ソ連軍の秘密戦史06
暗闘
文:nona
https://www.rbth.com/blogs/continental_drift/2017/04/27/korean-war-how-mig-15-put-end-american-mastery-over-skies-
ソ連空軍のMiG-15
ジェット空中戦―朝鮮戦争からフォークランド紛争まで (光人社NF文庫)
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木俣 滋郎
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ルメイ大将の怒り
米軍の記録によると、1950年11月からの1年間、16機のB-29が空中戦により喪失しました。
これが第二次世界大戦であれば許容されたであろう損害ですが、朝鮮半島に出張していたルメイ大将は、F-86のパイロット達の面前で彼らの失態を激しく叱責しました。
もとよりルメイ大将は護衛戦闘機を低く評価する傾向があったのですが、これを不服とするパイロットは、敗北の原因をF-86の性能の問題、特にエンジンパワーの不足にあるとして、レポートを作成し対抗しています。
また、新聞の中にF-86部隊の内情を暴露する記事があり、戦闘神経症を患い出撃できないパイロットがいる、照準器が頻繁に故障して攻撃が命中しない、といったことまで公にされました。
ただ、一番の敗因は共産軍のMiG-15に対しF-86が余りに少なすぎ、護衛機として物の数に入らないF-84を投入せざるを得なかったことだと言えます。
極東空軍の推定では1951年7月に鴨緑江の北岸に445機のMiG-15があり、9月には525機に達した、と推測していました。
しかし米本国の反応は鈍く、極東空軍のF-86A/Eのうち韓国に配備できるのは44機だけ、という状態が10月まで続きます。
空軍参謀本部は10月22日に、ようやく75機のF-86AとE型の追加配備を決めたのですが、これらの機体が現場に到着したのは11月のことであり、今回の戦いに間に合いませんでした。
ソ連式ローテションの失敗
ソ連側の記録では、第303/324師団は1951年の間、52機の損失と引き換えに510機撃墜の戦果をあげた、としています。
(これは当然のことですが)国連軍の記録は同時期の空中戦での損失を約40機数としており、ソ連の記録を完全に否定しています。
そんな第303/324師団ですが、12か月間の戦闘でパイロットは平均100回以上の出撃があり、1952年始には交代の時期が迫っていました。
ところが、ソ連空軍はローテションの際に師団ごと新しい部隊と入れ替えてしまい、前線を知らない新参パイロットの被害が増加したのです。
西側の軍隊であれば人員は少しずつ入れ替え、部隊の練度維持に努めるものですが、ソ連空軍のエフゲニー・ペペリャーエフ連隊長は「交代勤務計画は、ソビエトの指導者たち、軍人でも民間人でもだが、彼らの物事への取り組み方を象徴するものでもあった。」としています。
B-29の暗闘
https://www.nationalmuseum.af.mil/Visit/Museum-Exhibits/Fact-Sheets/Display/Article/196085/strategic-bombing-new-flexibility/
夜間爆撃に投入されるB-29の爆弾倉。1000ポンド爆弾に混じって戦果確認用のフォトフラッシュ爆弾を搭載している。
1951年10月末の戦闘の結果、昼間戦闘を禁じられたB-29は再び夜間爆撃に活路を見出し、主にSHORANという電波航法を用いた爆撃が実施されました。
ソ連空軍も夜間爆撃を阻止すべく、第351連隊を夜間戦闘機部隊として配備し、1953年には第535連隊を加えました。
第351連隊の当初の主力はレシプロ戦闘機であるLa-11で、主に低空を飛ぶB-26爆撃機に対抗するものでしたが、高度2万フィート以上を飛ぶB-29に対しては上昇速度が不足したことから、1952年2月までに3個飛行隊中の2個をMiG-15に換装しています。配備されたのは昼間部隊へのMiG-15Bis配備後に余剰となった機体でした。
