防衛大綱から読み解く”事実上の空母”の正体
 第三回:”事実上の空母”に至る周辺情勢
 「”事実上の空母”よりも大事な話があるんです!」

文:誤字脱字 ツイッターブログ

米中もし戦わば
対中の安全保障事情は日本と米国で重なる部分が多い。この本では現在トランプ政権で要職を務める著者が中国の政策や戦力の分析や外交的解決法の考察などを行っており、日本の安全保障を考える上でも大変有意義な一冊である。
 

 前回まで”事実上の空母”に関する話で「空母と言えば真珠湾攻撃」という認識の間違えを指摘し、”事実上の空母”の正体を「F-35Bの離発着基地の1つ」であることを明らかにしました。
 今回と次回でF-35Bが必要となった安全保障環境の変化を「防衛計画の大綱」などの関連資料から抜粋し、F-35Bと多用途運用護衛艦導入の背景を明らかにします。



最近の安全保障環境について

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有名な第一次世界大戦前のヨーロッパ情勢の風刺画、今にも溢れ出しそうな危険な鍋を列強が上に乗って抑え込んでいる。このような危険な時代ははるか100年前の、遠い過去の話ではなかったのだろうか?(引用:Wikimedia Commons[[a]

多用途運用護衛艦については前回示したように「防衛計画の大綱」で決まった事ですが、注目度に反して「防衛計画の大綱」の本来の趣旨はマスコミで話題となっている”事実上の空母”ではありません。

 「防衛計画の大綱」の趣旨には
『我が国を取り巻く安全保障環境は、極めて速いスピードで変化している』
 ために
『これまでの国家の安全保障の在り方を根本から変えようとしている』
 とあります。
 そのために
『従来の延長線上ではない真に実効的な防衛力を構築する』
 必要があり、その中で講じる数ある手段の1つが”事実上の空母”と言われている「いずも」の多用途運用護衛艦への改修なのです。

 「防衛計画の大綱」の書き振りはかなり切迫感を感じさせるものですが、何を危惧して『従来の延長線上では無い防衛力の構築』を急いでいるのでしょうか?
 今回も「防衛計画の大綱」を読み込んで安全保障環境の変化と、そこで何故F-35Bと多用途運用護衛艦が求められているかを明らかにしたいと思います。

 なお記事としてまとめるためにいささか強引な箇所やF-35Bと多用途運用護衛艦に関係する項目に焦点を絞った書き方をしています。
「防衛計画の大綱」には宇宙、サイバー、電波などなど他にも興味深い話題が満載ですので”書かれていない点”についても「防衛計画の大綱」の該当部分をチェックしてみたり、気になる点を書物やネットでアレコレ調べてみると面白いでしょう。

「グレーゾーン事態」って何ですか?

中国海警外務省資料
東シナ海で拡大を続ける中国海警局の船、軍隊と言えなくも無い組織が軍隊のような装備をもち他国の主権に圧力をかけるのは「グレーゾーン事態」の取り扱いをより厄介なものにしている。(画像:外務省資料[[b]

 「防衛計画の大綱」は「現在の安全保障環境の特徴」の中で
『中国等の更なる国力の伸長等によるパワーバランスの変化が加速化・複雑化し、既存の秩序をめぐる不確実性が増している。』
 と懸念を示し、その上で
 『いわゆるグレーゾーンの事態は、国家間の競争の一環として長期にわたり継続する傾向にあり、今後、更に増加・拡大していく可能性がある。こうしたグレーゾーンの事態は、明確な兆候のないまま、より重大な事態へと急速に発展していくリスクをはらんでいる。さらに、いわゆる「ハイブリッド戦」のような、軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法は、相手方に軍事面にとどまらない複雑な対応を強いている。』
 としています。

 色々と難しい事が書いてありますね。
 要点を並べると『既存の秩序をめぐる不確実性が増している』時期に『より重大な事態へと急速に発展していくリスク』を持った『グレーゾーンの事態』『長期にわたり継続する傾向に』ある上に『今後、更に増加・拡大していく可能性がある』というのです。
 なんとも剣呑な雰囲気です、私は不確実性が増して火薬庫のようになっている国際社会に「グレーゾーン事態」という暴走族の集団が花火と爆竹を打ち鳴らしながら迫ってきているようなイメージを持ってしまいます。

 さて、この暴走族、もとい『より重大な事態へと急速に発展していくリスク』を持つ「グレーゾーン事態」とは一体何のことでしょうか?
 平成30年版防衛白書によれば、いわゆるグレーゾーンの事態とは『純然たる平時でも有事でもない幅広い状況を端的に表現したもの』とあります[1a]
 なんとも釈然としない定義ですので、具体的に現在日中間で大きな問題となっている尖閣諸島問題で考えてみましょう。

