昨日、ソーシャルゲーム『艦隊これくしょん』において期間限定イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」が開始されました。

 このことについて、12月31日(日)開催予定のコミックマーケット93で新刊『「捷号作戦」艦隊編成』を発表するサークル「烈風天駆」の加賀谷康介様が、非公式タイアップとして捷号作戦について寄稿されましたので掲載します。

 なお、加賀谷康介様は寄稿後、海防艦「択捉」「占守」「国後」「松輪」「対馬」「佐渡」捜索の為、離島巡りに旅立たれました。

【軍事講座】第二遊撃部隊旗艦は「長門」
-軍令部第一課部員の志摩艦隊増強案-

文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

 
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 ○「遊撃部隊宛(長門欠)集れ。経路90度、速力20節」

 
昭和19年6月20日夕刻、フィリピン海海上の重巡「愛宕」から一通の電文が放たれます。

 発信者は遊撃部隊指揮官(第二艦隊司令長官)栗田健男中将。

 電文の内容は麾下の遊撃部隊艦艇に夜戦実施のため、「愛宕」との合同を命じるものでした。

 マリアナ沖海戦2日目のこの日、猛追してくる米第58機動部隊に対して逆襲を企画したのです。

 
しかし、水上戦闘で大きな威力を発揮する戦艦のうち、「長門」は合同を命じられませんでした。

 洋上には炎上中の味方空母「飛鷹」。

 「長門」はその曳航を命じられていたのです。

 1750「飛鷹」被雷
 1830 遊撃部隊集結命令。合同後経路90度(真東)に向け進撃開始
 1932「飛鷹」沈没
 2000「瑞鶴」から避退命令
 2105「愛宕」艦上の栗田中将、夜戦を断念し避退行動に移る

 
結局「飛鷹」は曳航できず沈没。「長門」のマリアナ沖海戦は対空戦闘に終始する結果となりました。

 しかし、この一件以降「長門」の取り扱いに関する議論が巻き起こります。


 ○小澤中将の意見具申

 
第一機動艦隊の内地帰還後、長官の小澤治三郎中将は艦隊編制に関する意見を軍令部に具申(6月27日)。

 その中で「長門」に対する私見を述べています。

 
「長門は速力、戦力の関係上、大和、武蔵と別個の行動をとらしめ、山城、扶桑と共に第二戦隊を編成、遊撃部隊に編入するを可と認む。戦隊編成困難なるときは機動部隊附属にて可なり」

 
「長門」は「大和」「武蔵」とではなく、「扶桑」「山城」と共に戦隊として行動すべし、という意見でした。

 
また、「長門」「扶桑」「山城」で再編成した第二戦隊の用法としては

 1.局地作戦または輸送作戦の支援
 2.牽制陽動
 3.「隼鷹」「日向」「伊勢」の護衛
 4.水上戦闘における主力
 5.軽快艦艇臨時出撃時のタンカー代用
 
などを挙げています。

 
4番で水上戦闘時の主力とはしていますが、従来の水上戦闘第一の役割から一歩後退しているのは明らかでした。

 
以上の用法のうち「1.局地作戦または輸送作戦の支援」と「2.牽制陽動」は、「扶桑」が渾作戦で単独実施した経緯があり、また「5.タンカー代用」も第一補給部隊に対する重油移し替えという形で「扶桑」が実施していました。

 「3.隼鷹(など味方空母)の護衛」については、上記のとおり「長門」がマリアナ沖海戦で担当しています。

 
こうした用法が反映されてでしょうか、8月1日改定の連合艦隊第三段作戦兵力部署では、「扶桑」「山城」は日本本土の第二遊撃部隊に配属されます。(この時点でまだ第二戦隊は編制されておらず、連合艦隊附属のまま単艦としての扱い)

 一方「長門」は、従前の第二艦隊第一戦隊所属のまま、7月20日すでにリンガ泊地に移動していました。


 ○軍令部第一課の戦時編制改定案

 
作戦・編成を担当する軍令部第一課では、引き続き第二戦隊を建制上のものとするため、準備を進めていました。

 
8月20日、第一課主務部員・土肥一夫中佐が第二戦隊編制を含む連合艦隊戦時編制改定案を起案。

 その内容は、「長門」の所属戦隊変更に留まらない大規模なものでした。

 土居中佐の戦時編制改定要旨

・「長門」「扶桑」「山城」で第二戦隊を編成し、第五艦隊司令長官(第二遊撃部隊指揮官)志摩清英中将の直率とする。

・(従来第五艦隊司令長官の直率であった)第二一戦隊を解隊し、同戦隊の重巡「那智」「足柄」は第五戦隊に編入する。軽巡「木曾」は横須賀鎮守府部隊砲術学校配属(射撃用レーダー=32号電探実艦試験のため)とし、「多摩」は第一一水雷戦隊旗艦とする。

