航空自衛隊防空史14
BADGEシステムその2・BADGEの全貌編

文:nona


 今回はBADGEの機能や不具合などを解説いたします。

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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1980/w1980_03013.html
1980年の防衛白書による防空システム(BADGE)

 SS(監視ステーション、レーダーサイト)におけるBADGE

 
これまでレーダーが発見した航跡は、人間が処理していたのですが、BADGE導入によりサイト内のRTS-Ⅱ(Radar Tracking Station)計算機が人間に代わることになりました。

 
RTS-Ⅱはレーダーが捉えたひとつひとつの航跡をトラッキングし、SIF(IFF)で敵味方を識別、HC-270 データリンク装置を介し全国4か所のDC(防空指令所)へ情報を高速転送しました。

 また各サイトには上記の計算機やデータリンクに加え、ECCM装置も追加されており、ある程度は電波妨害の耐性も備えていました。

 
ただし、滞りなくコンピュータを動かすには人員の介在が欠かせなかったようです。

 
例として、RTS-Ⅱはクラッタ(地上の山や建造物からの反射波)を目標として誤認しやすく、クラッタと航空機が重なると、追跡対象がクラッタへ切り替わる、という欠点がありました。要員はコンピュータの誤認を避けるためにも、これまで同様にレーダーのゲインを適宜調整する必要がありました。

 
また1970年代にJ/FPS-1をはじめとする3次元レーダーが導入されるまで、目標高度は測高レーダーで別途測定し、手動でRTS-2へ入力する必要がありました。測高レーダーは指向された方角でのみ測定が可能ですから、当然ながら同時対処能力も限られました。


 
DC(防空指令所)におけるBADGE

 
各地のレーダーサイトから送信された情報は、三沢・嶺岡山・笠取山・春日基地に設けられたDC(防空指令所)の大型汎用コンピュータH-330B要撃計算機に集約されました。

 
H-330BはSAGEにおけるAN/FSQ-7セントラルコンピュータの役割を担うものですが、写真を見る限りAN/FSQ-7よりもフットプリントはずっと小さくなったようです。

 
H-330Bは手動で入力されたフライトプランと機影の照合により、精密な敵味方識別を実施し、機影を背面投影式のカラープロジェクターを介し、データスクリーンに表示します。

 データスクリーンは空自のこだわりで3色の情報表示が可能であり、友軍および民間機、不明機、敵性機を別の色で表示が可能でした。

 
さらにスクリーンの側面には各基地の戦闘機待機情報や気象状況を示すステータスボードも設置され、こちらも背面投影プロジェクターと自動差し替えフィルムによってリアルタイムで更新されました。

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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2007/2007/html/j2311100.html
BADGEのデータスクリーン。差し替え式の地図スクリーンに背後から3色のプロジェクターで機影を投影する。

 BADGEによる迎撃機の管制

 
DC司令官が迎撃の判断を下すと、H-330Bは迎撃機部隊、ナイキSAM、陸自のホークSAMへの目標割当を実施し、各管制コンソールに控える管制官を支援しました。

 
戦闘機を発進させる場合はホットライン等で航空団等へ伝達し、高射部隊に対してはSAMバッファを介して情報と共に指令が伝達されました。

 
離陸した迎撃機がF-104JやF-4EJなどBADGE対応機であれば、H-330Bコンピュータが計算した目標までの最短のコリジョンコース(目標側方への接近コース)を、時間分割方式対空データリンク(TDDL)を介して受信できました。


 
迎撃機の誘導とSAM部隊の管制

 
迎撃機がBADGEとリンクすると、レーダースコープ画面への誘導コース表示が可能となります。パイロットはスコープの表示に従い機体を操縦することで、昼夜関係なく、ときにはレーダーが妨害されている場合も目標への接近が可能となります。

 
ただしBADGEの信号は目標の「近く」まで導くためのものですから、最後はパイロット自身が対処する必要がありました。

 もし目標が迎撃機を回避した場合、空自のナイキおよび陸自のホークSAM部隊による迎撃が試みられます。SAMの指揮統制はH-330Bではなく、TSQ-38(後にTSQ-51)対空戦闘指揮装置を介して実施されました。

 
当時の高射部隊は、同時対処能力に乏しく、単一の目標に射撃が集中し撃ち漏らしが発生する、といった事態にならないよう、各部隊のコーディネートが極めて重要でした。

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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1976/w1976_04.html
1976年の防衛白書による防空施設の配置図(拡大処理済み)


 BADGEの不具合とあくなき改善

 
BADGEの処理能力は手動迎撃管制の10倍、マッハ2級の高速機も高精度で識別できる、と空自は宣伝していたようですが、運用初期にはシステムダウンが頻発し、その度に手動迎撃管制に切り替えられるなど、当初から実力を発揮できた訳ではありませんでした。

