空自の日本防空史65
新BADGEシステム
文:nona
http://www.mod.go.jp/asdf/about/history/history3.html
「航空自衛隊の歴史」より、新バッジ・システムの運用開始
「旧」BADGEシステム
最初のBADGEシステムが正式運用を開始したのは1969年のこと。BADGEはヒューズ社によって開発された、コンピュータを介して自動迎撃管制を行う、当時最新の防空システムでした。
これまでの手動迎撃管制方式と比較し、BADGEは発見から要撃までの所要時間を1/10に短縮し、マッハ2級の高速目標に対応、各航空方面隊のDC(防空指令所)は120目標を追跡しつつ、数十の戦闘機を管制する能力を有する、と言われました。
運用初期においては、要撃計算機が頻繁にシャットダウンする問題が生じ、1日の運転時間が昼間8時間に制限されていたものの、運用要領の改善で71年までに12時間に延長され、1975年以降は予備計算機を導入し二重冗長化されたことで、24時間の連続運用に対応しました。
1981年からは、予備計算機を活用した「航空総隊ウォーゲーム・シミュレーション・プログラム」も稼働し、1983年にはE-2C早期警戒機とのリンクに対応するなど、段階的に機能が向上しています。
BADGEの限界
とはいえ、次第にコンピュータや航空機の能力は向上し、相対的にBADGEの能力に不足が目立ちはじめます。
上記の「ウォーゲーム・シミュレーション」はシナリオによって、計算に数日を要する点が不評とされ、E-2Cから送信されるデータ量の多さから、BADGEがパンクする可能性も指摘されていました。
航空機も年々性能が向上し、これまで最大の脅威とされた高々度高速侵入戦法に加え、低高度侵入戦法も増加するとみられており、発見から迎撃までの時間を、これまで以上に短縮する必要があったのです。
新BADGEの開発
こうした問題に対処すべく、防衛庁と空自は1979年から新たなBADGEの検討を開始し、1981年8月に、国内メーカー3社からの提案要求を求めます。
選定の結果、日本電気案が主契約企業として採用されたものの、他社案もサブシステムが優秀であるとして、それぞれ電子交換機と基地内通信回線に採用されています。
ハードウエアの多くは日本電気を中心とした国内メーカーが開発を担当していますが、ソフトウエア開発に関しては、今回もヒューズ社の支援を受けています。
新BADGEは、1983年から5年と約960億円の工費で建設され、1989年度から正式に運用が開始されました。
新BADGEでリンク範囲も拡大
新BADGEでは、これまでリンクされていなかった空自施設も新たに組み込まれています。
まず、地理的な問題でBADGEに対応していなかった南西航空混成団と、本土の3つのレーダーサイトが新BADGEに対応し、各地のWOC(航空団戦闘指揮所)やGOC (高射群戦闘指揮所)も、戦闘機やSAMの待機状況、弾薬や燃料、施設の被害情報がデータリンクで提供できるようになりました。これまで、そうした情報は電話でやり取りしていたそうです。
SOC(航空方面隊の戦闘指揮所)とCOC(航空総隊作戦指揮所)も文字情報のリンクをうけ、情報の自動表示に対応しました。ここでも、以前は電話によるやりとりの後、プロッター要員がクリアボードの後ろ側から鏡文字で手書きしていました。
また、防衛庁のASOOC(航空幕僚監部作戦室)や1985年から稼働しているCCP(防衛庁中央指揮所)とも、新たにリンクしています。
新BADGEのコンピュータ
新BADGEは要撃コンピュータの能力が大幅に向上し、旧BADGEとの比較で処理速度は10倍、処理容量も20倍に向上しました。
全国四か所のDC(防空指令所)に集められた要撃管制官は、コンソール上の要撃機と目標をトラックボールでそれぞれ選択し、要撃コンピュータは迎撃コースを計算、各レーダーサイトの対空データリンクアンテナから要撃機へ迎撃コースを指示します。
この方式は管制官が一人で複数機の管制に対応できるそうですが、通常は音声誘導も併用されます。
