日本海軍、地中海を往く 第2回 出港は公然の秘密

文:nona

 1917年2月10日に閣議決定された日本海軍艦艇の欧州・地中海派遣。海軍では一足早く2月7日に第二特務艦隊の編制を決定していました。[1-1]

旗艦 巡洋艦明石(1898年進水、排水量2800トン、速力19.5ノット、兵装:6インチ砲2門、4.7インチ砲6門、小口径砲12門、魚雷発射管4門)[2-1]

第十駆逐隊

樺型駆逐艦 梅、楠、桂、楓(1915~1916年進水、公試排水量665トン、全長82.29m、全幅7.32m、速力30.0ノット、兵装:12センチ砲1門、8センチ砲4門、魚雷発射管2基4門)[2-1]

第十一駆逐隊

樺型駆逐艦 松、榊、杉、柏(第十駆逐隊と同型)[2-1]

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日本海軍地中海遠征秘録よりP58
第二特務艦隊の初代旗艦となる巡洋艦明石。右上は三宅大太郎艦長。


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 旗艦を務めた巡洋艦明石は須磨型巡洋艦の二番艦として、日清日露戦争の間ごろに建造された防護巡洋艦です。当初は第二特務艦隊の旗艦は巡洋艦矢矧(1910年就役、排水量5000トン、速力26ノット)が引き受ける予定でしたが、派遣準備中にインド洋でドイツの仮装巡洋艦が出現した為、矢矧は第一特務艦隊としてインド洋・モーリシャスへの派遣に変更され、代わりに明石が旗艦となりました。[1-1]

 明石は矢矧より旧式低速でしたが、地中海での明石の仕事といえば港から駆逐艦の指揮をとることで、艦の性能は問題にならなかったようです。ただし小さすぎた為か、半年ほどで後任の大型艦に旗艦を譲っています。

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http://www.navypedia.org/ships/japan/jap_dd_kaba.htm

派遣された樺駆逐艦樺。形状の異なる3本煙突が特徴。

 明石の指揮のもと、海上護衛の主力となった艦が8隻の樺型駆逐艦でした。同型は第一次世界大戦下の不測の事態に備えるために、短期間で建造された戦時量産型です。1隻の起工から竣工までの期間は最短の樺が3カ月5日、最も遅い楠でも5カ月3日。さらに機関も失敗がないよう、あえて旧式のレシプロ機関を採用しています。またフランスからの要請で同型艦が12隻建造され、アラブ級駆逐艦として運用されています。[4-1]

 ただしその大きさは現代の駆逐艦とは比べ物にならないほど小さく、全ての駆逐艦で搭載艇を波にさらわれる事態を経験するなど、波浪にも脆弱でした。また当時艦内に余分な空間は存在せず、士官といえども、昼に長椅子や事務机まで夜にはベッドにしていたほどです。[5-1]

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日本海軍地中海遠征秘録P57より
第二特務艦隊司令佐藤皐蔵少将

 以下は明石に置かれる司令部の方々です。多くの方に駐英経験があり、英語でのコミュニケーションに万全を期していたことが窺えます。

司令官
佐藤皐蔵少将(戦艦扶桑の初代艦長、イギリスに駐在経験あり、大戦時は教育本部第2部長として地上勤務。特務艦隊解散後は砲術校長、大湊要港部司令を歴任。)[2-2]

主席参謀
岸井孝一中佐(青島作戦に参加後、イギリスに駐在。後に海軍潜水学校校長となる)[2-3][3-1]
任期1917年2月~1918年11月

安藤昌喬中佐(イギリスに駐在経験あり。後に飛行機操縦技術を習得し、海軍航空本部長となる)[2-3][3-2]
任期1918年11月~ 

兼任参謀
坂野常善中佐(後に海軍省軍事普及部委員長となるが、親欧米・軍縮派で対米避戦論を展開し34年に罷免される)[2-3][3-3]
任期1918年1月~1919年4月

中田操 大尉(詳細な経歴は不明)[2-3]
任期1919年2月~

参謀
藤沢宅雄大尉(後に特務艦間宮艦長。詳細な経歴は不明)[2-3][3-4]
任期1917年2月~1917年9月

福永恭介大尉(後に少佐で海軍を退役し、少年倶楽部等で海洋戦記小説を発表する)[2-3][3-5]
任期1917年10月~1918年5月

近藤英次郎大尉(第十一戦隊司令官として日中戦争に従事し、1943年に衆議院議員となる)[2-3][3-6]
任期1918年5月~1918年10月

岩村清一大尉(イギリスに駐在経験あり、太平洋戦争時は第2南遣艦隊司令長官となる)[2-3][3-7]
任期1918年10月~ 

副官
山本清 大尉(山本権兵衛の息子。イギリスに語学研究で駐在、後にロンドン海軍軍縮会議に全権随員、貴族院伯爵議員となる)[2-3][3-8]
任期1917年11月~1918年3月

