第52回 連載「フォークランド紛争小咄」パート20
戦後最大の艦対空戦 後編
文:nona
「いちばん長い日」こと5月21日の上陸作戦を乗り越え、平穏が訪れたサンカルロス湾。しかしアルゼンチンの「五月革命記念日」が近付くにつれ、空襲は再び激化。イギリス軍はレイピア対空ミサイルやシーウルフ対艦ミサイルの僚艦防空、エグゾセに対するソフトキル戦法で対抗したものの、これらには大きな欠点がありました。
http://www.defensemedianetwork.com/stories/the-falklands-30-years-later/
ブロードソードの艦上から撮影された2機のA-4。
文林堂 (2012-05-30)
売り上げランキング: 264,812
激戦から一晩たった5月22日。サンカルロス湾にはレイピア対空ミサイル10基の配備が完了し、それまでシーハリアー頼りだった防空体制も強固になると思われました。[1-1]
http://histoire-militaire.pagesperso-orange.fr/aviation/sanmalouines.htm
レイピア地対空ミサイル。ミサイルはイギリス陸軍が好んでいた司令誘導方式。当時の射程は6~7km。
http://www.realitymod.com/forum/f388-pr-bf2-community-modding/111643-comm-modelling-task-rapier-sam.html
レイピアの目視式照準具(?)。
http://www.realitymod.com/forum/f388-pr-bf2-community-modding/111643-comm-modelling-task-rapier-sam.html
レイピアの方位盤(?)
機動部隊のウッドワード司令はレイピアを「(トランプの)キング」と呼び、防空の切り札に位置付けたほどです。[1-1]
ところが実際の戦果はあまり芳しくなかったようです。初陣となる23日の戦いで、同ミサイルは4機の撃墜を報告したものの、3機の戦果は誤認、残る1機もシーウルフや艦砲による共同戦果、という不確実なもの。[2-1]
命中したと思われたレイピアはアルゼンチン軍機に回避されていました。アルゼンチン機のパイロットも「ミサイルに気付ければ回避機動で振り切れる」と語っています。(もっとも攻撃を諦めさせる効果はあるわけですが)[2-1]
そのうえ、水上艦が発する電波がレイピアを狂わせるという、水陸両用作戦においては致命的な欠陥も発現していました。(しかしレイピアにしてみれば水上艦の護衛など想定外の運用法でもあります)[2-1]
https://aforjar.wordpress.com/2015/02/19/la-artilleria-en-la-guerra-de-las-malvinas/
湾を見下ろす山に設置されたレイピア。同システムは欧州の平原地帯で使用を想定して設計されたため、両用作戦には不向きな面もあった。
このレイピアの制約が明らかになる23日の戦いでは、21型フリゲートのアンテロープが不幸にも戦没艦となっています。
http://www.taringa.net/posts/imagenes/5152157/A-4-skyhawk-en-la-guerra-de-malvinas.html
アンテロープ。一昨日の5月21日に沈んだアーデントの同型艦。
アンテロープは5月23日の午後2時の攻撃で2発の不発弾を受け、夜に陸軍の不発弾処理チームが信管の除去作業を敢行していました。[2-1] [3-1]
ところが不発弾の1発が突然爆発。作業をしていたプレスコット軍曹が死亡し、火災がミサイル弾薬庫に回って誘爆。艦は中央から折れ、翌朝には艦首と艦尾だけが海面にありました。あまりにも壮絶な最期です。[2-1]
http://www.ausairpower.net/Warship-Hits.html
弾薬庫が誘爆したアンテロープ。艦に残っていた40名は誘爆が始まるまでの5分ほどの間にLCVPで脱出した。
https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2013/03/05/bombas-en-la-guerra-de-malvinas/
翌朝のアンテロープ。
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205189252
