MiG-25の秘密
(空自の日本防空史24)

文:nona

 
今回からは5記事連続でMiG-25を解説いたします。

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1976年10月14日にシカゴ・トリビューン紙に掲載された風刺画。”彼は米空軍の役人じゃない...トッツィー・トイ・カンパニー(シカゴのダイキャスト模型メーカー)の代表だ” と調査資料の公表を黙認した眼鏡姿の日本人(恐らく三木首相)
https://www.fordlibrarymuseum.gov/library/document/0324/1553706.pdf
Gerald R. Ford Presidential Library & Museum(ジェラルド R. フォード大統領図書博物館)Japan - MIG - Incident (7) P9

ミグ25事件の真相―闇に葬られた防衛出動 (学研M文庫)
大小田 八尋
学習研究社
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 百里基地へ移送されたMiG-25

 
ベレンコ中尉が亡命に使用したMiG-25は、1967年9月25日に北海道の函館空港から茨城県の百里基地へ移送され、日米共同で調査されています。

 
百里基地に勤務した戦闘機パイロットの村田博生氏によると、基地周辺に飛行機マニアや報道陣が集まっており、その中に素性の定かではない外国人や、警備のスキを見て基地へ入ろうとする人もあった、とのこと。MiG-25が基地にある限り、隊員達の緊張が休まることがありませんでした。

 
また、調査の日数にも限りがありました。9月29日に小坂外務大臣がソ連のグロムイコ外相へ機体の返還の用意がある、と伝えており、実機調査を10月3日で切り上げたのです。このためか、飛行試験は実施できませんでした。

 
国際慣例上、日本がソ連にMiG-25を返還する必要はありませんが、ソ連は事件以降に7隻の日本漁船と、その乗組員たち33名を密漁の疑いで拿捕しており、その他に複数の脅迫めいた手段で日本へ圧力をかけており、返還は止む終えない措置でもありました。


 R-15エンジンの性能試験

 
MiG-25の心臓たるR-15エンジンの試験に際し、エンジンを機体から分離できなかったため、性能試験は機体に装着されたまま実施されました。その際、主脚に繋がれた拘束ワイヤにバネ計りを括りつけ、地上推力が測定されています。

 
10月2日に性能試験の模様を見た村田氏は「過去に聞いたことのない吠えるような唸りを伴った、それでいてなにか軽いような爆音」「排気は無煙で巨大なかげろうをつくっていた。F-4の煤煙に似た排気とは大きく異なる」など、R-15エンジンについて印象深く語っています。


 なおR-15は高々度を高速で飛行する場合に最大推力を発揮できるエンジンですから、この試験で本領を発揮したとは考えにくく、後年の資料においてR-15エンジンの最大推力は11000 kg前後、というデータが示されています。

 
これはR-15と同世代で乾燥重量もほぼ同じJ58エンジン(SR-71用・推力15400kg)に及ばないものの、航空機設計者の鳥飼鶴雄氏によると、MiG-25が機体重量30t、高度20000mにてマッハ3を発揮する場合、計算上は1発あたり8tの推力があればよい、とのこと。

 
こうした余剰推力は、MiG-25の空力設計にある程度の自由を与えており、その一例として同機の主翼はXF-108やYF-12戦闘機など高速戦闘機に見られる速力優先の鋭角の後退翼ではなく、A-5ビジランティ攻撃機に近い設計が採用されています。

 
これは主に離着陸時の安定性を向上させるもので艦上機であるA-5攻撃機と同様の理由で採用されたようですが、西側において、同機にドックファイト能力がある、と誤解を招く原因となっています。


 最高速度はマッハ3.2、制限速度はマッハ2.5

 
かつてソ連は1976年に試作機を公開した際、最高速度を時速3000km(マッハ2.8ないし2.83)と公表していました。

 
さらに1973年、MiG-25らしき機体がエジプト・イスラエル方面における偵察飛行でマッハ3.2を発揮した、との観測がなされたことで、西側はMiG-25の実用速度はソ連の公表値よりも速い、と推測を立てています。

