航空自衛隊防空史11
最後の有人戦闘機F-104その1・機体特性解説編
文:nona
今回のF-104J編では「機体特性」「ウエポンシステムと模擬空中戦」「実際に起きた(らしい)スクランブル中の状況」の3編に分割し、F-104Jの活躍を詳しく解説いたします。
航空自衛隊入間基地に展示されるF-104J戦闘機。主翼前縁の赤いラインは「カミソリカバー」であり、鋭利な翼から見学者を保護している。
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航空自衛隊のF-104J「栄光」
紆余曲折をへてFXに選定されたF-104Jは、単座のJ型が210機、複座のDJが20機、計230機が調達され、1963年から千歳基地で任務を開始しました。
F-104のライセンス生産は三菱重工を主契約者に、機体の一部を川崎重工、エンジンを石川島播磨重工(IHI)が担当するなど、多数の企業が生産に参画しています。1965年度の予算で30機を調達した時の単価は4億9600万円でした。
退役は1986年のことですが、この時点で飛行可能な機体も多く、14機が無人標的機UF-104J/JAに改造されたほか、40機がアメリカへ引き渡されています。
引き渡しの理由はF-104J導入時にアメリカ側が負担してくれた費用分の機体を返還する、というものですが、間もなく台湾空軍に移管されました。
運用期間中の事故喪失数は53機、殉死者は21名でした。F-86Fのそれとあまり変わらない事故率ですが、現用機と比べればかなりのもの。パイロットの中には妻子を残して死にたくはないという思いから、個人的な安全制限を設ける者もあったそうです。(後述)
F-104の異名
F-104は奇抜な見た目と飛行特性から、多くの異名を持つ戦闘機となりました。
公式の名前としてはロッキードの名付けた「スターファイター」、空自の公式愛称「栄光」があり、現場の略称として「マルヨン」、見た目を揶揄して「三菱鉛筆」などの呼び名が知られています。(ただし三菱鉛筆は、三菱グループとは提携関係にないそうです)
日本で広く人口に膾炙した「最後の有人戦闘機」の由来は不明ですが、ロッキードは宣伝で「究極の有人戦闘機」「人間付きミサイル」という呼称を用い、当時のロッキード副社長も「これ以上のものは有人では無理」と発言したそうですから、これらが「最後の~」と呼ばれるきっかけを作ったのかもしれません。
また西ドイツ軍におけるF-104Gの事故多発をうけ「未亡人製造機」との呼び名も当時から伝わっていたようです。
余談ですが、作家の三島由紀夫はF-104DJの搭乗記に「F104、この銀いろの鋭利な◯根は..◯起の角度で大空を突き破る」と興奮気味の感想を残していますが、偶然にもカナダ空軍が「The Flying Phallus (男◯を模した西洋のお守り)」という渾名をCF-104に与えています。
F-104にファリシズムを抱く人は意外と多いのでしょう。
高速性能を追求する徹底的な空力設計
F-104は(おそらく)世界初のマッハ2級の速戦闘機ですが、これを達成するため抵抗を極限する設計が採用されました。
その一例として、F-104には非常に鋭利な主翼と尾翼が採用され、最薄部分は0.005~0.010インチ(0.127~0.254mm)しかない、というのは有名な話。ロッキードは翼で野菜や果物を切って見せる様子を宣伝に用いています。
この主翼に限らず、F-104には極端かつ神業的な低抵抗設計が多数採用されたことで、とても滑らかな機体に仕上がり、元パイロットで航空団司令など要職を歴任した安宅耕一氏はF-104の設計を「ゼロ戦」のようである、としています。
(実際のところ、F-104の設計に最も影響を与えたのはMiG-15戦闘機とされていますが。)
傑作エンジンJ79-IHI-11A
F-104JのエンジンはGE社製のJ79-GE-11A、または石川島播磨重工がライセンス生産したJ79-IHI-11Aアフターバーナー付ターボジェットエンジンが使用されました。ミリタリー推力は4536kg、アフターバーナー推力は7167kgで、F-86Fの推力2700kg、F-86Dの推力3400kgを大きく上回ります。
J79をライセンス生産した石川島播磨重工は、戦中からジェットエンジンの開発に携わった企業であり、同エンジンの生産では部品国産化率95%を維持しつつ、GE製と遜色ない信頼性を維持しています。
