「最強戦闘機」F-15へ挑戦!、「ロートル」F-4EJの底力
(空自の日本防空史17)

文:nona

 今回はF-4EJのウエポンシステムと米空軍F-15Cとの模擬戦の模様などを紹介いたします。
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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1990/w1990_03004.html

戦闘機パイロットという人生
佐藤守
青林堂 (2015-02-23)
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 F-4EJの火器管制レーダーAN/APQ-120

 
F-4EJに搭載された火器管制レーダーAN/APQ-120は半導体部品による完全ソリッドステート化により、性能を維持しつつ小型軽量化に成功した(約290kg)戦闘機用レーダーです。

 
最大探知距離は60浬(110km)、レーダー反射断面積が5㎡(F-15戦闘機くらい)の目標で40浬(74km)、1㎡(F-104くらい)の目標で30浬(56km)からの探知が可能とされ、F-86DやF-104Jから探知距離性能が向上していました。

 
加えてF-4EJは後席搭乗員がレーダー操作を担当するため、レーダー性能を十分に生かせましたがルックダウン性能の低さを十分に補えるものではなかったようです。


 
AIM-7Eスパロー空対空ミサイル

 
F-4EJはAIM-7Eの運用能力により、空自機初の目視外戦闘能力を獲得しました。同ミサイルの射程は、発射された状況により30kmとも45kmとも言われますが、概してAIM-9シリーズよりも長射程でした。

 
しかし、AIM-7EはIFF(敵味方識別装置)と連動しないため、ベトナム戦争中に誤射を起こしており、使用制限が課されたこともあります。

 
代わって1969年に登場したAIM-7E-2は先のベトナム戦争の戦訓から、IFFの連動能力に加え、加ドッグファイト能力も大幅に改善されています。

 
空自におけるAIM-7も導入時期から考えるとAIM-7EではなくAIM-7E-2かもしれませんが、正確なところは不明です。

 
ちなみにベトナム戦争においてAIM-7シリーズは61機撃墜の戦果を記録し、後年になるほど戦果が伸びる傾向にありました。ただし戦争全期間の1発あたりの撃破率は9%に留まっています。


 AIM-9Eおよび9P-3サイドワインダー空対空ミサイル

 
F-4EJでは4発のAIM-7に加え、目視内戦闘用のAIM-9Eまたは9P-3も4発搭載できました。E型はAIM-9Bの発展型で、P-3型はAIM-9Jの輸出型です。

 
ベトナム戦争において、AIM-9シリーズの戦果は86機で、撃破率はAIM-7よりは高いものの18%とされています。しかし、アメリカ軍の空中戦果の60%はAIM-9によってもたらされており、過去50年間に空中戦の主力兵器であった機関砲を、ついにバックアップの位置に追いやる活躍をしていました。

(余談ながら、F-4EJはAIM-4Dファルコン赤外線誘導空対空ミサイルも導入したものの、短期間の使用に終わっています。)


 M61A1バルカン

 
F-4EJは固定武装としてM61A1バルカンを採用し、640発の20mm機関砲弾を搭載しました。この機関砲は1987年12月に沖縄で領空侵犯したTu-16に対する警告射撃、という形で実際に使用されています。

 
M61A1の駆動方式は、F-104Jに搭載されたM61の電動式から油圧式に変更され、発射時に電力不足に陥る心配もなくなりました。

 
F-4EJのM6A1は搭載位置の関係で、射撃時の振動を抑えきれず(F-104Jと比べて)弾道がぶれる、という欠点がありましたが、元戦闘機パイロットの村田博生氏は、射撃訓練において100点中81点という自己ベストをF-4EJで得ており、必要十分な精度が確保されていた、と考えて間違いないようです。

 
ちなみにF-4EやEJ以前の空軍型F-4や、海軍および海兵隊型はM61を固定装備しておらず、必要に応じガンポッドを携行しました。

 
三菱重工のあるテストパイロットは、アメリカにてF-4Dによる空中戦訓練に参加した時、うっかり「FOX-Ⅲ」とコールしてしまい、アメリカ人達から笑われてしまった、と語っています。

 
当時の「FOX-Ⅲ」は機関砲発射を指すものですが、F-4DはEおよびEJと異なり固定機関砲がないため「さすが日本人はすごい!空中で飛行機から出てナイフで戦うのかと思った」と茶化されてしまったようです。


