航空自衛隊防空史14
BADGEシステムその1・闇の深い導入経緯編

文:nona

戦うコンピュータ―軍事分野で進行中のIT革命とRMA
 

 今回は航空自衛隊の迎撃管制組織BADGE導入時におきた、様々な出来事について解説いたします。

 自動迎撃管制システム

 
第二次世界大戦期以来使用されていた、手動迎撃管制方式に代わる自動迎撃管制方式の先駆となったのは1950年代に搭乗したアメリカのSAGE(Semi Automatic Ground Environment)です。

 
アメリカにおける新たな防空システムの研究は1949年に結成されたMIT・バレー委員会、続いて50年代に国防長官事務局のWSEG、MITチャールズ・プロジェクトにおいて本格化。軍外部の研究者を参画させたことで、非常に斬新なコンセプトが誕生しました。

 
そのコンセプトとは、
「レーダー網が捉えた目標を、音声やテレタイプに代わりデータリンクで管制センターまで直接送信」
「管制センターのコンピュータが、人間のプロッターに代わり、戦術スクリーンで敵味方機の位置をリアルタイムで表示。さらに航空基地とミサイル基地へ目標振り分けを実施」
「離陸した迎撃機およびボマークSAMへ目標までの誘導信号を送り、確実に会敵させる」
というものでした。


 SAGEの登場

 
そのコンセプトを聞いた空軍内の保守的な軍人達は、あまりにも革新的すぎる、として不安を抱き拒絶反応を示す傾向もありましたが、国防総省はその価値を認め、1953年にSAGEの名称で新たな防空システムの建設を開始します。

 
SAGEの開発はリンカーン研究所(チャールズプロジェクトを母体とする国防総省とMITの合弁組織)が担当し、ハード面の建設にGE、ベル、ウェスタン・エレクトリック、IBMが参加しています。

 
1958年7月にニュージャージ州のマクガイア基地に最初の管制センターが完成し、1961年12月までに21か所の管制センターが構築され、カナダを含む北米大陸がSAGEによって防衛されました。

 
SAGEは完成直後から改良が開始され、1960年前後に実施された北米防空演習の結果をうけECCMの強化が図られた他、キューバ危機において弾道ミサイルの脅威が深刻化したことで、地下シェルターから管制を行うBUICシステムの建設も実施されます。

 
最終的にSAGEおよびBUICは1983年まで運用された後、後継システムであるJSS(Joint Surveillance System、空軍と連邦航空局の統合監視システム)に代替され、現在は役目を終えています。


 
IBM  AN/FSQ-7 SAGEセントラルコンピュータ

 
SAGEシステムは多くの新機軸が採用されていますが、その一つに管制センターに設置されるAN/FSQ-7 SAGEセントラルコンピュータが挙げられます。

 
AN/FSQ-7はIBM製の大型汎用コンピュータで、1台で複数のレーダーサイトから送られた目標のフライトプラン照合、管区内の迎撃機と地対空ミサイルへの目標割り当て、迎撃機およびボマークSAMへの迎撃コース計算など、複数の役割をこなすものです。

 
AN/FSQ-7を1組構成するために70個の筐体と定期交換と空調管理が必要な58000本の真空管(諸説あり)が必要であり、さらに冗長化のため2台1組で運用する都合、4階層におよぶ巨大な専用建屋を建設する必要がありました。

 
こうした保全体制により、AN/FSQ-7のシステムダウンは年間あたりわずか4時間であった、とも言われますが、巨大な建屋はたいへん目立ち、先制核攻撃の標的になりやすいという欠点もありました。

 
このためソ連に近い管制センター7か所が1963年までに閉鎖され、1964年から前述のBUIC建設が開始されています。


 航空自衛隊の新迎撃管制システム

 
航空自衛隊における自動迎撃管制システムは、1960年に始まる第二次防衛力整備計画の期間内での建設が予定され、1961年8月にアメリカの関係企業へ最初の提案要求が送られています。

 
空自の要求に応じたのは、SAGEに携わったGE、海兵隊防空システムを開発中のリットン、陸軍野戦防空システムを納入し海軍NTDSを開発中のヒューズの3社でした。

 
1962年9月には丸田空将補らの調査団が渡米。帰国後に「SAGEを担当したGEが空自にも適している」と報告しています。ただし費用はGEが207億円と高額であり、次点でリットンが170億円、ヒューズが最安の130億円を提示していました。

