ソ連軍の秘密戦史02
2つの空軍
文:nona
今回はソ連軍の航空戦力を解説いたします(海軍航空隊と輸送航空隊は前回触れたので割愛)
ソ連空軍
http://wio.ru/gal2a/galstur10.htm
IL-10攻撃機
1946年、赤色空軍はソ連空軍と称する組織に改編され地上軍(旧赤軍)から明確に分離しますが、実のところ空軍自体に作戦を指揮する権限はありませんでした。
ソ連空軍のうち、戦術機で組織される前線航空隊は、地上軍と共に各地の軍管区の指揮下に入り(ただし各軍管区の指揮官は地上軍の出身者で占められる)爆撃機を有する長距離航空隊と輸送航空隊は国防省の指揮下にそれぞれ分かれます。
空軍に残されるのは兵站、教育研究、管理部門などで、ソ連軍全体の作戦を円滑に進めるための裏方に徹しました。この点では後述の防空軍よりも政治的な立場が低いと言えます。
ジェット機時代のシュトルモビク
この時代のソ連空軍を代表する機体にMiG-15がありますが、同機は活躍の機会が多いのでいずれ機会に解説するとして、ここではシュトルモビク(襲撃機あるいは攻撃機の意味)について触れたいと思います。
大祖国戦争後の前線航空隊でこの役目を担っていたのはIl-2/10を始めとするのような旧式のレシプロ機でしたが、生産は1949年にいったん終了し、後継機として開発されていたIl-20は設計(と見た目?)に問題があり実用化に至りませんでした。
しかし、朝鮮戦争におけるIL-2/10の活躍もあって1951年に改良型のIl-10Mが製作され、同年にはチェコスロバキアにおいてB-33の名でIL-10が再生産されました。
1952年にはジェットエンジン双発、しかも複座・尾部機銃付きのIl-40も試作され、特異な姿の試作2号機が軍に採用されています。
ところが、この機体はフルシチョフの理解を得られず1956年にIL-40は一転して不採用、前線航空隊のIL-10部隊も全廃され、前線航空隊では専任の攻撃機が存在しない時代が続きました。
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A4%D0%B0%D0%B9%D0%BB:%D0%A8%D1%82%D1%83%D1%80%D0%BC%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D0%BA_%D0%98%D0%BB-40%D0%9F.jpg
IL-40試作攻撃機
長距離航空隊
https://topwar.ru/23565-pervyy-sovetskiy-strategicheskiy-bombardirovschik-tu-4.html
長距離航空隊は多数の大型爆撃機から編成される部隊で、前線航空隊とは異なり、国防省による直接指揮のもと戦略的任務を担いました。
ただし、米軍が朝鮮戦争やベトナム戦争で実施したような(通常爆弾による)戦略爆撃については、ソ連では優先度が低く、後年のソ連軍刊行物では長距離航空隊の攻撃目標を1.ICBM基地、2.核兵器貯蔵庫、3.海軍基地、4.戦略空軍基地、5.軍需工場群、6.陸海の敵集中兵力という順番で挙げています。
これについては様々な見方ができますが、例えば航空機設計者のヤコブレフ氏は、第二次世界大戦における対独戦略爆撃の費用対効果の悪さをその理由として挙げています。
http://aviadejavu.ru/Site/Arts/Art8932.htm
遠距離航空隊の当初の主力機はB-29をコピーしたTu-4で、1949年8月末にRDS-1を用いた核実験が成功した後、1952年ごろからソ連最初の量産型核爆弾であるRDS-3 が配備されています。
https://vasillich.livejournal.com/73705.html
Tu-4による空中給油の実験。
Tu-4はその実用化後も様々な要求が課され、上の画像のように空中給油も試行されています。
給油側が翼端からホースを伸ばし、受油側も翼端で受ける、という独特な方法はTu-16や95に引き継がれたのですが、Tu-4の場合はうまくいかなかったらしく、同機はアメリカ本土への爆撃を非現実的な片道飛行でしか実行できない、と言われています。
samolety-shavrova-bartini-iz-mira-kollegi-aley-ya-chast-3/
こちらの写真はMiG-15を空中けん引する「ブルラキ」の様子を写したものです。朝鮮戦争の空中戦ではMiG-15がB-29を多数撃墜したものの、その結果Tu-4もジェット戦闘機に弱いことが明らかになってしまい、戦闘機による護衛が求められたのです。
