航空自衛隊防空史12
最後の有人戦闘機F-104・ウエポンシステムと模擬空中戦編

文:nona

 ハセガワ 1/72 航空自衛隊 F-104J/CF-104 スターファイター プラモデル D16
 今回はFCS、バルカン、さらにF-15とのDACTの模様について解説いたします。

世界の傑作機 (No.103) 「F-104 スターファイター」

文林堂
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 NASARR F15J 火器管制システム

 
F-104Jは火器管制システムにNASARR F15Jを採用しています。NASARRとはノース・アメリカン・サーチ・アンド・レンジング・レーダーのバクロニム。型番のF15Jは、M2爆撃コンピュータなどを撤去した日本仕様であることを意味します。(後のF-15J戦闘機と紛らわしいので、当記事ではNASARR表記で統一します。)

 
NASARRの航空機に対する最大探知距離はおおむね40 浬(74km)、あるいは戦闘機大の目標で熟練者が25浬(46km)、普通は20浬(37km)、経験の浅い者で10浬(18km)といった具合で、探知距離がパイロットの練度次第であるのは、F-86DのE-4FCSと同様です。

 ただ元F-104Jパイロットの田中石城氏によると、千歳基地からの夜間発進において、僚機が民間のジャンボジェットを編隊長機であると勘違いして追いかけていった、というハプニングもあったようで、分解能についても練度や勘次第であったことが想像されます。

 
このNASARRを十分に機能させるにはグラウンドクラッターやシークラッター、さらにエンジェル・エコーが混じらないよう、上下左右の捜索角やゲインを調整し、さらにレーダースコープに目を近づけ注視する必要がありました。

 
これでは、通常の操縦は不可能ということで、自動操縦装置の助けを借りることもあったようです。元F-104Jパイロットの安宅耕一氏によるとF-104の自動操縦装置はF-4やF-15の後継機と比べても安定性に優れていたと語っています。


 M61バルカン20mm機関砲

 
F-104J就役当初の空対空兵装はAIM-9B空対空ミサイルを最大4発(後に9Eおよび9P-3)、もしくは2基のロケットランチャーに装填された2.75インチ空対空ロケット弾38発で、ガン(機関砲)は搭載されていませんでした。

 
機関砲の搭載改修は運用後間もなく開始され、1965年以降の新造機とそれ以前の既存機の合計160機程度がM61搭載機となっています。

 
ただし試験においていくつか不具合が発生しており、各機の改修や運用要領の改善等で対策されています。その一例として発砲時の発射ガスが機内を通じエンジンへ流れこみ危険を招く、という問題があり、発射ガスを機外へ強制排出する処置が施されました。

 
砲身スピンアップ時にエンジン出力を96%以上としないと、電力の不足によりM61のブレーカーが落ち、発射不能となる問題もありましたが、これは電動駆動のM61の仕様のようなもので、油圧駆動のM61A1型まで改善されませんでした。


 
M61の実力

 
いろいろな問題を克服したM61は、F-86Fの6丁の12.7mm 重機関銃と比較し、初速(100m/秒ほど早い)、威力(重い徹甲弾と焼夷榴弾を使用できる)、命中率(後述)、信頼性(電気撃発し不発弾は排除され射撃が継続できる)弾道の視認性(高湿度ではベイパーを引く)など様々な点で優れた性能を示したそうです。

 
命中率についてはNASARRによる測距の不具合があった一方で、NASARR、光学照準器、ガンのハーモニクスが正確であったときの射撃精度は凄まじく、1967年に新千歳で開催された航空総隊射撃大会では、203飛行隊の戸田一尉が100発中99点という驚異的スコアを記録。視察に来たアメリカ第五空軍作戦部長を驚かせた、といいます。

 ただM61の集弾性があまりに良すぎ、射撃に熟練しないうちはかえって命中率が伸びない、という弊害もありました。照準のわずかなずれが命中数に多大な変化を与えた、とのことです。


 F-104Jで格闘戦は可能か?

