空自の日本防空史52
パトリオットと湾岸戦争


文:nona


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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2000/photo/frame/ap123007.htm

*わけあって空自のペトリオット運用を記事にできなかった為、今回と次回はアメリカ陸軍におけるパトリオットの運用を解説いたします。


湾岸戦争のパトリオット

 1990年から91年にかけて発生した湾岸戦争において、アメリカ陸軍は当時最新鋭のパトリオット射撃ユニット(空自の高射隊に相当)を29個部隊、さらに最盛期で1800発のミサイルをイスラエルとサウジアラビアへ派遣しました。

 パトリオットから発射されたミサイルが、イラク軍の弾道ミサイルを迎撃する姿は世界中にテレビ中継され、その性能がアピールされています。

 1991年2月25日にブッシュ大統領はレイセオン社のパトリオット工場(万事屋ではない)を訪問。設けられた会見の場でその成果を宣伝しました。

 航空自衛隊もこうした発表を公式ウェブサイトで引用し「(ペトリオットは)現存する地対空誘導弾のなかでは最も優れたシステムといわれており、それは先の湾戦争でも証明されました。」と宣伝しています。

 ところが、ほどなくしてパトリオットの成果は疑われ、陸軍はパトリオットの成績をサウジアラビアで90%、イスラエルで50%と発表したものの、さらなる追求をうけ70%と40%に再び訂正せざるを得なかったようです。

 また、アメリカ議会政府監査院(GAO)はパトリオットの成功率を7%、イスラエル国防軍は自国内での成功率を0%とするなど、特に厳しい見解を示しています。


撃墜が極めて難しいアル・フセイン

 ペトリオットの撃破率が低下した理由はいくつか挙げられますが、よく知られているものは、迎撃ミサイルと弾道ミサイルのすれ違う瞬間が想定よりも短く、迎撃ミサイルの弾頭が起爆し破片が拡散するまでに、弾道ミサイルがすり抜けてしまう、というものです。

 イラク軍が使用した弾道ミサイルにアル・フセインというものがあり、射程は650kmと比較的長いため、主にイスラエルへの攻撃に使用されました。再突入速度は所説ありますがマッハ6はあるようです。

 一方、これまでパトリオットが訓練で標的としていたのはMGM-52ランスという射程120kmの短射程弾道ミサイルで、再突入速度はマッハ3程度に過ぎませんでした。

 さらに、アル・フセインは再突入時に姿勢を崩して空中分解することがあり、弾頭部は姿勢の狂いから不規則ならせんを描いて弾道計算を狂わせ、分離した残骸もデコイとしての効果を発揮していました。

 パトリオットのレーダーでは1つのアル・フセインが3~4のミサイルに見えたようですが、弾頭と残骸の区別は困難で、通常の目標と同様に1つの反応に2発の迎撃ミサイルを発射せざるを得ない、という無駄も生じました。


イスラエル軍の介入

 1991年1月25日の18時、イラクからイスラエルへ7発のアル・フセインがイスラルへ発射されました。対するパトリオット部隊は27発の迎撃ミサイルを発射したのですが、全弾が迎撃に失敗しています。

 困ったことに迎撃ミサイルのうち8発は自爆モードになっておらず、住宅地域で爆発する、という事故も引き起こします。

 これをうけ、イスラエル国防軍は米軍単独でのパトリオット統制を拒否し、運用に介入しました。
 ここでイスラエル軍は、パトリオットの要員がオートモードに頼りすぎているとして「マンマシーンインターフェースモード」への切り替えを指示しています。

 この変更について、あえて当時の日本の小学生が理解できるように説明すれば、FC版ドラゴンクエスト4 のAI戦闘システムを従来のコマンド方式に戻せ、というものです。

 パトリオットの自動モードは複数かつ高速の目標を短時間で処理できる利点があり、弾道ミサイルや巡航ミサイルの飽和攻撃に対抗するには必要不可欠の機能でしたが、時として非効率な動きを見せるものです。

 湾岸戦争中のイスラエル軍は、パトリオットの要員がアルフセインの弾頭と残骸を選り分け攻撃対象を選ぶべき、と考えたのです。

 ただしイスラエルによる介入は、あまり成果を得られなかったようで、米陸軍とレイセオン社は「イスラエルがパトリオットの発射手続きに介入した結果、射撃手続きは正常に行われず、ミサイルのトータル・システムとしての能力が低下した」と批判しています。


時計の誤差と伝達ミスが引き起こした悲劇

 イスラエルに複数のアル・フセインが落下した1月25日、サウジアラビアに対してもスカッドBによる攻撃が実施されており、うち1発がペルシャ湾岸のダーランに落下、アメリカ軍兵舎に被弾し28名が戦死、92名が負傷しました。

