空自の日本防空史35
幻の国産早期警戒機
文:nona
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1978/w1978_03003.html
1978年防衛白書第3部第1章 第10図 早期警戒機(AEW機)による警戒監視を示す図
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懸念されたレーダー網の死角
航空自衛隊は1958年にレーダーサイトを米軍より移管され、独自に領空と防空識別圏の警戒監視を続けていました。
各地のレーダーサイトは海岸の高台や山頂部に設けられ(佐渡島のサイトは1000m以上の標高に設置)、ある程度は遠方を見渡せたものの、それでも広大な防空識別圏のすべての高度は監視できず、多数の死角が存在しました。
こうした事情をうけ1967年に開始された第三次防衛力整備計画で早期警戒機(当時は「レーダー搭載警戒機」と呼称)の導入が検討されています。
当時、防衛庁および空自が候補とした早期警戒機は
・アメリカのE-2早期警戒機(A型もしくはB型)
・国産のXC-1輸送機を母機とするAEW
・同じく国産のPX-S(後のPS-1哨戒飛行艇)を母機とするAEW
の3案。また非公式にYS-11を母機とする案も挙がったようです。
この時点では、アメリカはまだ日本へのE-2提供を認めておらず、国産自主開発の機運を高めたのですが、国産機を母機として使用する場合、機体に大がかりな改造が必要でした。
XC-1輸送機(およびYS-11)は航続距離が短いため、燃料タンクの増設を図る必要がありますし、PX-Sの場合は高高度への上昇を可能とするための機内与圧が必要でした。
早期警戒機は国産で
国産早期警戒機の実用化のために越えるべき技術的ハードルは少なくなかったのですが、1968年に技術研究本部は防衛庁へ「国産は可能」とする報告をしています。
すると同年の秋、アメリカはE-2の提供を認める方針に転換。これにより国内でもE-2の導入を求める声もあがったようですが、
1971年4月1日に防衛庁は早期警戒機の国産開発を発表し、外国機は「信頼度が不確か」として導入を見送ろうとしました。
この決定の前年、防衛庁はアメリカとイギリスに早期警戒機の調査団を派遣していますが、候補とされたE-2はまだ発展途上で頻繁な仕様変更の最中にあり、決定版とされるC型は実用化されていませんでした。
加えてイギリスの場合も新型機の登場が遅れていましたから、防衛庁はそのあたりを「信頼度が不確か」としたようです。
もっとも、信頼度の問題は国産案にも同様のことが言えるはずですが、国産推進派の中曾根防衛庁長官は、ならば日本の航空産業のためになる方を、との理由で国産案を選択した、と国会で語っています。
理想的な折衷案
防衛庁は国産早期警戒機の開発期間と費用を「約六カ年、百二十億程度」と想定し、実用化の時期を1978年としたようです。
ただし、日本にとって早期警戒機の開発は初めてのことですから、開発の難航も想像に難しくありません。上記の見積もりはかなり楽観的なものと言えます。
こうしたリードタイムの長さ懸念した空幕は、当初E-2Cを7機導入し、次々期防(1982~86年の想定)で国産機に調達を切り替える、という折衷案を防衛庁へ上申しています。
政権代わり計画は白紙
1972年10月9日、突然早期警戒機の導入計画に「待った」がかかります。
その理由は、早期警戒機(と同時期に導入予定の国産対潜哨戒機)は(議論の多い案件であるため)専門家会議で慎重に検討する必要がある、と国防会議が判断した為ですが、
実のところ、田中首相個人の意向によるものではないか、と言われることがあります。(防衛庁は否定していますが)
早期警戒機の導入計画は佐藤首相と中曾根防衛庁長官の体制下で始まったものの、諸事情あって第四次防衛力整備計画の決定が遅れており、この最終決定を下せる立場にあったのは1972年7月に成立した田中首相の時代になってからでした。
この田中首相は1972年9月のニクソン大統領との会談で、対日貿易赤字の是正を目的にアメリカ機の導入を迫られており、これに応じる形で国産早期警戒機(と哨戒機)の開発を中止させた、というのです。
前述の専門家会議は19回の会議と7回の分科会を重ねたのですが、最終的に「現段階では、国産化を前提とする研究開発に着手することは見送ることとするのが適当であると考える。」と発表し、1974年12月27日をもって国産機計画は完全に白紙還元されました。
そうなると、空幕が望んでいたE-2Cが導入されて然るべきですが、田中首相が「金脈問題」で辞任したためか、あるいはオイルショックによる経済危機の影響か、E-2の導入も見送られています。
