ソ連軍の秘密戦史01
戦後ソ連軍の10年
文:nona
https://sakhalife.ru/den-zashhitnika-otechestva-istoriya-prazdnika-23-fevralya/
「祖国を防衛する者の日(2月23日)」を題材とするイラスト。
ソビエト連邦軍(以下、ソ連軍)とは20世紀後半の東西冷戦期にユーラシア大陸最強を誇り、さらに世界中でプレゼンスを示したものの、母体であるソ連経済の疲弊、衛星国と構成共和国の離反により、あっさりと姿を消してしまった軍隊です。
そんなソ連軍の組織・装備・作戦計画・実戦について、冷戦期の出版物や後年の公開情報を基に、今では忘れられてしまった(あるいは今まで知られていなかった)実像を明らかにしてみよう、というのが今連載のテーマです。
今回の連載第1回と次回の記事では、大祖国戦争(第二次世界大戦)の終結からフルシチョフ第一書記が政府を掌握したころのソ連軍について、大まかに解説いたします。
ソビエト連邦地上軍
大祖国戦争終結後の1946年2月、労働者農民赤軍(赤軍)は、ソビエト地上軍に改変されました。
当時の地上軍では動員の解除が進められており、1948年にはピーク時の29%となる175個師団、約280万名に削減されていますが、戦車師団と機械化師団は60個を維持し、これらの全部隊に占める割合は終戦時の7%から34%に高められました。
対する西欧諸国軍は戦争による疲弊のため実働兵力は10個師団半に過ぎず、米国の核という切り札についても、1949年9月以降は易々と使用できなくなってしまいます。
幸いなことに、この頃のソ連軍は守勢戦略を採用しており、後の時代に西側を恐れさせる侵攻計画も検討されませんでした。その理由としては、ソ連が米国の核使用を恐れたこと以外にも、東欧各地の反ソ運動の抑止に忙殺されたことも関係したようです。
一例として、ウクライナではOUNやUPAと呼ばれる反共・民族主義の組織が1950年代の前半まで存在したのですが、実はCIAが彼らを裏から支援していたらしく、米国も西欧の不利な状況に手を拱ねいた訳ではなかったのです。
地上軍の再動員
1950年6月、朝鮮戦争の勃発をきっかけにソ連国内で再動員がなされますが、冷戦の激化で兵力を削減できなくなり、地上軍の兵力は1955年までに570万名へ増えてしまいました。
しかもトラックの配備が追い付かないため兵站に輓馬を用いるなど、核兵器の時代にもかかわらず旧態依然とした部隊も多数ありました。
当時、ソ連地上軍へ配備された新装備の一つにBTR-152という装甲兵員輸送車があります。同車は1950年から55年までに各型合わせ約7700両が生産されたのですが、一両に搭乗できるのは運転手席を含めて約20名。全車で総勢15万名くらいは兵員を輸送できる計算ですが、それでも需要を満たせていたとは思えません。
https://автогурман.com/%D0%B1%D1%82%D1%80-152/
1961年3月にキエフの水害地域に出動した現地部隊のBTR-152。この災害はダムの決壊を発端としたもので100名以上の死者があったものの、被害の実態は秘密にされた。
空挺軍
http://oruzhie.info/artilleriya/453-asu-57
空挺軍のASU-57対戦車自走砲。アルミ合金製の車体で重量は約3.4t。自走砲としての役割に加え、兵員輸送車として最大6名が便乗できる。
1946年6月、ソ連国防省指揮下の組織として空挺軍は創設されました。
空挺軍は総司令官の階級が元帥であるため、地上軍と同格の組織とされますが、後の時代には人員の調達面で地上軍よりも優遇され定員率も高かったことから、政治的な序列は上との見方もできます。
空挺軍は創設期に10個の師団があり、1955年までに約15個師団に増勢しました。
空挺降下にあたっては空軍の輸送航空隊が支援し、輸送機としてはDC-3旅客機をベースとしたLi-2に加え、戦後にはIl-12/14も使用されました。これらの機種いずれも双発で米国の4発大型輸送機に比べれば小粒ですが、Il-12/14にはそこそこの馬力があるため、Yak-14グライダーをけん引できました。
Yak-14はASU-57自走砲や122mm榴弾砲など3600kgまでの車両と火砲を搭載できる大型のグライダーです。
