ソ連軍の秘密戦史23
アナディル作戦のソ連兵器
文:nona
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Soviet-R-12-nuclear-ballistic_missile.jpg
R-12型MRBM。
1962年夏に始まったソ連軍の遣キューバ作戦「アナディル」ですが、同地に運ばれたソ連兵器は個人的にはなじみの薄いものだと感じたので、この場で簡単に解説いたします。
R-12射程2080kmの凖中距離弾道ミサイルで、ソ連本国では1959年ごろに運用が開始されました。キューバから発射する場合、ワシントンDC、ニューヨーク、ダラスなどの大都市を射程におさめます。キューバへ送られた弾体は3個連隊に12発ずつの計36発で、これとは別に訓練用あるいはダミーが6発が存在しました。一方の発射機は24基で、一部は繰り返して使用される予定でしたが、そのような余裕があったのかは謎。弾頭の核出力は1Mtとされ、これは単純計算で広島型原発の66倍に達します。大抵の戦略目標に対しこれ程の威力は過剰でしたが、当時のミサイルは命中精度が低く、目標から数キロそれた場合でも確実に破壊できる威力が求められた、といいます。後述のR-7とR-16ICBMでは特に巨大な5Mtの弾頭が存在しましたが、後年に精度が向上すると射程の延伸や多弾頭化を目的に500kt級の小型弾頭が普及します。R-14
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SS-5_Skean.JPEG
R-14(1977年に公開されたもの)
1961年頃に運用が始まったとされ、射程は諸説あり3700から4500㎞とされます。いずれにしても米国本土のほぼ全域を射程に収めており、このミサイルがぎりぎり届かないと思われた米国の北西部には国中から避難民が殺到したといわれます。実のところ、米国による封鎖をうけて肝心のミサイル本体がキューバに到着しておらず、発射可能な状態にはありませんでした。R-7とR-16キューバには配備されなかったものの、この頃のソ連本国にはR-7とR-16という二種類のICBMが存在しました。R-7は1957年のスプートニク打ち上げに使用され、派生型がボストークやソユーズの打ち上げに用いられるなど、ソビエトとロシアを代表するロケットとして有名です。ただし、発射準備に1日に近い時間がかかる上に待機時間は短く、500㎞間隔で無線基地から姿勢制御する必要があるなど、兵器としての実用性を欠いていました。フルシチョフは回顧録にてR-7への否定的な意見を残しており、ICBMとしての量産化も断念しました。その後継として開発されたのがR-16ですが、開発を急かした結果1960年に爆発事故で、視察に訪れた戦略ロケット軍を総司令官を爆殺する惨事を招きました。もっとも、フルシチョフはこの事件を「よく覚えていない」「最初のパンケーキは出来損ないになる」と回想したように、失敗を許容して開発の続行を指示。アナディル作戦が開始された1962年の夏ごろには試射が成功し、キューバ危機の最中には、20から30基程度のR-16が待機状態にありました。
2K6ルーナ (FROG-3)
https://ru.wikipedia.org/wiki/2%D0%9A6_%D0%9B%D1%83%D0%BD%D0%B0ソ連地上軍は4個の自動車化狙撃連隊(兵員3500名)をキューバに派遣し、各連隊は9発の地対地ロケット弾2K6ルーナ(射程40㎞)を装備。9月には核出力12ktの核弾頭も到着しています。キューバへ派遣された参謀本部のアナトーリ・グリブコフ少将は、2K6を始めとする戦術核兵器はGSVK (キューバ派遣ソ連軍グループ)の判断で使用が認めていた、と語っています。実際のところマリノフスキー国防相は許可を与えなかったものの、GSVKは危機のさなかに戦術核の使用許可を本国へ要請。そして、もし彼らが核の使用を強行した場合、本国にこれを止める方法はなかったそうです。S-75ドヴィナ(SA-2)ソ連防空軍が管理する地対空ミサイルで、米国の偵察機による飛行を妨害するため、12ユニット(発射機72基とV-750ミサイル144発)が輸送されました。実際には、フルシチョフが米国への刺激を避けるため撃墜を認めなかったことから、U-2による偵察を許しています。さらに、10月後半に危機が深刻化し現場の緊張が高まると、本国の意に反してU-2を撃墜。米ソの緊張が最高潮に達した暗黒の土曜日事件を引き起こしました。FKR-1
