空自の日本防空史58
ソ連による沖縄領空侵犯事件


文:nona


58
1987年度のソ連軍用機および艦艇の行動概要
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1988/w1988_01032.html

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1987年の対外情勢

 本記事であつかう警告射撃事件の発生した1987年は、東西冷戦の雪解けが進んだ融和の年、とされます。

 これは、米ソ両国が80年代初頭から交渉を続けてきたINF(中距離核戦力全廃)条約が合意され、12月にソ連のゴルバチョフ書記長をワシントンDCに迎え、INF条約の締結がなされたためです。

 しかし、日ソ関係で見ると、3月の東芝ココム違反事件、5月の横田基地中ソスパイ事件、7月の東京航空計器スパイ事件など、ソ連が関与したとされるスパイ事件が次々に発覚。

 8月には、モスクワに派遣された防衛駐在官に対する国外退去が要求され、これが両国武官の退去騒動へ発展するなど、両国の関係は険悪になっていました。

 極東のソ連軍航空機も活発に活動しており、空自は1987年度に防空識別圏内においてソ連機による飛行を320回確認、8月27日には機種不明のソ連機が、北海道の礼文島付近にて領空を侵犯しています。

 また、少数ではあるものの、ベトナム・カムラン基地との長距離連絡飛行も確認されており、このようなソ連機への対応は、空自の南西航空混成団が担当していました。


南西航空混成団と302飛行隊

 南西航空混成団(以下、南混団)は1973年の沖縄復帰に伴い新設された部隊です。航空混成団は本土の航空方面隊に相当しますが、部隊の規模は小さく、それゆえ「混成団」と呼ばれました。(2017年に航空方面隊へ昇格しています)

 南混団の地上装備や施設は、その一部を米軍から「有償」で引き継いでおり、ナイキ高射隊は4個、レーダーサイトも4個ありました。しかし、機材の互換性や本土との通信態勢の問題から、初期型のBADGEとは連接されませんでした。

 南混団では1988年度から新BADGEに対応すべく機材の換装が進められており、事件当時は試運転がされていた、とも言われます。

 南混団による1985年度の年間緊急発進数は68回。北部航空方面隊の320回よりも、はるかに少なく、それゆえに戦闘機飛行隊は2009年までは1部隊しか配置されず、本土の飛行隊よりも保有機の定数を若干増やすことで対応していました。

 1985年度までは第207飛行隊のF-104J戦闘機が、1986年度以降は第302飛行隊のF-4EJ戦闘機が配備されていますが、同隊は1976年9月のMiG-25事件で初動対応した部隊でもありました。


航跡番号410

 1987年12月9日の午前10時30分、沖縄県宮古島のレーダーサイトは、南西200海里の地点に不審な航跡を発見。この情報はただちに沖縄本島・与座岳のADDC(防空指令所)へ報告されました。

 与座岳DCは、通報された航跡とフライトプランを照合したものの、これに合致するものがないとして、識別不明機と判断。航跡番号410を割り当てますが、航跡の進路からソ連の「ベトナム急行」である、と察しはついたようです。

 こうした情報は、実際にスクランブルが発令される少し前、那覇基地・アラートハンガー横のパイロット待機所へ通告されています。

 この通告をうけとったF-4EJの1番機パイロットである昆康弘1尉は「ベトナムのカムラン湾から上がっている」と周囲に知らせ、1番機の後席搭乗員だった正岡順一郎氏は「あ、そうですか。また、例のやつですね。」と、本人曰く「間延びした」返事をしたのですが、今回の相手がこれまでと異なる行動に出るとは、予想していなかったようです。


Tu-16バジャーJ

 10時40分にスクランブルが下令され、第一編隊のF-4EJが10時45分までに那覇基地を発進。
 第一編隊は11時すぎに宮古島の南東に達しており、追跡番号410の機体を発見。「目標機はソ連機、Tu-16J型、1機、水平飛行中と判断」と報告しています。