空挺軍によるグライダー降下はAn-12貨物輸送機の登場で廃れるため、活躍した時期は短かったものの、配備当初は米英の空挺部隊に比べ装備面が貧弱だったソ連空挺軍の戦力を大きく向上させています。
http://авиару.рф/aviamuseum/aviatsiya/sssr/planery/1940-e-1980-e-gody/desantnyj-planer-yak-14/
57mm対戦車砲を搭載するYak-14。
http://авиару.рф/aviamuseum/aviatsiya/sssr/planery/1940-e-1980-e-gody/desantnyj-planer-yak-14/
Yak-14に格納されるASU-57。同車はグライダー降下に加え、Tu-4爆撃機からのパラシュート降下も行われた。
海軍
http://bastion-karpenko.ru/82_kr/
スターリングラード級重巡洋艦の模型
1946年2月に赤色海軍から改称したソビエト海軍では、スターリン書記長の意向で大型水上艦の建造計画が実行され、排水量1万6千トンのスヴェルドロフ級巡洋艦を24隻、約4万トンのスターリングラード級重巡洋艦を4隻建造する計画が承認されました。
ところが、この建艦計画はスターリンの後任であるフルシチョフ第一書記の時代に破却され、スヴェルドロフ級は14隻(改良型を含めると16隻)で建造を中止、スターリングラードは船体まで出来上がっていたものの、後に解体されたようです。
海軍総司令官であるクズネツォフ元帥もフルシチョフに嫌われており、戦艦ノヴォロシースクの触雷転覆事故の責任を問われ解任されました。後任に第一副司令官だったゴルシコフが就任したものの、激情家と評されるフルシチョフからはよく怒鳴られており、苦労が絶えなかったそうです。
またノヴォロシースクと同世代の旧式の弩級戦艦やそのほかの旧式艦についても、フルシチョフの意向によって廃止され、1957年までに350隻以上の艦艇が除籍ないし予備役とされました。
フルシチョフは水上艦隊について「水上艦は国家元首を公式訪問の時に役立つだけだ」あるいは「大型の軍艦は提督たちが旅行して廻るのに役に立つだけだ」と批判的な言葉を残します。
その一方、潜水艦や航空機については対艦ミサイルの配備により米海軍に対抗できるとし、これらを重視する方針を示しました。
ソ連海軍の潜水艦に関しては、ミサイルが普及する以前から相当な数があり、アメリカ側の見立てによると1958年に潜水艦が477隻(総トン数39万トン)の配備があったようですが、この半数を排水量約1300トンの613型(NATO名はウヰスキー級)が占めています。
海軍航空隊と幻の空母計画
1950年代前半までの海軍航空隊では、MiG-15や17などのジェット戦闘機、双発ジェット雷撃機のIL-28とTu-14、哨戒・偵察用のBe-6飛行艇が配備されており、その後はTu-16、Tu-95などの対艦ミサイルを搭載した大型機が登場したものの、戦闘機部隊は1958年に解散させられ、人員と装備は防空軍へ移管されています。
そんなソ連海軍ではプロジェクト85という排水量28000トンの空母も設計されていました。
https://www.globalsecurity.org/military/world/russia/85.htm
プロジェクト85型空母。
大祖国戦争の直後、海軍では6隻の大型空母の建造が検討されていたものの、間もなく2隻の小型空母に縮小し、それもスターリンの意向で建造が認められませんでした。
スターリンは「空母は帝国主義の兵器」との言葉を残すなど空母の建造に否定的だったそうですが、彼の死後となる1954年に85型空母の設計が開始され、1960年までに建造される計画が立ち上がります。
艦載機はMiG-19戦闘機とMi-1ヘリコプターに加え、新規設計のTu-91艦上攻撃機が想定されたのですが、フルシチョフの時代に建造計画は白紙撤回、Tu-91は開発が継続されたものの、実用化の機会は訪れませんでした。
https://pikabu.ru/story/tu91_byichok_bombardirovshchik_torpedonosets_i_shturmovik_5836027
