米機動部隊の“神の盾”~日本航空部隊の黄昏
文:烈風改
wikipedia パブリックドメイン
■航空攻撃威力の減衰
昭和17年のミッドウェー海戦や南太平洋海戦では日本側攻撃隊は被害も多いのですが一定の戦果を上げており、米正規空母の撃沈へと繋がっています。しかし昭和18年以降、対機動部隊戦闘の様相は全く異なる局面へと転化してゆきました。
昭和18年11月11日の第三次ボーゲンビル島沖航空戦は、ほぼ一年前の昭和17年10月26日の南太平洋海戦、一航戦攻撃隊による第一次攻撃と彼我の戦力が近似しているため、ここでは対米機動部隊戦の様相の変移を確認するために出撃機数と戦果、被害を比較してみます。
・南太平洋海戦の一航戦第一次攻撃:日本側が12機の零戦で約40機の艦爆・艦攻隊を護衛したのに対し米側は約40機で邀撃。
・第三次ボーゲンビル島沖航空戦:日本側が34機の零戦で約40機の艦爆・艦攻隊を護衛し米側は約90機の戦闘機で邀撃。
この結果、南太平洋海戦で日本側は艦爆・艦攻隊に8割の損害を受けたものの爆弾命中3発、魚雷命中2発の戦果を上げた(体当たり除く)のに対し、第三次ボーゲンビル島沖航空戦では9割近くの損害を受け、戦果はほぼゼロとなっています。
彼我共に戦闘機の数が増えており、護衛・邀撃共に戦闘機数の重要性が認識されていることが伺え、日本側の被害のパーセンテージはさほど変化が無いように見えますが、最大の相違点は日本側の戦果が全く上がらなくなった点でしょう。これは日本側の攻/爆撃機が攻撃地点に到達できていなかった(撃墜されるか、攻撃をまともに行えなかった)ことを暗示しています。
それをもたらした米軍の新戦術には、昭和18年1月から導入された対空砲の近接信管(VT信管)導入や迎撃システムの端末である戦闘機の更新(F4F→F6F)が考えられますが、決定的だったのは米海軍の戦闘機誘導システムの精度向上だったと思われます。その性能向上の最も大きな要素と考えられるのが、第三次ボーゲンビル島沖航空戦の直前に空母バンカーヒルへ装備された全自動追尾レーダーシステム“SM”の存在でした。
南太平洋海戦の時点でも米海軍は空母上から邀撃戦闘機のレーダー無線誘導を行っていましたが、その能力は一年間で大幅な変貌を遂げていたのです。
■レーダーと戦闘機誘導システム
昭和15年9月からMIT Radiation Laboratory(放射波研究所)で開発が開始された自動追尾マイクロ波レーダーシステムのSCR-584は1950年代に西側で使用された主要対空射撃システムの原型と言えるもので、サーボ機構によって対象の近距離自動追尾を実現した先進的なものでした。これを海軍向けとした試作機CXBLが昭和18年の3月に空母レキシントンへ試験搭載され、10月には量産型のSMが空母エンタープライズと前述のバンカーヒルに搭載されました。
このSMの登場によって米空母の半径60㎞以内は米空母内のCIC(戦闘指揮所)で三次元的に可視化され、IFF(敵味方識別装置)との組み合わせにより精細な敵機の位置解析と味方機の誘導がコンソール上で把握可能となりました。
SMレーダーはその指向性の高さからレンジが狭いという弱点はありましたが、先行して配備が始まっていたSKレーダーを捜索用として組み合わせることで、索敵と捕捉をシームレスに行うことが可能でした。またSKレーダーは前年まで配備されていたSCレーダーに対して探知距離がほぼ倍に伸びており、味方機誘導のリードタイムも拡大されていました。
SMレーダーシステムは従来のレーダーよりも方位と高度を正確に測定出来るため、ただ単に上空の戦闘機部隊に日本側攻撃機の位置を知らせるのではなく、日本機を襲撃するベストなポイントへの誘導が可能でした。FDA(戦闘指揮管制)運用の改善等もあり、米海軍の邀撃スキルは前年とは比較にならない程効率化されていたのです。
よく戦記などで「攻撃隊は莫大な数のF6Fの網によって押し切られた」的な表現をされる場合もありますが、実際には少数のF6Fが的確な誘導で効率良く日本攻撃隊を逐次迎撃している場合も見られ、日本側搭乗員の回想に散見される「不意に上空から現れた新手のF6Fにより…」という状況は、それを如実に示しています。