そこで給油ホースを持たないワイヤーを用いMiG-15を空中で曳航する手段を試みたのですが、敵を目視で見つけてからエンジンを始動していては迎撃が間に合わない、ということで、この方法は実用化に至りませんでした。
ちなみに「ブルラキ(Бурлаки)」とは船曳きを意味するらしく、私はヴォルガの船曳きという絵画を思い出します。
https://topwar.ru/23565-pervyy-sovetskiy-strategicheskiy-bombardirovschik-tu-4.html
このTu-4が搭載しているのはパラサイトファイターや特攻兵器ではなく、対地対艦ミサイルであるKS-1コメート(AS-1 ケンネル )の有人テスト機だそうです。
KS-1はミコヤン・グレヴィッチ設計局で1947年に開発が開始され、53年9月以降に配備が開始されました。Tu-4のうち50機がミサイル誘導機能を追加したTu-4Kへ改造されていますが、海軍航空隊にも配備されたかは不明です。
ミサイルは800kgのHE弾頭を持ち、英国のダーヴェントエンジンをコピーしたRD-500Kによって1050km/hで飛翔するのですが、初期型の射程は70~90kmと短く、終末誘導にセミアクティブレーダーを使用することから、Tu-4Kが目標へレーダーを照射しつづける必要があり、運用にあたっては母機も危険を伴うものだったと思われます。
防空軍(国土防空軍)
http://oruzhie.info/vojska-pvo/606-s-25-berkut
ソ連発の地対空ミサイルS-2ベールクト。NATOではSA-1ギルドと呼称。
防空軍は1948年に創設された迎撃機部隊、対空砲部隊、無線部隊(レーダーと防空連絡網を運用)を持つ防空のための組織ですが、戦時に指揮権が分離される空軍よりは政治的な序列が上とされます。
防空軍は創設期は冷戦が始まっており、平素から米軍機のソ偵察飛行が行われ、ソ連の領空も度々侵犯されています。
米国がソ連に対する航空偵察を開始したのは1949年春のことで、5月10日には日本の三沢基地から発進したRF-80Aが千島列島を偵察。1950年3月10日にはウラジオストクを偵察し、これに対するスクランブルが行われました。
しかし、ソ連機はRF-80に追いつけず、この時の写真には航空基地に多数のレシプロ機(米軍のレンドリース機を含む)が確認されたそうです。
1952年10月7日には歯舞群島上空でMiG-15がB-29を撃墜される事件が発生したものの、同月15日にRB-47が極東で1300kmほどソ連の領空を侵犯した際には、逆にMiG-15の迎撃を振り切っています。
ソ連は領土が世界一広いこともあり、防空軍(および空軍)は国境の防衛に難儀したようですが、モスクワやレニングラードなど東欧地域の重要都市は、核攻撃を阻止するために厳重な防空体制が敷かれており、1955年にS-25ベールクト(SA-1ギルド)地対空ミサイルがモスクワ郊外への配備が開始されました。
このS-25は重量が3500kgもある大型のミサイルですが、当初は射程が40kmしかなかいため、建設中のモスクワ環状道路とモスクワ大環状道路に沿って2重のミサイル防衛線が構築されています。
加えて防衛線の外周でMiG-15/17/19およびYak-25全天候迎撃機も迎撃を担うことで、計画では最大1000機の戦略爆撃機に対処できると、うたわれたようです。
http://oruzhie.info/vojska-pvo/606-s-25-berkut
モスクワの外周50kmと90kmの環状線沿いに建設されたS-25ミサイル中隊の配置。
余談ですが、今回の記事で紹介したKS-1やS-25の設計者の一人として、秘密警察長官ラヴレンチー・ベリヤの息子セルゴ・べリヤの存在が知られています。
1953年に父が失脚・処刑された際、セルゴ氏も拘禁されたうえに学位論文の剽窃を責められ、学位と勲章をはく奪されたのですが、なぜかミサイルの関連の仕事は継続を認められ、その後の昇進や転勤を経て90年代まで設計者として活躍した、といいます。
次回はソ連が(非公式に)参戦した朝鮮戦争の航空戦を解説いたします。
参考文献
ソ連の航空機 その技術と設計思想(A・S・ヤコブレフ著 遠藤浩訳 1982年3月25日 ISBN4-562-01219-6)
ザ・ソ連軍 Inside the Soviet army(ビクトル・スヴォーロフ 著 吉本晋一郎 訳 ISBN4-562-01413-X 1984年11月30日)