Tu-91は特異な姿から「ブィチョーク(ハゼ)」と呼ばれた。
参考資料
ソ連の軍事戦略(ギュンター・ポーザー著 郷田豊訳 1979年3月8日)
ソ連の航空機 その技術と設計思想(A・S・ヤコブレフ著 遠藤浩訳 1982年3月25日 ISBN4-562-01219-6)
ソビエト海軍の全貌 (米海軍省情報部 編 手島尚 訳 1984年1月15日)
ザ・ソ連軍 Inside the Soviet army(ビクトル・スヴォーロフ 著 吉本晋一郎 訳 ISBN4-562-01413-X 1984年11月30日)
対潜海域 キューバ危機幻の核戦争(ピーター・ハクソーゼン 著 秋山信雄 神保雅博 訳 ISBN4-562-03622-2 2003年6月26日)
歴史群像 No.117 2013年2月号 ソ連軍 パリ侵攻の夢 知られざる東西冷戦の軍事的決着(小峰文三 2013年2月)
ゴルシコフ ロシア・ソ連海軍戦略(С.Г.ゴルシコフ 著 宮内邦子 訳 ISBN978-4-562-04571-6 2010年5月20日)
恐ロシア航空機列伝(ユーリィ・イズムィコ 2018年11月1日)
決定版 ソ連・ロシア 戦車王国の系譜(古是三春 2019年1月3日)
ロシア・ビヨンド CIAの対ソ作戦5選(ボリス・エゴロフ 2019年8月29日)
https://jp.rbth.com/search?q=CIA
автогурман.com БТР-152
https://автогурман.com/%D0%B1%D1%82%D1%80-152/
コメント
175師団280万人でピーク時の29%なのか(驚愕)
名無しのミリヲタ(ワニ)様
艦種については不思議ですよね。
トルコの海峡を通行するときの方便だとは思いますが、
例外もあったりしてややこしいです。
ただスターリングラード級は速力35ノットを予定していたらしいので
戦艦らしからぬスピードではあります。
2様
海軍その他の兵員数は資料の不足ではっきりしなかったのですが、
陸軍に関してはいくつか資料があり、上記の数字を掲載できました。
別の資料によると欧州方面限定で145個師団だそうです。
ソ連兵器情報ってwikiでたまにリンク伝いで調べると面白いのですが情報が小出しの集合体というか虫食い状態で全体の概要を把握するのに苦労するんですよね....。
BTR-152を初めて見たのがグロズニィグラードで他にも某戦車や某ヘリコプターA型も初めてその辺で知りました。
あとBTR-40も戦後の辺だと思いますがこれがジオンみ溢れすぎてて好こ。
飛行艇だと世界で最も好きなのはUS-2ですが僅差でBe-12のガル翼尾輪スタイルがたまりませんわぁ。
1970年代から『ミリヲタ』という生き物になっている身からすると、「NATOコードネームで覚えてしまつているのに、いまさら正式名称がわかっても覚えきれない」と愚痴りたくなる事もあるワニ。
その2クラスは巡洋戦艦という分類で覚えてましたが、重巡になってる理由は例の重航空巡洋艦と一緒なんですね…
これだけはわが国はあまり人のことが言えないとw
クズネツォフ元帥への言いがかりで解任は気の毒過ぎるけど、後から見ると大海上戦力を縮小したのは正解だったと思う。
陸軍も同じく過大だけど、ソ連国内や東欧の分離防止も担ってたから、こちらは仕方なかったよなぁ。
なんで?
スヴェルドロフ級は巡洋艦サイズでしょ。アメリカのウースター級やデモイン級のがでかいくらいだし。
スターリングラード級だってアラスカを巡洋艦扱いしてるアメリカに言われる筋合いはないよね。
保有してたのが米英日(独)くらいだったからじゃない?戦艦の代わりに砲艦外交の手段として戦後はなった訳だし。日本は枢軸国、英国は戦後も植民地を持ち、アメリカは西側盟主な上に経済帝国主義とか言われる国とスターリンの評も分からん訳じゃない。
ただスターリン含め独裁者が単なる思いつきや感情で言ってるかもしれないし、海軍を縮小して陸空の方に資源を割くための言い訳だったかもしれないし、その他の政治的理由で言ってるかが独裁政治だと分かりにくい。情報公開請求なんかできないしね。誰かの手記があれば確度はつくんだろうとは思うけど疑心暗鬼のスターリンをずっと見てる人なんかいるんだろうか
米国は、元々モンロー主義の国だった?
先の大戦からモンロー主義が変わった!