同社の元社員である石澤和彦氏によると「(パイロットから)どんなに荒っぽく扱ってもびくともしないエンジンである」と太鼓判を押されたそうで、元F-104整備士の高橋喜一氏も「エンジン調整は困難だったようだが、素晴らしく信頼性の高いエンジンであった」としています。
ちなみに、このエンジンは92~94%の回転数時に「ウォーン」あるいは「フオーン」という独特な唸りを上げことで知られ、関係者はこの音でF-104の飛来に気づいたそうです。
F-104の優れた上昇加速性能
F-104は上記の空力設計と高性能エンジンにより、後継機すら凌駕する上昇加速性能を有しています。
その一例としてF-104の海面上昇率は15000m/分ですが、これはF-86Fの2277m/分、F-86Dの3700m/分、F-5の9000m/分、F-16の12000m/分を上回り、F-15の15000m/分に並ぶものです。
また高度35000フィート(10000m)で最高速度のマッハ2.0まで加速した後、45°のズーム上昇へ移行することで80000フィート(24000m)への到達が可能として、高々度から飛来する爆撃機や偵察機の迎撃が可能でした。
なおF-104Jの最高速度は、空力加熱によるエンジン損傷を防ぐために設けた制限であり、実際はマッハ2.0を超えてもなお加速は続きます。F-104JのベースであるF-104Cは、1959年12月14日のトライアルで速度マッハ2.36、到達高度103395フィート(31315m)を同時に記録しています。
高難易度の着陸
卓越した上昇加速性能を持つF-104ですが、その代償として低速性能は芳しくありません。いきおい着陸速度も速くせざるを得ず、当初は安全な着陸に10000フィート(3000m)の滑走路が必要とされました。
改善策として、F-104の後縁フラップにBLC(境界層制御装置 )が装備されました。これは圧縮機の空気を後縁フラップへ吹き付けることで揚力を増強する装置であり、現在はUS-2飛行艇に採用されています。
このBLCとドラッグシュートを併用することで、F-104Jでは8000フィート(2400m)級の滑走路も安全に着陸可能、とされたのですが、これは熟練したパイロットに限るもの。
F-104Jの着陸速度は170~180ノット(315~330km)以下に下げられず、F-86FやF-4EJ、F-15Jと比べると20~30ノット(36~56km)も速いため、パイロットは大変な神経を使ったそうです。
後に経験の浅いパイロットの安全を考慮し、F-104配備基地の滑走路は最終的に9000フィート(2700m)へ延長ししています。ただし程度F-104に慣れたパイロットでも結婚したらプラス10ノット、子供が生まれたら20ノット、とあえて着陸速度を速める者までいました。
F-104Jの壮絶な着陸事故
53機喪失したF-104J・DJのうち、着陸事故と見なせるものは実のところ5機程度ですが、やはりF-104Jの着陸が危険であることに変わりありません。
F-104Jは前縁・後縁双方のフラップが故障した場合、機を捨ての脱出が定められたのですが、脱出が間に合わずにパイロットが死亡する例も記録されています。
それは1973年千歳基地において、滑走路進入中のF-104Jのフラップが左右非対称となり操縦不能に陥り墜落した事故です。パイロットは高度1500フィート(500m)で脱出を試みたものの、十分にパラシュートが開傘できず、地面に叩きつけられ殉職。機体は民家の庭先に墜落、残骸は土中深くまで潜っていたそうです。
また1980年には那覇基地でヒットバリア(F-104J胴体下部のアレスティングフックを滑走路に張られたワイヤに引っ掛けて制動する着陸法で、ブレーキ故障時などに用いる)に失敗、脱出できないまま機体ごと擁壁に激突し、殉職したパイロットもありました。
F-104J時代の戦闘機パイロットは死が常に隣り合わせの世界に置かれていたのです。
次回はバルカン砲を中心としたF-104のウエポンシステムと模擬空中戦について解説いたします。
参考資料
航空自衛隊F-86F-104(イカロス出版 ISBN978-4-87149-740-4 2005年11月20日)
P76~P84
最強の戦闘機パイロット(岩崎貴弘 ISBN4-06-210672-8 2001年11月20日)
P104
自衛隊指揮官(滝野隆浩 ISBN4-06-211118-7 2002年1月30日)
P137
