香港海防博物館 屋内展示編

文・写真:nona

最終回は香港海防博物館・屋内展示の紹介です。

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 今回の訪問日は特別展として中国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の特別展がありました。ちなみに映画「ラストエンペラー」で溥儀を演じたジョン・ローンは香港出身の俳優です。

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 ソビエト抑留時代に溥儀が描いたとされる漢字アート。

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 釈放後に溥儀が56才で再婚した際の婚姻証。相手は李淑賢という(おそらく)一般の女性。溥儀は最後の結婚から5年ほどで亡くなられています。「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」という訳ですが、溥儀の為人が垣間見えた興味深い展示でした。

 
ただ特別展のせいで、常設展のスペースが一部撤去されたのが残念です。アヘン戦争ごろの展示がありませんでした。

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 一方で1941年12月の香港の戦いはしっかりと展示されていました。

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 日本が香港への攻撃を開始したのは1941年12月8日の佛暁。陸軍航空隊が香港の啓徳飛行場を、海軍航空隊は翌日に残存艦艇を爆撃し、さらに海上を封鎖。制空権と制海権を確保すると、日本陸軍は香港・新界へ侵攻を開始しました。総勢約40000名。

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 日本側の武器と装備など。入営祝いの幟や陶製手榴弾など、香港戦と関係なさそうなものもありますが。

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 拳銃など。

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 対するイギリス側の装備。

 
香港におけるイギリス軍の総数は約12000名ですが、その中にはカナダ兵や、インド兵、香港市民からなる義勇防衛隊も含まれていました。

 
戦力の質と量で劣勢であったイギリス軍は、九龍半島山間部にあるジン・ドリンカーズ・ライン(ジン呑みの防衛線)に籠城。

 
このジン・ドリンカーズ・ラインには「東洋のマジノ線」という強いのか弱いのかよくわからない綽名もありましたが、日本側は日露戦争における旅順戦の再来を危惧し、むやみな前進を躊躇します。第一次世界大戦の青島の戦いのように、時間をかけて敵の戦力を砲爆撃で削いだ後、攻略する構えでした。

 
ただし、長期戦となれば背後から中国国民党軍や抗日組織の逆襲をうける可能性もあります。イギリス側も中国からの援軍に懸けていたのかもしれません。

 
ところが12月9日の夜、日本軍の先行部隊が防衛線の穴を発見し、翌日までに突破されてしまいます。これは現場指揮官の独断でしたが、これに慌てたイギリス軍は部隊を九龍から引き揚げ、狭い香港島に逃げ込んでいます。

 
しかし九龍・香港間のヴィクトリア港には「雑魚一匹通れないほどの機雷源」となっており、容易に渡海できませんでしたから、そこで14日未明と18日に香港島の九龍川にある要塞施設および残存艦艇に対する砲爆撃を加え、先に戦力をそぐことにしました。また15日と17日に軍使を送り、「武士道と騎士道を説いて」市民の救済を名目に降伏を促しています。

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 しかし、ヤング香港総督は降伏勧告を拒否。日本陸軍は18日の夜、歩兵第229連隊の決死隊を香港島へ上陸させます。上陸地点はこの博物館のすぐ傍。この戦いでインドのラージプート連隊、カナダ・ウィニペグ連隊、香港義勇防衛隊が投入されますが、229連隊はこれを突破。

 
なお大本営はインド兵の差別問題に触れ「印度兵を最も危険な最前線に立て、英国兵は後方陣地で之を督戦した」と宣伝しています。

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 このジオラマは12月24日夜の香港島・赤柱村(スタンレー半島)の激戦を再現したもの。機関銃は二線級の.303口径ビッカースMark1機関銃、銃手は義勇防衛隊の第二中隊。銃も銃手も二線級の部隊でした。

 
彼らはイングランド・ミドルセックス連隊と共に日本軍を迎え撃ったものの、日本側は戦車(型式は不明)を投入し、敗北を喫しています。

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 なおキャプションは24日夜の戦闘を”they went on the rampage, killing and raping(彼らは殺戮とレイプに駆り立てられた)”とあります。実際におきた事件なのか、それともイギリスの宣伝か。

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 12月25日、クリスマスにイギリス軍は降伏。16日の戦闘の死者は大本営の発表では日本の死者675名、イギリス側によるイギリス戦死者は2113名。

 
この戦いの後大本営は「19世紀依頼世界制覇を誇ったイギリスが、初めて他国の勢力によって領土を喪失した」としてイギリスによる香港および中国進出の終焉を宣伝。

 
イギリス軍捕虜9000名は深圳の捕虜収容所に、イギリス・アメリカ・オランダの市民2700名は赤柱の収容所に抑留されました。

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 また捕虜の一部が日本の工場や炭鉱に移送されたものの、彼らを運んでいた「りすぼん丸」が1942年9月、アメリカの潜水艦グルーパーの攻撃をうけ沈没。1800名の捕虜のうち生還した者は724名でした。

