飛虎将軍廟と日本統治領時代の台南建築物群(軍事色は薄め)
文・写真:nona
清泉崗基地の飛行展示が途中で中止となったため、予定を繰り上げて台中市から台南市へ移動。台南市の飛虎将軍廟を見学して参りました。
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台中駅から台南駅までは特急電車で2時間ほど。車内で排骨弁当を頂きました。
こちらは台南駅。
台中駅と同じく、日本統治領時代に築かれた駅舎ですがこちらは、鉄筋コンクリート造。台中駅がミニ東京駅なら、台南駅はミニ上野駅、といった趣です。
この台南駅から将軍廟までは、路線バスで30分ほど。
バス停近から数百メートル北西に進むと将軍廟があります。反対側のファミリーマートが目印。
こちらが飛虎将軍廟こと海尾陳安堂。太平洋戦争中に台湾で亡くなった、零戦操縦士の杉浦茂峰氏を祀る不思議なお堂です。
日本人参拝者のための説明文や、日本の新聞の切り抜きが掲示されています。掲示物のほとんどは日本語でした。
こちらが本尊。賽銭を入れると管理人のおじさんが線香を立ててくださいます。
左の写真は1971年に造られた最初のお堂で、右の写真は祀神の杉浦茂峰兵曹長。
こちらは、杉浦兵曹長をモチーフとした力強いイラストや来歴など。杉浦茂峰兵曹長は1923年に茨城県水戸に生まれ。海軍の丙種飛行予科練生から操縦士となり、1944年10月12日に台湾で戦死されたそうです。享年20歳。
杉浦兵曹長が台南の霊廟で特別に祀られている理由ですが、これはパンフレットや広報サイトに詳細が記されています。
現地では漫画形式のパンフレットを頂戴したので、一部を抜粋して紹介いたします。地元の小学校の先生が描いたそうです。
一部引用という形で掲載しますが、全文はインターネットで一般に公開されています。(http://takasago-dp.com/hikosyougun)
1944年10月12日、台湾や沖縄、フィリピンに対しアメリカ機動部隊が接近し、日本軍基地へ攻撃を開始しました。アメリカ軍の目的はフィリピン上陸に向けての制空権と制海権の掌握。数日間続くことになるこの戦いは「台湾沖航空戦」として知られています。
このとき杉浦兵曹長は、第二〇一海軍航空隊所属の操縦士として零戦三二型に搭乗し、アメリカ海軍機を迎撃します。ところが、F6F戦闘機との交戦で機体が損傷。
乗機が墜落の危機に陥いるものの、杉浦兵曹長は家屋に機体が落ちないよう、集落の外まで場所まで操縦し続けます。
そして乗機が集落から遠ざかったところで、自身も脱出に成功します。ところが、
米軍機は杉浦兵曹長の落下傘を攻撃し、彼は不運にも墜落死。彼の遺体は靴の名札から杉浦兵曹長であることが確認され、死後に少尉へ昇進しました。
戦争が終わって数年後、海尾集落では幽霊の目撃や、夢枕に若い日本人士官が現れた、という噂が流布。
ちなみに1948年からの数年は、国民党政府によって旧来の台湾住民が弾圧されていた時期でもあります。この反動で日本時代を懐古する風潮が生まれたといいますが、こうした世相が噂の源かもしれません。
幽霊の噂は、かつて命を懸けて村を救った杉浦兵曹長と結びつき、彼を祀った最初のお堂が1971年に完成しました。
さらに1993年には、現在の煌びやかな廟が築かれました。なお飛虎将軍廟の飛虎とは戦闘機を意味し、将軍は杉浦兵曹長への尊称とのことです。
命を犠牲にしてでも海尾の村を救おうとした杉浦兵曹長、現在では地元の守り神として、地元住民により手厚く祀られていました。
日が暮れた後には台南市街も観光して参りました。写真は日本式料亭の「鴬料理」。元は大正年間に造られた料亭でしたが、最近まで廃屋のようになっていたものを、最近になって再整備したものです。
旧台南測候所。1898年に完成した台湾の5つの測候所(気象観測施設)の一つ。円形の建屋に風向観測用の棟が設けられています。
国立台湾文学館(旧台南州庁)。1916年に落成し、現在は日本や台湾の文学作品を展示紹介する博物館となっています。このあたりは日本時代の建物が多く、修復工事中の建造物もありました。
林百貨店。1932年に落成した日本系の百貨店です。関東大震災後の建築であるため、台南駅のように鉄筋コンクリート造ですが、無機質な外壁になることを避けて、外壁に波型タイルが張られています。これによって日本でも見られない不思議な見た目をしています。
林百貨店の店内。売られているものは台南市の工芸や林百貨店のオリジナル商品など、オリジナル商品。客層は観光客が中心ですね。
5階にはカフェ、6階は食堂。美しすぎてかえって入りづらい。日本のデパートでも、一部分に開業当時の面影を残しているお店はあれど、開店当初の姿を完全に再現しようとしたのは台南の林百貨店だけかもしれません。
林百貨店屋上から。写真は台湾土地銀行(旧日本勧業銀行台南支店)の建屋です。これも日本統治領時代の1937年に建設されたものですが、現在も銀行として使用されています。
林百貨店の屋上。なお、林百貨店も戦争とは無縁ではなかったようで、1945年の空襲被害の跡や、戦後の一時期に置かれていた対空機銃の基部が残されています。
今回は日本建築を中心に紹介したことで、台南が浅草上野のような街に見えたかもしれませんが、台南にはオランダ、鄭氏、清朝時代の歴史的建造物も多数が保存されています。しかしながら、1日では到底回り切れないのが悔やまれるところ。
参考水戸市 「飛虎将軍」故杉浦茂峰氏について<http://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000284/bunka/p015801.html>
台湾 四百年の歴史と展望(伊藤潔 ISBN978-4-12-101144-2 1993年8月15日)
台湾を知るための60章(赤松美和子 ISBN978-4-7503-4384-6 2016年8月25日)
飛虎将軍廟パンフレット<http://www.hayashi.com.tw/page.asp?nSub=A8A000&lang=J>
海尾陳安堂飛虎将軍<http://www.hikoshogun.org>
林百貨店<http://www.hayashi.com.tw/page.asp?nsub=A8A000&lang=J>
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コメント
鄭成功はネタとして面白いと思うんだが、江戸時代以来ついぞ小説化や映像化されないな
読んでみよう
台湾はノービザ・LCCアリ・宿代安等非常に行きやすいですよね!