 
ソフトウェア面の不具合は航空総隊のプログラム班が修正を実施し、受領初年の1968年には約500件、1969年から1973年の間も年100件の修正が加えられました。

 
1975年以降の修正は年30件以下で安定しますが、1971年以降は新機能の追加も求められるなど、あくなき改善が続いた模様です。

 
ハードウェア面の改善策として、1972年よりJ/FPS-1三次元レーダーの運用が開始されサイトの同時対処能力の向上が図られたほか、1975年からH-330Bのバックアップ機も導入され、24時間運用が可能になり冗長性が強化されてます。

 
ただし不具合の改善を待たずにBADGEを運用せねばならない、という場合には「運用要領の改善やオペレータの練度向上」で対処される場合もあったようで、当時BADGEに関わっていた人々の苦労が忍ばれます。

 
なお日本全国の防空施設でBADGEが利用された訳ではなかったようです。

 
日本復帰後の沖縄の4箇所のサイトと、本土3箇所のサイトは諸事情でBADGEが適用できず、DCの上級管制所であるCC、COC、航空団のWOCにおいても、BADGEのすべての機能を使用できませんでした。

 そこでは従来の音声による情報の交換や、プロッターによる情報表示が依然として継続されており、BADGE改の実用化まで改善されませんでした。


 
BADGE向けシミュレータの導入

 
BADGEの導入費かさんだ理由の一つとなっていたのが、シミュレータ(模擬組織訓練装置、SST)の追加でした。

 
シミュレータはBADGEを設計したヒューズではなく、マッカート製のT-1要撃機用シミュレータ、T-2目標機用シミュレータ(マッカートではなくRCA製? )が採用され、国内担当企業も日本アビオニクスではなく、富士通としています。

 
これらシミュレータはBADGE内に仮想敵を表示させることで、実機を飛ばさずに実戦的訓練を可能とするもので、結果として訓練費用の節約に貢献した、と思われます。

 
田中石城氏によると、シミュレーション訓練は現場においても深夜シフトなど、比較的余裕のある時間帯に実施されることがあり、同氏が見たBADGE画面は、敵機を示す表示で真っ赤になっていたそうです。

 
このシミュレータ、使い方次第では、「パトレイバー劇場版2」ごっこもできるわけですが...


 
早くから導入が望まれていた早期警戒機

 
BADGEが、というよりは地上迎撃管制システム全般に共通する弱点ですが、地上のレーダーサイトが見通し外を飛行する低空侵入機の対処能力に乏しく、防空網に広範な死角が存在する、ということは空自も早期から認識していました。

 
対策は早期警戒機の導入が一番、ということで1967年の第3次防衛力整備計画において国産早期警戒機の検討が開始されています。国産が検討されたのはアメリカのE-2早期警戒機のリリースが認められなかったためでした。

 
その後、E-2のリリースが可能となり、他方で国産機の実用化に相当な時間と資金を要することが判明すると、空幕は1971年に翌72年から開始される4次防の期間でE-2Cを7機導入し、1982年に開始されるであろう次々防までに国産機を導入する計画を提案しています。

 
一方で防衛庁および政府は、空幕程に早期警戒機の必要性を感じておらず、1974年に国防会議の有識者会議にて国産機が中止、輸入機の導入時期も先延ばしされ、結果として1976年9月のMiG-25事件を無策で迎えることになったのです。


 BADGEの性能限界

 
MiG-25事件により、空自へのE-2Cの導入事業がようやく本格化したものの、いざBADGEに組み込むと、同機から送られる膨大なデータ量に対し、BADGEのコンピュータと回線では満足に処理できず、通信バッファが介されることになりました。

 
さらに、近々導入予定であったF-15JをBADGEで管制する場合、E-2Cとは逆にF-15JのコンピュータをBADGEが待たせてしまう、という問題も判明。これまでのBADGEは時代遅れになりつつありました。

 
そこで能力を刷新したBADGE改が1980年代後半より導入されるわけですが、これはまたの機会に解説したいと思います。


 
次回は「改」が付く以前のF-4EJ戦闘機について解説いたします。


 
参考資料

丸NO.5831994年11月号 特集 アンノウン機撃墜法 システム防空戦(潮書房編 1994年11月)
P99

日本の防衛戦力③航空自衛隊(読売新聞社編 ISBN4-643-87032-X 1987年5月14日)
P64-67

スクランブル 警告射撃を実施せよ(田中石城 ISBN4-906124-26-7 1997年4月27日)
P40

航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
P236-242,P275-279,P435-437

日本科学技術大系19 電気技術(日本科学史学会 1969年3月10日)
P425-427