なお、ソ連ではレーダー技術の遅れから専用設計の夜間戦闘機が実用化しておらず、パイロットは地上のサーチライトを頼りに目標を探したのですが、国連軍ではレーダー搭載型のMiGが投入されている、と信じていたようです。
夜の空中戦
ソ連側の記録では1953年3月末までに19機のB-29と3機のF-94、その他複数の航空機を夜間に撃墜した、としています。
特筆すべきものとして1952年6月10日夜の戦闘があり、郭山の鉄道橋への爆撃を試みるB-29に対し、12機のMiG-15が出撃し、B-29を2機撃墜、1機を大破させる戦果を得たとされます。
程なくして米空軍は夜間戦闘機による護衛を開始し、7月初頭にレシプロ機のF7F、11月に海兵隊のF3D、53年1月にはF7Fと交代する形でF-94を投入しました。
さらにB-29自身も妨害電波を発することで、レーダーと連動する探照灯の捜索を妨害しています。
F3DとF94はMiG-15の撃墜が記録されているものの、対するMiG-15は囮の機体で護衛機を分散させるなどして、B-29を撃墜する機会を作りました。
朝鮮戦争におけるソ連空軍の夜戦エースとしてはアナトーリ・カレリン大尉が知られ、La-11で1機、MiG-15で4機の撃墜を記録しています。
ただ、4機目の獲物であったB-29との交戦時に機体を接触させてしまい、5機目のB-29からも反撃をうけ機体に117もの弾痕が残り、燃料パイプを被弾するなど、カレリン自身も危うい状況を経験しています。
https://www.nationalmuseum.af.mil/Visit/Museum-Exhibits/Fact-Sheets/Display/Article/196085/strategic-bombing-new-flexibility/
1952年8月18日の空爆で新義州近郊の工場群を爆撃した前後の写真。ところで、夜間爆撃の成果ですが、精度においては、やはり昼間爆撃には劣るようです。
その一例として、B-29は1952年8月18日に新義州近郊の工場群同地に140トンの爆弾を投下し、米空軍は「主要工場を含む15の建物を破壊し、17を損傷」としたのですが、同時に公開された写真を見る限り多数の爆弾が目標を外れ、山や田畑にクレーターを残していることがわかります。
参考
ジェット空中戦(木俣慈朗 ISBN4-89409-041-4 1992年7月10日)
世界の傑作機 No.97 MiG-15 ファゴット MiG-17 フレスコ(湯沢豊編 ISBN978-4-89319-097-0 2003年1月15日)
クリムゾンスカイ(J.R.ブルーニング 著 手島尚 訳 ISBN4-7698-2331-2 2001年12月15日)
オスプレイ軍用機シリーズ38 朝鮮戦争航空戦のエース(ロバート.F.ドア著 藤田俊夫訳 ISBN4-499-22817-4 2003年10月10日)
世界の傑作機 (No.97) 「MiG-15 "ファゴット" MiG-17 "フレスコ" 」
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コメント
その辺は前にあった空自の初期の話でもあったような気がする。F86時代の対爆撃機攻撃が結構難しいみたいな話。
しかしF94が投入されてたのがちょっと意外。まあ朝鮮戦争末期の事だけど。
やはり夜戦ではレーダーと管制技術が大きくものをいうみたいですね。
B-29単機で12.7mm12門6000発の弾薬があり、さらにコンバットボックスを組んでの飛行となりますからね。MiG-15の兵装も威力重視で弾数、初速ともに低めでしたから当てやすい距離=B-29複数機から射撃を加えられる距離ですし、高い貫通力のあるAP弾主体なので機体は無事でもパイロットが死傷する可能性も高いです。
北朝鮮サイドは第2次大戦時の日本軍に比べると迎撃が楽だったと聞いたことがあるが
本当なんだろうか
3様
防御火器の存在は確かに恐ろしいものですが