アンテロープの残骸。
そしてアルゼンチン「五月革命記念日」を迎えた5月25日、アルゼンチン海空軍は、上陸部隊を攻撃する部隊と、機動部隊を奇襲する部隊両方を出撃。
対するイギリス軍は、アルゼンチン機の北西の侵入ルート上に42型駆逐艦のコベントリー、22型フリゲートのブロードソードを派遣。2隻は後方の上陸部隊に事前警報を出す「レーダーピケット」任務に就いていました。[2-1]
http://www.taringa.net/posts/imagenes/5152157/A-4-skyhawk-en-la-guerra-de-malvinas.html
42型駆逐艦コベントリー。全長125m、排水量4350t。5月4日に沈んだシェフィールドの同型艦。射程70kmのシーダート対空ミサイルを備える。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2151136/Britains-bravest-photographer-Incredible-picture-shows-moment-Argentine-fighter-jets-swooped-HMS-Coventry-Falklands-War.html
22型フリゲートの一番艦ブロードソード。全長131m、排水量。4400t。同世代の42型駆逐艦より若干大きい。
http://sowethereyet.blogspot.jp/2012/04/april-21-1982.html
22型フリゲートのシーウルフ対空ミサイル。低空目標に対処できる唯一のミサイルとして、紛争中は僚艦防空に使用された。
そして25日の正午、警戒を続けていたブロードソードに2機のスカイホークが迫ります。[2-1]
http://www.defensemedianetwork.com/stories/the-falklands-30-years-later/
ブロードソードから撮影された2機のA-4。
当初シーハリアーが迎撃に向かったものの、ブロードソードからの誤射を避けるため追撃を中止。[2-1]
ところがアテにしていたシーウルフはスカイホークのロックオンが外れ、迎撃に失敗。幸いスカイホークが投下した爆弾は海に落下し、艦に命中したものも反対側の海へ飛び出していきました。[2-1]
http://www.hmsbroadsword.co.uk/falklands/
A-4側のガンカメラで撮影された映像(?)。両軍とも戦いを記録していた。
https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2013/03/05/bombas-en-la-guerra-de-malvinas/
ブロードソードに空いた爆弾の穴。
https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2013/03/05/bombas-en-la-guerra-de-malvinas/
不発弾との衝突で機首をつぶされたリンクス。
https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2013/03/05/bombas-en-la-guerra-de-malvinas/
応急修理されたブロードソード。
こんなシーウルフですが、5月12日にブリリアントが発射したものが2機のスカイホークを撃墜、1機をマニューバキルする大戦果を上げていました。期待の新兵器ですが、まだまだ気分屋の一面もありました。(12日も途中で射撃不能となっている)[2-1]
http://seradata.com/SSI/2013/02/standard-missile-sm-3-makes-su/
装填中のシーウルフミサイル。
さらに反対側からスカイホーク2機がコベントリーに接近。ハリアーが迎撃に向かったものの、誤射をさけるため、またも追撃が中止されました。[2-1]
http://www.hmscoventry.co.uk/25thmay1982.php
コベントリーから発射されるシーダート対空ミサイル。ブロードソードから撮影。
ところがシーダートは迎撃に失敗。シーハリアーへの誤射を避ける方策が、裏目に出ていました。[2-1]