また、新BADGEは航空機の追跡に「センターライズド・トラッキング」方式が採用され、各サイトのレーダー信号はDC(防空指令所)で一括処理されています。
旧BADGEでは、各サイトのRTS-Ⅱ追跡コンピュータが航空機を追跡し、これをDCへ送信していましたが、この方式は一つのサイトに航空機が集中した場合、処理能力が飽和する恐れがあったそうです。
新BADGEでも情報漏洩
旧BADGEの導入期であった1968年に関連資料の漏洩が発覚し、関係者が自殺に至ったことは以前の記事で解説した通りですが、新BADGEでは、契約企業からの漏洩が報告されています。
新BADGEの情報漏洩が発覚したのは1990年6月のことで、フィリピンにおいて企業側のBADGE関連資料など71枚が発見され、地元当局と外務省を経由し防衛庁へ伝えられました。防衛庁は、漏洩した資料の1枚が「秘」に相当する、と発表しています。
当時の秘密情報区分である「機密・極秘・秘」のうち、「秘」は防衛庁においては課長級職員が指定する、秘密性は比較的弱い情報、とされます。
それでも、庁職員や自衛官が外部に漏らせば相応の処罰があるはずですが、今回の漏洩元は民間企業であったため、防衛庁は2か月間の取引停止と、内部調査および再発防止を要請するにとどまり、肝心の流出経路も特定できませんでした。
AWACSの導入も検討
なお、防衛庁は新BADGEの建設と並行し、かつて見送ったAWACS(早期警戒管制機)の導入を再検討していました。
1980年代に論じられたシーレーン1000海里防衛構想の達成には、空自による海上航路帯の防空が不可欠とされたものの、各レーダーサイトは視程に制約があり、E-2C早期警戒機も進出できる距離が限られるなど、その任務に加われるのはAWACSだけ、と考えられたのです。
次回は、空自のAWACS導入事業を解説いたします。
参考
日本の防衛戦力③航空自衛隊(読売新聞社編 ISBN4-643-87032 1987年5月14日)
軍用機知識のABC改訂版(イカロス出版 ISBN4-87149-077-7 1997年1月15日)
スクランブル 警告射撃を実施せよ(田中石城 ISBN4-906124-26-7 1997年4月27日)
国防の危機管理と軍事OR(飯田耕司 ISBN978-4-88361-916-0 2011年11月)
安保黒書 第4章II (潮見俊隆, 山田昭, 林茂夫 1969年4月15日)
http://www.junposha.com/news/n21407.html
国会議事録 第143回国会 参議院 外交・防衛委員会 第7号 新バッジ・システム関連資料の外部流出に関する件
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/143/1090/14310011090007c.html
平成13年度 政策評価書(事前の事業評価) (2001年 防衛局計画課)
http://www.mod.go.jp/j/approach/hyouka/seisaku/results/13/jizen/honbun/09.pdf
コメント
最近読んでいるドイツ軍の二次大戦中の夜間戦闘の本によれば、作戦指揮室のスポット表示は裏側にいるおねーさん達が1つ1つ操作していたみたいで、色々と自動化が進んでいるのに時代を感じますなw
とは言え、新BADGEは旧BADGEに比べて処理速度は10倍! っていうけれど、ムーアの法則に従うなら集積回路上のトランジスタ数(大雑把に言ってコンピューターの性能)は倍々ゲームで増えていくので、理屈としては旧BADGEから新BADGE運用開始までの20年間で千倍とか一万倍に増える計算になる。
高性能化したコンピューターの性能を単純な計算処理以外にもデータの送受信や操作性や信頼性の向上などにも使っての処理速度10倍なのだろうな〜
ネットが普及したお蔭で最新の軍事技術や未来のコンセプトモデルなどが垣間見られる反面こういった経緯を詳しく知る機会は貴重であると同時に、今後を見る上でも大事だなと痛感しています。
とても楽しく読ませて頂いておりますので今後とも何卒よろしくお願いいたします。