B-29の乗員も、同じくらいMiGを恐れていました。
本文に挙げたカレリン大尉機がB-29と接触した時の話ですが
B-29の尾部銃手は突然の衝撃に驚き
MiG-15の居所を把握せず明後日の方向に乱射、
これの発砲炎が目印になってしまい
カレリン大尉機の攻撃で撃墜された
といいます。
名無しのミリヲタ(ほろ酔いワニ)様
旧式の複葉機で最新のF-86を撃破する、というのは
とても痛快な話ではありますが
尺の都合で割愛しました。(涙
ところで「ベッドチェック・チャーリー」は
現場では「ピスコール・チャーリー」と呼ばれたそうです。
「ピスコール」とは「起床ラッパ」を意味するスラングですが
下品な表現なので新聞記事にするさい
穏当な「ベッドチェック」に改めた、とのこと。
でも兵士の睡眠を妨害する爆撃を
「起床ラッパ」と呼ぶのは言い得て妙です。
5様
F-94は1951年には韓国に配備されたのですが
鹵獲の恐れから北朝鮮上空での飛行を許されず、
戦争の最終年にようやく遠出を許可された
という経緯があります。
7様
例のカレリン大尉ですが
5機目を撃墜する際に117発の12.7mm弾をうけ
燃料系統が損傷し、着陸時にエンジンが止まっていました。
また弾痕のうち9発はコクピット付近あったらしいのですが
大尉は無傷でした。
ペペリャーエフ連隊長の話では
弾丸というのは意外と人間にあたらないらしいので
機体は穴だらけでも、パイロットが無事というケースも多からず(?)あるようです。
8様
後の時代の話ですが、
グアム島近くを航行するソ連漁船が
ベトナムに出撃するB-52を視していた
という噂がありますので、
ありうる話だと思います。
ただ、日本に潜伏したスパイが
どのように北朝鮮に通報したのか
という謎が残ります。
それってどういう方法で伝達してたのかが分からない。
佐世保から北朝鮮まで700km程度、巡航速度467km/hのB-29が平均速度400km/hで飛んだとしても1時間45分で到達してしまう。
航空機の数と種類を2時間程度で秘匿伝達する手段が当時あったのかどうか。
飛ぶってだけの伝達なら準備段階で伝達出来るが、迎撃となれば態勢作って指揮するのにも準備時間が必要。
行き先も分からないのに数や種類も分からない通報にどれだけ効果があるのか考えると疑問ですね。
まあパイロットに当たった話は聞けないもんな…(米国式ジョーク)
ゾルゲ事件みたいに無線で暗号通信でもすればいいんじゃない?
当時日本では在日朝鮮人、日本共産党の武装闘争含めて後背撹乱工作盛んだったし人員には困らないでしょう
迎撃に準備が必要だからこそ事前情報は必要なのでは?
数はかぞえればいいんじゃない
爆弾搭載して高度上げるのって結構時間かかるのと空中集合する時間含めると最低3時間は見積もった方が良さそう。
ただ実際に昼間爆撃が停止されるくらいには迎撃されてるから、日本もしくは韓国側からの監視の線はありそう。
なるほど確かにそんなものが見て取れる気がする
ちょっと違うけど何年か前に北の弾道ミサイル発射を北から流れてきたラジオから分析して正確に当てたとかいう記事見たことあるし、要は逆の方法で特定の周波数指定して流せばいけるんじゃねーの?
国際電話も使えたかも。
この後ベトナム戦争の後半まで使われることになる、地味に息の長い機体ですな。
アメリカ海軍的には黎明期のジェット機になるため、燃料が何とガソリンで、ジェット燃料で飛ぶジェット機が当たり前になったベトナム戦争の頃には、間違えてジェット燃料を飲まされて故障する機体もあったという…。
朝鮮戦争の夜戦といえば、オーストラリア空軍が複座の夜戦型ミーティアを投入していたような…と思ったら、こっちは主に地上襲撃に使われていたようで(Me-262相手でも分が悪いと言われた機体で、MiG-15の相手をするのは…)。
共産軍も共産軍で、機載レーダーもない機体で、しかも小規模な空襲が主でヴィルテ・ザウみたいな戦法も使えない状況での夜間戦闘の困難は、察するに余りあるものと思われ…。
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