 この直前にパトリオットはスカッドBの迎撃を試みたのですが、内蔵時計に起因するバグと、その対策を怠ったことにより迎撃に失敗していました。

 電子機械の内臓時計というものは稼働時間につれ誤差が生じるものですが、パトリオットシステムの場合、迎撃精度そのものが低下する深刻なバグが存在したのです。

 起動から8時間で精度の低下が目立ちはじめ、20時間で実用できるレベルを下回る恐れがありました。

 イスラエルのパトリオットの部隊はいち早くこの問題に気付き、まもなくサウジアラビアの部隊に対しても「長時間の稼働でバグが起きる」と伝えられたそうです。

 しかし、バグが表面化するまでの具体的な時間は示されず、緊張度の高さゆえか定期的な再起動をしない部隊もありました。

 ダーラン付近の防空を担当していたパトリオットは実に100時間もの連続稼働を続けており、内臓時計は理論値にして0.34秒の誤差がありました。

 まばたきをするかのような短い時間ですが、この間にスカッドは500m以上飛翔するため、迎撃ミサイルは的外れの場所へ誘導されたのです。


精神安定剤としてのパトリオット

 湾岸戦争中のイスラエルにおける弾道ミサイルの死者は14人とされてますが、この中にはショックによる心不全で死亡した4名、ガスマスクの誤用による窒息死した7名が含まれるなど、弾道ミサイルの直接の死者よりも、むしろ恐慌による死者のほうが多い、という問題が判明しています。

 さらに、解毒剤のアトロピン誤用による中毒患者が222名、ヒステリー患者も530名ほど記録されていますが、これは弾道ミサイルで負傷した226名を上回るものですから驚きです。

 そのような状況の中、パトリオットの配備後に中毒患者やヒステリー患者が激減した、と元イスラエル国防軍戦史部長のベニー・ミハルソン氏は語っています。

 当時のパトリオットには宣伝ほどの性能はなかったのですが、イスラエルの国民心理に安定をもたらし、市民防衛に貢献したことはイスラエル国防軍も認めるところでした。


30億ドルの改善型パトリオット

 湾岸戦争後、パトリオットに対してソフト・ハード双方の改修が実施され、弾道ミサイルの撃墜能力が強化されたPAC-2形態が米陸軍に1992年から、空自では1996年から配備されました。

 さらに、弾道ミサイルの迎撃能力を大幅に向上させるPAC-3弾の開発も1994年に着手され、米陸軍は2002年、空自は2007年から配備されています。

 元々パトリオットは配備後の性能向上を前提としており、長期の運用に耐えるシステムとして設計されていました。

 ただし、こうした改良型パトリオットの開発に費やされたコストは30億ドルとされるなど、相応の出費が求められたのです。


イラク戦争の対弾道ミサイル対処

 2003年のイラク戦争において、パトリオットは湾岸戦争の2倍となる62個もの射撃ユニット(アメリカ軍は40ユニット)が投入され、一部は最新のPAC-3形態でした。

 一方のイラク軍が使用できたのはアル・サムード2、あるいはアバビル100といった短距離弾道ミサイルに制限されていました。これらの射程は最大でも180kmであり、弾速もスカッドBやアルフセインの半分程度とされます。

 かつて猛威を振るったアルフセインやスカッドBがどうなったか、というとUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)による査察によって、その大半が無力化されていたのです。

 こうした厳しい状況の中イラク軍はアル・サムード2など14発をクウェートに発射しますが、パトリオット部隊のうち3発が被害の危険がないと無視し、1発は迎撃前に空中で自爆、9発がパトリオットが迎撃し、市街地に落着したのは1発だけ、とのことです。

 使用された迎撃ミサイルはPAC-2弾が7回20発、PAC-3弾が2回4発で、その成功率は90%でした。
 今回はパトリオットの戦果を疑う声は聞かれなかったようですが、相手が短距離弾道ミサイルとなると、それこそ改良前のパトリオットでも対応できたかもしれず、PAC-2やPAC-3の真価が今一つ見えないものでした。

 また、弾道ミサイル監視中のパトリオットによる誤射が2回発生するなど、新たな問題を引き起こしていたようですが、これは次回の記事で解説いたします。


参考

兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争
 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
失敗事例データベース スカッドミサイルの追撃・阻止の失敗による兵舎の被爆
http://www.shippai.org/fkd/cf/CA0000298.html
総務省消防庁 イスラエルにおける国民保護制度及びミサイル・ロケット攻撃への対応 (2007 年3月5日)
http://www.fdma.go.jp/html/intro/form/pdf/kokuminhogo_unyou/chihou_kondankai/haihuSiryou11.pdf
防衛省防衛研究所 湾岸戦争とイスラエルのミサイル防衛 (1999年11月 ベニー・ミハルソン講演、喜田邦彦 編)
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/199903/10.pdf
イラクにおける大量破壊兵器問題 (外務省2003年10月)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/th_heiki.html
C-SPAN Persian Gulf War Bush Raytheon Address(1991年2月15日)
https://www.c-span.org/video/?16518-1/persian-gulf-war