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 香港市内は日本の統治下におかれ、英語の使用を禁じたほか、地名は日本式に変更されました。

 
また住民生活は貿易の停止、軍票の乱発とインフレ、燃料と食糧の欠乏で困窮。特に食糧は配給制となり米は当初は一日243g配給されていたものが、1943年2月には121.6gまで減量されています。

 
市民はキャッサバ粉を代用食として、時には落花生の殻や木の根まで食べて命を繋いだとか。

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 日本の圧政に耐えかねた香港住民の一部は中国本土にわたり、抗日組織である港九独立大隊を結成。日本軍にゲリラ戦を仕掛けます。

 
同組織は日本占領地域で孤立した同盟国人の救出にも尽力し、非公式ながらイギリス人20名、アメリカ人パイロット8名、さらにデンマーク、ノルウェー、ロシア人を救出。

 
特に著名な活躍が1943年のカー中尉(Donald W. Kerr)の救出劇。中尉はフライングタイガースを前身とするアメリカ陸軍第14航空隊の戦闘機パイロットで、日本は3000名で中尉を追跡したものの、港九独立大隊の協力で逃げおおせたそうです。

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 時代が下って1997年7月1日の香港返還と人民解放軍の進駐の展示。

 
平和的に進んだ香港の返還プロセスですが、イギリスとしては、1997年以降も香港中心地域に限って主権を維持したい、と考えていました。

 
これはイギリスが清国政府から期限付きで租借したのは新界(ニューテリトリー)と呼ばれる九龍半島と周辺の島々で、香港島と九龍半島の先端部は、南京条約と北京条約で割譲されたものであるから返還は不要、という見解によるもの。

 
これを中国政府に承認してもらうため、サッチャー首相はフォークランド紛争直後の1982年9月、北京で鄧小平主席と会談。

 
しかし鄧小平ら中国政府は南京・北京条約の無効と主張。両条約はイギリスが不当な理由で始めたアヘン戦争とアロー戦争の結果、清国政府が強要されて調印したものだったからです。

 
さらに鄧小平らは、時が来たら香港全てを必ず回収する、と返答。実力行使の有無までは示さなかったものの、香港は水と生活物資のほとんどを新界と中国本土に依存していましたから、中国による兵糧攻めに対抗できないことは明らかでした。

 
結局サッチャー首相も香港全域の返還を認めざるを得なかったのです。イギリスと中国のパワーバランスの逆転を象徴するものでした。

 
なお、サッチャー首相の回想によると、フォークランドの勝利もかえって交渉でマイナスに働いたとか。直近の領土問題を武力で解決したことが、中国側を無用に警戒させてしまったからだとか。

 
また会談の期間中、サッチャー首相が北京の人民大会堂でつまずくハプニングもありました。マスメディアは交渉の失敗による心労が原因と分析していますが、サッチャー本人いわく「訪問日程がぎっしりで疲れる旅だった」そうです。

 
訪問日程がぎっしりなのは私も同じですが、愉快な旅ではありました。次回に備え、情報収集をしっかりしておきたいと思います。

 
最後に香港市街について少し紹介。

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 香港の流行は日本と変わらないようで、流行りのゲームの街中にはがあります。

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 流行の映画も上映しています。

 
香港のサブカルチャーはまた旺角( ネイザンロード )という繁華街の周辺に集中しており、この近辺に模型店、ミリタリーショップ、書店、アニメグッズ店などが集まっています。雰囲気は秋葉原と上野アメ横をミックスしたような感じ。

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 模型店。何件か見かけたもののドラゴン模型は置いてない店のほうが多かった。日本製品ばかりです。ちょっと残念。


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 トイガンショップ。日本では見かけないメーカーの品がありました。たぶん日本で買うよりも安いと思います。

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 中には午後13:30分開店という殿様商売なお店も。通販が中心なのかもしれません。物価は高めではありますが、小さな香港でもミリタリー趣味に困らず楽しめそうです。


参考資料
香港海防博物館パンフレット
そうだったのか!中国(池上彰 ISBN978-4-08-746545-7 2010年4月30日)
ぶらりあるき香港・マカオの博物館(中村浩 ISBN978-4-8295-0567-0 2012年12月20日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
世界の「戦車」がよくわかる本(齋木伸生 ISBN978-4-569-67338-7 2009年10月19日)
学研の大図鑑 世界の戦車・装甲車(竹内昭 ISBN4-05-401696-0 2003年4月1日)
大東亜戦争勝利の記録(原田杏太郎 1942年3月9日 新紀元社発行)

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