空自の日本防空史43
基地防空隊の創設


文:nona


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茨城県の百里基地で公開されるVADS

基地防空隊の発足

 航空基地というものは有事において極めて重要な施設であり、レーダーサイトと同様に標的とされやすいものですが、1970年代までの空自は戦闘機やナイキSAM、それらを管制するBADGEシステムの導入で手一杯。基地防空用の装備はきわめて貧弱でした。

 当時の空自では約100基のM55対空機関銃とM2重機関銃が配備されていたに過ぎなかったそうです。

 これはまずいとして、1976年に策定された防衛計画の大綱以降に81式短距離地対空誘導弾(短SAM)、携帯式地対空誘導弾FIM-92(携SAM)、対空機関砲VADSの調達が決定。

 防衛庁としては五六中業が終了する1986年3月までに短SAM27セット、携SAMが272セット、VADS130門をそろえる計画でしたが、予算不足もあり期間内には達成できなかったようです。

 装備の調達と並行して部隊建設も開始され、1984年に基地防空訓練隊が発足。1986年に千歳、三沢、当別の基地防空隊を統括する基地防空群が置かれます。

 この防空群は後に廃止されますが、全国8か所の戦闘航空団を有する航空基地に計8個の基地防空隊が設置されました。

 なお、1987年ごろの基地防空隊の主要装備定数は短SAM2セット、携SAM24セット、VADS16基とのことです。


防空網の外縁を守る短SAM

 基地防空隊が保有する防空装備のうち、基地外縁の防空を担当したのが81式短距離地対空誘導弾、通称「短SAM」です。

 短SAMはパッシブ・フェイズドアレイ式の三次元多機能レーダーを搭載した射撃統制装置1両、赤外線ホーミング誘導弾を4発装填する発射装置2両、緊急時に用いる目視照準具等で構成されます。

 レーダーの探知距離は30~20kmかそれ以上とされ、6目標を追跡しつつ、2目標に対する同時攻撃が可能です。ミサイルの有効射程は7km。

 1968年に開発が開始され、西独のローランドSAMと比較検討の末、1981年に正式化されました。(詳しくは次回の記事で解説)


「スティンガーを手に入れたな、スティンガーは携帯用のSAMだ。」

 FIM-92はアメリカで開発された携帯用の地対空ミサイルで「スティンガー」の愛称も知られます。

 有効射程4~5km、最大射程8kmで、短SAMを補佐する装備として空自は「携帯地対空誘導弾」の名称で導入、1983~87年度中に210セットをアメリカに発注しています。 1987年度の価格は72セットで約16億とのことですが、私個人としては高いのか安いのか、よくわからない装備ではあります。


「しかし、そのスティンガーは旧式の対対抗策<カウンター・カウンター・メジャー>が不十分なタイプだ。」

 空自が導入したFIM-92は初期に開発されたA型であり、フレアにより欺瞞されやすい、という欠点がありました。

 この欠点に対するフォローとして、フレア耐性を高めたFIM-92B(スティンガーPOST)が1983年から生産されており、A型と75%の互換を有するため、シーカー部のみ換装、という話もあったようです。

 しかし、すでに開発が進行していた国産携SAMとの兼ね合いもあってか、このような改修が本当に実施されたかは不明です。


「お前、俺達になにか恨みでもあるのか!!」

 FIM-92はアフガニスタンでの活躍が当時から宣伝され、世界中に普及した装備ですが、基地防空用として考えると...少々危なっかしい装備だったようです。

 三菱重工の某テストパイロット(渡邉吉之氏?)いわく「これらの発射の最終責任者は携行者自身です。特に戦時となれば、情報も混乱するでしょう。目の前に突然戦闘機が現れたら、あなたならどうします?翼に日の丸が無いのを確認してから撃ってくれますか?」とのこと。

 そんなことが起きないようFIM-92はIFF(敵味方識別装置)を装備しているのですが、IFFの質問波に対し(理由は様々ですが)IFFは必ずしも期待通りの機能を発揮できるとは限らず、混戦時において誤射を防止できるものではないようです。


VADS

 VADSは短SAMや携SAMによる迎撃を潜り抜けた敵に対する最後の防衛手段として、あるいは地上部隊の掃討用として導入された機関砲です。

 採用にあたっては、西独・ラインメタルのRH202ツヴィリング20mm連装機関砲と比較検討し、アメリカのM167A1VADSが採用されました。

 VADSは20mm機関砲を用いる、という点で海自艦のファランクスCIWSと似ていますが、 VADSのレーダーは測距機能のみで自動追尾機能はなく、連射速度は最大で毎分3000発に制限、装弾数も500発に減じており、結果として有効射程は短くなっています。

 特に高速目標への追従が困難だったのですが、1990年代に自動追尾用のTVシステムによる自動追尾機能が追加され、幾分は改善されたようです。

 また、空自向けVADSの中には退役した戦闘機のM61を流用したVADS-2なる簡易版も含まれています。

 詳細は不明ですが、VADS-2は測距レーダーをおよび計算機を搭載しておらず、機能も限定的という話ですが、対地射撃においては素のVADSと遜色のないもの、とされます。

 対空砲による対地射撃は基地の目前まで敵部隊が迫った際の最後の手段のように思えますが、1976年のMiG-25亡命事件、1987年の警告射撃事件など、平時や有事の初動において必要とされる場合もあります。

 前者は亡命機の奪還を目的としたソ連機の強行着陸を阻止する目的で、後者は強制着陸後の牽制など(当時のソ連大型機は機関砲塔を装備していた)、このような状況で機関砲が必要とされるようです。


 次回は3種の対空装備のうち、短SAMについて少しだけ詳しく解説いたします。


参考
航空自衛隊「装備」のすべて「槍の穂先」として日本の空を守り抜く(赤塚聡 ISBN978-4-7973-8327-0 2017年5月25日)
日本の防衛戦力③航空自衛隊(読売新聞社編 ISBN4-643-87032-X 1987年5月14日)
防衛庁技術研究本部五十年史 II技術研究開発 5.技術開発官 誘導武器担当(防衛庁技術研究本部 2002年11月)
The Stinger missile and U.S. intervention in Afghanistan.(スティンガーミサイルおよび米国のアフガン介入).(Alan J. Kuperman 1999年9月)
三菱重工|パイロットの話 コックピットから その16 Missile(三菱重工 2012年2月)
第96回国会 参議院 安全保障特別委員会 1982年8月4日


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