山村實 大尉(詳詳細な経歴は不明)[2-3]
任期1918年3月~

艦隊機関長

平岩鉅 機関大佐(詳細な経歴は不明)[2-3]
任期 1917年2月~1918年11月

水谷光太郎 機関大佐(詳細な経歴は不明)[2-3]
任期 1918年11月~

 余談ですが、第二特務艦隊の任務には欧州大戦の視察の側面もあり、この経験を活かして派遣後に潜水艦畑や航空畑に進む人、国際協調を重視し軍縮を訴える人もありました。中には福永氏のように児童小説家に転向する人もありましたが、人それぞれのやり方で海軍や日本に影響を与えていったのでしょう。

 また地中海遠征秘録にその名はないものの、山口多聞や小沢治三郎も司令部付で第二特務艦隊に派遣されていました。

(駆逐隊司令と各艦長につきましては後ほど紹介いたします)

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日本海軍地中海遠征秘録P75より
第二特務艦隊司令部の集合写真

 第二特務艦隊は2月7日の編成と2月10日に欧州・地中海派遣の閣議決定の後、大急ぎで出港準備が開始されました。佐藤指令はこの間に加藤海軍大臣、島村速雄軍令部長、寺内総理大臣に外務大臣、英国大使を歴訪し、艦隊の活動方針の訓示を受けています。島村軍令部長いわく「日本から細かな指示はしないので、現場もいちいち指示を聞かなくていい」とのこと。[2-1]

 さらに12日ごろから各艦に士官が着任し、2月18日に第十一駆逐隊の4隻が佐世保から、2月19日に巡洋艦矢矧に便乗した司令部要員が呉から出港しました。このとき第十駆逐隊と明石は海上警備任務で既に南洋にあり、シンガポールで全艦合流の予定となっていました。[2-1]

 なお艦隊の地中海行きは国民には秘密にされていたものの、大量に積み込んだ需品と食糧、さらに乗組員の夏支度のために、佐世保では第十一駆逐隊の南洋遠航が公然の秘密になっていました。それでも、まさかマルタ島まで行くとは誰も予想だにしていなかったようです。[1-1]

 こうして威風堂々と佐世保を出港した第十駆逐隊ですが、その日の内に時化に突入。駆逐艦「松」に乗艦した片岡覚太郎主計中尉の手記によると、天窓(スカイライト)からの雨漏りと「応急防御」、舷側にたたきつける荒波、空転するスクリュー、乾麺包(ビスケット)と缶詰の侘しい食事に「凄愴暗澹」し、非番の時はずっと床に臥せていたようです。[5-2]

 しかし2月20日に時化を脱すると、それ以降のマルタ島までの航海で時化に見舞われることはありませんでした。この朝から炊事が再開されますが、二日続きの時化で体調がすぐれない者を思ってか、始めに粥が供されたようです。しかし片岡中尉はその味に感動し「やはり日本人には米がなくては駄目だ」と感慨深げに記しています。[5-2]

 次回はスエズ運河までの航海を開設いたします。西に進むにつれ、次第に不穏な情勢下に入るものの、まだまだ乗組員の日常は平和でした。

参考と出典

第一次世界大戦と日本海軍―外交と軍事との連接
(平間洋一 1998年4月20日)
[1-1]P214~215

日本海軍地中海遠征秘録
(産経新聞ニュースサービス,桜田久編,1997年11月11日)
[2-1]P4~6
[2-2]P6,34~37
[2-3]P45~46

第二特務艦隊司令部の経歴を紹介するwebサイト等
[3-1]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BA%95%E5%AD%9D%E4%B8%80
[3-2]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%9D%B1%E6%98%8C%E5%96%AC
[3-3]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E9%87%8E%E5%B8%B8%E5%96%84
[3-4]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE_(%E7%B5%A6%E7%B3%A7%E8%89%A6)
[3-5]https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E6%B0%B8%E6%81%AD%E5%8A%A9-1104935
[3-6]http://www.yonezawa-np.jp/html/museum/29kondo.html
[3-7]https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A9%E6%9D%91%E6%B8%85%E4%B8%80-1056953
[3-8]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%B8%85_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)

駆逐艦その技術的回顧 新装版
(堀元美 1987年6月25日)
[4-1]P113~116

日本海軍地中海遠征記 若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦
(片岡覚太郎著,阿川弘之序文,C.W.ニコル編 2001年6月20日)
[5-1]P30
[5-2]P31-34

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