この結果、日本攻撃隊は米艦隊からの距離140㎞で探知され、60㎞以降の地点で優位な態勢の米戦闘機から連続的に邀撃を受けることとなり、攻撃どころか接近も困難な状況に陥りました。
(昭和20年2月の関東迎撃戦や3月の呉軍港空襲で米機動部隊の空襲に対し、日本戦闘機部隊がある程度互角に戦えたのはこのような米軍側の誘導管制が及ばなかった点も大きかったと思われます)
また米海軍はレーダー搭載した巡洋艦等で臨時“戦闘機誘導艦”を上陸支援等にも活用しており、昭和18年末以降の日本攻撃隊は米艦隊付近での行動に大きなハンデを背負った戦いを強要されることになったのです。
■特攻への梯段
このため、日本攻撃隊の昭和18年11月以降の米機動部隊に対する戦果は、雲間に隠れた機体が奇襲的に攻撃を成功させたものや、戦闘機の妨害が少ない夜間攻撃によるものに限定されて行きます。
米海軍の戦闘機邀撃システムを成立させていたのは、レーダー技術以前の米戦闘機と艦の連携を保障した信頼性の高い無線通話や、敵味方識別装置等の周辺装備の充実が有り、それを突き崩すことは甚だ困難でした。
一番効果的と想像できるのは電子的な妨害で、日本側もマリアナ沖海戦では電子欺瞞紙を撒くなどの対抗策を導入してはいますが、効果は限定的なものに留まりました。
日本海軍も米戦闘機の妨害が激しくなった点は認識していましたが、マリアナ沖海戦で100機を越える規模の攻撃隊がほぼ完封されるに至り、戦闘機の行動が制限される夜間攻撃や悪天候時を狙った部隊編成(T部隊)へとシフトしていきます。
しかし、夜間や悪天候時には当然攻撃も容易ではなく、さらに大きな問題として戦果の確認が著しく困難となった点が挙げられます。この結果として台湾沖航空戦では、大きな戦果誤認が生じることとなり、日本海軍はより確実な攻撃成功率の向上手段として“特攻”に手を染めることとなります。
<著者紹介>
烈風改
帝国海軍の軍艦、特に航空母艦についての同人誌を多数発行。
代表作に『航空母艦緊急増勢計画』
Twitter: https://twitter.com/RX2662
売り上げランキング: 17,391

コメント
それとも、俺の性癖なのか?
こういう最悪のシチュエーションで劣位からせめてもの対抗をするには敵機に機首を敵機に向けてヘッドオンで射撃戦しかないという…。不利というのは分かっていてもね。
だから零戦には武装強化が迫られたんだと思う
ここで「零戦の13ミリ機銃一丁は20mm機銃一丁分増加に値する」なる海軍の事前見積もりがあったと。
いやブローニングに苦しめられたといって隣の芝生は青く見えすぎでは…、とも思うが、ともあれ発射速度はとりあえず評価されたんだろうな
ここでこの読者投稿と30度ぐらいズレた趣旨だがもっと早期にね、武装強化待望論をぶちまけたいのよ
広告を踏んで著作の紹介文を読むと分かるかと。
こういった点は仮想戦記で現れない点ですな。
日本航空部隊が必死になって戦果を挙げようとすると、さらにアメリカ軍のシステムが強化されるという繰り返しが続き、坂道を転がるようにパイロットが消耗してしまう。
つくづく恐ろしい国に戦争を仕掛けたものだと実感する。
ナナとカオルは年齢制限あったっけかな?
ランスへの誘導記事はアウトですハイ。
ともかく戦闘機増数の流れはミッドウェーなどそれ以前の海戦からの戦訓ですねー
護衛に迎撃に直掩など戦闘機が必要とされる場面が多々ある事が判明したとー
ブーゲンビルあたりからもう帝国海軍さんはなけなしの航空戦力全力投入繰り返しの流れー
陽動にまで全力で引っかかって大消耗を繰り返すと
山本長官亡き後はもう勝負所を見極められるような提督さんはおらずー
山本長官もどうかという話もありますが
まあ山本長官が短期決戦早期講和を望んでも、東条総理が聖戦完遂で和平工作を企む人達を潰しにかかってたから無理なんだけどもねー
さらに嶋田海軍大臣ですし無理!