 現在尖閣諸島付近では中国海警局の海警船が度々領海侵入などを繰り返しています。
 この中国海警局は組織上は中国軍の一部であるとも言え[2]、外交交渉によらずに準軍事的組織を前面に押し出し、領海侵入を繰り返して領有権を主張する行為は見方によっては軍事的な侵略を試みていると言えなくも無いでしょう。
 一方で現在のところは中国海警局の船は法執行機関としての活動に終始しており、これを軍事的な侵略と認定して反撃を行うほどでもありません。
 日中間はこのような「グレー」な状態が長期間続いており、比較的平和な状態を保ちつつも何かあれば尖閣諸島周辺海域では海警船による”軍事作戦”が発動されるかもわからない、微妙な状況が延々と続いているのです[3]

ハイブリッド戦とクルミア併合

クリミア併合 2014
最近の安全保障を考えるにあたりクリミアにおけるロシア軍の暗躍は大いに注目すべきだろう。今日の軍隊はこのような”グレー”な事態への対応を強いられているのだ

 こういった「グレー」な事態の取り扱いをさらに難しくしているのが「ハイブリッド戦」という戦い方を「グレー」な事をしている国々がする可能性が高い点にあります。
 平成30年版防衛白書によれば「ハイブリッド戦」とは『破壊工作、情報操作など多様な非軍事手段や秘密裏に用いられる軍事手段を組み合わせ、外形上、『武力行使』と明確には認定しがたい方法で侵略を行うこと』とあります[1b]

 「ハイブリッド戦」の典型例がロシアによるクリミアの併合です。
 2014年のウクライナ政変の際、混乱に乗じてロシアは軍をウクライナ領のクリミア半島に派遣、またたく間にクルミアをロシアに併合して世界を驚かせました。
 ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする小泉悠によればクリミア併合の際にロシアは
『雑多な主体による低強度の紛争と、国境沿いに展開した正規軍による軍事的圧力、少数の精鋭部隊による電撃的な奇襲、情報戦などを組み合わせることで、公式には戦争であることを否定しながら介入を強行した』[4]
 のです。

 つまり現在の戦争とは太平洋戦争のように空母を連ねて出撃して宣戦布告に合わせて真珠湾を攻撃するような形で始まるのではなく、平時とも有事とも言えない「グレー」な状況がいつの間にか深刻な事態になり、破壊工作やフェイクニュースも 併用して急速に進行し、双方が衝突を認めるか認めないか云々している間に「ハイブリッド戦」の結果が既成事実として突きつけられる という形になる可能性が高いのです[5]

制空権・制海権や領空侵犯対応はもう古い?

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自衛隊の統合運用のイメージ図、今後はこの統合運用をさらにサイバー・宇宙・電波まで拡大して推し進めた領域横断(クロス・ドメイン)作戦が求められているのである。(画像:平成24年版 防衛白書[c]

 上記のようにいつ何が起きるか分からない「グレーゾーン事態」や軍事・非軍事の境界が曖昧な「ハイブリッド戦」による迂遠で複雑な形態の介入・侵略が行われるという『これまでに直面したことのない安全保障環境の現実の中で』必要とされる防衛計画・自衛隊に求められる役割とは何でしょうか?
 「防衛計画の大綱」で掲げられているのが
『これまで以上に多様な取組を積極的かつ戦略的に推進していく』
 ことです。

 具体的な体制として有事やグレーゾーン事態に対しては
『政治がより強力なリーダーシップを発揮し、迅速かつ的確に意思決定を行うことにより、政府一体となってシームレスに対応する必要』
 があるとされています。
 この政府一体の対応という部分について、「防衛計画の大綱」の前段階として開催された「安全保障と防衛力に関する懇談会」の中の「英国の戦略的コミュニケーション」という発表で興味深い事例が紹介されているので気になる人は一読してみるのをオススメします[6]

 さらに従来の抑止力に加えて
『宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域と陸・海・空という従来の領域の組合せによる戦闘様相に適応することが死活的に重要になっている』
『全ての領域における能力を有機的に融合し、その相乗効果により全体としての能力を増幅させる領域横断(クロス・ドメイン)作戦により、個別の領域における能力が劣勢である場合にもこれを克服し、我が国の防衛を全うできるものとすることが必要である』
 としています。
 ここで「領域横断(クロス・ドメイン)作戦」として従来の陸海空という枠組みだけでなく、宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域を重視しているのは如何にも現代的な内容ですし、その中で『個別の領域における能力が劣勢である場合にも』と部分的劣勢を許容する書き方をしているのは興味深いところです[7]