https://en.topwar.ru/111619-fkr-1-frontovaya-krylataya-raketa-fidel-kastro-rus.htmlソ連軍最初期の巡航ミサイルで、発射後は地上から無線による遠隔操縦で目標まで誘導されました。誘導システムの制約によるものか射程が短く、米本土までは到達しなかったようです。キューバには80発が2個連隊に分けて配備され、一部は核弾頭を装備しました。FKRとはFrontline Combat Rocket (фронтовая крылатая ракета 前線戦闘ロケット)の略で、カストロ首相のフルネームであるFidel Alejandro Castro Ruz のイニシャルに通じるとして、キューバ側で親しまれたようです。S-2ソプカ
https://en.topwar.ru/111619-fkr-1-frontovaya-krylataya-raketa-fidel-kastro-rus.htmlFKR-1の対艦ミサイル型であり、機首にアクティブレーダーを搭載し、水上艦への直接攻撃が可能でした。キューバでは32発のミサイルが4個の大隊に配備され、他のミサイル兵器と同様に通常弾頭と核弾頭の双方が配備されました。コマール型ミサイル艇 12隻
https://www.naval-encyclopedia.com/ussr/coldwar/komar-class-facs世界最初のミサイル艇とされ、機関砲と通常弾頭のP-15対艦ミサイルを2発搭載していました。排水量は60から70tと小さく航洋力に乏しく、キューバまでは貨物船で輸送されており、その様子は米国の哨戒機によって撮影されています。
641型潜水艦(フォックストロット級)https://en.wikipedia.org/wiki/Foxtrot-class_submarine排水量約2500トンの通常動力潜水艦で、北方艦隊の4隻が10月1日に派遣されています。与えられた任務はキューバまでの道中での偵察でしたが、各艦には1発の核魚雷が臨時に配備されました。MiG-21F-13当時最新鋭のソ連戦闘機で、キューバ危機の最中も哨戒飛行を実施。米国の戦術偵察機を追い払った際にはVOAがその存在を報道しました。運用部隊は第32親衛戦闘機航空連隊で、キューバにおいては第213戦闘機航空連隊と改称しています。この部隊はモスクワ近郊のクビンカ空軍基地を拠点とし、常に新型機が配備される精鋭部隊でした。キューバへの配備当初は連隊でまとまって運用されたものの、キューバ危機の表面化にともない、3個飛行隊に分散し、別々の飛行場に移動しています。
Il-28https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%98%D0%BB-28IL-28(写真は空軍型)亜音速の双発ジェット爆撃機で、海軍航空隊の機雷雷撃連隊が運用しました。キューバに送られた42機のうち6機には、12ktの戦術核爆弾8U69 RDS-4の搭載が可能でした。このRDS-4はソ連が初めて実用化した戦術核兵器でもあります。ソ連側は同機を防御用の兵器と位置付け、いずれはキューバ側に供与する予定でした。一方、米国はIL-28の戦闘行動半径が米本土の沿岸に到達するとして、危険な攻撃兵器であると判断。9月末に海上輸送される同機を発見した際に、ソ連に対し懸念を伝えています。