・第五戦隊「妙高」「羽黒」(+「那智」「足柄」)を第二艦隊から除き、第五艦隊に編入する


 この編制改定が実施されれば、志摩中将の第二遊撃部隊は

・第二戦隊「長門」「扶桑」「山城」
・第五戦隊「妙高」「羽黒」「那智」「足柄」
・第一水雷戦隊
・第一一水雷戦隊

という編成となり、これに水上戦闘兵力としても期待できる第四航空戦隊の航空戦艦「日向」「伊勢」の存在を加味すると、戦艦5隻、重巡4隻、2個水雷戦隊という大兵力となる予定でした。

 とくに戦艦5隻という数字は、南方の第二艦隊(「大和」「武蔵」「金剛」「榛名」の4隻)を超える非常に重厚な布陣です。

 
この点から土肥中佐の戦時編制改定の目的は、できる限り強力な艦隊を日本本土に配備することにあったようです。


 ○第一機動艦隊司令長官の方針

 
しかし、編成替えの発端となった小澤中将の考えは、軍令部第一課と方向性の異なるものでした。

 
小澤中将の考えとは、北方南方から中途半端な兵力による二方面作戦を行うより、一方面から全力を結集した突入作戦を最善とするもので、そのために自己の兵力が減少することも厭わないものでした。

 実際に小澤中将は機動部隊本隊(厳密には小澤中将が長官を兼務する第三艦隊)から第一〇戦隊などの一部兵力を栗田中将の第一遊撃部隊に融通しています。

 
当然、「扶桑」「山城」(に「長門」を加えた第二戦隊)は栗田中将の第二艦隊(第一遊撃部隊)に編入するべしとの意見でした(上記6月27日意見具申のとおり)。

 
軍令部第一課部員と第一機動艦隊司令長官、軍配は小澤中将に上がりました。

 大本営海軍部と連合艦隊司令部は小澤中将の考えを採り、第二戦隊は第二艦隊に編入することを決定。

 及川古志郎軍令部総長は9月4日参内し、昭和天皇に第二戦隊の編制方針について奏上します。

「山城、扶桑は連合艦隊附属兵力として単艦にて各種任務に従事いたしておりましたが、捷号作戦に関連両艦を決戦に参加せしむることを必要と致しますので、両艦をもって第二戦隊を編成し之を第二艦隊に編入のことと致したしと存じます。」

「なお第二戦隊は当分第二遊撃部隊として(瀬戸)内海方面に待機の上9月中旬以降昭南(シンガポール)方面に進出の予定でございますが、同隊が昭南方面に進出後現在第一戦隊に編入されておりまする長門を第二戦隊に増強のことと致したしと存じます。」

 
第二戦隊編制の件は9月10日正式に発令、司令官には軍令部出仕の西村祥治中将が任命されました。


 ○第一遊撃部隊司令部の反対

 
第二戦隊編制と第二艦隊編入に伴い、瀬戸内海にあった「扶桑」「山城」は南方への出撃準備にかかります。

 
両艦の出撃を前に軍令部第一部長の中澤佑少将は9月15日、リンガ泊地で訓練中の第二艦隊(第一遊撃部隊)司令部に対して「長門」第二戦隊編入の件を通報。

 その返信電で現地部隊の意外な反対が判明しました。

「第二艦隊参謀長(小柳冨次少将)9月17日1047発電

長門の第二戦隊編入は、次の事由により当分延期し今戦局一段落の機会に実施のことに取り計らわれたし。

1.捷号作戦発動も近きにありと認むるところ、当隊としては第一戦隊の編制をもって作戦計画を策定し、また全ての作戦要務を準備しあり。一方今日までの訓練においては、予期する軍隊区分による各部隊毎の訓練を励行し、各種戦術実施も右を基礎とし考慮策定せられあり。

2.今日まで折角第一戦隊の編制をもって訓練を重ね戦技等の向上せる長門としては、第二戦隊編入替えに基づく戦闘要務その他の新規変換等により返って一時戦力低下する恐れあり。

