第53回 連載「フォークランド紛争小咄」パート21
大隊長、誤算続きの地峡戦 前編

文:nona

 激しい空襲を耐え、ついにフォークランド内陸へ進軍するイギリス地上部隊。最初の攻略地はグースグリーン・ダーウィン入植地。あっさり攻略できると思われたものの…

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漫画『MASTERキートン』(浦沢直樹、勝鹿北星、長崎尚志)の「デビット・ボビットの帰還」より。さすがに南極ほどは寒くない。

 5月21日にフォークランドへ上陸したイギリス軍ですが、24日になっても橋頭堡から前進せずにいました。防空網の外で歩兵が空襲を受ける危険を考慮してのことですが、25日までの4隻の艦船被害とあわせ、「イギリスは苦戦している」と国内外から看做される一因となりました。

 そこでイギリス軍と政府は、戦いの主導権がイギリスにあると国内外に印象付けるため、攻略に時間がかるスタンレーを後回しに、グースグリーン・ダーウィン入植地を攻めてしまおう、と画策。

 
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https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Goose_Green
グースグリーン・ダーウィン入植地

 グースグリーン・ダーウィン入植地は東フォークランド島の地峡地帯にある2つの村落。ひとくくりに「グースグリーン」とも呼ばれます。この地に進駐したアルゼンチン軍は約1000名強。臨時飛行場を築き、プカラ攻撃機を運用していました。[1-1] [1-2]

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http://www.urgente24.com/197208-otra-vez-%C2%BFde-quien-es-malvinasfalkland
グースグリーン入植地。

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http://www.taringa.net/posts/info/4742416/El-soldado-argentino-que-mato-al-jefe-paracaidistas-ingles.html
大隊長のハーバード・ジョーンズ中佐。名門イートン校出身でSASのベア・グリルスの先輩にあたる。

 今回の作戦を担うのはイギリス陸軍の第2空挺大隊と支援部隊の約700名。 戦いの理由が不純なために、各中隊長からは疑問の声も上がっていますが、上級指揮官のトンプソン准将や作戦を任されたジョーンズ大隊長のプッシュもあり、結局実行されることになりました。[5-1]

兵力は以下のとおり。[1-1] [5-1]

歩兵:A~D中隊約 620 名(C中隊のみ2個小隊。前夜には偵察隊として、当日は予備戦力として後方で待機)
工兵:第 59 偵察工兵分隊 (王立工兵隊より派遣。C中隊と連携して、進路上の障害と罠の除去を担当。)
砲兵:L118 105mm榴弾砲3門
艦砲支援:21 型フリゲート・アロー 4.5インチ砲1門(支援は夜間のみ)
迫撃砲:81 ミリメートル×2 門
対戦車兵器:ミラン対戦車ミサイル×3個分遣隊(誘導兵器連隊から派遣。システムは昼間戦用の基本的に朝まで後方で待機)
機関銃:L8GPMG(FN-MAG)、L4LMG(ブレン)×56丁
防空兵器:ブローパイプ携行対空ミサイル 6個分遣隊(海兵隊から派遣)
(SASの偵察チームが対岸に潜入し観測任務に就いた)

なお、トンプソン准将はこの作戦を「攻撃」としたものの、作戦を立案したジョーンズ大隊長は「占領」と受け取っていました。この齟齬が、後の無用な前進や突撃を招く原因となります。[1-1]

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フォークランド戦争史より
ジョーンズ大隊長。グースグリーン攻撃計画。闇夜に乗じて3つの中隊を交互に前進させ、夜明けまでに飛行場と2つの集落を占領する、というもの。

対するアルゼンチン軍守備隊は、[1-1]
歩兵:第12連隊と第8・25連隊の分遣隊など550名(アルゼンチン軍では1個連隊を規模はイギリス軍の大隊に相当)
空軍:約450名、プカラ攻撃機(当日の運用状況は不明)
工兵:1個分隊
砲兵:105ミリ榴弾砲3門
迫撃砲:81mm軽迫撃砲3門、120mm迫撃砲1門
対戦車砲:106mm無反動砲×1門(照準器なし)
対空砲:エリコン35mm連装機関砲2門、ラインメタル20mm機関砲×6門
車両:徴発したランドローバー2台
無線機:2台

人員は空軍の兵士も含めて合計 1007 名。戦闘人は約550名ほどです。ただし兵卒は82年に入隊したばかりの新兵で、連隊長のピアッギ中佐も2月にこの職に就いたばかり。元の担当地域はアルゼンチン本土の熱帯地域とフォークランドの気候にも不慣れで、海上封鎖で装備が届かず、スコップや武器の手入れ具すら事欠くありさまでした。[1-1][1-3]

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http://www.taringa.net/posts/info/4291968/Batalla-de-Pradera-del-Ganso.html
連隊長のピアッギ中佐

さらにアルゼンチン側の陣地には数えきれないほどの不備があり、その一例では、

「要所であるダーウィンヒルに兵を配置しなかった、支援砲火力の不足、無線機が2台しか配備されていない、防衛線に縦深がない、塹壕が一直線で相互支援ができない、敷設した地雷原が陣地から遠すぎて状況の確認や追い撃ちができない、地雷原以外の障害(有刺鉄線など)がなかったetc.」[1-1]

