基礎復習 対艦戦闘の流れ(歴史編)
文:ミラー
ご無沙汰しております。
今回は対地・対空と続けてきたので対艦戦闘の流れの基礎を抑えていければと思います。
古くは海洋を通して陸軍を遠征するための手段だった海軍は、やがて他国の海上通商を妨害または自国の海洋交通を守る手段となり、その延長として敵海軍力の撃滅を期するようになりました。
特に日本や英国といった島国にとって重要な存在であるというのは
間違いはないでしょう。
そこで、今回は対艦戦闘の流れに関して復習というかたちで見直してみようと思います。
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○黎明期
時代を遡ると、古代ギリシャ時代のサラミス海戦に代表される三段櫂船のような衝角を供えた木造船による体当たり攻撃からの白兵戦といった戦いにみられる様に、海戦は陸戦の延長上に存在するものでした。
船同士を近寄せることで、陸上と同じように兵士を戦わせたのです。それは中国でも日本の水軍でも見られる光景です。
この様相を変えていったのは、間違いなくガレオン型の帆船の登場と火砲の普及でしょう。
火砲そのものはガレー船の艦首に搭載され、大量に用いられた海戦もありましたが、本格的な対艦戦闘となっていくのは、多くの火砲を船腹に据えて敵艦を完膚なきまでに叩きのめせるガレオン船の時代からといって良いかと思います。
特にガレー船からガレオンへと切り替わりの時期だったレパントの海戦や英国とスペインが凌ぎを削ったアルマダの海戦は代表的でしょう。
出来る限り多くの火力を相手に叩きつける戦い方が確立したのです。また、ガレオン船の航海能力は外国との物流発展を実現すると共に、海戦は陸軍の輸送だけでなく国家の繁栄にも直結する問題となりました。
そこで登場するのが海賊ですが、これはまさに通商破壊戦の原型となるものでしょう。
そして海軍の保護なくして商船の安全は保てなくなり、商船そのものが武装する時代が訪れるのです。
○火砲の時代
やがて、炸裂弾と装甲艦が登場すると戦いの方法そのものも変化していきます。
それまでは大量の火力を実現する為に、大量の火砲を搭載した艦艇が強力でしたが、強力な大口径砲と重厚な装甲が持て囃される大艦巨砲の時代が到来します。
同時にそれまでの海洋戦略の教訓をまとめた米国のマハン大佐の海上権力史論が各国海軍で重宝され、海洋戦略に対する政治的注目度が高まった事も大きいでしょう。
更に時代が進み第一次世界大戦前夜となると、魚型水雷(魚雷)の登場により小型艦艇でも巨艦を沈める脅威となる事や、潜水艦が本格的に活躍する機会を得られるようになります。
それでも、巨砲による打撃力は圧倒的で、最大の軍艦たる戦艦のアドバンテージは各国のパワーバランスに直結するほどの存在となりました。
ここで、対艦戦闘は大砲を撃ち合うだけでなく、敵艦へ接近し強力な魚雷を叩き込む水雷戦の脅威と、それを水中に潜る事で最大限活かす潜水艦との戦いが新たに加えられる事となり、対艦戦闘の多様性を生み出します。
特に潜水艦は二度の世界大戦から冷戦、現代にかけてあらゆる艦艇の天敵として現在も君臨しています。
水中から放たれる奇襲攻撃は、ソナーといった探知装置の発達が無ければ対抗不可能で、現在も対応が困難な対艦攻撃手段です。
そして第一次世界大戦中に急速に発達した航空機は強力な爆弾と魚雷の搭載により、艦艇の新たな敵として立ち塞がります。
第一次世界大戦中に航空機は軍艦を撃沈した事例こそ殆どないものの、商船相手に一定の戦果を生み出していたのです。戦後、米国のミッチェル大佐が行った対艦攻撃演習は、海軍主流派の批判を浴びつつも航空機が対艦戦闘で果たす可能性を充分に示しました。
そして、第二次世界大戦の空母を主軸とした日米の戦いへと繋がるのです。
○航空機戦からミサイルへ
第二次世界大戦では、日米による空母機動部隊を主軸とした海洋航空作戦、北海や地中海方面でドイツと英国が演じた陸上基地航空隊と護衛部隊の戦いが空への防御が如何に艦艇にとって重要であるかの教訓を残しました。
味方航空戦力が護衛に無いときは、強烈な打撃力を発揮する空軍力という特性そのものに対して、艦艇は大きな犠牲を払う必要性に迫られたのです。
