第65回 連載「フォークランド紛争小咄」パート25
決戦前夜の島都スタンレー 後編
文:nona
1982年6月9日、イギリス軍のムーア少将は作戦を6月11日夜までの延期を決定。この間イギリス軍は急ピッチで砲弾を輸送し、この間にもハリアー戦闘機がスタンレーのアルゼンチン軍に対する偵察と爆撃を行っています。しかし、アルゼンチン軍は実力をもって抵抗の意志を示し、また地雷原構築にも余念がありませんでした。
(引用元)http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1228
5月30日のケント山への砲兵ヘリボーン以来、イギリス軍は総力を上げて砲弾の輸送を継続。6月9日には総勢30機ほどのヘリコプターが1日15回の輸送任務に従事し、フィッツロイに残された砲弾の移送が実施されました。シーキングの場合で、最大3tもの砲弾パレットを吊り下げたまのピストン輸送をしています。[1-1]
ただし、フォークランド島はフューリアス・フィフティーズ (狂う50度)と呼ばれる猛烈な気流の中にあり、5月の時点で月に20日は風速20mの風も吹くほどの荒れた天気が続いていました。連日の輸送任務は大変な危険を伴っていましたが、幸いにフォークランドのアルゼンチン軍機はあらかた行動不能になっており、輸送中に狙われることはありませんでした。[1-1][2-1]
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6月10日には空軍のハリアーGR.3 によるスタンレーと防衛線に対する偵察が実施されました。偵察は午前と午後に実施され、午前に出撃したスクワイア中佐のハリアーはスタンレー西側を高度90mで飛び、僚機のヘーア大尉機も外郭防御線の2つの山を低高度から偵察しています。[1-1]
(引用元)http://www.airrecce.co.uk/postww2/ac/Harrier/Harrier.html
ハリアーに搭載される偵察ポッド。
今回のハリアーの偵察はかなりの低高度で実施され、アルゼンチン軍の陣地の配置、陣地偽装のレベル、さらに兵士たちが泥炭を燃やし暖をとる様子まで撮影されています。これはアルゼンチン軍の動向を知る手がかりとなりました。[1-1]
対するアルゼンチンの兵士達も果敢にハリアーの撃墜を試み、ヘーア機のフィルムには、ブローパイプ携帯式地対空ミサイルを発射しようとする兵士の姿まで写っていました。さらに午後の偵察に参加した3機のうち、マクレオド大尉のハリアーが実際に小銃弾を受けています。[1-1]
ハリアーによる航空偵察がなされる一方、イギリス軍の地上部隊も積極的に斥候を前線に送り、作戦当日に使用する安全な前進ルートの探索にあたっています。特に地雷原の捜索は重点的に行われました。[8-1]
アルゼンチン軍は多種多様な地雷を2万個ほどフォークランドに持ち込み、イギリス軍の予想進行ルートや上陸ポイントを地雷原にしていました。これは悲しいことに、現在も埋設されたままになっています。[8-1]
こうした地雷原をアルゼンチン軍では警告標識を立てたのか、完全な無言地雷としていたのか不明ではありますが、イギリス軍は作戦開始までに、どうにか地雷原を回避するルートを確立しています。[8-1]
(引用元)http://www.taringa.net/posts/info/15383009/El-minado-defensivo-en-la-guerra-de-Malvinas.html
フォークランド紛争終結直後のスタンレー周辺における地雷原と安全地帯の位置。
(引用元)http://www.taringa.net/posts/info/15383009/El-minado-defensivo-en-la-guerra-de-Malvinas.html
イタリア製のSB33対人地雷。部品のほとんどがプラスチック製で地雷探知機にも検出されにくい。歩兵がこれを除去するには、地面に棒をゆっくり突き刺して、地道に地中を探る他に方法はない。
(引用元)http://www.taringa.net/posts/info/15383009/El-minado-defensivo-en-la-guerra-de-Malvinas.html
地雷を応用したアルゼンチン軍の仕掛け罠。
ただしアルゼンチン軍もイギリスの斥候部隊を阻止しようと、6月初頭から何度かの前進部隊同士の戦闘が行われ、6月10日の夜にはRASIT対地レーダーを使用し、前進するイギリス軍斥候部隊の発見に成功しています。[1-1][3-2]
(引用元)http://www.lagaceta.com.ar/nota/375272/informacion-general/radar-para-asombro.html
RASIT対地レーダー。範囲内で近づいたり、離れたりする物体を探知し、夜間でも接近する人間を発見できる。
直後にアルゼンチン軍はイギリス軍の斥候部隊に集中攻撃を加え、スコットランド近衛大隊を後退させ、第42海兵大隊の斥候部隊では死傷させています。第45海兵コマンド大隊に至っては大混乱に陥って迫撃砲による誤射が発生。5名が戦死し、2名が負傷する大参事となりました。[3-2]