続いて後方のブロードソードが僚艦防空のためシーウルフを起動。ところが回避運動を始めたコベントリーが、スカイホークを覆い隠してしまい、ロックオンが解除。コベントリーは3発の爆弾を被弾します。 [2-1]
http://www.taringa.net/posts/info/18680542/Un-dia-como-hoy-25-de-mayo-hundiamos-al-HMS-Coventry.html
被弾直後のコベントリー。撮影はブロードソード。撮影者の名前が知りたい。
爆風はハートダイク艦長の居たCICまで及びました。艦長は傷を負いながら艦橋に上り、戦闘海域からの脱出を指示したようです。しかし艦の損傷は甚大で、乗員は19名が死亡していました。結局艦は放棄され、翌日に転覆しています。[2-1]
http://www.taringa.net/posts/info/18680542/Un-dia-como-hoy-25-de-mayo-hundiamos-al-HMS-Coventry.html
転覆したコベントリー。
フォークランド北西でコベントリーが撃沈されたころ、後方のイギリス機動部隊にもアルゼンチン機が迫っていました。 エグゾセを搭載した、2機のシュペルエタンダールです。
アルゼンチン海軍のP-2哨戒機が機体寿命に達していたこともあり、今回は十分な洋上捜索は行えずにいました。そこでスタンレーの警戒レーダーが帰投するハリアーを追跡し、機動部隊の位置を特定。この情報を元に、シュペルエタンダールを発進させています。[1-2]
今回の作戦ではイギリス軍のレーダーピケットに発見されないよう大回りのルートが選定され、シュペルエタンダールも行きと帰りに2回の空中給油を実施しています。[2-2]
http://bullit1987.tumblr.com/image/47496938317
空中給油を受けるシュペルエタンダール。北から大回りで機動部隊を目指すためプエルトデセアド基地から発進したとされる。
そして2機はシェフィールドを攻撃した時と同じく、無線封鎖状態で、高度15mを時速1000kmで編隊飛行。[2-2]
そしてESMでイギリス艦艇の存在を逆探知すると、機体をわずかに上昇させて、自らのレーダーで空母の捜索を開始。[2-2]
対する機動部隊では、アンバスケードがシュペルエタンダールのレーダー波を逆探知。各艦はチャフを打ち上げ、ジャミングポッドを搭載したリンクスも緊急発進。 この機動部隊からの妨害で、発射されたエグゾセは目標を消失しました。[2-2]
ところが徴用輸送船アトランティック・コンベヤーを見つけると、これに目標を変更。無防備な同船に1発のエグゾセが命中します。[2-2]
http://wikimapia.org/8205543/Wreck-of-M-V-Atlantic-Conveyor
アトランティック・コンベヤー。フォークランド紛争では航空機輸送船に用いられた。
この攻撃で臨時船長のノース大佐や民間人の乗組員ら12名が死亡し、さらに積み荷の燃料に引火し激しく炎上。一旦は鎮火し、物資の回収が検討されたものの、5月30日になって沈没しています。[2-2]
このアトランティック・コンベヤーの喪失で、積み荷のCH-47チヌーク3機、ウェセックス6機、リンクス1機、燃料、テント400セット、ヘリの貨物用スリング、クラスター爆弾、ハリアー臨時滑走路用資材の一部を喪失。上陸部隊にとって大きな痛手となりました。[1-3] [2-2] [4-1]
http://www.taringa.net/posts/info/18680542/Un-dia-como-hoy-25-de-mayo-hundiamos-al-HMS-Coventry.html
火災で黒焦げになったアトランティック・コンベヤー。
25日の攻撃でコベントリーとアトランティック・コンベヤーを沈めたアルゼンチン空海軍でしたが、自身の航空機の損耗も激しく、エグゾセの残弾も1発となりました。翌日からの悪天候もあって、以降の対艦攻撃は再び散発的なものとなります。
なお、25日までの4日間でアルゼンチン軍機は180ソーティの任務を実施し127ソーティが目標まで到達しています。そこで3隻の戦闘艦と1隻の民間輸送船を撃沈しました。[2-2]
その間にアルゼンチン機は19機を撃墜または事故で喪失していますが、12機はシーハリアーによるものでした。シーハリアーの戦闘力はさほど高いものではありませんが、水上艦と連携した迎撃管制によって、常に有利な位置からアルゼンチン機に空中戦を仕掛け、一方的に勝利を収めました。 [2-2]
