陸自火力戦闘の在り方について


文:ミラー 
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 令和3年の年始を迎え、如何お過ごしでしょうか。

 昨年はコロナの影響で富士総合火力演習が放送のみの公開となり、実際に見学する機会を得られなかった方は残念だったと思います。

 そこで今回は、陸上自衛隊の火力戦闘の在り方に関して、コメント欄の方々と考えていければと思います。

 その為には、まずは前提条件が必要になりますので、簡単にではありますが、書いてみたいと思います。

1、陸上自衛隊の火力戦闘とは

 2000年の同時多発テロ以降、対テロ戦争の潮流で市街地戦闘などの歩兵を主体とする局所的戦闘への対応がクローズアップされ、一時的に正規戦闘における野戦の大切さが注視されない時期がありました。

 陸自もその流れに乗り遅れないよう、市街地戦闘の訓練に重点を2000年代の頭は置いていたと思います。

 しかし、途中から野戦訓練への回帰や火力発揮へ向けた機動戦闘車などの装備調達への軌道修正が行われました。
 これは、市街地において重装備も役に立つというのもありますが、それ以上に次に対峙する相手が見えてきたのと、人口面の問題を他で補う必要性に気が付いたからと考えています。

 そもそも、陸上自衛隊は発足当時から求められた戦力を保有しているとは言い難い組織でした。

 警察予備隊創設を求めた当時朝鮮戦争で国連軍の中でも要職にあったマッカーサー元帥の求めていた重戦車などは与えられませんでしたが、米陸軍の師団に準拠した、強力な装備を持つ装備は与えられました。

 問題はその数で、当初4個師団相当の戦力が与えられました。
 これは、マッカーサーが朝鮮戦争を遂行しつつ、ソ連が万が一日本に対して着上陸をした場合の最低限の自衛戦力として、またGHQより再軍備構想を考えるように言われていた日本陸軍元参謀本部作戦部長服部大佐の構想した「国防軍案」より最終的には15個師団相当の陸上戦力を目指すものの、まず訓練の必要性から4個師団分の編成を提示していたのが発端でした。

 この時の15個師団編制を目指すという内容は、服部大佐らのグループが吉田茂総理らによって文民主体の統制へと変えられてからも縛り続ける事となります。
 これは朝鮮戦争当時のソ連軍を基準として考えられた戦力でしたが、後の時代になっても大きく変更を加える事なく、相手戦力との対比なく継続されたのです。

 特に、戦車や火砲の定数化は、後々まで尾を引く規定となりました。

 これ以降、陸海空自衛隊は定数の増加が当初目標を満たすまでは続けられましたが、冷戦も中ごろとなると横ばいになり始め、戦車で言うなら1976年の1200両体制をピークに減少の傾向をたどりました。
 これは陸自においては火砲や人員も同様で、1個師団あたりの人員数も当初1万7000人の米軍と同等の編成が基準でしたが、今では定数1万人を超える師団編制はなくなってしまいました。

 話が陸自の組織規模の話になってしまいましたが、そんな状態でも陸自の火力は旧日本軍の師団と比較して大きな火力を持っています。
 理由は、かつての火力不足の反省もありますが、そもそも米軍式の師団編制を基礎とした事で砲火力と機甲戦力の拡充が進んだ事が大きいでしょう。

 陸自は本土防衛を主旨とし、野戦を中心とする為に火力を重視した戦闘が考えられ、富士総合火力演習などで見ることができます。
 野戦では火砲による火力発揮が効果を特に発揮する為、冷戦中は105mmりゅう弾砲が、冷戦後は120mm重迫撃砲が方面隊あたりで見ると相当数配備されています。
 甲師団編制の部隊で、冷戦中は105mmりゅう弾砲32門、冷戦後120mm重迫撃砲は完全に定数を満たすなら最大で48門の火力を発揮できます。

 これに加えて155mm以上の重砲が方面隊などに配備されており、狭い国土の中ではそれなりの火力密度があるでしょう。
 戦車などの火力や、歩兵の傾向する無反動砲や機関銃火力も向上している事も考慮する必要があります。

 ただし、それでも対抗すべきソ連や中国に対して目標とする国土防衛の基準に届いていたかは議論が必要です。

 特に、昨今の動的防衛への移行は火力戦闘の方法を大きく変えつつあります。

 重砲を含めた火力削減が進む一方で、長距離ミサイルによる遠方への打撃能力、戦略機動の発揮による同一戦力を用いた火力打撃力の広範囲での活用が期待されるようになったのです。