そして、攻撃作戦の当日の6月11日。早朝と夕方の薄明の時間帯にはハリアーが10ソーティの爆撃任務を実施。主目標はスタンレー近郊の陣地群。塹壕に篭もる歩兵部隊を効果的に殺傷するため、爆弾には空中起爆信管が装着されていました。ハリアー各機は目標の遠方からトスボミングを実施することで、対空機関砲やミサイルの攻撃を回避しています。[1-1]
それでも歩兵の小銃やブローパイプ携帯式対空ミサイルによる反撃は避けられず、2機が小銃弾を受け、さらに1機は帰還時に被弾箇所から煙が噴き出していました。[1-1]
(引用元)http://www.fireandfury.com/orbats/falklands_argentina.pdf
アルゼンチン・イギリス両軍が使用したブローパイプ携帯式地対空ミサイル。亜音速のハリアーに対しては、途中で燃料切れとなる場合もあった。
空爆後の11日午後16時、地上部隊は夜の攻撃作戦にむけ前進を開始しました。この日の作戦ではイギリス海兵隊第42コマンド大隊、第45コマンド大隊、陸軍第3空挺大隊の3つの部隊で、外郭防衛線上のハリエット山、ツーシスターズ山、ロングドン山を攻撃する計画になっていました。[1-1]
午後16時の時点でフォークランドはもう日暮れを迎えており、地上部隊はアルゼンチン軍の火砲や重機関銃からの狙撃を回避に成功。さらに前日の晩に猛威を振るったRASIT対地レーダーも、ロングドン山の中隊長が逆探知を懸念して使用停止を命令。イギリス軍部隊は事前に発見されることなく、開始線へ迫っています。[6-1]
3つの大隊が行軍している間、防御線背後のスタンレーに対する艦砲射撃が行われ、カウンティ級駆逐艦グラモーガン、21型フリゲートのアロー、アヴェンジャー、12M型フリゲートのヤーマスの4隻が、19時59分から、2時40分の砲撃終了までに788発の砲弾を発射しています。[6-1]
さらにバルカン爆撃機も空中爆発信管付きの爆弾を搭載し、スタンレー近くのアルゼンチン軍陣地を空爆する予定となっていました。[7-1]こうした激しい砲爆撃は、アルゼンチン軍に物理的にも、精神的にも大きなショックを与えたものの、艦砲の座標ミスによる市街地の誤射も発生し、島民3名が亡くなる事態となりました。[3-1]
この砲撃に乗じて前進を続けた3つの大隊は21時から23時までに開始線へ到達。開始線からアルゼンチン軍の各拠点まではわずか数百メートル。この時点で、以降の戦いが白兵戦になることが予期されていました。[6-1]出典
[1-1]空戦フォークランド ハリアー英国を救う P236~239
[2-1]狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 P161~162
[3-1]フォークランド戦争 鉄の女の誤算P227,241~243
[3-2]同P228
[4-1]世界の特殊部隊作戦史1970‐2011 P106~107
[5-1] デイリー・テレグラフ Gen Sir Michael Rose remembers the Argentine surrender on the Falklands: I said to them, 'No funny business’
[6-1]フォークランド戦争史 P305~307
[6-2]同P306,312,314
[7-1]The Falkland Islands Campaign Operation Black Buck - 1st May to 12 June 1982
[8-1]taringa.net El minado defensivo en la guerra de Malvinas
参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland
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コメント
弱い弱いと言われつつ、イギリスが垂直離陸機の後継機を欲しがったのも納得だ
ハリアーの偵察ポッドはRF-4EJの偵察ポッドと似たようなものかな? 写真をリアルタイムで送れなくても一度で弩デカイ精密写真を取れる能力は攻撃の事前偵察には欠かせないわな
そしてアルゼンチン陸軍も装備と準備さえしっかりしていれば良く戦ってるんだな~
ブラックバック作戦にしろハリアーにしろ、戦前考えられなかったような予想外の戦いが連発した感じ、平時の常識や考えが戦時に如何に頼りないかって、忘れるべきでないだろうね。
この後、イタリアやスペイン、タイもシーハリアーと軽空母を導入したのも、またロシアやインドも空母を建造・輸入したのも、この有用性が実証されたからでもあると思う。
同感です。
「空戦フォークランド」の副題も「ハリアー英国を救う」ですからね
誤字様
フォークランド紛争ではかなり多用されていた模様です→トス爆撃
主に対空機関砲を回避する手段になっていました。
3 名無しのミリヲタ(40年もの)様
本土の基地もパタゴニア地方にありますからね。
まさに「嵐の大地パタゴニア」。
4 先任伍長様
そういえば1970年代にイギリス海軍は、
インヴィンシブル級の予算を通す都合
「through-deck cruisers(全通甲板巡洋艦)」と呼称していたそうです。
かつてはイギリスも空母を空母と呼べない国でしたね。
よくある話ですが。
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