ソ連軍の秘密戦史21
フルシチョフの奇策


文:nona


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https://www.cvce.eu/en/obj/cartoon_by_heko_on_the_cuban_crisis_30_september_1962-en-a6e5fbc2-3ea3-4a5d-a078-ecc79634b22e.html
どうして脅威だというのだ?釣りくらい許されるだろう!

フルシチョフの思いつき

  1962年春、米国はキューバの間近で大規模な演習を実施。KGBは米国がいずれキューバへ攻め込むと本国に警告を発しました。

  危機感を覚えたフルシチョフ第一書記は、ソ連の戦略ミサイルをキューバに送り込み、米国による将来の侵攻を牽制するという奇策を思いつきます。

  この策は4月半ばにミコヤン第一副首相、グロムイコ外相、マリノフスキー国防相といった側近に打ち明けられた後、5月24日に開催されたソ連共産党幹部会にて、フルシチョフの一存で実施が決定されました。

  米国の裏庭に核を持ち込もうとするフルシチョフに対し、ミコヤンとグロムイコ、キューバ大使館員のアレクセイエフは懸念を表明。

  しかし、フルシチョフは1957年に対立する政治家を追放していたこともあって、この頃の彼を止められる人はいませんでした。

  一方、マリノフスキーは始めからフルシチョフに賛同しており、話を持ち掛けられた時点で参謀本部に作戦計画の立案を指示。

   このとき、派遣部隊は総勢5万人規模の巨大な諸兵科連合となりました。

  彼がフルシチョフの冒険主義的な思いつきに賛同し、多数の将兵を送った理由はよくわかりませんが、フルシチョフに協力することで軍の発言力を高めようとしたのはないか、と推測できます。

   フルシチョフとマリノフスキーは共にウクライナ地方の出身で、スターリングラードの戦いで共闘した旧知の仲とされます。

  しかし、フルシチョフは核ミサイルによる安全保障を重視し、ソ連軍の通常戦力の大幅な削減を試みるなど、軍の望まない政策も検討していました。

  マリノフスキーは、フルシチョフに従いつつ作戦で通常戦力の必要性を見せつけることが、軍の利益につながると考えたのかもしれません。


ミサイル配備の裏の意図

   フルシチョフはキューバに核を持ち込む理由を「キューバの主権に対する侵害を防ぎ、キューバ国民が自分の国の主人になるのを保証することだった」と記しています。

  実際のところは作戦成功に伴うソ連の国際地位向上への期待に加え、ソ連本国の貧弱な戦略核ミサイルを補う目的が大きかったと考えられます。

  1962年ごろ、米国は約200発の戦略ミサイルを米本土と欧州に配備。フルシチョフはこの状況を「ソビエトはアメリカの(ミサイル)基地に取り巻かれて軍事的に封鎖されていた」と回想します。

  一方のソ連が持つ米国を直接攻撃できる戦略ミサイルは4発のR-7だけであり、核戦力において極めて不利な立場にありました。

  そこで米国に程近いキューバをミサイル基地とすれば、比較的短射程のR-12型MRBMやR-14型IRBMでも米国への攻撃が可能となるため、キューバの防衛と同時に、ソ連本国への核攻撃をけん制できる見込みがありました。

   ただし、キューバに派遣される戦略ロケット軍司令官のガルブス少将は、これを「奇妙なアイディア」と回想しています。

  これは、あと3年待てば新型のR-16型ICBMが充足し、米ソの核戦力差が改善する見込みがあったからでした。

  それでもフルシチョフがミサイル配備を強行したのは、それだけキューバの防衛に強い意志があったためかもしれません。

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https://en.wikipedia.org/wiki/File:CubaMap1b_w.jpg

秘密の作戦

   ミサイル配備計画がソ連共産党幹部会に承認されると、その場にいたキューバ大使館員のアレクセイエフは新大使への昇格を命ぜられました。

   前任のクドリャフツェフ大使は「尊大な自惚れ屋」としてキューバ側から不評を買っていた人物でした。

  カストロらと良好な関係だったアレクセイエフには大きな期待がかけられ、彼はキューバ側からミサイル配備計画の承諾を取り付けるよう指示されました。

   アレクセイエフは戦略ロケット軍総司令官のビリュゾフ元帥を伴ってキューバに戻ると、5月30日の会談でカストロに事情を説明。

  カストロと弟のラウル国防相は当初こそ驚いたものの、翌日にはミサイルの配備を快諾しました。


ミサイルをヤシの木に隠す

   1962年6月、ビリュゾフはカストロの同意を得て「灌漑施設に関する農業視察団のペトロフ」という肩書で、ミサイル基地の建設候補地を視察。

  ビリュゾフは帰国後に「ミサイルをヤシの木に隠すのは簡単」と語り、彼もマリノフスキーと同じくフルシチョフに調子を合わせました。

  とはいえ、航空偵察で発見される危険も一応は想定されたようで、S-75(SA-2)地対空ミサイルを優先して配備する措置がとられました。

  しかし、フルシチョフは米国への刺激を避けるために撃墜を許可しなかったため、10月14日のU-2による偵察でミサイル基地は露見。程なくしてキューバ危機が表面化しました。

  そのうえ、危機によって緊張が高まると、派遣部隊は本国の意向を知らずにU-2偵察機を撃墜。両国の緊張は最高潮に達し、この日は後に暗黒の土曜日として記録されます。

  こうしたリスクがあったにもかかわらず、作戦で政治的利益を得ようとしたフルシチョフと軍の上層部は、その成功を信じて疑いませんでした。


参考

キューバ危機 ミラーイメージングの罠(ドンマン・トン デイヴィッド・A・ウェルチ 田所昌幸 林晟一 ISBN978-4-12-004718-3 2015年4月25日)
フルシチョフ 封印されていた証言(ストローブ・タルボット序 ジェロルド シェクター ヴァチャスラフ・ルチコフ 編 福島正光 訳 ISBN4-7942-0405-1 1991年4月10日)
十月の悪夢(NHK取材班 徳永敏介,山崎秋一郎,大和啓介,小谷亮太,阿南東也 IABN978-4-14-080072-0 1992年11月30日)
対潜海域 キューバ危機幻の核戦争(ピーター・ハクソーゼン 著 秋山信雄 神保雅博 訳 ISBN4-562-03622-2 2003年6月26日)
図説ソ連の歴史(下斗米伸夫 ISBN978-4-309-76163-3 2011年4月30日)
世界のミサイル・ロケット兵器(坂本明 ISBN978-4-89319-198-4 2011年8月5日)

アナディール作戦のファイル(TASS通信 2017年9月8日)