開戦前の日米交渉の頃に、アメリカに派遣されらアメリカの国力調査にあたった新庄健吉という人がいて
その調査の結果、日本側は海戦の度に敵を100%沈め、日本側は確か数%程度の損害に抑えないと勝てないという結論に至り
これはアメリカが建造するたびに新造分を全部沈めなければ戦力差が拡大してジリ貧になるという話だと思われますが
つまり戦果をあげるだけでは駄目という事ですかねー
新庄健吉さんの報告を受け、帰国して陸軍の説得に当たろうとした岩畔豪雄さんは帰国後僅か一週間で、東条によって仏印に飛ばされましたな
東条さんは初期はともかく本気で和平するつもりがあったのかと
昨今の戦争はもっとテンポが早いし期間も短いからもっと厳しい。
スレ違いだけど先の防衛装備庁の研究体制から見ても平時の大切さが身に沁みるようだ。
それにしてもWW2の技術開発ペースの速さには現代でさえ目を見張る。
レーダーの全自動目標追尾システムなんて・・理屈や理想は分かるが早すぎ感。
個人的にAIPが持て囃された翌年に「おうりゅう」が進水するような感覚すらあるww
これはまるで航空自衛隊の"バッジシステム"ですな。
"バッジシステム"だと管制官が要撃機を言葉で誘導しなければいけないので経験とセンスといかにパイロットと"息を合わせられるか"が重要だったらしいのですけど熟練管制官となるとパイロットが何も見えない状況でも指示通りに飛んでいるだけで最適な位置にピタリと着ける事が出来るそうです。
また調べてみたら"バッジシステム"は元はヒューズ社がアメリカ海軍の為に開発した海軍戦術情報システム"NTDS"の改良型TAWCSを日本アビオニクスが航空自衛隊向けに改良したものらしいです。
しかし、フルノの航海レーダーがアメリカ沿岸警備隊から人民解放軍海軍まで御用達になると当時の人々は予想しなかったでしょうね。
北朝鮮ですらフルノのレーダー使ってるからなあ
レーダー管制迎撃は、先発のイギリスでもきちんとものにできるまでに何年もかかっているのを考えると、アメリカは上手いことを上澄みを吸い上げられているのだな、と。
こういう高精度な迎撃管制システムの最大の利点は、攻撃隊を誘導する触接機を片っ端から排除できることではないかと。
触接機が排除されたせいで、敵は攻撃隊を目標となる艦隊にぶつけることができなくなったり、あるいは攻撃隊の接触の精度が下がるせいで、艦隊の防空システムを飽和させることが難しくなったり。
それでも迎撃システムとしては完成度高いものであったのでは
このアメリカの精度の高いレーダーにしても、イギリスからのマイクロ波マグネトロン技術の提供があったればこそ
ダウディング大将をトップとして、その下に戦闘機はもちろんのこと、レーダー、監視所、高射砲、探照灯などのすべての「防空資源」有機的に結びつけて、それらを統一指揮できたこと。空軍の大立者トレンチャード元帥の後盾を得たこと。連邦内のカナダ人や、同盟国アメリカ人、チェコやポーランド、フランスからの亡命人までパイロットをかき集めたこと。航空機大臣ビーバーブルク男爵の航空機大増産政策。
全部条件が揃って大消耗戦を粘り勝ったのだと思います。
英独の航空機の損失数を改めて見ると、これは欧州のガダルカナルだったんだなあと実感。
SMの原型となったSCR584レーダーは昭和30年頃自衛隊でも使われてますから技術的に繋がりがあるのかもしれませんね。
※13
要諦はそれですね。ぶっちゃけ戦闘機の差もあまり関係なくて、例え零戦が紫電改に入れ替わってもあまり変わらない気がします。
※14※15
昭和15年頃に英米の技師が最初の打ち合わせをやった頃は、英側も米側に一方的に技術を吸われるのではないかと警戒していたようですね。
ただレーダーがあれば って話でも無く、米軍も真珠湾攻撃からソロモン海まで数多くの失敗や試行錯誤を経て大量の人員を配置したCICに情報を集約して迎撃管制に生かすシステムを作り上げたので、その点ももっと注目されるべきだと個人的には思ったりする。
そしてレーダーを使った迎撃管制システムというのはバトルオブブリテンの頃にイギリス人により土台となる理論構築がなされ、戦後から現在に至る戦闘機管制にも機材を形や変えながらも引き継がれているという立派な物なのです。
なおこの迎撃管制システム、紅茶をキメたエゲレス人は最適なシステム構築と人員育成を行うため、まずはアイスクリーム屋さんの三輪車を徴収、こいつにメトロノームと目隠しとコンパスと無線機を載せて、パイロット達に三輪車をキコキコさせて管制官の訓練を行わせたりしていますw
