第61回 連載「フォークランド紛争小咄」パート24
敵防空網を制圧せよ!ブラックバック作戦再び  後編

文:nona

 5月31日の攻撃では破壊できなかったスタンレーの防空網により大きなダメージを与えるため、6月3日に第6次ブラック作戦が実施されました。しかし帰路で給油装置が故障、バルカンの乗員たちは、残されたわずかな燃料で中立国のブラジルを目指しました。

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(引用元)http://www.afwing.com/war-history/operation-black-buck_3.html

リオデジャネイロに着陸したバルカン爆撃機

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 6月3日に実施された第6次ブラックバック作戦では、前回と同じく往路でのトラブルはなく、バルカンは予定通りフォークランド諸島に到達しています。

 今回も前回同様にスタンレー周囲を捜索飛行しながらレーダー波を探知し適当な目標を選んで、対空火器の射程外から悠々と攻撃を行う予定でした。

 しかし、今回アルゼンチン軍はバルカンがスタンレーから15㎞に迫った時点で、全てのレーダーを停波。バルカンが前回と同様の作戦をとったため、アルゼンチン軍に対策されてしまったのです。[2-1]

 バルカンは爆弾倉の予備燃料で40分ほどスタンレー付近を周回したものの、アルゼンチン軍の警戒レーダーが再始動する様子はありませんでした。[1-1][2-1]

 そこで最後のチャンスと、バルカンをスタンレーへ直進させ、飛行高度も機関砲の有効射程ぎりぎりの高度3000mまで降下。[2-1]

 するとスタンレーの機関砲群が反撃を開始。サッパーヒルに設置されたスカイガード射撃管制レーダーの反応が検出されました。[1-1][2-1]

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(引用元)http://www.taringa.net/posts/noticias/15272122/Nuevo-Sistema-Skyguard-35mm-para-la-fuerza-aerea.html
スカイガードレーダー

 バルカンはスカイガードを補足し、AGM-45Aでこれを攻撃。スカイガードに致命的なダメージを与え、操作員3名を殺害しています。バルカン爆撃機にとっては1ヶ月ぶりの有効戦果でもありました。[1-1][2-1]

  攻撃から4時間後、フォークランドを離脱したバルカンはブラジル沖でヴィクター給油機と会合します。爆弾倉に積んでいた予備燃料も使いきっており、第一次作戦時と同じく燃料が欠乏していました。

 しかし給油を開始しようとした瞬間、バルカン側の受油器が破損。漏れだした燃料は風で振り払ったものの、受油器は完全に壊れて、再給油は不可能に。バルカン側に残った僅かな燃料では、アセンション島へ戻ることさえできません。[1-1][2-1]


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(引用元)http://www.vulcantothesky.org/news/484/82/Air-to-air-photo-shoot.html
給油作業中のバルカン爆撃機(左手前)とヴィクター給油機(右奥)

 やむなく乗員たちは中立国ブラジルへの着陸を決意。バルカンは650㎞先のリオデジャネイロの飛行場を目指して変針しました。[1-1][2-1]

 バルカンは、僅かでも燃料の消費を減らすため高度40000フィートへ再上昇。その間に翼下に残されていたAGM-45Aと、機密書類の投棄を試みました。[2-1]

 ところが、AGM-45Aは切り離しに失敗し、パイロンにつながったまま。さらに機密書類を投棄するため開放した機首下部のドアが閉鎖不能となってしまい、機内の与圧は低下したままとなりました。[2-1]

 本来であれば、ただちに空気密度が濃い高度まで降下すべきところですが、燃料切れぎりぎりのバルカンにとって避けるべきことでした。そこで各員は呼吸マスクを装着し、バルカンはリオデジャネイロ空港まで高高度を維持しました。[2-1]


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(引用元)http://www.afwing.com/war-history/operation-black-buck_3.html
当時の現地新聞。ブラジル空軍のF-5戦闘機によるバルカンへのスクランブルを報じている。

 幸いバルカン爆撃機の呼吸マスクは長時間使用による酸素中毒や、高高度飛行による窒素中毒を想定し、酸素とヘリウムの混合ガス(おそらくヘリオックス)が用いられていました。[2-1]

 ところが、ヘリウムのせいで乗員の声が「ドナルドダック」状態になってしまい、英語の得意でないブラジル人管制官との交信に難儀するハプニングが発生しています。笑い話のようですが、乗員達にとっては生きるか死ぬかの深刻な問題でもありました。

 この状況の中ガードナー大尉がドアの閉鎖に成功し与圧も回復、ブラジル側も英語の得意な管制官に代わることで、意思の疎通も容易になりました。そしてリオデジャネイロにある、軍民共用のガレアン飛行場へ緊急着陸する許可を得ています。[2-1]

 ところが、バルカンは滑走路から10kmに迫った時点で、まだ高度が6400mもありました。通常であれば飛行場の周囲を旋回降下しながら、ゆっくりと高度を落とす必要がありますが、この場合1140kg(2500ポンド)の燃料を消費すると見積もられていました。[2-1]

 一方のバルカンの燃料は1360kg(3000ポンド)ほどしか残されていませんでした。悠長に降下している余裕がなかったのです。[2-1]

