空自の日本防空史76
XF-2の進空


文:nona


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日本の航空宇宙工業50年史に掲載された、試験飛行中のF-2支援戦闘機(写真は試作2号機)

世界の傑作機 (No.117) 三菱 F-1

文林堂
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モックアップのお披露目

 FS-Xの開発は1990年4月に開始され、1992年3月18日までに基本設計が技術審査を通過。翌月から試作機の製造が開始されました。

 その過程で1992年6月19日にモックアップが一般に公開され、技術研究本部の松宮廉技術開発官は「FS-Xは平成のゼロ戦になり得ると確信している」と語り、特にCCV(運動能力向上)技術がFS-Xで機能することを強調しました。

 ジャーナリストの宮本勲氏によると、当時のマスメディアの中には、FS-Xから垂直カナードが省略されたことで、技術的なトラブルで運動能力向上をあきらめた、と早合点する論調があったといい、松宮技官の発言には誤解を解消する意図もあったようです。

 FS-X主任設計者の神田國一氏によると、研究の結果、カナードがなくとも飛行制御プログラムの最適化だけで十分な運動性を得られることが判明したため、空気抵抗を増大させるカナードの搭載を見送ったそうです。


FS-Xのエンジン

 エンジンは1992年12月までにGE社のF110(推力131.23kN)とすることが決定し、F110-IHI-129として国内でライセンス生産されています。

 F110はライセンスの問題で国産化率が低いとも言われますが、神田氏は、かつてのT-2練習機の開発においてRR社によるTF40エンジンのサポートの悪さに苦労した経験があるだけに、F110の信頼性を高く評価しています。

 テストパイロットの渡邉吉之氏もF110の性能と操作性を評価しているものの、(F100を含めた)戦闘機用ターボファンエンジンが、高速回転から急減速ができないよう電子制御される点が、若干扱いにくいと語っています。

 このような制御が行われる理由は、急激なエンジンの温度変化でタービンが損傷するのを避ける措置のようです。

 1970年代に開発されたF100エンジンの場合、2000時間の動作時間内に、アイドル推力からミリタリー推力へ増やし、再びアイドルへ戻す、というサイクルを1765回繰り返せるように要求され、これにPW社は4倍の安全率をかけ、7060サイクルをこなせるよう設計していました。

 通常、ジェットエンジンはアイドル推力からミリタリー推力へ増やすまでに時間を要するため、空中戦において機体減速のためにスロットルを絞ることは稀であり、上記のサイクルに耐えられれば十分だと想定されていました。

 ところが、F100は従来のエンジンよりも推力が大きすぎたことから、パイロットは2000時間の間に平均25000サイクルも急なエンジン推力の操作をしていました。

 これではエンジンの寿命がストレスでマッハなので、パイロットが急減速の操作をしても、すぐにエンジン回転数が落ちないように制御則が加えられたそうです。


「新戦闘機の暗い地平線」

 1994年には試作1号機が完成。海外メディアではニューヨークタイムズが写真付きで報じていますが、機体そのものよりも、機前で祈りをささげている神職のほうが目立つ構図の写真が掲載されています。

 なお、この記事のタイトルは「A New Warplane's Murky Horizon(新戦闘機の暗い地平線)」と題するもので冷戦が終結し防衛費が見直される中、70~130機程度しか生産されない新戦闘機の価格は1機1億ドルを下ることはなく、導入事業の先行きは霧に覆われたように暗くかすんでいる、という内容です。

 また、FS-Xの設計開始が遅れたこともあり、1997年に退役する第8飛行隊のF-1戦闘機の代替は困難となっていました。

 この対策としてF-15Jを追加生産して306飛行隊に配備し、同隊で余剰となったF-4EJ改と要員を第8飛行隊へ異動することで、支援戦闘機飛行隊を維持する措置がとられます。


XF-2の進空

 FS-Xの先行きが懸念されていた1995年の10月7日午前9時8分、新たにXF-2と名付けられた試作1号機が渡邉氏の操縦で初飛行に成功します。

 ただし、着陸時に機体を「ポーポイズ(バウンド)」させてしまい、パイロット仲間からは「下手くそ」と、辛辣な祝福(?)が殺到したそうです。

 渡邉氏いわく、着陸の瞬間は「パイロット人生最悪の瞬間」であったそうですが、初めての機体の着陸としては許容範囲内でもあり、初飛行を地上から見守った主任設計者の神田氏は、XF-2が無事に着陸できたことを安堵していました。


技術実用試験で不具合が見つかる

 XF-2の空自引き渡しが間近となった1999年、三菱の工場では技術実用試験が進められていました。
 その最中の5月13日、地上における静強度試験で異音が生じ、機体を内視鏡と超音波で検査したところ、右主翼の内部の燃料通過口の周辺に亀裂が発見されます。

 翌6月17日には左翼でも異常が発生。
 試験場の近くで会議に出席していた神田氏は、この報告を聞いて頭の血が降下し顔面が蒼白になるのを感じたものの、異常が両翼とも同じ場所であると判明し「九死に一生得た」と安堵したそうです。

 もし別々の場所が破損していたら、別の対策法を検討しなくてはなず、問題の解決にさらなる時間が必要になるためです。

 主翼内部の亀裂の対策としてCFRP一体成型主翼に金属で補強を施すことになり、主翼の重量が増加したものの、防衛庁は要求性能上の問題はない、としています。

 さらに、1999年10月には特定の運用条件で尾翼に予測を超える荷重が加わることが判明します。

 実機で試験した所では、中距離AAMのパイロンを装着した状態で、空気密度の濃い低空を音速に近い速度で飛行しつつ機体をロールさせた場合、気流の影響により尾翼をねじろうとする力が発生しており、別の装備形態でも同様の負荷が生じることが確認されています。

 この不具合については、飛行制御プログラムを修正し、特定条件下のロール速度を意図的に落とすことで対策がなされましたが、神田氏によると、もし飛行制御プログラムを米国企業へ外注していた場合、修正に1年は要しただ、とのこと。

 また、ASMを4発携行した場合などでフラッター(空中分解の原因となりうる異常振動)が発生する問題も判明したのですが、こちらも改善が試みられています。

 ただ、これらの改修により2000年3月までに予定されていたF-2の空自引き渡しは延期を余儀なくされています。

次回に続く


参考

F-15イーグル 世界最強の制空戦闘機(ジェフリー・エセル著 浜田一穂訳 ISBN978-4-562-01667-1 1985年12月1日

日本の航空宇宙工業 50年の歩み (日本航空宇宙工業会 2003年5月)

航空自衛隊F-2(イカロス出版 ISBN978-4-87149-475-5 2003年7月20日)

世界の傑作機 No.117 三菱 F-1(ISBN978-4-89319-141-0 2006年10月5日)

戦闘機パイロットの世界“元F-2テストパイロット”が語る戦闘機論(渡邉吉之 2017年9月10日)

主任設計者が明かすF-2戦闘機開発(神田國一 ISBN978-4-89063-379-1 2018年12月15日)

New York Times Archives
A New Warplane's Murky Horizon( Andrew Pollack' 1995年1月13日)
https://www.nytimes.com/1995/01/13/business/a-new-warplane-s-murky-horizon.html

三菱重工技報 Vol.33 次期支援戦闘機“XF-2”の開発(神田國一,亀山忠史,小山敏行,川崎治憲 1996年5月)
https://www.mhi.co.jp/technology/review/abstractj-33-3-154.html

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