ソ連軍 思想・機構・実力(ハリエット・F・スコット 乾一宇/訳 ISBN4-7887-8605-2 1986年3月20日)
ソ連地上軍 兵器と戦術の全て(デービッド・C・イスビー著、林憲三訳 ISBN978-4-562-01841-3 1987年1月20日)
ミグ戦闘機 ソ連戦闘機の最新テクノロジー(ビル・スウィートマン著 浜田一穂 訳 ISBN4-562-01944-1 1988年7月30日)
世界の傑作機 No.97 MiG-15 ファゴット MiG-17 フレスコ(湯沢豊編 ISBN978-4-89319-097-0 2003年1月15日)
世界の傑作機 No.110 Tu-95-142 ベア(ISBN4-89319-125-X 2005年7月5日)
世界の傑作機 No.129 Il-2シュツルモヴィク(文林堂 編 2008年11月5日 ISBN978-4-89319-169-4)
ヴィジュアル大全火砲・投射兵器(マイケル・E.ハスキュー著 毒島刀也訳 ISBN978-4-562-05097-0 2014年9月30日)
U-2秘史 ドリームランドの住人たち(浜田一穂2019年9月1日)
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コメント
来年もしぶとく投稿を続ける予定なので
来年もよろしくお願いします。
1様
私もネットでたまたま知りました。
セルゴ氏は父の処刑後は母方の性を名乗っていたらしいので
よけいに目立なかったのかもしれません。
ソ連では政治家の世襲は厳格に否定しているんですが
親族が政治以外の分野で活動する限りでは
何かしらの恩恵を得られる場合が多いです。
軍用機の分野ですが、ミコヤンやヤコブレフの成功は
本人の才能のみならず、見えざる力が働いたような気もします。
2様
IL-40のことでしょうか?
私はパナソニックのドライヤーを思い出しました。
元々のIL-40は胴体側面に吸気口が配置されたのですが
発砲煙を吸い込んでエンジンを不調にさせる不具合があり、
これを改善するために、あの見た目になったそうです。
ちなみに40年代の後半にIL-20という試作どまりの
シュトルモビクがあったのですが、
同機も相当に奇妙な見た目をしています。
名無しのミリヲタ(有明から帰還ワニ)様
S-25関連の画像を集めているサイトがあります。
*ttps://www.allworldwars.com/Official-Illustrated-Guide-to-Moscow-Anti-Aircraft-Defense-System-1955.html
ここのサイト写真を見る限り、
ミサイルは台車ごと起立されるものの、
台車のほうはすぐに外されて、ミサイルだけが射場に立たされるようです。
不気味ですよね。
おお凄いワニ。まさに「SAMぱら」ワニ(アメリカアリゲーター以下の語彙力ワニ)。
クーデター騒ぎの時にそんな話がでたのでは?
あと戦略爆撃について、「効率が悪い」とざっくり切り捨ててしまっているのは興味深い。
シュトルモヴィクといえば、80年代になってもIL-102という機体を作ってたりして…。
それはそうと、この「防空軍」のように、防空任務を専らとする軍を創設するのは、何か悪いフラグのような気がするのだが…(最近だとサウジアラビア防空軍とか)。
それ言っちゃうと空自の立場が
1000機もの爆撃機という途方も無い数を凌ぐシステムとか男の子の気持ちが凄く唆られる。
現代の防空システムだと数百kmごとにSAMがいくつか設置されてお終いっていう効率化されてるけどハリネズミ感のない味気ないものになるけど見る分なら昔のほうが浪漫あるね
空自は逆に侵攻型の空軍ないから例外じゃないかな。
そういやイラク・イランにも防空軍ってあったね
戦略空軍とICBМとSLBMで米ソが互い攻撃しあうんだけど、一応ガロッシュとかナイキで迎撃できる(全部は落とせない)、SLBMには迎撃フェイズがなくて防ぐ手立てが無かった記憶が。
懐かしい
米本土とソ連本土が向かい合うようなマップだった
>建設されたS-25ミサイル中隊の配置。
まさに銀英伝の「アルテミスの首飾り」
絵で見ると、くっりはっきりだなぁ
んで、これだけ大掛かりな準備しておいて、
セスナ機の進入着陸を許したさい、
仕事しなかったと
そんな事件ありましたね。セスナのパイロットの青年はこの後もなんかやらかしてたような。
確か大韓航空機撃墜で防空に過敏すぎると批判されて、警備体制を緩めにしたのが裏目に出てセスナ進入を許す一因になったとか。
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