世界の傑作機 No.104 ロッキード F-104JDJ 栄光(ISBN978-4-89319-108-3 2004年10月5日)
P84~91 P94 P113
世界の傑作機 No.93 ノースアメリカンF-86セイバー (文林堂 ISBN4-89319-092-X 2001年5月5日)
P38
戦闘機年鑑2015-2016(青木謙知 ISBN978-4-86320-975-6 2015年3月30日)
P30~31
自衛隊エリート・パイロット(菊池征男他 ISBN978-4-87149-982-8 2007年8月31日)
P52~53 P55~56
エアマンシップ 消えたファイター・パイロットたち(田中石城 ISBN978-4-906124-14-5 1996年1月18日)
P107~108
航空自衛隊五十年史 資料編(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
P259
Wikipedia Canadair CF-104 Starfighter
https://en.wikipedia.org/wiki/Canadair_CF-104_Starfighter
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コメント
あと、途中の伏せ字で思い出したけど、主翼で大根を切って怒られた人が居るらしいというのを何かで読んだ事が。
まさにピーキーといった感じで
手綱を握れればとても優秀な機体なのでしょうね
当時の要撃機としてはピカイチの性能ですねぇ…
これでスパローでも積めたらどうだったんでしょう…
F-104S「呼ばれた気がした」
実際の事例で運用中に整備士がケガしたとかあったんだろうか・・・
イタリア空軍のF-104Sはスパローを運用できるよ。自国産のアスピーデもOKだったはず。
本当にあったとは…
小柄な機体ですけど、アビオニクスやスパローのためのスペースは確保できたのかな?
当時だとF-4レベルの大型機でないとスパローの搭載は難しかったイメージがあります…
意外になんとかなるものなんですね
のにサイドワインダーのみ
まあ爆撃機要撃だからいいのかね
戦闘機の航続距離も短い時代だし
欧州では低空侵攻爆撃に使われたのはその辺もあったのかなあ
高空や低空、速度に応じて空気流入量を調節しないといけないのに低空高空こなしてマッハ2ってのは謎なんだけど
どういう仕組みや理屈になってるの
FCSを換装してハードポイントを付け加えたみたいですよ
具体例は出せないけど、実際にタキシング中の機体と衝突して結構な怪我した
事例があったはず
西ドイツ 916
イタリア 359
オランダ 138
ベルギー 113
デンマーク 51
ノルウェー 45
スペイン 21
欧州正面合計 1,643
ギリシャ 151
トルコ 439
カナダ 238
台湾 282
ヨルダン 33
パキスタン 12
日本 230
注1 戦闘機型と練習機型と偵察機型の合計機数。
注2 再供与・再輸出された中古機もカウントした。
① 同盟国および親米国にしか供与していない。
② アメリカが少数しか採用していないにもかかわらず、広く西側諸国に採用されている。
③ F-5も合わせると、アメリカが少数しか採用していない機体が当時の西側諸国の主力戦闘機だつた。
④ イギリス・フランスが採用していないのは流石。
⑤ 欧州正面では西ドイツとイタリアの機数が圧倒的に多く、NATOにおける両国の地位の高さがわかる(大国だから当たり前か)。
⑥ ギリシャとトルコはキプロス紛争時に中古機を大量に輸入した(特に西ドイツから)。
ギリシャ 100(うち西ドイツから80)
トルコ 344(うち西ドイツから201)
地道な作業だったが、イロイロとわかるもんだ。
F-104Sでは代わりに機関砲を降ろしたとか。
F-104S-ASAではアビオニクスのサイズが小さくなったんで、機関砲を載せられるようになったけど。
本文に記載されたように米国に返還された40機は台湾に再度供与されたのですが、謎の空中爆発により使用中止になり部品取りにされたそうです。
個人的には空自時代の稼働率を考えれば、台湾での整備不良ではないかなと思ってます。
近くの自衛隊員の許可を得て奈良基地の用廃機の主翼で鉛筆を削らせてもらった経験あります
Tー33「尾翼斬られました」
しかし空軍はともかく、どうして西ドイツ海軍はこれを陸攻として採用してしまったんだろう?