装備の不足は海上封鎖の影響であるとしても、アルゼンチン陸軍の基本的な戦術能力ならびに教育にも問題があった、という指摘もされています。[1-1]


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https://blackwhitehunter.wordpress.com/2015/05/24/the-last-round/
アルゼンチン軍の地雷原の配置。上陸が可能な海岸に埋設された。対岸にはSASが秘密監視所を設けていたが、発見されなかった。

 こうしたアルゼンチン軍の情報をつかむため、SASの偵察チームや20日夜の陽動部隊が派遣されたものの、総数は300~500名、戦闘要員は約1個中隊、と実際より少なめに分析していました。

 しかし21日以降にポートサンカルロスで発見されたアルゼンチン軍分遣隊の痕跡や、捕虜の尋問によって実兵力に近い推測がなされています。ただしハリアーの航空偵察でも正確な配置状況を得られず、作戦時には前進を遅らせる一因にもなりました。[1-1]

 そして5月26日夜、第二空挺大隊は前進を開始。一昼夜かけて約40kmを前進し、グースグリーン地峡から3kmほどのカミラ・クリーク・ハウスまで前進します。危険な行軍の始まりでしたが、第二空挺大隊の兵士はむしろ心待ちにしていました。[1-1]


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http://www.taringa.net/posts/videos/6329232/Combates-en-Malvinas.html
空挺大隊の隊員たち

というのも、フォークランド上陸で、すでに27 名の兵士が病気(12名は塹壕足)やケガで後送され、戦闘をしないうちに約4パーセントの人員を損失していたからです。[1-1]

この前進はイギリス国防省も喜んだものの、世界中にアピールしたいと「空挺大隊は、まさにグースグリーンとダーウィンを攻撃する準備ができている。」という声明をBBCで放送。[1-1]

 これを聞いた第二空挺大隊は奇襲効果が失われたという懸念から狼狽。ジョーンズ大隊長も「ノット国防相とサッチャー首相を訴えてやる」と怒り心頭。[1-1]

 もっともサッチャー首相にとっても想定外の出来事だったとして、彼女も激怒しています。ただし責任は国防省にあるとしています。[1-1]

 一方のグースグリーンのピアッヒ中佐は、まさか自国軍の本当の動きを放送するわけあるまいと、特別な対応は取りませんでした。[1-1]

 しかし10時30分ごろには大隊側の偵察隊とアルゼンチン軍の偵察隊が遭遇戦となり、さらにランドローバーに乗るアルゼンチン軍偵察班を待ち伏せ、これを捕獲しています。[1-1]

 アルゼンチン側には警告を与えることになったものの、捕虜の証言でグースグリーンに114名の住民が抑留されていることが判明します。[4-1]

 また、正午過ぎにはイギリス空軍のハリアー2機がグースグリーンの空襲に向かったものの、爆撃に失敗し、逆に1機を35mm対空機関砲で撃墜。パイロットは脱出し、後に海軍のヘリコプターで救助されています。[1-1][1-4]


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http://razonyfuerza.mforos.com/968451/10507609-un-artillero-en-malvinas/
ハリアーを撃墜した35mm期間砲。5月4日にもハリアーを撃墜している。

 その間に行軍を続けた第二空挺大隊は14時にカミラ・クリークの民家に到着。16時からシー・キングによる20 ソーティのピストン輸送が実施され、砲兵28名、105mm榴弾砲3門、弾薬960発が空輸されました。[1-1]

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http://www.britishempire.co.uk/forces/armycampaigns/southamerica/falklands/falklandwarcamillacreek.htm
カミラ・クリーク・ハウス

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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-221

L118 105mm榴弾砲。アルゼンチン側の105mm榴弾砲よりも長射程で、現在でも第一線で使用されている。写真は海兵隊が装備する。

 さらに18時にはC中隊と工兵分隊による先遣隊がカミラ・クリークを出発。作戦開始線までの3kmの道のりの安全を3時間かけて確認。途中の3つの橋では、工兵が腰まで凍り付く水にはいり仕掛け爆弾を捜索しています。さらに各所に案内員を置き、後方のABD中隊の夜間行軍を助けました。[1-1]

 そして5月28日午前2時00分(2時30分とも)。暗闇が照明弾で照らされ、夜霧とみぞれ雪がきらめく中、ついに空挺大隊は戦闘を開始します。[1-1][1-4]


出典
[1-1]フォークランド戦争史 P257~P270
[1-2]フォークランド戦争史 P78
[1-3]フォークランド戦争史 P71~72
[2-1]サッチャー回顧録上巻 P290
[3-1]空戦フォークランド P187
[4-1]The Falkland Islands Campaignより 27/28 May 1982 Goose Green - The first major land victory
[4-2]The Falkland Islands Campaignより21 May to 11 June 1982 Actions, losses and movements on land and sea
[5-1]フォークランド戦争 P196~208

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算 (サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland

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