空自の日本防空史69
訓練と燃料が足りない?


文:nona

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航空自衛隊の燃料給油車。容量は20Klで、増槽を搭載したF-15J戦闘機約1.2機分、F-2戦闘機約2機分に相当する。

 今回は昭和の空自が悩まされた、訓練環境の問題と燃料事情について解説いたします。

狭くなった日本の空

 創設当初の空自は戦闘機パイロットの練度を重視し、年間200時間ものフライトを目標としていました。
 実際は、天候や事故、あるいは補給整備の問題で、飛行時間を消化できない年度もあったようですが、おおむね目標を達成できた、といわれています。

 ところが、民間における航空輸送の増大に伴い、1960年代後半から空自機とのニアミス(異常接近)が増加。

1967年に空自機と民間機とのニアミスは20件が報告されましたが、1968年に39件、1969年に58件、1970年で69件と、大幅に増加していました。

 これに危機感を覚えた空幕は、1970年の夏に飛行安全監察を開始し、翌1971年の7月30日に改善案を盛り込んだ報告書を提出していますが、これは遅きに失したようです。

 ちょうどその日、岩手県の雫石町上空で、訓練生が操縦するF-86Fにボーイング727旅客機が追突。旅客機側の乗員と乗客162名全員が死亡する重大事故が発生したのです。


遠く狭い空自の訓練空域

 事件当時、空自の航空管制官であった園山耕司氏は、事件処理のため空幕に召集され、休日返上で防衛庁に泊まり込み、8月中に提出される「航空交通安全緊急対策要綱」の策定にあたっています。

 園山氏によると、この要綱で民間空域と自衛隊の訓練試験空域が完全に分離され、高高度試験訓練空域11か所(後に15か所)、低高度空域9か所が設置されました。

 ただし、これらの空域はジェット戦闘機の訓練には概して狭く、超音速訓練を実施できるのは、日本海上に設けられたC空域とG空域の中間空域に限られていました。

 さらに、基地によっては広い訓練空域まで遠すぎるため、往復飛行のために実質的な訓練時間も減少しています。

 防衛白書においては、度々この問題が取り上げられており、改善案として空域の時間分割も提案されたようですが、なかなか実現しなかったようです。


国外移動訓練の提案

 訓練空域の制約と後述する燃料の不足から、防衛庁は1970年代の中頃にかけ、飛行学生の育成と現役パイロットの訓練の一部を、米国で実施する計画を検討しています。

 当時、防衛庁が参考としたのは西独空軍で、同軍はパイロットの初等教育を米国で実施し、現役パイロットも訓練の一部をイタリアやポルトガルで実施していました。

 当時の西独の上空は、民間空路と戦闘パトロール空域で占められており、空軍は訓練空域の確保に苦慮していました。射爆撃訓練場はバルト海に1か所あるだけだったようです。

 日本もこれに倣うわけですが、候補地としては、ネバダ州ラスベガスのネリス空軍基地が挙げられていました。

 同地は、昼間の気温こそ高いものの天候は安定しており、射爆撃場が近いため訓練期間の短縮が期待できました。

 また、アメリカの練習機と教育システムを用いた場合、日本で訓練するよりも経費が安くなる、と試算されたようです。

 しかし、留学する航空学生には高度な英語力が求められ、帰国後に国内の地形や気象環境に応じた慣熟訓練も必要でした。

 加えて、国産のT-2練習機の調達や、既存の教育組織の維持に影響を及ぼす可能性があったようです。

 これらの点がボトルネックとなり、空自では一部の学生だけを留学させるに留め、現役パイロットの移動基地訓練も、硫黄島で実施される方針とされました。


オイルショックで飛行時間は危険域に

 1973年10月に勃発した第四次中東戦争では、原油価格は開戦3か月のうちに約4倍に高騰。1974年から75年にかけて、パイロットの年間飛行時間は150時間へ低下します。

 1975年に防衛庁の丸山昂防衛局長は「年間二百時間の飛行時間というものが練度を維持するためには必要であるという基準」としたうえで、「百五十時間を切りました場合には今度は逆に事故率がふえてくる」と語り、対策に努めることを表明しました。

 しかし、1979年の第二次オイルショック以降、原油価格は1980年代後半まで高水準を維持。燃料事情は改善されず、1985年の平均飛行時間は144時間、1986年が146.5時間という水準でした。

 この時期にはスクランブル発進も急増し、1984年には944回の緊急発進があったのですが、この燃料を確保するため、通常の飛行訓練はさらに削減されたようです。それでも燃料費が高いため、ある基地では入浴すら制限された、という話もあります。