MiG-25事件
1976年9月6日、ソ連の亡命パイロットが搭乗したMiG-25が領空を侵犯。空自は同機をレーダーで探知しF-4EJをスクランブル発進させたものの、同機が雲を避けるため低空飛行に入ったため失探、函館空港への着陸を許す、という大事件が発生します。
この時は何の予兆もなくMiG-25が現れたため、仮に早期警戒機があったとしても有効な役割を果たせたかは...微妙なところですが、低空域を捜索できる早期警戒機の重要性が広く認識されたのは事実です。
1976年10月29日に発表された防衛計画の大綱では警戒飛行隊1個の保有が明記され、早期警戒機の導入事業が再開されました。
ただし、国産早期警戒機の開発を再開する時間はなく、国産機が候補に挙がることはありませんでした。
自衛隊最初の早期警戒機
ところで、1950年代の一時期、海自も早期警戒機を保有していた時期がありました。アメリカから供与されたTBM-3Wがそれです。
TBM-3WはTBFアヴェンジャー雷撃機の派生であるTBMの胴体下に、AN/APS-20レーダーを搭載する改造が施された機体で、太平洋戦争末の1945年3月から運用がなされ、日本軍機に対する早期警戒を担当しています。
海自には1954年ごろ供与さたものの、海自の任務の性格や、老朽化などの関係で早期警戒機としての運用はされず、訓練用哨戒機として短期間使用されるにとどまったようです。
マイナーな兵器ではありますが、特徴的な見た目に惹かれるファンも多く、過去に複数のメーカーからプラモデルが販売されています。
防衛庁五十年史 (防衛庁編 2005年3月)
海上自衛隊のTBM-3W
次回に続く
参考
航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
自衛隊史(日本防衛調査協会発行,草地貞吾,坂口義弘編 1980年8月7日)
防衛庁五十年史 CD-ROM版(防衛庁編 2005年3月)
1971年5月7日 第65回国会 内閣委員会 第20号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/065/0020/06505070020020a.html
1976年2月6日 第077回国会 予算委員会 第9号http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/077/0380/07702060380009a.html
1977年 防衛白書 第4章 ミグ25事件
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1977/w1977_04.html
Detect and Direct
The Navy’s newest Hawkeye gets closer to the fight.
(Smithonian Air & Space Magazine Preston Lerner 2008年7月 )
https://www.airspacemag.com/military-aviation/detect-and-direct-45435437/
1977年防衛白書 第3相
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コメント
アベンジャーのはハンターキラー構想の対潜哨戒任務機ではなかったのか?
早期警戒機ではないような…
空飛ぶレーダーサイト出来上がりとはいかんもんなのか
1様
あいまいに書いてしまい申し訳ありません。
ご指摘の海自のTBM-3W(TBM-3W2とする場合もあります)は
対潜哨戒機としての改造もされていますが、
TMB-3W自体は早期警戒機として開発された機体ですので
今回はそのように書かせていただきました。
2様
来年に防衛計画の大綱・中期防が一新されますので、
今年中にこれまでの研究を踏まえた
何かしらの発表がある、と思われます。
3様
P25の場合は航空機用にはちょっと大きいかもしれません
特に前後方向の配置に難儀しそうです
専用設計であれば実現できるかもしれません
ただし背部にお皿や棒を乗せる方式ならではの
利点もありますので
どちらの方式が優秀かは
はっきりしないところですよね
今度の防衛大綱は今までの大綱とはかなり違う物になるって話があるからいい意味でも悪い意味でも楽しですね
※3 ※4
EL/M-2075「呼ばれた気がした」
輸送機やらリージョナルジェット、艦攻艦爆哨戒機なんかもAEWに改造されてたわけなんだからレーダーと演算機が乗れば母体はなんでもいいのか?