(こちらからも情報が出せれば良いのですが如何せんまだニワカ故w)
>>1
新BADGEではより複雑なプログラムを処理することになるため単純なコンピューターの性能向上を謳ったムーアの法則は当てはまらなかったりします。
コンピューターの性能向上=計算・処理能力の向上ではあるものの、処理・実行するプログラムの複雑化や処理方法の変更によって計算に用いられる式数やデータ量は飛躍的に増えるためシステムと合わせて最終的な「処理速度が10倍」になったと観るのが良いかと思います。
今のJADGEシステムになる前の、某2公開当時並びに劇中設定当時に運用されていた要擊管制システムの話になりますな。
※1
一方イギリス人はコマを使い、アメリカ人はプロッターにチューブ絵の具で鏡文字を書かせた。
旧軍の防空指揮所では、地図上の電球を点灯させる仕組みだったけど、海外で同様の表示が採用されなかったのは、稼働中に電球が切れた場合に迅速な対応が難しいからだろうか。
※2
昔パソコンの処理速度が8bitくらいしかなかった頃、地図上からランダムで指定した2点間の最短ルートを算出するプログラムコンテストの世界大会があって、初期は計算に何時間かかかってたのに、プログラマーが慣れてきた頃には、同じCPUでも1秒未満で答えが出るようになってたそうで。
最近でも、イージス艦は弾道ミサイルに対処している間、対艦ミサイルには無力になると言われていて、日本なんかそのためにあきづき型なんか作っちゃったのに、結局ソフト改修で何とかなるようになったという事例があったり…(一応この経験値やあきづき型の存在そのものは無駄にはならないのだろうが…)。
<処理・実行するプログラムの複雑化や処理方法の変更によって計算に用いられる式数やデータ量は飛躍的に増える
※4
<プログラマーが慣れてきた頃には、同じCPUでも1秒未満で答えが出るようになってたそうで
おお、こういったコンピューターの高性能化やシステム習熟に合わせたプログラムの変更というのは大事なんでしょうな〜
独自開発というのは金も手間もかかり大変なものですが、海外製ではそこまで弄らせてはくれないでしょうから自前でこういったノウハウを蓄積してフィードバックするのが大事なんだろうな と思うところであります。
<旧軍の防空指揮所では、地図上の電球を点灯させる仕組みだったけど、海外で同様の表示が採用されなかったのは〜
単純に日本の防空網の能力が穴だらけで他よりも大きく遅れていたから凝ったものが必要無かった可能性が(´・ω・`)
イギリスでは早期にレーダー網を完成させてその利用法を工夫していき、ドイツもイギリスからは遅れながらもレーダー網を構築していきました。
例えばドイツでは1940年ごろから「ヒンメルベッド」あるいは「カムフーバーライン」と呼ばれるレーダー網を構築しています。
これは警戒用のフライヤ・レーダーと追尾用のヴュルツブルク・レーダー2基を組み合わせた複数のレーダー基地からなるもので、フライヤ・レーダーで早期に敵機を探知、2つのヴュルツブルク・レーダーの内の一方は敵機を追尾し、もう一方は味方の夜戦を追尾して地上から2つを合わせるように誘導することで夜間迎撃を行なっていました。
1943年から始まった夜間防空の「ツァーメ・ザウ」戦法では戦闘機部隊をあらかじめ敵侵入予想経路のビーコン上空に待機させ、侵入してきて敵編隊に適時ビーム誘導装置を使い接敵誘導を行うことで夜間でも100機以上の迎撃機を出撃させています。
こういうシステマティックな防空作戦を指揮するには統一された防空司令部に戦況を部隊単位で表示するシステムが必要で英独や米空母ではそれが用意されたわけですが、日本軍では早期警戒レーダーがなんとか、ヴュルツブルクのコピーにも難儀、ビーコン誘導やビーム誘導も怪しい、システマティックな迎撃完成を行おうにも統一司令部も高度な無線管制も望めない って感じなので、その・・・
数個の電球だけで事足りた旧軍の防空指揮所は敵味方部隊の位置把握とそれに基づく指揮管制が必須となる現代的な防空作戦能力の欠如を如実に表しているのでないかと、最近そう思えてなりません(´・ω・)
コメントする