第69回 連載「フォークランド紛争小咄」パート27
両軍の最終決戦 前編(6月12,13日の諸戦闘)

文:nona

 6月11~12日の激戦を制しスタンレー外郭防衛線を破ったイギリス軍。しかしながら想定以上の損害を被り、最終攻撃は2日延期。対するアルゼンチン軍には未だ抵抗の意思が残されており、これを示すため、最後の反抗が試みられました。

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http://www.naval-history.net/FxDBMissiles.htm

フォークランド戦争―“鉄の女”の誤算
サンデー・タイムズ特報部 宮崎正雄
原書房
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 6月12日の朝6時、アルゼンチン軍は外郭防衛線の防衛に失敗し、残存部隊の内郭防衛線への後退を余儀なくされました。スタンレーに駐留していた部隊これを挽回せんと、スタンレー飛行場に秘匿されていたエグゾセ対艦ミサイルを発射。目標は16海里(29km)沖のカウンティ級駆逐艦グラモーガン。[1-1][2-1]

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http://robtonks.co.uk/hookers.html
アルゼンチン軍のエグゾセ即席発射器。駆逐艦に搭載していた艦対艦型エグゾセ発射筒をそのまま流用している。

 グラモーガンとその僚艦の21型フリゲートのアベンジャーは、6時36分にエグゾセを発見。迎撃を試みたものの失敗、回避機動の最中にグラモーガンの船体後部にエグゾセが着弾しています。幸い弾頭は不発で、着弾の衝撃と残燃料による火災によって13名が死亡したものの、グラモーガンは自力でスタンレー海域から離脱しています。[1-1]

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http://robtonks.co.uk/hookers.html
エグゾセを被弾したグラモーガン。

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http://forum.keypublishing.com/showthread.php?83019-Falklands-Naval-War-Discussion
グラモーガンが回避機動による傾斜したタイミングでエグゾセが着弾したため、破孔は舷側ではなく甲板上に開いた。

 なお、アルゼンチン軍もう1発のエグゾセを残していましたが、何らかの事情で発射不能に陥っており、翌晩の艦砲射撃の阻止には至りませんでした。[3-2]

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
停戦後にスタンレーで発見されたエグゾセ対艦ミサイル発射筒。

 さらに夜明け以降にタンブルダウン山のアルゼンチン軍第5海兵大隊は、奪取された外郭防衛線へ榴弾砲、無反動砲、重機関銃を用いてイギリス軍に対する攻撃を敢行。イギリス側も榴弾砲で対抗したものの、第3空挺大隊で4名、第42海兵コマンド大隊で1名と多数の負傷者を出しています。[1-1][1-2][3-1]

 やむなくイギリス軍は確保したばかりの山頂から、アルゼンチン軍に観測をうけない西側斜面への退避。あわよくば、と期待していた昼間の前進も断念しています。この日はハリアーによるスタンレーへの航空阻止攻撃と、夜間に艦砲射撃186発を実施したものの、日中に地上部隊が動くことはありませんでした。[2-1][3-2]

 なお、イギリス地上部隊は夜を待って、再び前進内郭防衛線への攻撃を再開する構えでしたが、その準備が間に合わなかったため、結局攻撃を13日晩に延期しています。これはヘリコプター輸送部隊が、負傷者や捕虜の後送に追われたためでもありました。[3-2]


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http://georgy-konstantinovich-zhukov.tumblr.com/post/44260197917/a-gazelle-helicopter-being-used-for-casualty
負傷者を搬送するガゼルヘリコプター。イギリス軍のヘリコプターを用いる負傷者の救援は大きな成果を収めている。フォークランド紛争で搬送後に死亡したのは3名だけだった。

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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1203
つかの間の平穏の間、前線で兵士にインタビューするBBC放送のハンラハン記者。録音はソニーのデンスケTC-D5Mによる。

 13日にはイギリス空軍のハリアーGR.3がCASを再開。使用された爆弾には導入されたばかりのペイブウェイ・レーザー誘導ユニットが装着され、地上のFAC(前線航空統制官)側にもレーザー照射器が配備されました。[2-1]

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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-526
ハリアーのパイロンに装着された1000ポンドレーザー誘導爆弾ユニット。アメリカではGBU-16ペイブウェイと呼ばれる。

 ただしパイロット、FACは双方共にレーザー誘導爆弾の訓練経験がなく、使い方は実戦から習得する必要がありました。13日の空爆ではトス・ボミングを用いタンブルダウン・ウィリアム山への爆撃が実施され、パイロットのスクワイア中佐は1回目の攻撃は失敗したものの、2回目の投弾で目標への攻撃に成功。僚機も爆撃を成功させています。ただし陣地の完全破壊には至らず、アルゼンチン軍に戦力を残す結果となりました。[2-1]