つまり三輪車を「戦闘機」や「爆撃機」として戦闘機管制のシミュレーションをしたわけですが、あんまりな訓練環境で管制官の指示を聞かない野郎がばかり、「爆撃機」役として王立婦人海軍のご婦人にご出陣頂かないとあかんかったとかw
黎明期の試行錯誤とはいえ、こういう思い切った訓練環境を用意・実践して成果を出すあたりは流石な大英帝国ですな〜
なお田舎者のヤンキーはアイスクリーム屋の三輪車なんて文化的な物が用意できず、子供用三輪車をかき集めて代用した模様。
嘘のような本当の話、ホンマに事実は小説よりも奇なりやで・・・
参考:
https://ethw.org/The_Beginnings_of_Naval_Fighter_Direction_-_Chapter_5_of_Radar_and_the_Fighter_Directors
敵の進行方向に対して味方が垂直にぶつかるように誘導できれば、敵の脇腹を突くことになるし、
敵の高度と速度がわかれば、接敵のタイミングに合わせて味方の高度と速度を稼がせておくこともできる
極端な話、それが出来ない敵にとっては「後ろを取られた状態から戦闘開始する」のと同じですよねえ。毎回毎回不利な状況から戦闘が始まることになる
不利な体勢から被られると、日本海軍機の機上無線はほぼ通じないので、編隊空戦で態勢を立て直すのは困難で、あとはサッチウィーブで各個撃破を食らいます。
※21
仮想戦記的なやり方でも厳しいですね。EMP兵器投入とか、飽和攻撃できる位の機数準備するとか全くリアル感の無い話になりそう。
嫁と娘がその性癖じゃないとわかって一安心
自衛隊のF-1による対艦攻撃訓練じゃ、F-1が上空から迎撃を受ける不利な状況から
対艦続行組と武装投棄して対空戦闘組に分かれて
なんとか対艦攻撃を成功させる練習をしていたというが
やはりこれも戦訓によるものだったのか
もはや勝ち目ないよね・・・・
ところで、おフランス様はどうなんだろう?戦争には早々に敗退したけど
科学技術じゃドイツに負けないくらいだったのだろうか?
この手のレーダー警戒網も万能であるわけでは無く、ドイツ軍は英本土のレーダー網相手にレーダーが通り難い低空からの侵入攻撃を仕掛けています。
またWikipediaの「武器管制システム」によれば当時中防空システムは「CIC内での情報処理は、わずかに計算尺が使われている程度で、ほとんどすべてが手動(紙と人と声)に頼っていた」ために、1948年の時点でも「熟練のオペレーターを配したにもかかわらず、同時に処理できる目標はせいぜい12機程度が限界で、20機の目標に対しては、完全に破綻してしまった」ようです。
低空侵入と一度に対処できる脅威数が限定される事は今日の防空システムでも付きまとう問題で、つまりは低空からの同時多方向一斉攻撃がWW2期から現在まで続く定石であると言えそうです。
その上で戦争後半の日本軍で実現可能な戦術を考えると・・・
桜花21型を載せた銀河による同時多方向低空特攻攻撃?
護衛も最低限にした2〜3機の銀河を多方向(最低でも10は欲しい)から低空で接近させ、ほぼ同時刻に敵艦隊のレーダー網に突入、CICのオペレーターが混乱し、迎撃戦闘機が有効な分散攻撃を行う前に敵艦隊に近接して桜花を放てばあるいは・・・?
実現するのに立ち塞がる問題は洋上で敵艦隊の所在を発見し、さらにレーダー網まで勘案した緻密な攻撃を管制・誘導する事、さらに燃費が悪く空戦でも不利な低空侵入なので銀河の帰還も絶望的で桜花含めて片道攻撃になっちゃいそう。
また前方で警戒をするレーダーピケット艦への対処のほか、当時すでにB-17にレーダーを装備したPB-1WというAEWの走りのような機体まで米軍は配備していたのでこいつも課題になるな・・・
う〜ん、紅玉艦隊の鮫龍が欲しい! あいつが低空・多方向から最高速度で突っ込めばどうにかなりそうw
マリアナ沖海戦でも日本の攻撃のピークを越えた午後になると、CICが飽和して迎撃管制が機能しない状況が現出しています。しかし、そこに加える追加戦力が日本側にはもう無かったり。
特攻は米機動部隊の“神の盾”に抗う日本軍の最後にして最も効果的な対抗策となりましたが、それはまた別の話になります。
このあたりはネットだと語るのが難しい部分ですね。
近年では、遣独潜水艦の独製真空管を僚艦に渡すエピソードが知られるようになりましたが。
空母が無いから陸上の飛行場の部隊で敵機動部隊への攻撃とか、日本もやれることはやっている・・・無策ではなかった・・・戦果は軽空母ですが・・・。
正規空母を再生断念まで追い込んだのは特攻しかないという事実が悲しいです。
コメントする