航空自衛隊防空史X
第一次FX、幻に消えたF11J
文:nona
https://en.wikipedia.org/wiki/Grumman_F-11_Tiger#/media/File:Grumman_F11F_VF-33_1959.jpg
アメリカ海軍のF-11戦闘機。第一次FXにおいて提案されたF-11F-1F(F-11J)の原型となった。
第一次FX
1957年8月22日、永盛義夫一等空佐(旧海軍の技官、1943年に潜水艦で訪欧、ドイツのジェット・ロケットなど兵器技術収集活動に従事。)を長とする空自および防衛庁関係者の一団「永盛ミッション」が渡米します。彼らの任務は次期主力戦闘機導入計画「FX」の候補機調査でした。
当時の日本ではいまだにF-86Fの生産が続けられていたものの、欧米やソ連の戦闘機の進歩は著しく、1958年から開始される第1次防衛力整備計画内で、新機種の導入が望まれたのです。
当初のFX候補は以下の4機種です。
・ロッキード F104Aスターファイター
・コンベアF-102デルタダガー
・ノースアメリカンF100D(またはJ)スーパーセイバー
・ノースロップN156F(後のF-5タイガーⅡ)
取得に要するとされた約1000億円の費用の一部をアメリカからの資金援助に頼る都合(1960年4月15日に日本698億円、アメリカ270 億円の分担と定められた)、欧州機のライトニングやミラージュ、ドラケンなどは選定対象となっていません。
また上記の4機首に加え、調査団随行員のスタージェス中佐およびアメリカ国防総省からの提案で
・グラマンF11F-1Fスーパー・タイガー
が現地で候補に加わりました。
F11F-1Fはアメリカ海軍のF-11戦闘機のエンジンをF-104Aと同じJ79-GE-3に換装した機体で、最高速度はマッハ2.04。エンジン換装の代償として着艦性能や航続性能が低下し、海軍からの採用をえられなかったものの、陸上機としては許容範囲内であり、カナダや西ドイツ空軍に提案されています。
なお、日本国内の各雑誌は候補機の性能一覧を上げ比較優劣を論じ、下馬表を掲載していますが、一番人気はF-104でした。
FXはF11F-1Fに
永盛ミッション帰国から半年後の1958年4月14日、防衛長官から関係各所へ、FXの決定が伝えられます。FXに選ばれたのは、なんとダークホースのF11F-1Fでした。
航空自衛隊史の解説による、各候補機の評価は以下のとおりです。
「F-102は、速度、滑走路長、整備、補給の困難性などから除外する」
「F-100Dは、要撃性能の点からは将来性に乏しく適当でない」
「F-100Jは、同じく要撃性能の点からは将来性に乏しく適当でない
「F-104Aは、上昇性能で優れているが、行動半径、多用途性、安全性の観点から適当でない」
「N-156F(F-5)は、小型軽量で所要滑走路が短く廉価であって、日本の特殊性に合致する点が多いが、性能において若干不満足な点がありかつ生産リードタイムが長い。」
「F11F-1Fは、各種要求性能を満足し、安全性が大、多用途性に富み、滑走路も短く、用兵上及び我が国の事情にも比較的満足かつ適合している。米海軍とも制式化の計画がないが将来の防空体型上最も広く活動できるので、他機に比べ必ずしも廉価ではないが最も適当と判断する。」
巷で最有力候補とされていたF-104Aは行動半径、多用途性に加え「安全性の観点」から、採用を漏れています。この時点でF-104Aには、安全面の欠陥が数多く残されていたのです。
これをについて何点か挙げるとするなら
・下方射出座席が低空の緊急脱出を困難にしている(当時の射出座席の能力では高速時の脱出でパイロットが尾翼に衝突する懸念があった)
・翼面荷重が高く、着陸性能が低いため、1万フィート(3000m)もの滑走路を必要とした
・過剰なピッチアップ特性とT字尾翼が失速の危険を高めていた
不正事実あり?