参考キューバ危機 ミラーイメージングの罠(ドンマン・トン デイヴィッド・A・ウェルチ 田所昌幸 林晟一 ISBN978-4-12-004718-3 2015年4月25日)フルシチョフ 封印されていた証言(ストローブ・タルボット序 ジェロルド シェクター ヴァチャスラフ・ルチコフ 編 福島正光 訳 ISBN4-7942-0405-1 1991年4月10日)十月の悪夢(NHK取材班 徳永敏介,山崎秋一郎,大和啓介,小谷亮太,阿南東也 IABN978-4-14-080072-0 1992年11月30日)対潜海域 キューバ危機幻の核戦争(ピーター・ハクソーゼン 著 秋山信雄 神保雅博 訳 ISBN4-562-03622-2 2003年6月26日)図説ソ連の歴史(下斗米伸夫 ISBN978-4-309-76163-3 2011年4月30日)世界のミサイル・ロケット兵器(坂本明 ISBN978-4-89319-198-4 2011年8月5日)地域戦争と紛争におけるソ連 第10章 カリブ海の危機 世界は戦災の危機に瀕した(Лавренов С. Я, Попов И. 2003年)アナディール作戦のファイル(TASS通信 2017年9月8日)
コメント
いつも困ってそう()
全部にNATOコードを併記したつもりだったのですが
よく見たら半分は抜けてました。失礼しました。
NATO名といえば
重ICBMのSS-18に対する「サタン」という呼称が鳥肌が立つ思いで印象深いです。
2様
今回掲載した兵器で興味深いのがIL-28でしょうか。
ジェット推進なのに直線翼で、武装も魚雷とするなど古臭い。
それでも核攻撃ができて米国からも警戒される、アンバランスな所が好みです。
3様
70年代のことですが
地中海にて複数のコマール型が曳船に曳かれて移動する様子が見られました。
西側の分析では搭載機関の寿命を延ばす措置だと見たようですが
自力航行ですら「困まる」というのはどうなんでしょう。
多少は手がかかるほうが可愛いかもしれませんが。
「ニジェーリンの惨事」ですな。デスマーチ案件で、実験をスケジュール通り行うために、付近でたまたま演習中だった部隊まで手当たり次第に作業に動員していった結果の惨事なので、正確な犠牲者の数が未だに不明という…。
キューバのIRBMについては、ソ連はブラフとして基地だけ作って、最初から現物を持ち込むつもりはなかったという説があるものの、それでもすでにキューバに展開済みで、アメリカ東海岸一帯を射程に収めるMRBMが大きな脅威なのは変わらないということに。
あと戦術短距離核であるフロッグ(ルーナ)の使用について、アメリカ本土には届かない性質のものであることを考えると、あらかじめ使用許可を求めたキューバ駐留軍司令部のこともわからなくはない…。
もし「空爆だけではミサイルを除去できない」と主張するアメリカのタカ派がキューバ本土侵攻作戦を実行していた場合、これらが躊躇なく火を噴いていたと思われる…。
外洋で航行困難なことも西側がミサイル艇に手だしが遅れた一因だったりも。
米本土に届かない戦術核ではありますが
キューバの中のアメリカである
グアンタナモ基地を照準していた、とされます。
グアンタナモではキューバ危機の時に人員を脱出させる機会があったものの
無人にすればキューバ側に奪われかねないので
民間人のみが帰国し、軍人は危機の最中も基地を防衛していました。
GSVKは人質を得たようなものですが
米国は捕虜収容所のある街でも躊躇なく空爆するので
グアンタナモは確実に報復をうけたはずです。
ただIL-28で米本土に核を落とさない限り
核戦争はキューバ近辺に留まり
米ソの全面核戦争につながらないのでは、という気がします。
6様
西側が対艦ミサイルの価値を
駆逐艦エイラートの撃沈まで理解していなかったことが
ミサイル艇の開発で遅れた原因かもしれません。
このころの西側諸国はまだ魚雷艇を新規に建造していました。
さすがにコマール型よりは幾分大きな艇が主流だったようですが。
「ホチキスをステープラーと呼べ」「マジックテープやベルクロは面ファスナーと(以下略)」「アイちゃんは育ったのでジェイちゃん(以下略)」みたいなものなので、あまり気にしてはいけないワニ。
それとRS-28がR-36(SS-18サタン)の後継という理由で「サタンⅡ」というのは、ヒネリが足りないという気がしないでもないワニ。
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