自ずと、艦隊を守る傘も提供し強力な打撃力を発揮する空母を持たない海軍はその活動範囲を沿岸域へ縛られる事となりました。
そして、第二次世界大戦が終わり東西冷戦の時代が訪れると、空母などの圧倒的海軍力を背景とした西側諸国にソ連は海洋の主導権を握られるようになります。
これに対するソ連の回答は、潜水艦を中心とするサイレント・サービスによる西側通商航路への打撃力と陸上航空隊による打撃力、そして当時最新技術であったミサイルの対艦攻撃への使用というものでした。
ゴルシコフ海軍元帥がソ連海軍戦略に著したように、最新の科学技術でもって西側空母機動部隊へ対抗したのです。
特に対艦ミサイルの導入は対艦戦闘に大きな変化を起こしました。小型のミサイル艇ですら、目標を捕捉さえ出来れば航空機と同じ様に高速で遠方から打撃を加えるという方法を手に入れたのです。これは航空機自身や潜水艦も同様でした。
加えて、潜水艦搭載型弾道ミサイル(SLBM)と核兵器の組み合わせは、新たな「巨砲」として世界に影響を及ぼし続けています。
ミサイルの対艦戦闘に与えた変化は、二つあります。ひとつは撃ち合いの距離を飛躍的に延ばし、探知手段の重要性を引き上げた事
。もうひとつは艦艇が対空防御すべき対象を航空機だけでなく、高速で突進する小型の飛行物体まで追加したという事です。
対空迎撃の手段としてもミサイルは活用されました。探知手段の重要性は、衛星を含めたあらゆる監視手段の海軍への関係を強め、同時に各種電子的妨害手段の発達に寄与しました。後者の対空ミサイルなどによる物理的迎撃も探知手段の向上あってこその存在です。如何でしたでしょうか?
水上を中心とした対艦戦闘に関して簡単なまとめでは御座いますが、コメント欄にてより深い知識と見識を持った皆様方の討論に少しでも話題となりましたら幸いです。

コメント
アヘン戦争で威力の高いフランス製の砲よりも、射程が長いイギリス製の大砲の方が戦果を残してるなんて話もありましたね。
そういえば、海兵隊は元々敵船に侵入して制圧するのが主任務でしたね。おそらくガレオン船の時代だったかと思います。
記憶が朧げですが、サラミスの海戦はペルシア軍の軍船が狭い湾内に入った隙にアテナイの海軍が湾を封鎖し、包囲殲滅したという話で、テミストクレスが勝利に導いた英雄になるも後のオストラコンでアテナイを追い出されるのは悲劇なのか、宿命なのか
それとか、アルマダの海戦の前のレパントの海戦。
ひとえに疑問がありますが、ドイツもフランスも戦争当時、陸軍国だったのにどこからあそこまでの艦艇を持つ海軍を作れたのだろうか?
フランスは植民地があったから分かるが、ドイツもあるとは言え、なんとも言えない状況。しかも、ビスマルクの引退まで仮想敵国は陸軍国のフランス、そこから第一次世界大戦までわずかおよそ20年。3B政策もあんまり海軍は必要なさそうだし、なぜ当時のドイツはあそこまでの海軍力を保持できたのだろうか?
そして今のドイツ海軍を見ると見る影もなくて悲しい。(潜水艦が凄いのは変わらずだけど
で、リアルに戦車砲で船は沈められる?ティーガーが川にいる船に砲撃したみたいだが効果は如何なほどに
最近はA2/AD対策か駆逐艦を数隻単位で前面に出すようになって、駆逐艦に万能性が必要になりSSMを再装備させる流れだし、艦載ミサイルはSM-6しかりどんどん長射程化してる
SSMもLRSSMを開発してるし、トマホークも対艦能力が付加されて古のTASMが復活しそう
んで、その長射程を活かす為にデータリンクがより重要になって、その最たる例がNIFC-CA
NIFC-CAは対空だけど、そのうち対潜、対艦も統合されるんだろうな
フランスはスペインと同盟してたはず
ナポレオン戦争では敵味方結構変わる
ドイツは知らぬ
ナポレオンの子供を嫁がせてましたからねぇ
基本的には対仏大同盟のメンツは消えることはあっても逆転することは少なかったような?(保護国となったライン同盟ぇ…
それはそれとして、やっぱドイツはチートってことでいいんかな(投げやり
第二次大戦までも艦隊決戦を避けてたイメージしかないが
古くはハンザ同盟なんてあったけど衰退する一方だしな
単にプロイセン改革で国力増大しただけじゃないの?
