空自の日本防空史49
真実をめぐる駆け引き


文:nona


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航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
より、防衛庁が公開したKE007便の航跡とそれを追跡する3つの航跡。

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撃墜の瞬間を目撃した日本漁船

 オシーポヴィチ中佐のSu-15によって撃墜されたKE007便が海面に衝突した瞬間はいくつかの漁船によって確認されていました。

 その一隻である漁船「千鳥丸」の乗組員は、爆発の発光と轟音を認め、しばらくして燃料の臭いが漂ってきた、と語っています。

 東京航空交通管制部はKE007便との通信途絶難をうけ、関係各所へ救難を要請しており、撃墜から約2時間後が経過した5時30分ごろ、東京救難調整本部は空自へ航跡記録の照会を求めました。


撃墜を訓練と誤認していた空自

 空自の航跡記録照会によるとKE007便らしき機影が、北緯46度30分、東経141度30分付近、稚内の北約100kmの地点で航跡が消失していたことが判明します。

 さらには迎撃機と思しき3つの航跡も記録されており(実際には複数の迎撃機の反応が重なっているものと考えられます)、これらの航跡がKE007便を追跡する様子も記録されていました。

 ところが、空自はこれをソ連軍の夜間迎撃訓練であるとみなし、事態を重く受け止めていませんでした。
 KE007便のトランスポンダは所属を示す識別信号を発しておらず、空自の質問波に対しては、スコークコード「1300」とだけ返していました。1300とは「24000フィート以上を飛行中」と示すためのもので、ソ連機が発している可能性もあったのです。

 ちなみに、事件当時稚内に派遣されていたNHK記者の小山巌氏によると、稚内のレーダーサイトは定期点検中で、臨時に移動レーダー(AN/TPS-100)が展開していた、とのことです。

 このレーダーはBADGEとデジタルリンクされておらず、航跡情報の伝達は昔ながらの音声方式によるため細部も伝達できず、レーダーの探知精度も固定レーダーと比べれば劣るものでした。

 こうした事情のためか、初期に公開された航跡は大雑把なもので、のちに隣接サイトなどの航跡記録も照らし合わるなど修正がされたようです。


交信記録の公開をためらう防衛庁

 9月1日の午前、防衛庁はKE007便がソ連軍に撃墜されたことを確実とし、米韓政府を含む関係各所へ連絡します。

 ところが、ソ連戦闘機と地上管制との交信記録は公表しないよう要請しました。自衛隊の電子諜報戦の能力が暴露されることを避けるための措置です。

 9月1日夜、安部外務大臣は「大韓航空機はソ連機に撃墜された可能性が高いと判断」と発表し、特に重要な交信記録(「目標は破壊された」など)を公開していますが、詳細な交信記録は「地理的、物理的な理由で、地上基地からの無線傍受はできていない」としました。

 また、KE007便を撃墜したのはMiG-23と発表するなど、発表内容の混乱も見られました。
 これに対しソ連のパブロフ駐日大使は「日本側は正しい事実関係を認識しないまま反ソキャンペーンを行っている」と反論。

 ソ連軍のオガルコフ参謀総長も「不明機は航行灯をつけておらず、無線の呼びかけにも応答せず」「ソ連機は飛行場へ誘導しようとしたが、信号弾と警告に反応せずに日本海方向へ飛行し続けた」と撃墜を否定。
 9月3日には「領空侵犯はあらかじめ計画されたスパイ飛行だった」と強調します。


交信記録の公開に踏み切る

 このようなソ連の厚かましい反論に加え、遺族や国際社会からの不信の声、そして外務省やアメリカ国務省からの要請があり、防衛庁は「事件の異常性、重大性にかんがみ真相究明と再発防止のため必要」として、記録の公表に同意しました。

 この決定が自主的なものであったのか、それとも圧力の結果なのかは不明です。
 ちなみに、アメリカの情報機関も交信記録の公表に否定的な立場をとっており、国家安全保障局(NSA)のファウラー局長いわく、9月25日までのソ連軍内の暗号や周波数の変更により、監視の有効性を60%低下させた、と主張します。

 しかし、明確な証拠を突き付けなければソ連の増長を招くわけですから、アメリカ政府は空自の航跡情報と音声交信記録を再編集した映像を制作し、国連の安全保障理事会での上映を画策します。

 ソ連は安保理で映像を上映をした前例がない、との理由で公開の差し止めを主張したものの、結局は映像が上映され、ソ連のグロムイコ外相はやむなく撃墜の事実を認めます。


KE007便スパイ機説

 ただし、オガルコフ参謀総長らソ連軍は、KE007便がスパイ行為に関与した、との主張を曲げることはありませんでした。

 参謀総長の言うKE007便のスパイ飛行とは、単に民間機を装ってソ連領内を偵察していた、ということだけではなく、 アメリカが陰謀を用いてKE007便をソ連領へ送り込み、防空システムが活発化し撃墜されるまでの過程を、RC-135又やE-3などの機が安全な空域から監視する、との説も含んでいます。

 ただし、アメリカ政府は前日にRC-135を飛行させたことは認めつつも、事件の時間帯に飛行させていなかったと発表し、先の映像においても重ねて否定しています。
 しかしKE007便スパイ機説は西側でも広まりを見せ、一部の人々は今でも信じているようです。


ソ連に配慮する日本とただでは転ばないアメリカ

 墜落したKE007便の捜索は9月1日から開始されたものの、墜落地点がソ連領付近であることから日本政府は関係閣僚会議で「自衛官は余り前に出さない」方針を固め、海上保安庁を海上捜索の主力とし、2隻ばかり派遣された海自艦は後方で待機させられました。

 空自は各基地の救難隊が持ち回りでMU-2とV-107を稚内に待機させ、9月10日から28日まで北海道沿岸での捜索活動に加わっています。ただし、捜索中に回収できたのはKE007便のクッションシートと衣類5点だけでした。

 一方の米軍は11隻の軍艦に(日本の傭船を含む)タグボートやサルベージ船を堂々と投入し、ソ連船によるあからさまな進路妨害の中、海底に沈んだKE007便のブラックボックスを捜索しています。

 しかし、軍事評論家の小川和久氏は、捜索の裏でソ連沿岸部の海底地形を測量し、ソ連の原潜回廊に探りを入れたのは確実だ、としています。


証拠の隠滅を図るソ連

 肝心のブラックボックスはCVR・FDR共にソ連側が日米に先んじて回収しており、ソ連崩壊直前の1991年11月まで公開されることはありませんでした。

 その上で回収の事実すらも秘匿するため、ブラックボックスと同じビーコンを発する偽の発信機を投入、船舶無線で「ビーコンが聞こえた」などと触れ回ることで、日米の捜索をかく乱します。

 そして、撃墜の証拠となりうる機体の残骸や遺留品、そして遺体すらも入念に隠蔽され、一部は焼却されました。

 非情な話ですが、ソ連としてはどのような手段を使っても、自国軍が民間人を殺したと宣伝されるのは避けたかったのです。

 なお、1985年に墜落した日本航空123便の事故においても、真相を隠すべく証拠品の隠滅工作がなされた、との説がいまだ論じられていますが、今回の大韓航空機の一件が、そうした噂の信ぴょう性を高めたのかもしれません。


次回に続く


参考

ボイスレコーダー撃墜の証言 大韓航空機事件15年目の真実(小山巌 ISBN978-4-06-209397-2 1998年10月15日)
航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
大韓航空機撃墜九年目の真実(アンドレイ・イレーシュ,エレーナ・イレーシュ 共著,川合渙一 役 ISBN4-16-345680-5 1991年10月15日)


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