 そこでマクドゥーガル少佐は着陸旋回の手順を省いて、高度6400mからエアブレーキをかけながら機体を垂直に傾けて旋回しながら降下。急降下と急減速を同時に行いました。そして滑走路から2.4kmの距離で機体を安定させると、さらに機首上げで速度を抑制しています。[2-1]


5
(引用元)http://www.aviationgallery.org.uk/Cold-War/Vulcan/
急旋回中のバルカン爆撃機

 バルカンは適正速度で滑走路に着陸し、ドラッグシュートも使用することなく停止に成功。残燃は900㎏(2000ポンド)ほど残されていましたが、これは満タン時の2~3%に過ぎません。操縦桿を握ったマクドーガル少佐はこの功績で特別飛行十字章を与えられています。[2-1][3-1]

 空港に着陸したバルカンの周囲には人だかりができたものの、すぐに警察が周囲を囲いました。もっとも完全に秘匿はできず、バルカンの緊急着陸のニュースは広く報道されたようです。[2-1]


6
(引用元)http://www.afwing.com/war-history/operation-black-buck_3.html
6月9日づけの現地新聞。AGM-45を空対空用のサイドワインダーであると誤認していた。

 ブラジルに降りたバルカンの乗員たちは、ブラジル当局の取り計らいで、拘束されることもなく、好きなときに出国を許されていました。

 ただし、バルカンについてはすぐに返還が認められなかったため、ブラジル政府とイギリス大使館の交渉が完了するまで、乗員たちもガレアン飛行場に残ることになりました。[2-1]

 最終的に6月12日にジョイントはバルカンは出国を許されたものの、パイロンに残されていたAGM-45Aは没収されたようです。[2-1]


7
(引用元)http://www.afwing.com/war-history/operation-black-buck_6.html
退役後に展示されるバルカンXM597機の機首。AGM-45Aを用いたアルゼンチン軍の戦果マークと、ジョークとしてブラジル入国記念の国旗がペイントされている。

 このバルカンが帰還する直前の6月12日未明、7度目のブラックバック作戦が開始。これがバルカン爆撃機の最後の実戦となりました。[1-1]

 最後の目標は滑走路やレーダーではなく、飛行場近くのアルゼンチン軍陣地。投下された爆弾も、建物や人員を攻撃する目的で空中爆発するようセットされていました。[1-1]

 また、この頃には紛争も終わりが見えており、今後を見据えて滑走路を破壊せず、無傷で確保する必要もありました。この爆撃から2日後の6月14日、スタンレーで停戦がなされ、大急ぎでスタンレー飛行場の修復と拡張がなされました。

 停戦当初はバルカンの戦闘態勢は維持されたものの、フォークランドの防御体制が確立されると、アルゼンチン軍によるフォークランド奪還を抑止していたバルカンの役目は終了。ブラックバック作戦参加機も82年中に退役しています。

 ただイギリス国民はバルカン爆撃機に並みならぬ執着を持ていたようで、退役から四半世紀が経過した2007年、寄付金によって整備がなされ、航空ショーでの再飛行が実現しています。[4-1]


8
(引用元)http://www.bbc.com/future/story/20150925-how-do-you-bring-an-aircraft-back-from-the-dead
再整備されたバルカン爆撃機。2015年には整備部品の枯渇によって、惜しまれながら飛行を終了している。

 また、対レーダーミサイルについても、フォークランド紛争のSEAD戦闘の戦訓から、新たにALARM(アラーム)対レーダーミサイルが開発されました。[5-1]

 このALARMは、AGM-45では攻撃できなかった停波されたレーダーに対処するため、LOITERという特殊なモードが搭載されました。[5-1]

 loiterとは道草を食う、ぶらつくの意味で、LOITERモードがオンにされたALARMは目標のレーダーが停波すると、高度12000mへ上昇。そこでパラシュートを開傘し、空中でレーダーの再起動を待ち続けます。

 そしてレーダー反応を再検出すると、パラシュートを切り離し、第二ロケットモーターで目標に突入するという、イギリスらしい変*ミサイルでした。[5-1]


9
(引用元)http://forums.eugensystems.com/viewtopic.php?t=36633
ALARM
のLOITERモード

 このALARMは湾岸戦争から2011年のリビア空爆まで、数回の実戦を経験していますが、後継の機種は開発されないまま退役し、イギリス空軍にはアメリカのAGM-88 HARMが導入されています。

 GPS/INS誘導が普及した時代、LOITERモードありきのALARMは文字通り道草を食っているだけの無駄機能なのかもしれません。


出典
[1-1]The Falkland Islands CampaignよりOperation Black Buck - 1st May to 12 June 1982
[2-1]空戦フォークランド P207~214
[3-1](残燃料のパーセンテージについてはhttps://en.wikipedia.org/wiki/Avro_Vulcanの主燃料タンクの数値とOperation Black Buck - 1st May to 12 June 1982記載された爆弾倉用燃料の値から計算)
[4-1]Vulcan to the Sky Farewell to Flight Why 2015 must be XH558’s last flying season
[5-1]AIR POWER AUSTRALIA Matra/BAe ALARM and Matra Armat
[6-1]兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 P278

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland

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