能力さえ問わなければ可能なんじゃないですかねえ
初期の小型艦載AEW、現在のヘリAEWは母艦での情報処理と管制が必要な訳ですけど、それでも良いなら
あまり長距離進出できなさそうですが
能力の高さを期待するなら大きなマンパワーと機材は必要じゃないんですかね
航続距離…というか滞空時間の長さも要求されますし、居住性やら交代人員やら考えたら余裕がある機体の方が
不思議な話ですが
PX-Lは公式の候補になっていなかったようです。
(飛行艇のPX-Sが候補になっているのに)
やはり実機が完成していないとダメなんでしょうね。
7様
ありがとうございます
資料を探しに〇〇〇まで足を運んだ甲斐がありました。
8様
F-15をAEWに、
のアイディアですが
1979年1月にT・R・ミルトン元空軍大将がF-15の使い方として
「F-15が目標を発見し、小さな僚機(F-16など)が戦闘を引き受ける」
なんて提案もしていました。
F-15のレーダーの捜索範囲は
F-4の4.3倍に匹敵するとされたので
そういう使い道も検討されたようです。
管制能力の制限や自勢力下付近に限る条件を飲むなら相応に小さくまとめることも出来なくはないが
ツポレフのクマさんにレーダー積んたのは性能悪かったらしいし、
P1にE2Dのシステム乗っけるでもいいから、やらないかなぁ
あるいは、V22でVTOLのAEWをひゅうが型やいずも型に載せて、27・28DDGのNIFC-CAを活用とか
PX-Sを母機としたAEWになっていたら世にも珍しい早期警戒飛行艇が誕生していたわけか?
お皿を載せたいPS-1とか想像するだけでニヤニヤが止まらないのですがw
※3
地上でほぼ固定されて使うレーダーと空中で時速数百キロで移動しながら使うレーダーでは、ルックダウン能力や重量など求められるものが色々と違ってくるので難しそう。
確か地対空レーダーを空対空レーダーに流用する例はほとんどなかった気がする・・・
※8
<その気になればF-15をAEWになんてのも可能なんだろうか
イラン空軍はイランイラク戦争で首都テヘラン防空のためF-14を「ミニAWACS」として運用したらしい。
F-14のAWG-9レーダーと通信装置を改造し、味方のF-4Eを誘導したようだ。
ただこうした哨戒は12時間継続することもよくあり、その場合は空中給油を5回も受ける必要があるなど大変な任務だったみたい。
簡素でもトイレ、ギャレー、休憩席をと考えると最低限50席クラスのサイズは欲しい
※2
国産AEWは「電波・光波複合センサシステムの研究」の結果がでるまで保留では?
※13
DDHにAEWを載せたいなら無人ティルトローターのV-247がいいかも
パンフレットの各種数値が本当なら、ペイロード2t(エリアイシステム相当)で10時間飛行する能力がある
艦艇との連携が大前提なら無人でも問題ないだろうし
とくに苛烈なミサイル攻撃を受けるであろう南西諸島の基地では「シェルターに格納可能」って点は大きな強みになる
那覇の第603飛行隊用のAEWとして737ではなくE-2Dが選定されたのも、将来的なシェルター運用を見込んでのことかも
それ以上に737は生産終了で部品調達に問題があったからね
2Dは2Cの運用経験や嘘か真か将来的なNIFC-CA導入も視野に入れてた(たぶん嘘でしょう)
何よりも2Dは米軍の運用する機体だからってのが決め手かと
E2ならwikiによると100億程度ですが、本格的なE3級のAWACSともなると500億とも
ローテション運用なども考慮すると桁が違う調達費用になりそうですね
しかし尖閣監視のためにE-2C4機をフル稼働させ1日5ソーティ以上、365日24時間体制で飛ばし続けるのは物凄い負担だろうと思うが
この前買ったRQ-4にMP-RTIP派生型や国産レーダを積むなりして、早いとこ無人AEWというか滞空型レーダを実用化できんものか
空自のAEW機導入計画が意外に古いというか、この頃からすでに国産化構想まであったとは…。
この当時の日本でも、頑張ればE-1トレーサー以上のものが作れただろうか。
あとイギリス機も視野に入っているということは、空自が何かの間違いでガネットAEWを導入してしまう可能性が…(もしくはレーダーだけ購入して和製シャクルトン)。
あと調べたら、空軍でAEW機やAWACS機を運用するようになったのは比較的最近で、それらは元々海軍以外には必要性に乏しい機種だと思われてたんだな。
道理で昔のAEW機で調べると、海軍機しか出て来ない訳だ(もしかして戦後に1から空軍で開発されたAEW機って、Tu-126が最初?)。
※8
MiG-31みたいに、複数機のレーダーを密にリンクさせることができれば、やれないこともないか?
