空自の日本防空史67
AWACSの買い時は?


文:nona


67
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1992/w1992_01035.html
防衛白書に掲載された米軍のE-3AWACS

 空自での運用例について具体的な資料が少ないため、今回と次回は米空軍におけるAWACSの運用例を紹介いたします。

E-3の演習デビュー

 MiG-25事件と同月である1976年9月、米国本土で実施されたレッドフラッグ3演習にて、E-3AWACSの管制能力の限界が試されています。

 E-3に与えられたシナリオは、F-4とF-15戦闘機に電子戦機や給油機を加えた、120機の「青軍」を指揮し、100機ずつ3波に分かれ、15分おきに来襲する「赤軍」を迎え撃つ、というもので、演習の支援機を含め、総数450機が演習に参加しています。

 空軍は演習を「成功」と判断したようですが、多くの問題も洗い出されており、その一つにE-3が各戦闘機にIFFの応答を要請した、というものがありました。

 当時、米空軍で使用されていたIFFは暗号化されておらず、敵からの質問に反応し、逆探知される恐れがありました。よって、IFFのスイッチを切るのは珍しいことではなかったようです。

 しかし、IFFなくしてE-3の管制能力は発揮できないため、あえてそのような要請が行われたのです。

 程なくして、暗号化されたIFFモード4の普及が始まり、敵地におけるIFFの使用要件が緩和されますが、 モード4は機材に故障がなくとも、電波干渉などで識別に失敗することがあり、この問題が同士討ちの要因の一つとなっています。


湾岸戦争のE-3

 実戦においてE-3が初めて大々的に使用されたのが湾岸戦争であり、米空軍だけで26機のE-3が参加し、サウジアラビアのE-3も自国防衛に加わっています。

 E-3のソーティ数や作戦時間は資料によってばらつきがありますが、ある情報では「砂漠の嵐作戦」の期間中に375ソーティ、5000時間の飛行がおこなわれたそうです。

 対するイラク空軍も4機の「アドナン」AEWを保有していたものの、目立った活動はなく、撃破されるかイランへ逃亡し、同国に接収されています。

 E-3の支援を受けた戦闘機は、逆探知の恐れのある自身のレーダーを使用せずに、相手機の背後に忍び寄れるため、優位な位置から空中戦を開始できました。

 AWACSは米軍機の空中戦果のほとんどに関与した、とも言われますが、特殊な例として、1991年1月24日の空中戦において、E-3の管制官は、イラク軍のミラージュF1戦闘機から近い位置にあった米軍機に撃墜許可を与えず、離れた場所を飛ぶ、サウジ空軍のF-15に撃墜を要請したことがあります。

 これは、サウジアラビアに戦果を分け与えたい、という軍上層部の政治的な要請によるものでした。

 これにより、サウジ空軍のシャムラニ大尉は空中戦の機会を与えられ、F-15戦闘機からAIM-9を発射、2機のミラージュF1を撃墜します。

 ただし、このミラージュはエグゾセ対艦ミサイルを搭載していたようで、仮にサウジ機の到着が遅れていた場合、先にエグゾセが発射されていた可能性もあります。

 生きるか死ぬかの戦闘で、政治的な理由でサウジ機の管制を優先するのは如何なものか、という批判はあるようですが、ともかくE-3にはそうした仕事も与えられていました。


E-3による識別支援

 湾岸戦争において多国籍軍の戦闘機は、E-3による敵味方識別の支援を受けられる場合、不明機からのIFF応答の有無だけを確認するだけで(目視で識別をせずに)撃墜の要件を満たせたようです。

 これにより、敵地における目視外距離や全天候下で同士討ちの危険を減じており、特にAIM-7ミサイルは戦果を大きく伸ばしました。

 ただし、米海軍のF-14AはIFFが旧型につき、この要件を満たせず、目視識別を求められていました。

 同機はF-15戦闘機以上の性能を有するレーダーと長射程のAIM-54ミサイルを装備していますが、その戦果は目視内戦闘でMi-8ヘリコプターを1機撃墜しただけでした。
(余談ですが、その機はビデオテープを挿入し忘れており、撃墜時のガンカメラ映像が録画されていなかったそうです。)


MiG-25の探知に失敗

 E-3が多国籍軍の勝利の立役者であることに異論はありませんが、一部の例外として、同機の支援が適切に行われず、海軍機が撃墜されたこともありました。

 砂漠の嵐作戦発動の翌日となる1991年1月17日の午前2時30分ごろ、ある米海軍の攻撃機部隊が、イラク中部でズハイル・ダウード大尉のMiG-25PDF(PDあるいはPDSとする資料あり)から、レーダー照射をうけました。

 F/A-18C編隊を率いていたマイク・アンダーソン中佐は、レーダーの照射源方向にアフターバーナーらしき炎が見えるとして、E-3Aに識別を求めています。

 しかし、E-3Aは何らかの理由でMiG-25を探知できず、管制官は対応を指示できませんでした。

 そのうちにアンダーソン機とMiG-25はすれ違ってしまい、完全に見失うのですが、機先を制したMiG-25は、スコット・スパイカー中尉のF/A-18Cをロックオン。

 この時、スパイカー中尉の僚機や管制官はロックオンを伝える無線をうけておらず、中尉もロックオンに気付いていなかった可能性があります。

 ダウード大尉はレーダー誘導のR-40RDミサイルを発射、ミサイルはスパイカー機に命中しました。


F/A-18の撃墜

 ある海軍のパイロットは、突然の空中爆発と閃光を目撃していましたが、米空軍機に撃墜されたイラク機だろう、と解釈。

 無線が混雑する中であえて報告する必要もないとして、ボイスレコーダーで機体が落下していく様を口述で記録しました。

 この時点ではE-3の管制官を含め、周囲の友軍機はスパイカー機の撃墜に気付かず、戦闘空域を離れて、ようやく編隊が欠けていることに気付いたそうです。

 この戦闘の後、スパイカー中尉は長らく消息不明とされていましたが、2009年に遺体が発見され、現在は米国に埋葬されています。


 次回も引き続き、1月17日の戦闘と、その後のイラク空域におけるE-3の活動を解説いたします。


参考

F-15イーグル 世界最強の制空戦闘機(ジェフリー・エセル著 浜田一穂訳 ISBN978-4-562-01667-1 1985年12月1日

丸NO.5831994年11月号 特集 アンノウン機撃墜法 システム防空戦(潮書房編 1994年11月)

兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)

New York Times Archives
Death of a Fighter Pilot(Mark Crispin Miller 1992年9月15日)
https://www.nytimes.com/1992/09/15/opinion/death-of-a-fighter-pilot.html

War Is Boring
Who Shot Down U.S. Navy Pilot Scott Speicher(2017年1月11日Tom Cooper)
https://warisboring.com/who-shot-down-u-s-navy-pilot-scott-speicher/

P.O.W.NETWORKS
Scott Speicher: Dead or alive? (2001年12月31日  Lon Wagner, Amy Waters Yarsinske)
https://www.pownetwork.org/saudi/sd017_2.htm