 
1963年4月には、GEが空自の要求したカラーデータ表示スクリーンを提案せず、要求仕様を満たせないとして選考から外れています。

 
選考対象が2社に絞られた時点で、松田航空幕僚長ら空幕は用兵的視点からリットンを推し、一方で防衛庁内局側は安価なヒューズを候補としていました。

 
しかし同年6月に渡米調査した浦茂空将は空幕の意見を異にして、ヒューズ案を受け入れる趣旨の報告書を提出。これによってヒューズが優勢となり、7月1日、同社が提案するTAWCS(後のBADGE)の採用が決定されました。

 
なおヒューズの代理店である伊藤忠商事から浦空将に対し、働きかけがなされた可能性もあるようですが、詳細は不明です。


 予定外の費用高騰

 
BADEGの当初の建設費用はシステム本体に130億円(うち32億円をアメリカが負担)、建物施設費に77億円の、合計203億円と見積もられました。

 
ところがシステム建設中にECCM(電波妨害対抗)装置、整備要員および管制要員向け訓練用器材の必要が明らかになり、取得費用は250億円に膨張します。

 
うちECCM装置は、アメリカが機密情報保護の観点から既製品の提供を渋ったため、開発費を日本負担でゼロから作る必要もありました。

 
こうした事情を考慮すると、無駄遣いが予算超過の原因でないことは理解できますが、防衛庁の見積もりに誤りがあったのも事実。(最初に予算を獲得するため、あえて安く見せようとしていた気もしますが)。1968年3月の国会において社会党の大出俊議員から追及をうけています。

 
ただし、事情を説明すべき増田防衛庁長官自身も状況を十分に理解していなかったのか

 
「私は、契約金額というものがもし上回った場合は、普通は受注者が破産するのがあたりまえだと言って一時はおこったこともあるのです。ところがこの関係だけは(中略)ふえてもいいしかけだそうでございまして、これも私の良心から肯定できないのです、ほんとうは。」

 
と奇妙な答弁を残しています。


 
情報集流出事案の発生

 
航空自衛隊史によると「機種選定にあたっては、F-104選定時の前例に鑑み、保全には特に着意して慎重に実施された」とするものの、建設段階での情報流出が発生しております。

 
1968年3月1日にはバッジ室勤務経歴がある川崎健吉一佐(当時空自第二術科学校の副校長)がヒューズを始めとする企業などから、金品の対価に機密情報を流出させた、として自衛隊法違反で逮捕されています。

 
この報道をうけ、川崎一左勤務時のバッジ室長であった山口二三空将補は「私の不明不徳」「一死を以て深くお詫び」の言葉を遺し、かの東京の玉川上水で自殺を遂げています。

 当の川崎一左はヒューズ関係者の帰国によって証拠が揃わず、懲役6ヶ月執行猶予3年という判決で落ち着き、実質的な処分は免職に留められています。


 BADGEを試すソ連軍

 
波乱のBADGE導入事業でしたが、1966年10月15日に岩手県山田のレーダーサイトへBADGE器材が導入され、1968年3月30日までに沖縄を除く全国への配備が完了。

 
さらに1年間の試験運用をへて、1969年3月25日に航空総隊作戦指揮所(府中COC)で防衛庁長官と航空幕僚長が出席した「火入れ式」が実施されました。

 
一方でBADGE導入期にソ連軍機の動きも活発化し、1967年8月19日に北海道礼文島付近で領空侵犯が発生。空自が領空侵犯対応任務をアメリカから引き継いで以来のことで、次の領空侵犯は1974年まで発生していません。さらに1967年頃は年間10数件の「東京急行」も確認されています。

 
ソ連の動機は推測するほかにありませんが、BADGEの導入時期と一致する以上、同システムの実力を試したかった、という狙いがあったのかもしれません。


 次回はBADGEシステムの実際の動きや、運用中に判明した問題、その対策について解説いたします。


 
参考資料

統合幕僚監部 報道発表資料 平成28年度の緊急発進実施状況について
http://www.mod.go.jp/js/Press/press2017/press_pdf/p20170413_01.pdf

P8

丸NO.583 1994年11月号 特集 アンノウン機撃墜法 システム防空戦(潮書房編 1994年11月)
P84-96

航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
P235-239

戦うコンピュータ(井上孝司 ISBN4-83990-1835-X  2005年9月1日)
P159-162

日本科学技術大系19 電気技術(日本科学史学会 1969年3月10日)
P425-427

衆衆議院予算委員会13号 昭和43年3月5日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0380/05803050380013a.html

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