 フォークランド紛争でハリアーGR3飛行隊は、126ソーティの爆撃を実施していますが、目標を見逃したり、1回目の侵入で目標を攻撃できず、危険な再侵入を強いられた、など諸所の問題も指摘されています。低空からの一撃離脱という戦法が失敗の一因でしたが、対策として事前の航空偵察の徹底をすべきだった、との指摘もされています。[2-2]

 また13日の日中には、アセンション島から飛来したSAS・B中隊員が海上へパラシュート降下、待機していた水上艦に収容されています。彼らはMikado作戦(アルゼンチン本土の飛行場を襲撃する極秘作戦)のため、アセンション島に待機していた部隊ですが、戦局の変化に伴いフォークランドへ派遣されたのです。[4-1]


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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1150
洋上へ降下するSAS隊員

 ただ海上へパラシュート降下できるほどの好天となれば、アルゼンチン本土の航空部隊にとっても僥倖となり得ます。アルゼンチン空軍はこの最後のチャンスを逃すまいと、12機のA-4攻撃機と、支援機として2機のKC-130給油機を発進させました。[2-1]

 A-4のうち1機はトラブルで途中離脱したものの、残る11機はシーハリアーをすりぬけ、イギリス軍が駐留しているダーウィン、ケント山、ロングドン山を目指しました。[2-1]

 この目標の一つとなったケント山にはイギリス軍第3コマンド旅団司令部が置かれ、まさにムーア少将とトンプソン准将が会議を行っている最中でした。そこへ飛来いした7機のA-4攻撃機は一斉にパラシュート付きの減速爆弾を投下しています。[2-1]

 ただし司令部の直上で投下された爆弾は、そのまま500mも飛び越し、先の駐機場のガゼルとスカウトが1機ずつ被弾したものの、人的な被害はありませんでした。この他の地域でも大きな被害はなかったようです。先のハリアーGR.3と同様に、一撃離脱戦法では目標の正確な所在をつかめないため、爆撃の効果を上げられなかったのです。[2-1]

 なお、空襲の直後にムーア少将は急いで近くの穴に飛び込み、その上にトンプソン准将が転がり込むように落ち、トンプソン准将が非礼を詫びる最中に、その穴にオブザーバー紙の記者2名も飛び込んできた、という話も残されています。[5-1]


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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1153
フォークランドの内陸へ侵入したA-4攻撃機。

 爆撃の成果はほとんど無かったA-4でしたが、うち2機が帰路でシーキングヘリコプターを発見し、撃墜を試みています。

 狙われたシーキング機長のソーンウィル少佐は、A-4を見つけると機体を正対させ、さらに背後に回り込むように急旋回しました。この回避機動で、シーキングはほとんどの20mm機関砲弾を回避したものの、1発がローターブレードに命中しています。しかしローターブレードはなんとか機能し続け、A-4再び攻撃態勢入る前にシーキングを渓谷に退避させたことで、危機を脱しました。[2-1]

 A-4の撤収を確認したソーンウィル少佐は、シーキングを地表へ降下させ被弾箇所を点検。ローターに開いたこぶし大の穴を発見したものの、新しいブレードを別のヘリコプターに運んでもらい、これを装着して無事に帰投しています。[2-1]

 この日の夜、アルゼンチン空軍のキャンベラ爆撃機も高度12000mからフォークランドに侵入、ケント山への高高度爆撃を試みています。しかし司令部は昼の爆撃をうけケント山から移動済みで、高高度から投下された爆弾は1発も爆弾は命中しませんでした。そして投弾直後には、42型駆逐艦エグゼターが放ったシーダート艦対空ミサイルによって撃墜されてしまいます。[2-1]

 墜落するキャンベラ機内では、操縦士のバストラン大尉が航法士のカサード大尉に脱出を呼びかけていました。しかしカサード大尉は何らかの事情で応えられず、やむなくバストラン大尉は単独で脱出。カサード大尉は結局脱出できず、機体と運命を共にしています。[2-1]

 これがアルゼンチン軍機の、フォークランド紛争における最後の活動となりました。


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http://www.hindustantimes.com/photos/world/30-years-since-falkland-war/photo3-eKNHYq9gh7jC0MtjYPQgPO_photo.html?c1=2
アルゼンチン軍のキャンベラ爆撃機と1000ポンド爆弾。共にイギリス製の兵器だった。



出典
[1-1]RAF Battles of the Falklands Conflictより11/12 June 1982 - Mount Longdon
[1-2]同Mount Harriet - 11 and 12 June
[2-1]空戦フォークランド P240~249
[2-2]同 P256~257
[3-1]フォークランド戦争史 P311~312
[3-2]同P317~319
[4-1]Daily Mail Online The secret disastrous SAS attempt to invade Argentina revealed: In the Falklands War, crack troops go on a suicidal mission to storm Galtieri's Exocet missile base. This is their story - told for the first time
[5-1]フォークランド戦争 鉄の女の誤算P233

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland

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