スターリンは大型水上艦、特に巨大な重巡洋艦がお好みだったようで、戦前「クロンシュタット」級重巡の建造計画を推進しています(独ソ開戦でポシャる)。戦後は重巡スターリングラードを「こよなく愛し」たことが文献に残されており、その艦名からも彼の思い入れが推測できます。
その大型水上艦計画をちゃぶ台返ししたのは、激烈なスターリン批判をしたフルシチョフであることは周知のことですが、スターリンの「大艦巨砲主義」を受け継いで実現させたのがゴルシコフ元帥で、「クレスタ」級や「キーロフ」級、果ては「艦種詐欺」の「空母」4隻建造に結びついたのだと思います。いわば劉華清の先達に当たるのではないかと。
※5
全く同感。しかし、ミリヲタ同志はいつも酒気帯びですな。
主砲口径でわけた条約期のほうがむしろ例外な気がする。
酔うのに酒など要らぬ。知識の海に溺れるだけで良い。(より性質が悪いともいう)
しかしピーク時から大きく削減しても175個師団、約280万名ってのは大きいな〜 戦後復興で金が入り用な時にこんな大軍持ってたらそりゃベルリンなんて捨て置かれますわ。
しかしドイツ軍と協力していた反共勢力はほっておけず、かと言って東ドイツから東欧まで戦災で荒れた土地をほったらかしにしておくと現地住民の不満が溜まって長期的には大きなマイナスに、戦後の出だしからソ連崩壊のドミノが着々と積み重なっていたかと思うと興味深いやら恐ろしいやら・・・
空挺軍の軽量自走砲ASU-57や多数の潜水艦、それにソビエト・ロシア伝統(?)な幻の空母計画など今のロシア軍でも特徴的な装備がこの時代から見られるのも面白いな〜
スターリンとフルシチョフの海軍感の違い、閉鎖的なコーカサスの山の中の神学校で育ったスターリンと貿易盛んなクルスクやウクライナで育ったフルシチョフの海に対する認識の違い とか感じちゃう海洋立国育ちのワタクシ・・・
ソ連:ロシアは伝統的に一定以上の強国には常に守勢だと思います
ポーランド・フィンランド・アフガニスタン・ジョージア・ウクライナ・・etc
この程度の相手には攻勢に出ますが、日・独・中あたりには、
圧倒的(相手の数倍)に戦力が優勢でも、自分からは中々仕掛けませんでした
対英仏にかかりきりのWW2序盤のドイツ軍とか、1944~45年の関東軍、
中ソ対立時の中共軍。やったら確実に勝てたであろうに好機を逃した
それでドイツには逆に攻められたし、日本からは北海道も取れなかった
あと数か月早ければ、東日本政権樹立(傀儡)まで行けたかも知れないのに
4様
私も初めてBTR-152を見たのはそのゲームの中でのことだったはずなんですが
発売当時は小学生で敵に見つからないように隠れるのに必死で(笑)
同じ要塞内にあったオブイェクト279のことも
全く記憶になく...
18様
私もソビエトロシアは
結果的には守勢的な国(という表現をして批判された首相が日本にいるそうです)
だったとは思いますが、
フルシチョフ政権末から核を用いた西欧への攻撃計画を練り始め、後にはそれを目指した軍備拡張をしていますし、それにNATOも刺激をうけて軍備を増強させたわけですから例外もあるのではないか、と思います。
ソビエト流の共産革命は、資本主義が高度に発達した欧州の都市工場労働者の蜂起から始まるという考え方によります。革命蜂起が鎮圧される前に、蜂起地に空挺戦力を送り込んで体制を転覆し、革命を成就させてしまおうというもの。
私の若い頃は、人民解放軍兵力が500万人と言われていた。
驚くなかれ、その頃の日本の地方公務員は人民解放軍より人数が多かった。
※14
勧進帳同志、主義主張や思想にしても、甘味やアルコールにしても摂取のし過ぎは身を滅ぼしますが、適度な摂取は人生(鰐生)を豊かにしますワニ。そして私は適度な摂取量をわが身を使って日夜研究しているのですワニ。
タダの酒飲みの詭弁ですゴメンなさいワニ。
日本に住んでてアメリカが身近だとピンとこないけど、海軍が艦載機じゃない固定翼機メインの独自の航空部隊を持ってるのは、世界的に見ても珍しかったり。
※17
いや、グルジア(ジョージア)は古来からロシアとトルコとイランを結ぶ交通の要衝なので、我々が思うほど辺境ではないですよ。
それから20世紀になると、近くからバクー油田が発見されて、さらに西側列強まで絡んだ競合地域に(ちなみにスターリンは、一時期バクー油田で働いていたことがある)。
スターリンが拡大主義を志向するのは、故郷が外国人だらけなのと無関係ではないのではないかと。
※21
ソ連/ロシア空挺軍は、アメリカで言う海兵隊ですな。
なるほど、海洋国家と大陸国家の違いはあれど、軍事介入の尖兵というわけですね。
しかし、スターリンが世界同時革命を放棄したので(一国社会主義の「祖国ソ同盟」というヤツ)「革命の輸出」は下火になりましたが、冷戦期の米ソ陣取り競争では、空挺軍はたびたび出動しています。
グルジアはワインの産地でもありますな。飲んでみたい。
グルジアワインの店は東京の五反田にありますよ(今でもあると思う)
18様、20様
守勢戦略と領域拡大は実は矛盾しないのですよ。リデル・ハートはローマは守ろうとして領土を拡大したとか言ってましたし。
積極的な防衛策ー敵地攻撃とか敵攻勢拠点奪取とか防衛線の前進とか始めると攻勢的、帝国主義的になってしまいますし。大英帝国も貿易拠点と海上交通の要所を押さえていったら世界帝国になってますし。
軍備拡張も想定敵国に応じて整えようとするので、彼我双方が軍拡競争に入ってひたすた拡張を続けるハメに。
A国ーB国の軍備ヤバい内も増強しないと。
B国ーA国が軍備拡張してるこちらも増やさんと。
以下、無限ループ
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