 これは、今までは方面隊ごとに敵を抑え込める火力を持つ指針から、全国の部隊が必要な場所へ行き、都度対処を行うという戦い方になる事を示します。
 同時多方面への対処は出来なくなりますが、最低限度の戦力まで抑え込めるのは、平時には魅力的な要素です。
 また、人口の減少に伴うそもそもの人材不足への回答ともなるでしょう。
 こちらは後程詳細に話を書いてみようと思います。


2、敵対するであろう戦力

 冷戦の最中に誕生した自衛隊の当初の敵はソ連極東軍であったのは間違いないでしょう。
 最大でも数個旅団程度しか上陸する能力がないと分かったのは、冷戦終結後の話で、それまでは朝鮮戦争時に米参謀本部が想定した、10個師団と1個空挺師団による攻撃を想定していたと考えられます。
 ここで問題となるのは、ソ連軍を単独で迎撃することより米軍や直接攻撃を受けた方面隊以外からの増援を受ける前提で、遅滞を主目的としていた様にみれる事でしょう。
 他方面や同盟国からの増援を前提とするのは現在の動的防衛に近いものもありますが、最大の違いは各方面隊が敵上陸を受け止めてから対処する流れになっていた事でしょう。


 冷戦も集結すると、しばらくの脅威はテロリスト集団といった非正規戦力による国内での武力動乱などになりましたが、すぐに次の脅威が現れます。

 中国は台湾に対する武力解決を図る一方で、軍隊の近代化を急速に進めて参りました。
 今では米軍と太平洋の覇権を競うほどになったのです。
 加えて尖閣諸島などの島嶼を目標とした中国軍の行動は、自衛隊に島嶼防衛への対応を求めました。
 台湾有事に向けて増強されてきた中国軍の揚陸戦力も数個旅団程度の陸上戦力を展開可能で、ソ連対策に北海道や東北に重点を置いてきた陸自にとっては新しい姿への改編を求められるものでした。

 加えてロシアの脅威も完全になくなってはおらず、引き続き重戦力の必要性も求められています。
 陸上自衛隊は島嶼部における立体的な戦闘・北部における火力戦闘・市街地における対テロ戦闘を求められる時代になったのです。


3、動的防衛以降の陸自火力戦闘とは

 現在、陸自が直面している動的防衛体制における火力戦闘は非常に広域における対応が必要になっていきます。

 大きく分けて陸自が想定する火力戦闘は2種類あると考えられます。

 一つは北部などの対ロシアを想定した旧来型の火力戦闘です。
 こちらは引き続き配備される重火器や戦車を活用しつつ、後程話します長射程ミサイルによる本土などからの火力支援が必要になってきます。
 普通科部隊もIFVやAPCを活用した装甲車両による戦場機動を行い、火力戦闘の戦果拡張や防衛戦における戦線維持を行うでしょう。
 ただ従来と異なるのは、有事に際して敵が揚陸するとされる地点へ戦略機動力を生かして駆けつける機動編制の部隊と重装備を用いてこれを撃退する戦力に分かれつつあるのが現代の特徴だと考えています。
 16式機動戦闘車などは新しい姿への変革を象徴する存在でしょう。

 大きく変わる事が考えられるのは島嶼防衛です。
 こちらでは戦闘ヘリなどによる火力支援はもちろんですが、火砲などの火力の空中機動と射程を生かした長距離ミサイルによる広域への火力発揮が重視されるようになると考えられます。

 島嶼防衛用の名目から対艦ミサイルの一層の長射程化と対地攻撃能力の取得がその一環です。

 加えて、島嶼防衛では対艦戦闘により敵戦力を削減する機会がより重要となります。
 揚陸後は狭い島嶼の中で大火力により敵を排除するのは難しいですが、広い洋上であれば目標選定も含めて大きな火力をぶつけやすいからです。

 最も、揚陸された後の火力戦闘も想定する必要があり、そこで活躍するのが空中機動が可能な120mm重迫撃砲といった軽量な重火器です。
 装甲戦力も16式機動戦闘車やヘリでも戦略機動出来る軽装甲機動車といった戦力が大切になっていきます。

 普通科部隊の火力充実もより必要となっていく事でしょう。
 水陸機動団への60mm迫撃砲の配備や84mm無反動砲の軽量型配備はその皮切りとなると考えています。


 以上、久々の記述の為、短く詰めも甘い箇所が多い内容ではありますが、コメント欄で書き込み頂ける方の知識も交えつつ、陸上自衛隊の火力戦闘に関して考えていければと思います。

 本年も何卒お願い致します。