見所も多いしいざとなったら新幹線(!)でも移動出来ちゃう!
ワシの台湾高雄/台南の思い出
・台湾の空港降りて乗ったタクシーでソッコー「日本語でいいですよ」って言われた
(割りと流暢に英語喋ったつもりなのに「仕草で分かる」とか言われてワシ涙目)
・レンタカー借りたら日本語ナビが付いてきた
・路地裏で煙草吸ってたら「火貸して」と日本語で(ry
・観光地は日本語併記余裕(日本人多いからね
・駅の広告が日系企業
・駅の注意書きが日本化(萌えキャラ
・しかもジョジョネタ(貴様・・見ているな!
そういや香港でも日本語表記は滅茶苦茶多かった記憶がありますがどうでしょう?
レストランのメニューから道案内図まで・・一時期日本人観光客が多かった影響らしいですが
香港、台湾は比較的安く旅行出来て治安も良いので皆さんオススメですよー!(温かいし
(人生初海外旅行、ハワイ空港で最初に目にした物が漢字の「出口」だった時は泣けた)
近いので行きたい誘惑に駆られますね。(笑)
行けるなら雑誌で読んだ旧軍に参加し散った高砂族(だったかな?)の慰霊碑を訪れたいですね。また台湾もそうですが外国で大なり小なり「日本」に出くわすと嬉しいのと「ホッ」としますね。(笑) それと無知ゆえお許し頂きたいのですがnona様は大陸側にも行かれていますが台湾入国時に尋問など何も問題無いのですか? 一応行き来出来るとは言え敵対国?同士ですが。
歌舞伎の狂言に「国姓爺合戦」という演目がありますよ。近松門左衛門作で18世紀の初め頃に初演、現在でもしばしば上演される人気狂言で、鄭成功を主人公にしたスペクタルです。鄭成功は鄭芝龍と日本女性との間に生まれた子供で、明帝から国姓である「朱」を下賜されたところから、人びとはかれを「国姓爺」と呼びましたが、鄭成功は最後まで鄭姓を名乗ります。意外にも当時の日本人にとって鄭成功は身近な存在だったのですな。
釈迦に説法ですが、台湾がライセンス生産したペリー級フリゲートの一番艦が彼の名前なのは有名で、今も鄭成功は台湾の英雄なんですな。(一応アリバイ的に軍事ネタをを入れときました)
印象的だったのが、軍人の紹介のところに最近墜落死したテストパイロットが紹介されてたことだなぁ。台湾語読めないから詳細わからなかったけど。あと、台湾の国会の周りにハンヴィーが何台も止まってて、T91自動小銃で武装してた制服軍人?警官が正門前に何人も配置されてたの見て日本と外国の違いを感じた。
台湾には日本の軍艦(第三十八号哨戒艇)を祭った鳳山(紅毛港)保安堂とかあるみたいだし、日本統治時代に住民の教育に辺力した警察官東石富安宮を祭っている東石富安宮というのもあるみたいね。
ウィキペディアで見ると「日本情結」という言葉もあり、近代まで中国皇帝からは「化外(けがい)の民」とされ良くも悪くも独自の風習・文化を残し、その後も中国・日本・アメリカと国際社会の荒波にもまれた台湾の人々にとってはこういった一つ一つの事が大事だったんだろうな~
ネの字様
全く問題ありませんでした。けっこう大陸中国の方もいらっしゃいましたよ。
>全く問題ありませんでした。けっこう大陸中国の方もいらっしゃいましたよ。
そうなんですか。一応敵対国同士なんで入国関連は厳しいのかと思いました。
空、海戦で時に緊張があるトルコとギリシャ的な関係なんですね。
てっきり中東某国の様に入国スタンプ問題で時に国境で6時間くらい1対3等で
缶詰状態での尋問など色々めんどくさいのでは?と思っていました。(笑)
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