P-1にサーブのエリアイレーダーを搭載してたわ。
電波・光波複合センサーシステムが完成してからでは?と上に書いている方がいますが、俺の個人的予想ではレーザー兵器による弾道ミサイル撃墜も想定していると思う。
元々電波・光波複合センサシステムの関連の研究で、弾道ミサイルの捜索・探知・追尾もしていたのだからな。
そういったあり得ないような事態の場合に、操縦士の訓練・技能は別として
機体の構造的には米軍の原子力空母に問題なく着陸や発艦できるの?
11様
まあ大きいほうがいい、という世界ですが
AEW級の場合
あまりに大きいと
運用できる飛行場が限られてしまうので
E-2クラスでも需要はあるようです。
12様
イギリスも新AEWの導入が伸びて
フォークランドで失敗した口ですよね
13様
新国産AEW計画はまだ中止が決まったわけではないので
希望はまだあります
V-22AEWはどうなんでしょうね
ヘリよりは高高度に上がれますから捜索範囲も広がるようですが
与圧とか大丈夫なのかなと。
誤字様
PS-1AEW案には私も驚きました。
航続性能だけは優秀なんですが。
大型の戦闘機に管制機能を持たせるというアイディアは
あの時代にはもう実用化されていて結構驚きます。
Su-27PとMiG-31も同様の機能があったはずです。
例のi3ファイター構想の源流もこの当たりなのでしょうか。
ただ空軍関係の資料で
戦闘機級では混戦時の機能低下が大きいとの
指摘がありました。
餅は餅屋に任せるのが空軍式のようです。
15様
まあ現実的にはそうですよね。
トイレくらい個室にする余裕はないと
16様
E-2でもD型になるとオプションで個室トイレとギャレーが付くそうです。
またエルゴノミクス座席・ノイズキャンセリングヘッドセット・乗員専用エアコンもつくとか。
お金をかければネットカフェの個室レベル程度には持って行けそうです。
17様
ありがとうございます。
ただ私の記事の掲載日だと管理人様のまとめた記事が読めないので
その点がちょっと悲しかったりします。
18様
シェルターに格納!その発想はありませんでした。
確かにE-2は小さくなりますからね。
その分翼内タンク容量が減ったのが残念なところですが。
那覇のシェルター増設はいつ頃なんでしょうね。
千歳・三沢の充足後は那覇に作るのかな、と思っていたんですが
小松のシェルターのほうが先に作られていたり後回しになっている感じはします
19様
737案は古すぎないか?
という指摘がなされていたのを思い出しました。
20様
本日の記事で掲載しましたが
1970年代後半のE-2は約86億円、E-3は296億円だったそうです。
後になって空自もAWACSを買うわけですが
当時の情勢ではE-2の導入が優先されるべきでしょうね。
21様
聞いた話なので確証は持てないのですが
現状のE-2Cによる尖閣監視は24時間ではないそうです
海保や海自との連携体制で監視されているとか
E-2も8機体制になれば24時間監視も可能なのかもしれませんが
空軍用AEWで古い機種といえばEC-121がありますね
50年代のアメリカでDEWラインの警備にあたっていたとか。
ベトナム戦争にも参戦したのですが結構不具合も指摘されて
E-3開発の契機になったそうです。
23様
レーザーAEW!
早期警戒迎撃機ですね
ただ米軍が対弾道ミサイル用航空機の試験に
B747を充てていたのを考えると
P-1に収まるのかという疑問はあります。
24様
艦載機としての機能はそのままなので
「機体の構造的には米軍の原子力空母に問題なく着陸や発艦」
できそうです。
だた空自がやっているのは陸上基地でのヒットバリア訓練のみなので
空母への着艦は...まず無理でしょう。
着艦に失敗して海に落ちるならまだしも
艦橋にでも触れたら大惨事です。
やはり残りの燃料で到達できる民間の飛行場へ行くか
着水時に際に拾ってくれそうな友軍の艦船を探すことになるかと思います。
ワープ先が1945年の沖縄であったら、全てをあきらめないといけませんが。
レーダーのハードにバンドや振れるビームの角度や太さは依存するだろうけど
ソフト側を入れ替えさえすればレーダーを地上用や艦載用に転用できる?