ひとまず採用が決定がされたF11F-1Fは、1958年8月中に来年度予算に盛り込もうと、各所に働きかけがなされていました。
しかし、8月22日の衆参双方の院決算委員会において「防衛庁の戦闘機購入に不正事実あり」との議論が発生。
この論争の間もしばらくはF11F-1Fの準備が続けられ、11月にアメリカにおいてF-11Jの初飛行がなされたものの、国内の議論が紛糾したことで予算が承認されず、導入計画は延期となりました。
この騒動をうけ、1959年に左藤、伊能防衛庁長官と佐薙毅航空幕僚長が相次いで辞任、さらに証人喚問へ発展したものの、「不正」について明確な証拠は上がりませんでした。
(事件の真相は「政治的」な話になるため、この場での言及を避けます。)
源田調査団によるFX再調査
1959年8月8日、白紙となったFX選定やり直しのため、源田実航空幕僚長(旧海軍の航空部隊指揮官で航空自衛隊の育ての親と言われる)や木村秀政教授(長距離飛行試験機A-26の設計者。三菱の堀越二郎、川崎の土井武夫とは帝大航空学部時代の同期)など9名からなる「源田調査団」が渡米します。
源田調査団は国内では「もっとも権威のある調査団」とふれこみがなされ、アメリカ筋からも「世界で出した調査団の内、最も長時間かつ最も熱心に、しかも(源田空幕長が)全機種をのりこなした。こういう調査団は来たことがない」と語られました。
この時の候補となったのは、以下の4機種です。
・F-104C
・グラマンF11F-1F改(F-11J)
・ノースロップN-156F
・コンベアF106
うちF-104Cは2年間の間に安全性が改善され、性能もわずかに向上していました。A型からの主な改善点は以下の通りです。
・尾翼を安全に飛び越せるロッキードC-2上方射出座席への換装
・境界層制御(BLC)による着陸時の揚力増強
・自動ピッチ制御(APC)による危険なピッチアップの抑制
・エンジン換装による推力と信頼性の向上
・若干の航続距離延伸
FXはF-104に
源田調査団による2カ月半の調査の後、防衛庁はFX決定の庁議を開きます。ここにおいてF-11Jの完全撤回と、F-104Cをベースとする新型機の導入が決定。11月6日の内閣国防会議(後に安全保障会議、さらにNSCへ発展)において追認されています。
ただし、庁議は約2時間、あるいは1時間程度とされ、どちらにしても1年前の論争と源田調査団の熱心な調査を思えば、あまりにあっさりとしたものでした。決定を急いだ理由は防空体制に穴を開けないため、と好意的と捉えることもできる一方、出来レース ではないかという疑惑の種となってしまい、防衛庁は再び厳しい追及をうけています。
当時の国会議事録によると、辻政信議員が「一時間やそこらで庁議を決定するということは、一千億の買い物をする主任者として不謹慎きわまると思わぬですか。」と防衛庁長官に質門したようです。
また社会党の矢嶋三義議員からの、F-104の安全対策や性能を含めた妥当性を疑う質問に対しては、航空幕僚監部技術部技術第一課長の高山捷一氏(旧海軍航空技術士官で、零戦など航空機の開発審査・設計を担当)が応答しています。
高山氏は戦闘機の専門家でありますが、源田調査団には同行しておらず、また超音速機が未知の装備である、といった事情から回答に苦労したようです。
もっとも政財界の影響があったためか、F-104の決定が覆ることはなく、1960年4月15日に国産化が正式に決定、技術、政治双方の難関を乗り越え、1963年には戦力化に至り、航空自衛隊の主力戦闘機となりました。
一方、FX選定の疑惑はうやむやにされてしまい、以後の装備導入でも再び不正が起きる原因ともなっています。一例としてBADGEシステム導入時の受注競争においてもキックバックが疑われています。
さらにロッキード、グラマン両社も、世界各国で不正な手段を用いるようになり、1970年代にロッキード事件、グラマン事件として顕在化するまで、この傾向が続きました。
次回は最後の有人戦闘機ことF-104J戦闘機について解説いたします。
参考資料
航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
P161~165
戦闘機屋人生 元空将が語る零戦からFSXまで90年(前間孝則 ISBN978-4-06-213206-0 2005年11月29日)
P158~160、P201~208
戦闘機屋人生 元空将が語る零戦からFSXまで90年(前間孝則 ISBN978-4-06-213206-0 2005年11月29日)
P46~48、P201~208
国会図書館
第033回国会 内閣委員会 第4号 昭和三十四年十一月十九日(木曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/033/0388/03311190388004a.html
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コメント
現在は否定されているらしいけど。
あと機関砲載せないでミサイルだけのもこの時代だったかな?
