第58回 連載「フォークランド紛争小咄」パート23
標的となったイギリス揚陸艦  前編

文:nona

 1982年6月8日、イギリス軍はスタンレー攻略を有利に進めるべく、フィッツロイ・ブラフコーブに新たな橋頭堡を築きつつありました。これにアルゼンチン軍はイギリス軍の上陸を阻止すべく、同紛争で最後の組織的な対艦航空攻撃で対抗します。

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(引用元)http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205129472
フィッツロイに停泊する揚陸艦

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 イギリス軍はフィッツロイ・ブラフコーブに対し、6月2日に第二空挺大隊によるヘリボーン、6月6日のLCU(上陸用舟艇)によるスコットランド近衛大隊の上陸で同地を確保。スタンレー攻略を睨んだ新たな拠点としています。[1-1]

 さらに、6月6日の揚陸では、揚陸艦を陸地から発見されにくい沖合にとどまらせ、ここから舟艇によるピストン輸送を行うことで、母艦の安全確保に努めていました。[1-1]
 
 しかし、いっこうにアルゼンチン軍の反撃がないため、6月7日にはピストン輸送の間隔を短くする目的で、ラウンドテーブル級揚陸艦を海岸近くに寄せるようになり、さらに護衛艦の配置も取りやめていました。[1-1]

 実際にはアルゼンチン軍はフィッツロイに橋頭堡があることを察知しており、攻撃がなされなかったは悪天候で攻撃隊が離陸できなかっただけで。天候が回復すればすぐにでも攻撃をするつもりだったのです。[1-1] [3-1]

 6月7日の午後、サンカルロス湾のイントレピッド、サーガラハド、サートリストラムの3隻は、三度目の揚陸にむけ兵士と積み荷の収容を開始しています。乗船部隊はウェールズ近衛大隊や工兵部隊など数百名。積み荷はレイピア対空ミサイル4基、野戦救急車と医療装置、そして砲弾が1500トンほどでした。[1-1] [2-1]

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(引用元)http://www.hmsintrepid.com/HMS-Intrepid-A-History-h4.htm
強襲揚陸艦イントレピッド

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(引用元)https://en.wikipedia.org/wiki/RFA_Sir_Galahad_%281966%29#/media/File:Galahad82.jpg
ラウンドテーブル級揚陸艦サーガラハド。同級の船名は「円卓の騎士(Knights of the Round Table)」に由来する。

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(引用元)http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205129472
ラウンドテーブル級揚陸艦サートリストラム

 揚陸艦に乗船したウェールズ大隊の近衛兵達は、空調のきいた快適な船室で、温かい食事にありつくことができ、さらに酒保では酒も入手できました。このもてなしで彼らは十分に英気を養えたようです。[4-1]

 ただし、サーガラハドは積み荷の収容に、想定以上の時間を要すことになります。同船の収容作業が完了したのは、計画から6時間遅れの午後22時、他の2隻は4時間も前に出港していたのです。[1-1][2-1]

 この遅延の原因は舟艇の不足にありました。イギリス海軍がフォークランドに持ち込んだ8隻LCUのうち、6隻がフィッツロイに置かれたため、サンカルロスで荷降ろしを待つ輸送艦の渋滞を招いていたのです。これはアルゼンチン航空部隊へ絶好の目標を提供しかねない、と懸念されたほどです。[1-1]

 そこで、イントレピッドが4隻のLCUを持ち帰ることになったものの、逆にフィッツロイのLCUが大幅に減じることになりました。[1-1]


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(引用元)https://en.wikipedia.org/wiki/File:Tangocallsign.jpg
荷降ろし作業に従事するLCU

 イントレピッドがLCUを収容してフィッツロイを去ろうとするころ、サーガラハドようやくフィッツロイに到着しています。すでに夜が明けつつありました。[2-1]

 ところが、現地部隊はサーガラハドの入港を知らされておらず、受け入れる準備もなされていませんでした。この時サンカルロスとフィッツロイ間の通信は、ヒッカム高地(標高6~700m)のために遮断されていたのです。[1-1]

 そこで、フィッツロイに派遣されていたテイラー(テルユア)海兵隊少佐は、サーガラハドに乗り込み、ウェールズ近衛大隊のセイル少佐と会合。彼らの目的地がフィッツロイから10km北東のブラフコーブであることを確認します。同地には、すでにウェールズ近衛大隊の先遣隊が展開していました。[1-1][4-1]