 この状況で懸念されるのが事故の増加ですが、「航空自衛隊50年史」に掲載された統計を見る限り、1982年以降、空自機の大事故は年間3件未満にとどまっています。年平均で約10件の大事故があった1960年代と比べれば、むしろ減少しています。

 長年の安全対策が功を奏したのか、安全性の高い新型機を導入したためか、あるいは飛行時間の減少で事故が減ったのか、いずれにしても、丸山防衛局長が懸念した最悪の事態は回避されていました。


自衛隊の燃料備蓄

 訓練用燃料の不足に悩んだ昭和後期の自衛隊でしたが、それでも通常3~4か月分、多い時期で5か月分に相当する燃料を確保していました。

 防衛庁では、備蓄燃料を「調達リードタイム用ランニングストック」と呼称しています。

昭和期の自衛隊では、燃料の調達が行われるのは年2回だけで、年度初めの燃料が各基地に納入されるのは毎年8月前後だったようです。

 本来は上記の事情から燃料が備蓄されていたのですが、実質的には有事備蓄でもありました。

 この頃の自衛隊全体の燃料消費量は1979年で約90万KL、1980年は節約し約80万KLだったようですから、常時30万KL程度の燃料は備蓄されていた、と考えられます。

 ただし、塩田章防衛局長は、自衛隊の有事における燃料消費は、平時の数倍程度が見込まれる、としており、(仮定の話ですが)全ての車両、航空機、艦船が全部一斉に動き回った場合、海自は数百時間、航空自衛隊と陸上自衛隊の場合は数十時間で現在のストックがなくなる、としています。


燃料備蓄が尽きた後はどうするのか?

 もし、自衛隊の燃料備蓄が尽きた場合ですが、和田裕装備局長は「自衛隊全体の使用量がわが国全体の石油の消費量のごく一部であるということで(中略)市中からあるいは政府その他の備蓄しているところから入手することが可能」と語っています。

 1980年頃、日本では年間2億5000万KLの石油を消費したようですが、この頃に90日ぶんの民間石油備蓄(約6300万KL)が達成されており、国家石油備蓄として借用された民間タンカーなどに、726万KLの石油が確保されていました。

 同年には国家備蓄基地の建設も開始されており、1988年までに3000万KLの備蓄が達成されています。

 これだけの備蓄があれば、有事においても自衛隊が燃料に困ることはない、というのが防衛庁の想定でした。

 しかし、ある野党議員は「戦時というのは船が港まで着くかどうかわからない。製油所はまず間違いなく爆破される。したがって、通常の生産流通段階でジェット燃料は幾らぐらい配達されますと言っても相成り立たぬのが戦時でしょう。」と語り、防衛庁の回答を批判しています。

 有事の燃料備蓄について万全を期すのであれば、現有の国家備蓄を石油製品へ精製し、各自衛隊基地に増設した地下タンクで燃料を備蓄する、という手段が考えられます。

 2010年代の研究ではありますが、酸化防止剤を添加し、極端な温度変化のない環境で保存した場合、JP-4燃料で6年は保管できるようです。

 しかし、自衛隊に燃料だけがあっても、そのほかの弾薬や物資、人員が消耗すれば戦い続けることはできません。

 それ以前に、日々の訓練に用いる燃料も事欠いていたようですから、当時の自衛隊に燃料の備蓄に本気で取り込める余裕は、なかったようにも思えます。


次回に続く


参考

国会議事録

第076回国会 衆議院 内閣委員会 第10号(1975年12月16日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/076/0020/07612160020010a.html

第094回国会 参議院 予算委員会 第二分科会第3号(1981年3月31日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/094/1386/09403311386003a.html

第095回国会 参議院 行財政改革に関する特別委員会 第4号(1981年10月12日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/095/0782/09510120782004a.html

1976年度 防衛白書 第4章 5訓練空域等の制約
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1976/w1976_04.html

独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 備蓄年表
http://www.jogmec.go.jp/library/stockpiling_oil_009.html

石油製品備蓄に関する調査 (一般財団法人石油エネルギー技術センター  2015年)
http://www.pecj.or.jp/japanese/report/reserch/H27guide/h27data/07.pdf

レッツ・ゴー 航空自衛隊(三根生久大著 1972年2月25日)

日本の防衛戦力③航空自衛隊(読売新聞社編 ISBN4-643-87032-X 1987年5月14日)

航空自衛隊五十年史 資料編(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)

戦闘機の航空管制航空戦術の一環として兵力の残存と再戦力化に貢献する(園山耕司 ISBN978-4-7973-9820-5 2018年8月)

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