親戚か何か?
アメちゃんが板付のF-102をあげるよって言ったのを断ったり、板付配備のF-100に対する "戦闘爆撃機"発言がなければF-100で決まってたでしょ
この時点でさえ性能の限界言われてたのにF5ごり押ししてた某天皇の恐ろしさよ
※2
最近でも台湾とか豪州で結構……
分かりやすい記事あるのでドゾー
ttp://hbol.jp/113278
まあ、本邦の場合は逆の意味でやらかした住重と言う例もあるけどな!(白目
※4
ナム戦でミサイルの性能とIFFの限界が露呈するまでなので
ちょうどこの辺りからF4までやね。
同じくJ79に換装したクルセイダー3の高性能ぷりを考えると
F106がよかったなあ
諸事情により無理だろうけど
F11は採用されてるよ
運用期間は短かったが
しかし運動性の高さからブルーエンジェルスでは長期間使用された
選定も一筋縄ではいかなかったんだろうな
もしこの機体が採用されてたら…ってロマンがある
前に映画で観たけど、丹波哲郎が一目で誰だかわかるくらいそっくりで笑った覚えがある。
あと劇中のF-11のサンプル模型がF-111になっててズッコケたり。
この時期の源田実の異常なノリの良さがたまりません。
なんかF-11以外制空能力に不安のある面子ばかりなんですが、この時期はアメリカ空軍は、制空能力そっちのけで戦略爆撃機をぬっ殺すことに熱中していたので仕方がない。
迎撃管制システムがまだなく、さらにソ連のTu-96に対抗するのであれば、空軍機から選ぶなら実質F-104一択だったというのが、第1次F-Xの評価でしたな(F-11は海軍機なのが嫌われたんだったかな?)。
真正面見えないけど
あれでどうやって格闘戦の訓練やってたのか謎いが
ともかくセンチュリーシリーズはみな半端だな
この時代、要撃機としての機体性能ならライトニングが一番であったろうがこっちも運用面は半端であるか
やはりF106
アメリカ「これF-11Jの開発に掛かった予算の請求書ね」
日本「え?」
日本「じゃあF-104Cで」
アメリカ「え?」
人類文明の慣習ですわ
時代を考えればまだまだ「現役」だったんですよね うーむw
当時の国会議事録に
FX各機を12の観点で比較した
説明が記録されています。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/033/0388/03311170388004a.html
興味深いのが七番目に挙げられた
「偵察および地上戦闘協力(対地攻撃)」の比較で
長官いわく
「低高度における一般操縦性は98J―11(F-11改)がすぐれており」
「射撃時における操縦性ではF104Cが98J―11よりまさっており」
「F106は両者の中間に位しております」
とのこと。
NF-156(F-5)は開発中ということが関係しているのか、
上記の評価に含まれていません。
FXは純粋な迎撃機の役割のみならず
西ドイツやカナダのように
マルチロールに使うことを考慮されていたようです。
実弾合戦、政治力合戦が起きようがないな
米軍の採用時点で決着がついてる
>現在は否定されているらしいけど。
1997年に出たNaval Fighters 40 Grumman F11F Tigerという本には
被弾箇所の写真、弾道図などが掲載されてますよ
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