イギリススペインの海上覇権抗争以来、栄光ある孤立と言われたようにイギリス一強時代だしな
ナポレオン戦争以降は独仏露でイギリスの海上覇権に対抗してたし、日露戦争でも露を支援する独仏の構図だったよな
第二次大戦とかでも海上戦力の殲滅には苦労してるし、帆船時代ともなると相手に決戦の意思がなければ殲滅不能で戦力温存できる
イギリスが私掠船で散々荒らし回るのが可能だった理由でもあるし
第二次大戦までドイツ海軍もこのやり方
※3が言いたいのは「海外に重要な植民地も持たない陸軍国のドイツに大艦隊を整備する動機は薄い筈なのに、何故、短期間に『曲がりなりにも』英国に対抗しうる程の海軍力を整備出来たのだろうか?」って事だと思うよ?
第一次大戦当時、英国が最強の海軍国であった事に議論の余地は無いけど、ユトランド沖海戦を挑む気になる程度には当時のドイツ海軍は強力だったって話でしょ。
それまでバラバラだったしね
第一次大戦時もイギリスに比肩しるほどあったかね?
ユトランド海戦も主力艦隊同士の決戦かというとどうかな
ドイツの歴史調べればわかるんじゃないかな
植民地獲得競争に出遅れたからこそ海軍力整備に力を入れたんじゃないかな
WW1の頃はオーストリア・ハンガリー帝国ですら海軍持ってた時代だしって言うかオーストリアなんか海運力の無さ=植民地不足のせいで二等国転落の危機に焦ってた時代だったし
つまり何を言いたいかと言うと、ドイツが海軍力を整備できた理由はドイツ統一であり
またドイツが海軍力を整備した動機もあるのに、何を言いたいのかハテナ?という事だったんだよ
※3※10とは前提かどうやら違っていたようだな
どういう前提の話なのか具体的にわらかなかったもので失礼つかまつった
アフリカに少々、後に日本の委任統治領になるパラオなど南洋諸島もそうだし、中国の青島も租借地、清朝とも関係深いし、日清戦争での主力艦はドイツ製
そうそうドイツ植民地といえば、面白い話があって
アマゾン奥地にゴム採取に進出したドイツ人連中がいたんだよ
その連中がアマゾン奥地に文明がある記述を残したんだが、つい最近まで見過ごされていた
最近アマゾン文明の形跡が発見され、日本人考古学者が熱心に取り組んでいるそうだぞ
鋼鉄艦の時代は宮崎駿の雑想ノートに世界初の鋼鉄艦同士の戦いや東洋一の堅艦だった定遠・鎮遠の話が載ってて面白かったな〜
衝角については鋼鉄艦の登場直後は艦船の防御力が砲撃力に勝るようになり各国攻めあぐねていた所、リッサ海戦で衝角を使った作戦が大成功してしばらくは有効だと認識された時代あり、衝角攻撃専用艦まで作られた模様・・・(当然実戦には参加せず)
日本じゃ馴染みのないせいで鋼鉄艦や前弩級戦艦を扱った書物が非常に少ないのが泣き所・・・(戦艦三笠はあるんだけどな〜)
ウィキペディアをざっと見る限り、ドイツ帝国海軍の増強は「皇帝ヴィルヘルム2世とティルピッツ海相の指導下にて「ドイツの将来は海上にあり」のスローガンの下、海軍力の建設」を始め、ドレッドノートの登場を契機に積極的な建艦競争を仕掛けて結果的に英国との対立が激化 って流れみたいね。
精根つめた艦隊整備の結果、英仏の連携を強めて敵を強大にし、開戦後は現存艦隊主義で活躍したのはUボート けどそれもアメリカの開戦を招き・・・ って、ことごとくやってることが裏目に出てんなドイツ帝国海軍(´・ω・`)
その後、ヴィルヘルム2世の治世になってから拡大膨張の姿勢は強くなり、二度のモロッコ事件を経て日本語wikiではヴィルヘルム2世の治世の19年の間に世界2位の海軍力を持つに至った訳です。
もちろん、金があれば出来るわけですが、その金はどこから来たのだろうかと。同時に陸軍も並行して強化してただろうに、金食い虫の海軍をどのように整備できてたのかが不思議な訳です。当然ながら、経済力でイギリスを途中で超えたから出来たとも言えますが、それでも20年で両方の近代化と増強をできたのはある意味驚異的であるかなと。それとドイツの世界展開はやはり3B政策が主軸なはずなので、海軍がそこまで必要なのか?ということに疑問があった訳です。
日本が八八艦隊計画が実際に実行したらとんでもな額になったという話を聞いてるからこそやはり思う訳です。
連合軍が151隻(うち戦艦28)、ドイツ海軍側が99隻(うち戦艦16)という大規模な海戦となっております。
この海戦によって、ド級戦艦以前と以後の戦艦の価値が大きく変わったとも言える転換点だったと言われています。
結果はドイツ海軍の戦術的勝利、連合軍側の戦略的勝利となっています。要は大枠で見たらドイツは負けましたが、奮戦するほどの練度と海軍力を持っていた訳です。これがわずか19年のうちにここまで成長したのかと考えるとやはり思うところはあります。
だから『』付きで「曲がりなりにも」って書いているんだが…
「比肩しうる」ってのがもし「完全に対等」って意味なら勿論違うよ?