 概念的な話として、前述の「安全保障と防衛力に関する懇談会」では「サイバーに関する安全保障上の課題」という発表が行われており、その中で『制空権・制海権から制脳権へ』と従来の戦争概念に転換を促す発表を行なっているのは注目に値するでしょう[8]

 このような前提に立ち『防衛力が果たす役割』としてまず『平時からグレーゾーンの事態への対応』を掲げ、その中で
『全ての領域における能力を活用して、我が国周辺において広域にわたり常時継続的な情報収集・警戒監視・偵察(ISR)活動(以下「常続監視」という。)を行うとともに、柔軟に選択される抑止措置等により事態の発生・深刻化を未然に防止する。これら各種活動による態勢も活用し、領空侵犯や領海侵入といった我が国の主権を侵害する行為に対し、警察機関等とも連携しつつ、即時に適切な措置を講じる』
 と言及しています。
 『全ての領域における能力を活用して』「常続監視」を行い、防衛の典型と言える領空侵犯や領海侵入への対応も「常続監視」などによる態勢も活用して行い『即時に適切な措置を講じる』 としている点、「常続監視」に大きな力点を入れており従来とは大きな変更点と言えるでしょう[9]

ようやく出てくる”事実上の空母”

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フィリピン国際緊急援助統合任務部隊の「いせ」に着艦した米軍輸送機「オスプレイ」、陸上自衛隊の「CH-47」も着艦している。複雑化する安全保障環境にあって陸海空でこれまでに無い柔軟な運用が求められているのだ。(画像:海上自衛隊[d]

 以上のような大きな時代の変化の中にあるので
『防衛力の強化は、格段に速度を増す安全保障環境の変化に対応するために、従来とは抜本的に異なる速度で行わなければならない』
 のであり、その中では
『既存の予算・人員の配分に固執することなく、資源を柔軟かつ重点的に配分するほか、所要の抜本的な改革を行う。この際、あらゆる分野での陸海空自衛隊の統合を一層推進し、縦割りに陥ることなく、組織及び装備を最適化する』
 ことが求められているのです。
 そのために「領域横断作戦に必要な能力の強化における優先事項」として
 まずは
『(1)宇宙・サイバー・電磁波の領域における能力の獲得・強化』
 を示し、その次に
『(2)従来の領域における能力の強化』
 の中の
『海空領域における能力』
 として
『我が国周辺海空域における常続監視を広域にわたって実施する態勢を強化』
 と
『無人水中航走体(UUV)を含む水中・水上における対処能力を強化』
 と並んで、ようやく前回紹介した
『柔軟な運用が可能な短距離離陸・垂直着陸(STOVL)機を含む戦闘機体系の構築等(後略)』
 という、”事実上の空母”が言及されているのです。

まとめ

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歴代の「防衛計画の大綱」における変化、内容は時代に合わせて大きく変化しており、今後も変化し続けるだろう。(参考:平成30年版防衛白書[e]

 まとめると
「安全保障環境に根本的な変化が見られ、グレーゾーン事態やハイブリッド戦といった新しい複雑な状況に対応する必要性が高まったので、これに対応するために全自衛隊を挙げて常続監視を行う」
 ということであり、その中で優先して強化すべき項目の1つが”事実上の空母”と言われるF-35Bと多用途運用護衛艦の導入なのです。

 「グレーゾーン事態」「ハイブリッド戦」「領域横断(クロス・ドメイン)作戦」に「戦略的コミュニケーション」や「制空権・制海権から制脳権へ」など、聞きなれない言葉が沢山出て来て理解が追いつかない所もあるかもしれませんが、現代が「空母と言えば真珠湾攻撃」という時代とは大きく変わってしまった事がなんとなしでも感じて頂けたでしょうか?
 ここまで状況が変わると「空母と言えば真珠湾攻撃」という古い認識どころか、冷戦時代の延長のような従来の防衛力の認識で"事実上の空母"などと非難しても話は噛み合いません。
 このような複雑な状況では空中給油機の活用など従来の方法だけでは対応することが難しく、それが柔軟な運用が可能なF-35Bと多用途運用護衛艦「いずも」が求められている理由である と言う事が出来そうです。

 次回は防衛大綱で記されているもう1つの重要な事項、各国との協力のあり方について見て行きます。
 それにより残された
・F-35Bと多用途運用護衛艦という組み合わせの費用対効果はどうなのか?
・何故F-35Bを搭載する「いずも」に「多用途運用護衛艦」という長い名前を付けようとしているのか?
 といった点が明らかになるでしょう。


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