 Tu-16(バジャー)Jとは、Tu-16爆撃機の電子戦機型であり、爆弾倉の外部に設けられた細長いアンテナフェアリングに、自動式の電波妨害装置を搭載していました。

 一方、電子偵察能力の有無については不明な点があり、NATOでは電子偵察機能を持つTu-16を別途バジャーLやバジャーKと呼称し、ソ連も今回のTu-16Jが「偵察機器は積んでいない」と釈明していますが、 「航空自衛隊50年史」では、このTu-16Jを「電子偵察や電波妨害を行う機体」とみなし、日米もそうした前提のもと、事件の対応にあたっています。

 なおTu-16JはNATOコードネームで、ソ連側ではTu-16P(またはTu-16P Buket)と呼んでいました。


ソ連機は3機編隊

 第一編隊が発進準備を進めていた頃、宮古島レーダーサイトは新たに2つの航跡を探知。与座岳DCはこれらも識別不明機として、それぞれ414、415という航跡番号が割り当てます。

 これらに対処すべく、30分待機中だった第二編隊のF-4EJも、11時00分までに離陸しました。
 第二編隊は11時15分ごろ識別不明機を発見し、航跡番号414はTu-95ベアD(洋上哨戒型)、415はTu-142 ベアF(対潜哨戒機型)と識別。いずれもソ連の海軍航空隊で用いられた機体です。

 第二編隊が現場に到着したころ、この両機は宮古島と沖縄本島の中間の海域上空を北に向けて飛行しており、目立った行動はなく、日本の防空識別圏を離れています。


Tu-16の対空火器

 Tu-16Jは、対空火器としてAM-23型23mm連装機関砲の砲塔を3基装備し、射撃管制レーダーとして機体尾部のPRS-1アルゴンが使用されました。

 さらに、機首右側面に威嚇用のAM-23を装備するTu-16Jも存在するようですが、空自が公開した写真では判別できませんでした。

 爆撃機を自身の対空火器で防護する、という思想はTu-16が登場した時、西側では時代遅れのものとなりつつあり、B-52爆撃機は対空火器を尾部に1基のみ装備し、英国のV3ボマーにいたっては一切の対空火器を装備していませんでした。

 しかし、平時にスクランブル発進した空自機にとって、Tu-16をはじめとするソ連大型機の対空火器は重大な脅威。

 かつては砲口を向けられることは珍しい事はなく、元戦闘機パイロットの窪田博氏がF-1戦闘機でソ連のTu-16にスクランブルをかけた際、砲の指向と同時にレーダー照射をうけ、ロックオンされる前に緊急回避した経験を語っています。

 今回の事件においても、F-4EJの乗員は常に機関砲の向きを警戒していました。


次回に続く


参考

日本の防衛戦力③航空自衛隊(読売新聞社編 ISBN4-643-87032-X 1987年5月14日)

丸NO.5831994年11月号 特集 アンノウン機撃墜法 システム防空戦(潮書房編 1994年11月)

スクランブル 警告射撃を実施せよ(田中石城 ISBN4-906124-26-7 1997年4月27日)

自衛隊指揮官(滝野隆浩 ISBN4-06-211118-7 2002年1月30日)

世界の傑作機 No.126 ツポレフTu-16 バジャー(ISBN978-4-89319-162-5 2005年4月5日)

航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)

F-4 ファントムⅡの科学(青木謙知 ISBN978-4-7973-8242-6 2016年)

防衛庁五十年史 CD-ROM版(防衛庁編 2005年3月)

自衛隊エリート・パイロット(菊池征男他 ISBN978-4-87149-982-8 2007年8月31日)

平成29年度の緊急発進実施状況について(統合幕僚監部 2019年4月13日)
http://www.mod.go.jp/js/Press/press2018/press_pdf/p20180413_05.pdf

自衛隊エリートパイロット 激動の時代を生きた5人のファイター・パイロット列伝 (ミリタリー選書 22)
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