 
ところが、R-15エンジンは高速飛行時に制御不能に陥る問題があり、これを回避するためMiG-25は速度制限が課されていました。

 
MiG-25のマッハ計はソ連の公称値と同じ2.8まで目盛りがありましたが、この速度は安全が保障されるぎりぎりの速度で、ベレンコ氏によるとMiG-25(P型)はマッハ2.5以上の飛行を禁止されていた、とのこと。

 
エジプトの件についても、後に突飛な偶発事故の結果であり、エンジンは完全に損傷していた、との続報が伝えられています。

 
とはいえ、米軍は当時開発中であったフライトシミュレータにて、MiG-25が平然とマッハ3.2で飛行できるようにプログラムしており、シミュレータに試乗したベレンコ氏を驚かせています。


 西側の誤解

 
MiG-25は燃料消費量の割に航続距離が短い機体でした。

 
同機は5300L の大型増槽を搭載した場合1200浬の飛行が可能ですが、増槽を用いない場合は900浬、戦闘行動半径は300浬に過ぎない、とベレンコ氏は語っています。

 
よってMiG-25の用途はソ連本土における迎撃や、前線での戦術作戦に限られておりいましたが、西側は航続性能を把握しておらず、しばしば長大な航続距離を持つ制空戦闘機・戦闘爆撃機であり、防衛上の脅威である、と予測していました。

 
ある日本の日刊新聞はMiG-25の戦闘行動半径を1300kmと試算しており、海外の分析家の中には「MiG25はマッハ2.2で巡航し、2分の空中戦を行うとすれば2000kmの戦闘行動半径を持つであろう」という極端な試算を発表する者もありました。

 
この途方もない誤解は、1975年に「ポーランドから発進した物体がマッハ2.8で高度27000mを飛行し、超音速を保ったまま1200kmを往復した」というNATOのレーダー観測情報がきっかけだったようです。

 
これらの憶測はMiG-25の機体調査とベレンコ氏の証言で否定され、ポーランドから発進した物体の正体は、Tu-123無人偵察機かそれに準じる機体だった、と考え直されています。(計測ミスかUFOの可能性もありますが)


 MiG-25導入論者?

 
MiG-25事件が発生する前年の国会にて、小川新一郎議員が防衛庁に対し「何でソ連のミグ戦闘機は買わないのですか。世界最高じゃないですか、ミグ25のほうが。」と質問したことが記録されています。

 
ただし、小川議員が本気でMiG-25の導入を求めたとは考えにくく、皮肉をこめての発言でした。

 
「増大するソ連の脅威」という文脈において、MiG-25はしばしば最強戦闘機として扱われることがあり、アメリカや日本において、対抗機の開発および導入予算を得るために利用されていた、という側面もあるのです。

 
なお、防衛庁はMiG-25を購入しない理由として「仮想敵国の戦闘機だから」とも「性能を盛っているから」ともせず、単にサポート態勢に不安があるため、と回答しています。


 次回はMiG-25の燃料事情と、美酒と名高い(?)冷却用エタノールについて解説いたします。


 
参考資料

ファイターパイロットの世界(村田博生 ISBN978-4-87687-245-9 2003年4月18日)
P193-195

スクランブル 警告射撃を実施せよ(田中石城 ISBN4-906124-26-7 1997年4月27日)
P163-165

ミグー25ソ連脱出―ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか(ジョン・バロン著, 高橋正訳 1982年3月30日)
P16-17 P218-241

航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
P338-339

「ミグ25」の6つのおもしろい事実 ロシア・ビヨンド(ロシアNOW)
 2014年3月15日 エカチェリーナ・トゥルィシェワ
https://jp.rbth.com/science/2014/03/14/256_47533

ミグ戦闘機 ソ連戦闘機の最新テクノロジー(ビル・スウィートマン著 浜田一穂 訳 ISBN4-562-01944-1 1988年7月30日)
P173

世界の傑作機 No.172 ミコヤンMiG-25、MiG-31 (文林堂 ISBN978-4-89319-243-1 2016年5月5日)
P56-70

第075回国会 予算委員会第一分科会 第5号第5号 昭和50年2月28日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/075/0384/07502280384005a.html

第077回国会 内閣委員会 第2号 昭和51年8月12日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1020/07708121020002a.html