラスカ州というと、『ネブラスカ州海軍提督(Nebraska Admiral)』という称号があるらしいのを聞いたことがあるワニ。
暗号化もせにゃいけんし
命令の背景にある情勢を掴むには敵国ラジオも有効に活用しないと
ところで参考文献のハクソーゼン、キューバ危機の時には駆逐艦の兵科将校で、封鎖加わったそうですね(ネタバレ?)
タンカーの航跡に隠れて進む、というのは初めて知ったので興味深いですね。今のクジラ乗りの方も他の船の航跡に身を隠すことはあったりするのでしょうか?
2007年1月9日にホルムズ海峡付近で川崎汽船のVLCC「最上川」(日本籍)が
米国の潜水艦ニューポート・ニューズと接触
https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/10/100109_.html
というのがあるから、今でもやってるんじゃないかな
航跡に隠れる事は常套手段だと知っていた
が、いつからだったか思い出せない
第二次大戦時からだったかなあ?
ハワイ奇襲での特殊潜航艇も駆逐艦を追尾して防戦網を突破しようとしていたが
ただもうその頃になると、これでがっつりした警戒網を抜けるのは難しくなっているようだった。
カーマ作戦に参加していた1隻であるB-4が
嵐で難破しそうなソ連船からの救難信号を受信し
別の船が気づくことに期待して
救難信号を中継したことがあったそうです。
本部の命令に背く行為でしたが
上の命令よりも「海の男の掟」が大切だそうで
艦長いわく救難信号が外国船であっても同じことをした
とのことです。
2様
米海軍省情報部が編集した「ソビエト海軍の全貌」では
米国のボストン港でマックシェイクをストローですする
ソ連水兵の写真が掲載されています。
機会さあればソ連の水兵も資本主義の味を楽しめたようです。
ただ彼らが亡命されては困るので
上陸中は修学旅行のような団体行動が基本だったようで
いかがわしいお店にも入れませんでした。
ソ連海軍の水兵は
自ら志願するか、徴兵候補者の中から抽出されるかのいずれかでしたが
他の軍種よりも人気はありません。
1967年にソ連は一般兵役法で
徴兵期間を3年から2年に減らす措置をとったのですが
海上勤務者は専門職種の訓練に時間を要するために
3年のままで、待遇のわりに給与も安かったそうです。
また中央アジアなど非ロシア語圏の人は
本人が希望しても語学の問題で海上勤務に回せない問題がありました。
カスピ海やアラル海の艦隊は例外かもしれませんが、
とても外国には行けそうにありません。
3様
VOAは国営放送
BBCについては対外放送に限っては国営という扱いになっています。
4様
ウヰスキーの話でしょうか?
5様
西側にOSINTという言葉がありますが
ソ連ではイデオロギーが邪魔して
一般の部隊ではかなりやりにくかったようです。
当方の記事で扱うかは現時点では未定ですが
ハクソーゼン氏個人のエピソードも興味深いですよね。
7様
ソビエトロシアにおいてアルコールの飲用は
様々な文献で散見される現象であります。
上層部としては止めさせたったはずですが
到底不可能なので
飲用による中毒を避けるために
あえて無毒に近いエタノールを多用している節があります。
例えばMiG戦闘機は冷却水の類にエタノールを
多用していましたが
これは色々な意味で英断だったと思います。
ただ最近のコロナ対策で気づきましたが
アルコール消毒はやりすぎると肌荒れが進むのですよね。
皮膚炎に対しては逆効果かもしれません。
8様
ソ連の潜水艦では
その3つが同時に信仰されたようです(笑
今回の作戦に参加した潜水艦B-130では発令所に
船の守護聖人である聖ニコラスのイコンがあり
これも政治将校は見逃していました。
9様
某映画の「イワンターン」なる返し技を思い出しました。
10様
手持ちのWW1の資料を読み返したのですが
記述を見つけられませんでした。
とはいえ、この時代には防潜網や対潜機雷
固定式の水中調音機は実用化されていたので
これらを回避する手段としてWW1期に発案されても
おかしくはないはずです。
PIAT様
1980年代にソ連で造られた
深海探査艇並みに深く潜れる潜水艦も
年々高性能化するソナー対策だった
と言われれいますね。
今は海底に沈んでますが。
『それ』とクリヴァク級の反乱事件ワニ。
ご指摘ありがとうございます。
管理人様に記事の修正をお願いしました。
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