 
F-104Jは鈍重な機体ではありませんが、その見た目からなんとなく想像できるように、小回りのきかない機体でした。

 
この欠点を補うものとして、F-104Jパイロットは後縁フラップを離陸位置で固定する「テイクオフ・フラップ」のテクニックが採用されいます。F-104Jのフラップの操作は通常で350ノット(650km)以下に制限されていますが、一度固定すると500ノット(930km)あるいはマッハ0.85まで使用できる特性を応用したものです。

 
しかしながら、F-104の最適機動速度とされるマッハ0.9でフラップが使えないテクニックでもあるそうで、スプリットS機動など増速を招く機動時に迂闊に速度が出せない、という欠点も孕んでしました。

 
元ブルーインパルスの村田博生氏によると高度30000フィート(9100m)の高度域で、マッハ0.9又は計器速度350ノット(650km)を維持すれば、(恐らくフラップを使用せずに)迎撃機として導入されたF-104Jにも「航空優勢獲得のための戦闘機」、らしい動きができる、としています。


 VS F-15イーグル

 
アメリカ空軍がF-15戦闘機の運用を開始すると、さっそくF-104JとのDACT(異機種間戦闘訓練)に投入しています。

 
F-15は非常に強力な戦闘機でありますが、F-104Jパイロットの岩崎貴弘氏はF-15から数回勝利を得ており、自著で戦闘の経過を記しています。

 
岩崎氏がF-15と戦った初のDACTにおいて、先手を取ったのは強力な旋回性能を持つF-15。背後をとられたF-104Jは唯一F-15に並ぶ加速力を生かし、降下しつつ逃走。レーダーの捜索範囲から脱出します。
(どのようにF-104Jがレーダーから逃げたかは定かではありませんが、ビーム機動を用いたか、あるいはF-15のAPG-63レーダー初期型の能力に何かしら制約があったもの、と想像します。)

 
F-15を撒いたF-104Jは、再び発見されないよう彼らの機首の向きに注意しつつ、有利な位置へ回り込みます。この時F-104J側からは「テニスコート」と呼ばれるほどに大きなF-15を容易に視認できたものの、F-15のパイロットからは「鉛筆」のように細いF-104を発見できなかったそうです。

 
しかしF-104JがF-15にロックオンを試みると、F-15はレーダー警報装置でこれを察知。すぐさまF-104Jに振り向くため、なかなか攻撃の機会を得られませんでした。

 
ちなみにF-104Jの警報装置であるJ/APR-1は音声警報が鳴るシンプルなもので、F-15のように瞬時にレーダーを照射された方角を知り得ない者でした。

 
その後、F-104Jは計画していた囮作戦を開始、岩崎氏の僚機がF-15の前に出て注意をひき、その隙きをついて岩崎氏はミサイルでF-15を1機撃墜に成功します。

 
もう1機のF-15は旋回しながら全周の捜索に徹したそうで、2機のF-104Jをもっても手を出せず、そこで時間切れとなったそうです。


 F-104はMiG-25にあらず

 
その後のDACTにおいて岩崎氏は2回に1回はF-15を撃墜した、と語っていますが、空自全体においてF-15撃墜は希な例であった様子。(そうでないとF-15Jを買う予算がつかない。)

 
一方のアメリカ空軍のパイロット達もF-104Jへの認識を改めたそうです。

 
村田氏によると彼らは当初F-104Jを「MiG-25のライブシミュレータ」と見なしていたものの、誤解に気付き「モースト・トラブルサム・ファイター(もっともやっかいな戦闘相手)」と呼びだした、としています。

 
実のところアメリカ空軍はF-104の運用経験が浅く、その速度性能にばかり注意が向けられ、F-104の機動力や低視認性に気付けなかったのです。


 次回はF-104がスクランブル任務中に経験した低速機対応に高々度対応、さらには電子戦など、多用な実務を解説いたします。


 
参考資料

航空自衛隊F-86・F-104(イカロス出版 ISBN978-4-87149-740-4 2005年11月20日)
P90

自衛隊エリート・パイロット(菊池征男他 ISBN978-4-87149-982-8 2007年8月31日)
P61,P77

ファイターパイロットの世界(村田博生 ISBN978-4-87687-245-9 2003年4月18日)
P143~144,P149~150,P165~P176

スクランブル 警告射撃を実施せよ(田中石城 ISBN4-906124-26-7 1997年4月27日)
P106,P126~128

エアマンシップ 消えたファイター・パイロットたち(田中石城 ISBN978-4-906124-14-5 1996年1月18日)
P115~119,P136

世界の傑作機 No.104 ロッキード F-104JDJ 栄光(ISBN978-4-89319-108-3 2004年10月5日)
P24~25,P51~53

最強の戦闘機パイロット(岩崎貴弘 ISBN4-06-210672-8 2001年11月20日)
P101~108