軍事研究2018年2月号の123ページと213ページ。
それと軍事研究2017年9月号の28ページに、空中レーザー兵器の記事が出てるよ。
2017年9月号の記事に以下の事が書いてあった。
↓
2010度から2016年度の間に「高出力レーザシステム構成要素の研究及び性能確認試験」が実施された。
「飛来するミサイル等に対する近接防空用として、小型高出力ヨウ素レーザ技術に関する技術資料を得る」そうで、目標として設定された出力50kWが実現されたそうですよ。
※29に参考資料を追加します。
軍事研究2018年3月号と4月号にも、レーザ兵器の記事が出てますよ。
架空でも発着艦訓練用に使用するにはもったいなすぎる機体だな。
米軍も乗員訓練時はC-2を使っているのかな?
<レーダー自体信号を拾うユニットとその信号を解析するソフトに別れてるんだよな?
「電子戦の技術 応用編」ではパルスレーダーの基本的な(極めて簡単な)ブロック図として
制御装置およびディスプレイ
処理装置
変調機
送信機
送受信アンテナ共有器
受信機
アンテナ
の繋がりを示しています。
これらは変調機で目標に合わせたパルスを発生させる、送受信アンテナ共有器が大出力の送信パルスと低出力の受信パルスを分ける、処理装置は受信信号の情報を元に目標を追尾する などとなっていますね。
ソフト部分である処理装置を変えると変調機に求められる能力も変わり、そうすると送信機や受信機に求めらえる特性も変わり〜 と、結局全とっかえに近い話になりそうです(汗
<ソフト側を入れ替えさえすればレーダーを地上用や艦載用に転用できる?
航空機用のレーダーを艦載用に転用した例として、あさひ型護衛艦に装備されている潜望鏡探知レーダーがP-1のHPS-106レーダーを艦載にしたものって話がありますね。
これは航空機用と艦載用で目標が海面のクラッター(雑音・反射波)にまぎれる小さな潜望鏡と同じで、P-1の低空飛行時のソフトをそのまま流用できそうとかそういう判断があったと推測できます。
一方で地上用レーダーを航空機レーダーに転用した例としては早期警戒機Tu-126のレーダーは地上用のP-30早期警戒レーダーを元に作られたようですが、ウィキペディアの記述によれば「エンジンの金属製プロペラブレードがレーダーの性能に悪影響を及ぼしていたほか、ルックダウン能力が無い、目標の高度を測定することができない、電子機器の信頼性が低く故障が多いなどの数多くの問題があった」ようです。
航空機用とそれ以外で求められる能力は意外と異なり、ソフトの入れ替えですぐ流用可能 という事例は案外少ないのじゃ無いかと感じます(´・ω・`)
世傑の「ロッキード・コンステレーション」によると、アメリカ空軍のEC-121の開発は、海軍のEC-121の成功を受けて、その後追いで始めたとのこと(空軍型の場合、海軍型と違って、指揮所にプロッターがいるのが面白い)。
あとAEWラインのパトロールは、主に海軍のEC-121の担当で、SAGEに対応した空軍型のEC-121によるパトロールは60年代になってからのようです。
ちなみにベトナムに派遣され始めの頃のEC-121は、腹側にある捜索用レーダーがグラウンド・クラッターだらけで使い物にならないので、苦肉の策でノイズの少ない空を広く使えるように、高度15mで哨戒することになったせいで、海水の飛沫を浴びてエンジンや機体がしょっちゅうダメになったという恐ろしい記述が…(航空雷撃するのでもあるまいに…)。
というかこの運用はつまり、背中の高度測定用レーダーだけで強引に空域をスキャンしてたんだろうか。
空軍が先ではなかったんですね。
EC-121
勉強になりました。
そういえば
空自の戦闘機も低空の目標を探るため
低空に降りるなんてことをしてたそうです。
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