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(引用元)https://en.wikipedia.org/wiki/File:Falkland_Islands_topographic_map-en.svg
フィッツロイとブラフコーブの位置。

 しかしフィッツロイでは舟艇が不足していたため、舟艇が使用できる順番が回ってくるまで相当な時間が必要となります。それまでは近衛兵達もサーガラハドに留めおかれることになりますが、いつアルゼンチン軍の空襲が始まってもおかしくない状況では、あまりに危険なことでした。[2-1]

 そこでテイラー少佐は近衛大隊のセイル少佐に、当初の計画を変更して、近衛兵達をすぐ近くのフィッツロイに降ろし、目的地のブラフコーブまでは歩いてほしい、と要請します。[1-1]

 しかし、セイル少佐は陸路の橋が破壊されたまま、という古い情報を頑なに信じ、兵達を艦内に待たせてでも、ブラフコーブまでは舟艇で行く、と言って聞きませんでした。後にセイル少佐は、テイラー少佐の要請が上級指揮官からの命令でないため、勝手に計画を変えることができなかった、とも弁明しています。[1-1]

 この後フィッツロイに戻るテイラー少佐は砲弾を積載するLCUに乗り合わせていますが、効率を上げるため兵員も一緒に乗るべきだ、と主張しています。これにウェールズ近衛大隊の士官が、規則違反であると反対すると、テイラー少佐は「今は戦争をやっており、平時の規則にこだわる時ではない、それよりもこの船に乗り続けている方がよほど危険である」と返しています。しかし、これも聞き入れてもらえませんでした。[1-1]

 このウェールズ近衛大隊は6月1日にフォークランドへやってきた新参の部隊であるがゆえ、アルゼンチン軍の空襲の恐ろしさを十分に理解していなかったのです。このため揚陸作業が進まず、サーガラハドとサートリストラムは、夜明け以降5時間もフィッツロイに居座ることになりました。[1-1]

 アルゼンチン軍もこれを見逃さず、8日の午前中にアルゼンチン本土からダガー戦闘攻撃機が6機、A-4攻撃機が8機出撃。さらにKC-130空中給油機も2機発進しました。[3-1]


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(引用元)http://www.taringa.net/posts/noticias/15539753/El-Mirage-cumple-40-anos-en-la-Fuerza-Aerea-Argentina.html
アルゼンチン空軍のダガー戦闘攻撃機

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(引用元)http://www.taringa.net/post/imagenes/13580661/Aviones-de-la-fuerza-aerea-argentina.html
A-4攻撃機


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(引用元)http://www.taringa.net/posts/imagenes/15537852/Reemplazo-de-los-Hercules-argentinos-KC-390-para-el-2014.html
KC-130空中給油機。

 ところがダガー編隊の1機はオイル漏れで帰投し、A-4も3機が空中給油に失敗。このトラブルで攻撃隊は2波10機に減少していました。空中給油の失敗の原因は、屋外駐機中に給油プローブが凍結した為、とも推測されています。[3-1]

 無事に飛行を続けた5機のダガーは給油中のA-4を追い越し、一足早くフォークランド海峡に到達しました。ところが、同海域で12M型フリゲートのプリマスに遭遇、奇襲攻撃も失敗したものと思われました。このまま前進を続ければ、確実にシーハリアーの待ち伏せをうけて撃墜されてしまいます。[3-1]

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(引用元)http://www.shipspotting.com/gallery/photo.php?lid=809973
12M型フリゲート・プリマス

 やむなく5機のダガーはさらなる前進をあきらめ、プリマスに30mm機関砲と1000ポンド爆弾を浴びせて、帰還することになりました。[3-1]

 この攻撃でプリマスは1000ポンド爆弾を3発ないし4発を被弾。全弾が不発でしたが、爆雷が誘爆し火災を生じています。一連の攻撃で乗員1名が死亡し、さらに4名が負傷しました。[3-1]


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(引用元)http://www.bbc.com/news/uk-england-merseyside-17598843
被弾したプリマス

 攻撃を終えたダガーは、各機ばらばらに速度600ノットで35000フィートまで上昇。全機がシーハリアーの追跡をふりきって本土に帰投しています。さらに、この攻撃がシーハリアー編隊に対する陽動となり、第二波のA-4編隊の侵入を助けることになりました。

後編に続く



出典

[1]フォークランド戦争史 P296~299
[2]The Falkland Islands CampaignよりActions, losses and movements on land and sea
[3]空戦フォークランド P222~226
[4]フォークランド戦争 P210~214

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland
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