 F-15のレーダーを惑わせるF-4のビーム機動

 
F-4EJとF-15CによるDACTは、レーダーサイトおよび迎撃管制官による支援の元、各2機がエレメントを組み、距離50浬(92km)で向き合った状態で開始されました。

 直後にF-4EJは密集編隊を開始し、F-15Cや相手レーダーサイトから1機にしか見えないように偽装。さらに、レーダー波の逆探知を避ける措置として、いずれかの時点で自身のレーダーも停波しました。

 
互いが距離を詰めていくと、桧垣機と僚機は1万フィートの高度差をとり、桧垣機は東、僚機は西に変針。F-15に対するビーム機動をとりました。

 
ビーム機動とは、相手機の進路上を直角に横切るように飛ぶ回避機動のことで、F-15Cが搭載するパルスドップラーレーダーは、ビーム機動をとる機体の探知を苦手としていました。

 これらの接敵機動が功を奏し、桧垣機はF-15Cに発見されることなく、目視距離への接近に成功します。


 F-15を機関砲で撃墜

 
しかし僚機はF-15Cに発見されてしまい、桧垣機が彼らを仕留めるまでの間、囮としてF-15Cを引きつける役目を担いました。

 
とはいえ、囮を追うF-15Cも相当な機動をするため、桧垣機はミサイル攻撃のチャンスを得られず、僚機の状況も次第に苦しくなります。

 
しばらくその状態が続いた後、奇妙な事にF-15Cの2番機が旋回を切り返し、直後に機動を緩めました。F-15Cパイロットが後ろに振り向こうとしたもの、と推測されますが、これを好機とみた桧垣機は、停波していたレーダーを用いF-15Cをロックオン。距離1200フィートで機関砲による撃墜を宣言。

 
一方でF-4EJ僚機はF-15C一番機により撃墜されてしまい、すかさず桧垣機へ突進してきたため、不利を悟った桧垣機は全速力で逃走。両者の対戦は引き分けで終了します。


 勝敗を決定づけたガンカメラ

 
今回のDACTは旧式のF-4EJがパイロットの戦術と腕でF-15Cに報いる形となりましたが、アメリカ人パイロット達は不服であり「精密な照準が一秒以上も要求されるガン攻撃が有効であったか否かは、証拠を見ないことは納得できない」と主張します。

 
そんな彼らを納得させたのが、桧垣機のガンカメラが記録したフィルム映像。

 
フィルムにはF-4EJの照準がF-15のコクピットと2秒以上重なった状態が記録されており、仮に実弾が発射されていれば、最大で200発の機関砲弾がパイロットを直撃していたことは想像に難くない、というものでした。

 
この映像をうけ、アメリカ人パイロットは態度を改め桧垣一尉を賞賛。特に視察に訪れていた統合参謀本部議長からは激賞され、握手まで求められた、と言います。

(このフィルムの一コマは佐藤氏が寄稿した「自衛隊エリート・パイロット」や「実録・戦闘機パイロットという人生」に掲載されています。) 

 次回はいつもと趣向を変え1970年代までの空自機による対地、対艦攻撃訓練の模様を紹介予定です。(MiG-25事件や沖縄Tu-16事件についてはまたの機会に)


 
参考資料

F-4 ファントムⅡの科学(青木謙知 ISBN978-4-7973-8242-6 2016年)
P22~23 P42~49

ヴィジュアル大全航空機搭載兵器(トマス・ニューディック著 毒島刀也訳 ISBN978-4-562-05075-8 2014年5月30日)
P20~29 P50~51

ファイターパイロットの世界(村田博生 ISBN978-4-87687-245-9 2003年4月18日)
P189~192

実録・戦闘機パイロットという人生(佐藤守 ISBN978-4-7926-0515-5 2015年2月24日)
P184~186

自衛隊エリート・パイロット(菊池征男他 ISBN978-4-87149-982-8 2007年8月31日)
P106~112

三菱重工 パイロットの話 コックピットから その15 「AIR to AIR GUN」
http://web.archive.org/web/20130830072234/http://www.mhi.co.jp/discover/pilot/chapter15.html(リンク切れにつきWeb Archive版)

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