3.燃料補給の不如意なるべきを予期し、使用速力を相当制限し機宜処置する腹案にして、艦隊作戦行動上速力、航続力より現第一戦隊編制を特に不利とせず

4.当隊の戦闘は計画的には夜戦を主とするところ、戦術上は現編制のままとするも大差なし」

 
要するに第一戦隊では「長門」込の各種マニュアルを既に作成、それに基づく錬成を実施しており、編制直後の第二戦隊に「長門」を編入した場合、「長門」「扶桑」「山城」揃っての各種マニュアルが未整備であるため、既に錬成済みの「長門」の足を引っ張る結果になる、と反論しているのでした。

 「この切迫せる時機は全く不適当にして長門の戦力を発揮せしむる所に非ず」

第一戦隊司令官(「長門」を引き抜かれようとしている立場)宇垣纒中将の日記『戦藻録』には、こうした第二艦隊(第一遊撃部隊)側の見解がよく表れています。

 
実際に部隊を運用する第二艦隊(第一遊撃部隊)司令部が理由を挙げて反対する以上、軍令部としては強要はできません。

 軍令部は連合艦隊司令部と協議のうえ「長門」の第二戦隊編入を中止。第二戦隊は「扶桑」「山城」の2隻編成で捷号作戦に臨むことが確定しました。

 
そして、結果的にこれが「長門」と「扶桑」「山城」の明暗を分ける分水嶺となったのです。


 ○第二遊撃部隊増強の可能性と問題点

 
様々な思惑を巻き込み約3か月続いた「長門」問題ですが、終わってみれば第二艦隊第一戦隊所属という立場に何の変更もありませんでした。

 連合艦隊戦時編制についても、第二艦隊は既存の戦隊は所属艦まで一切そのまま、単に新編成の第二戦隊が追加されるという最低限度の改定に留まりました。

 大山鳴動して何とやら、結果的に改編はこじんまりとしたものに収まったのです。

 
軍令部第一課の土肥中佐が起案した、第二遊撃部隊の増強を目的とする戦時編制の大改定案は興味深いものですが、実施には幾つか大きな問題がありました。

 
まず、起案の時点(8月20日)の時点で「長門」はリンガ泊地に進出、訓練に着手しており、これを第五艦隊に編入、第二遊撃部隊指揮官志摩中将の旗艦とする場合には、危険を冒してもう一度内地に回航する必要がありました。

 それは、同じく第二艦隊から第五艦隊に抽出される第五戦隊「妙高」「羽黒」にしても同じです。

 無事に内地に回航しても、その後戦隊全艦打ち合わせての各種マニュアル作成と、それに基づく錬成にはかなりの時間を要し、錬成完了まで旧編成より実力が低下することは避けられなかったでしょう。

 また、直接的な手持ち戦力が減らされる第二艦隊(第一遊撃部隊)司令部が猛反発することは想像に難くありません。

 
そして何より、内地は艦隊作戦用の燃料が不足していました。

 
訓練出動を制限せざるを得ない内地では、燃料を無尽蔵に使用できるリンガ泊地と比べるとどうしても錬度向上に差を生じます。

 マリアナ沖海戦後、第二艦隊を主力とする有力艦艇が急き立てるようにリンガ泊地に移動したのも、内地では大艦隊の訓練を継続するに足る燃料備蓄を維持することが困難であったからでした。

 マリアナ沖海戦後も給油艦やタンカーの喪失が相次ぐ当時の状況では、第二遊撃部隊を大艦隊として内地に保持する構想はいずれ必ず見直しを迫られたはずです。

 
第一機動艦隊司令長官の小澤中将が、内地の兵力をなるべく最小限にとどめ、南方に兵力を結集する考えでいたのはその点からも正しい判断でした。

 
逆に、燃料事情さえ許せば第一遊撃部隊と第二遊撃部隊の編成の自由度はもっと高まっていたことでしょう。

 それを想像して自分で艦隊編成をシミュレートしてみるのもまた一興。

 
それでは皆さま、イベントの健闘をお祈り申し上げます。

P.S
 冬コミ参加します。スペースは3日目、東2地区 V-14a ”烈風天駆”です。
 新刊は『「捷号作戦」艦隊編成』。
 ずばりこんな記事の感じのことをひたすら解説しています。
 現在絶賛修羅場中です。少しでも良い本になるようにがんばります!

【参考文献】
防衛研究所戦史室 戦史叢書
『戦史叢書 マリアナ沖海戦』
『戦史叢書 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで』
『戦史叢書 海軍捷号作戦(2)フィリピン沖海戦』
『戦史叢書 大本営海軍部・連合艦隊(6)第三段作戦後期』

<著者紹介>
加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
第2次大戦期の航空戦に関する研究を行う。
代表作に『編制と定数で見る日本海軍戦闘機隊』

URL:https://c10028892.circle.ms/oc/CircleProfile.aspx