それと※10は俺の意見と言うよりも『※3はこう言いたかったんじゃないかな?』と言うただの推測
本人が真意を追加説明しているので、これ以上の差し出口は控えるけど、俺個人の感想としてはヴィルヘルム2世があんまり(少なくともビスマルク程には)賢くなかったから、重要性の低い海軍力の拡張にまで手を伸ばしたんじゃないか、そしてそれが結局は第二帝国の滅亡へと繋がってしまったんじゃないかと言う気はする。
勿論、ドイツが大海軍を建設出来た背景には、それを可能とする国力があった訳だし、建設する以上、当然なんらかの動機はある。
少なくともビスマルクを失脚させて政治の実権を握ったヴィルヘルム2世にはその動機があった。
でも、それが本当に当時のドイツにとって必要だったのかと言うと大いに疑問だし、ビスマルクなら(後世の結果論ではなく)やらなかっただろうってのが俺の意見
この辺はパラドックスのゲーム「Victoria」とかやると顕著、石炭と鉄鉱石を使って工業化を進めるとあっという間にお金は貯まる、人口も増えて工業化がドンドン面倒になるので軍拡とかしちゃう。
それで調子に乗って「ゴムとか無いし、いっちょ植民地戦争でもふっかけるか!」とかやり始めるとあっという間に悪い子点が溜まって列強から宣戦布告されることに・・・
一次大戦前のドイツ帝国海軍についてあんまり知らなかったのでちょいと調べたら色々とヒドイ話が見つかった・・・
帝政ドイツ海軍の機関科将校(https://togetter.com/li/462815)
第一次世界大戦期におけるドイツ海戦指導の戦略問題(http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/8934/1/2010000001.pdf)
現実的な見通しもなく戦略的・地理的な視点を欠いたまま勢いで”贅沢艦隊”を整備して、自国にとって都合の良い艦隊決戦思想に固執するあまり陸軍との協調や艦隊の戦略的な運用はほぼ無し、場当たり的に機雷戦やUボート戦略を拡張して当初は戦果をあげるも対策取られると手詰まりに、局地的な勝利はあっても戦略的には見ればあまりにも費用対効果が悪い海軍となったという、なんか極東の某海軍を彷彿とさせるgdgdぶり・・・
如何に強力な水上戦力があっても、そいつを運用する戦略眼が無いとあかんわな
こうしてみるとティルピッツ=サンって海相・戦略家としてはポンコツと言わざるを得ないのでは・・・
※3ですが、ヴィルヘルム2世の能力に関してだけはフォローさせて頂くと、ビスマルク外交自体が矛盾だらけの綱渡り外交だったのをきちんとした敵、味方に分け、国としての信頼を保とうとした側面は評価できるかなと。(ビスマルクが優秀すぎたので、それの反動でやったのが全て裏目に出た感もありますが。モロッコ事件なんかがその代表)
それに処刑されなかっただけ愛されてたとも思いたいです…
衝角があれば、火星人のウォー・マシンが相手でも、とりあえず刺し違えることができる(HMSサンダー・チャイルド並みの感想)。
アメリカ海軍も21世紀まで衝角艦を生かしておけば、スピルバーグ版『宇宙戦争』で出番がもらえただろうに!
ジョージ・パル版火星人「衝角攻撃はすでに見切ったぞ(空中浮遊しながら)」
水上戦闘の歴史的には、投射兵器のみで艦がボカスカ沈むようになったのは、つい最近というのがポイントかと。
日本海海戦以前では、矢玉を浴びて航行能力を失って放棄されるか、接舷攻撃で捕獲されるのが、最もメジャーな戦闘による艦の喪失原因だったりする。
だから宮古湾海戦で、旧幕府軍が接舷攻撃で甲鉄を捕獲しようとしたのは、あの当時ではごく当然の戦術行動ということになる。
ちなみにハンプトン・ローズ海戦の序盤では、南部海軍のメリマックが衝角を使用して戦果挙げてるけど、この時点では衝角が時代遅れの代物と見なされているのは興味深い(そしてこのメリマックとほぼ同期で、より新鋭の甲鉄(ストーンウォール)には、最初から立派な衝角が装備されている)。
なおこの戦いで、一度に2隻の艦を失っているのは、この時点では合衆国海軍始まって以来の大損害で、その後日本軍による真珠湾攻撃によって、ようやくこの記録が更新されることになる。
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