あとドイツでの事故多発の件は、運用だけの話じゃなくて、整備や訓練なども全部ひっくるめた問題だった、という指摘もあったりして(海自がアメリカから供与された対潜型TBMを全部ダメにしちゃったようなものだろうか)。
ちなみにF-104は、チップタンクを着けた方が燃費も機動性も上がるんだそうで、特に増槽が必要でもない任務でも、空のタンクだけ着けて飛ぶことが多かったとのこと。
※2
一応この後の第2次F-Xでは、スパローも積めるF-104の発展型が候補になってますな(なおモックアップで終わった模様)。
その件に関しては、結構前にこのブログの読者投稿記事でみたような
翼端にチップタンクが付いていた理由についての記事でした
名前尽きたのかな?
機体へ不可もかかるし危険な地形追従飛行
核爆弾投下後は急激な引き起こしでーの、水平尾翼が高い位置にある事による大迎角での危険性
前衛投影面積の低さからくる非発見率の低下、それと高翼面過重からくる低空飛行時の安定性の高さではないかと。
>>なぜ陸攻に採用したか。
あの時代におけるASMキャリアとして求められる能力を満たしていたのはF-104だけだった、ということなのでは?
まぁ、我らが空自は似たような運用のためにF-104ではなくF-1を開発しましたけど。
まあ、あの機体は低空高速侵入にも向いてるが、トーネードみたいに自動で低空飛べる時代じゃなかったしね。
訓練面では北米の安定した気候で訓練し、欧州に戻った際に環境へ適応出来なかった問題があったと思います。
しかし、この機体は短期間だけですがベトナム戦争に投入された様で、米空軍によるF-104の実戦運用で唯一本来の迎撃任務に使われたとか・・・
個人的に好きな機体です。
まともな装甲の無い戦後の艦船には爆風破片弾頭の方が有効と思うんだけど。
つまり"これ以上無い"という英語の表現だという説を聞きました
本当かは知りませんが
対空ミサイル針ネズミ武装論で英加は戦闘機開発をやめてしまい
F106も自動で迎撃可能なミサイルキャリアーで
F106といえば自動で無人不時着までやってのけたコーンフィールドボマー
マスコミの俎上にはあがらなかった。
軍事のわかるまともな記者たちがおさえていたんだね。
初登場だし、世界観が現代に近いからとっくの昔に引退したはずの戦闘機が何故使われるのか気になるな
このピーキーな機体を早く操りたい
あっ、前にnona氏が書かれてますな(汗)。
F-89みたいな、燃料タンク兼ロケットポッド兼ミサイルランチャーな豪快なチップタンクがまた見たいよお兄ちゃん…。
あとF-5のチップタンクがコークボトルになってるのは笑ってしまう。
※21
この時期にドイツ海軍がF-104以外で導入できそうな機体といえば、アメリカならF-100、F-105、A-4、イギリスならバッカニア(シーホークの後継だからワンチャンありかと思うが、エンジンをスペイに換装するまで使い物にならないのが辛い…)、フランスなら(マイナーだが)ヴォートゥール
……とか考えてて思い出したが、西ドイツ軍は創設以来パイロットの育成をアメリカ空軍に委託しちゃってるから、実質アメリカ空軍機一択やんけ!
ちなみに空軍の話になるけど、エーリッヒ・ハルトマンはF-100推しで、どうやら新生ルフトヴァッフェは第2世代機を扱うには未成熟だと考えていて、実質1.5世代機に相当するF-100で経験値を稼ごうとしたものの、結局F-104で押し切られたとのこと。
このF-104導入については、当時の空軍総監が抗議のため辞表を叩きつける騒ぎにまで発展しているので、
※24
コルモランの弾頭が自己鍛造弾なのは、標的がスヴェルドロフ級やキーロフ級だったからではないかと。
アレのヴァイタルパートは、並大抵の徹甲弾頭では抜けないと思う…。
※30は自分です…(汗)。
※21
このF-104導入については、当時の空軍総監が抗議のため辞表を叩きつける騒ぎにまで発展しているので、ユーザー側としてもこれは望ましい選択ではなかったのだろうなぁ…。
あとアメリカ軍機にA-4を入れちゃったけど、よく考えたらこの時期のアメリカ海軍は大車輪で艦載機の入れ換えをやってるので、1960年に導入するのは無理になってしまう(最も早く導入したアルゼンチンでも1965年から)。
なるほど、とても勉強になりました。
その昔大空戦というゲームでF-104Jは15°で横旋回が止まる超絶ピーキー仕様でしたよ( ´艸`)
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