http://abc.wiadomosci.gazeta.pl/szukaj/wiadomosci/wojna+o+falklandy-malwiny
ハリアーは稼働率も高く、シーハリアー28機と空軍のハリアー10機は21~25日の期間、アルゼンチン軍を上回る約300ソーティもの任務を実施できた。 [2-2]
一方のアルゼンチンは攻撃隊にミラージュⅢ戦闘機の護衛をつけておらず、被害を防ぐことができませんでした。シーハリアーに対抗できる戦闘機はないと諦めた為なのか、「トルネード」作戦による偽のバルカン爆撃機の空襲情報に踊らされたのか、理由は不明です。 [2-2]
そしてアルゼンチン軍は(偶然撃沈したアトランティック・コンベヤーを除き)輸送船や上陸部隊にほとんどダメージを与えていませんでした。[2-2]
その間にイギリス軍は5500名の兵士と5000トンの物資の揚陸を終え、地上部隊の兵士達も前進命令を待つばかりでした。[2-2]
出典
[1-1]フォークランド紛争史P198~204
[1-2]同 P81
[1-3]同P233
[1-4]同P194
[2-1]空戦フォークランドP111~142
[2-2]同 P164~180
[3-1]兵器ハンドブックP217~227
[4-1] thinkdefence.co.ukよりThe Atlantic Conveyor #Falklands30
参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland
売り上げランキング: 384,323
コメント
完全に想定外の状況だったのでしょうか。
英艦隊は対空防御のチャフを大量に散布したため、足りなくなったらしいです。
アトランティック・コンベアについては、英空母を狙ったミサイルが逸れて、RCSの大きな同船が被弾したものと記憶しておりましたが、アルゼンチン側が目標を切り替えたのですね。
あとアンテロープ喪失については、朝日ソノラマの「撃沈戦記」が詳しいです
話だけ聞くと、不発弾が作業中の処理隊員を粉々にしてしまったような印象ですが、少量の爆薬で不発弾の信管を無力化する作業で隊員は退避していて、作業後に現場に戻ろうとした矢先に不発弾が暴発して、その爆風を浴びて死亡したとのこと(他に一緒にやって来た処理隊員1名も重傷で、助手だったアンテロープ乗員2名は無傷で済んだ)
※1
どうもレイピアはレーダーが混線していて策敵ができなかったらしくて、ジェット機が相手でどこから来るかもわからないとなると、光学照準があっても役に立たなかったのではないかと
兵器はいつも開発者の想定外の環境で使用される、という格言が思い出されます
みたいですが、何してるんでしょうか。
まさか降りるつもりでもないでしょうし。
アルゼンチン空軍が対戦車狂いのルーデルじゃなくて洋上攻撃に実績のある日米どちらかの指導を受けていたら輸送艦をしっかり狙ってイギリスが負けていた可能性も?
まぁ政治的に色々と難しそうではあるが・・・
ミサイルが微妙な活躍はミサイルの運用にまだ慣れていない時期だからと言えそうだけど、最近のECM技術の発達を見るに意外と同じような状況が再現される可能性は高いのじゃないかと個人的には感じる。
相手には戦闘機が不足していて迎撃管制でシーハリアーが大活躍しても艦隊の被害が生じたことを考えるに、航空優勢があったとしても海上部隊の被害が無いとイコールじゃないのね・・・
これは日本の離島防衛・奪還を考えるにあたって非常に大きな意味がありそう、攻めるにしろ守にしろ相当な被害は覚悟せにゃならん
レイピアはSARH誘導やIR誘導ではなく、司令誘導方式を採用しているそうですが、
この司令誘導用の電波が艦船の電波に打ち消されてしまっていたようです。
2様
空軍はもちろんですが、
シュペルエタンダールの海軍航空隊もがんばっていますね。
3様
バックアップがバックアップとして機能せず、
英軍の多層の防空網が全て無力化されてしまう様子は
筆舌に尽くしがたいものでした。
先任伍長様
パイロットが目標を変更したというよりは、ミサイルが勝手に目標を切り替えてしまったそうで、故意にアトランティックコンベヤーを狙ったわけではないようです。
英軍の物資不足についても色々な話が残されていますね。
艦砲や機関銃のバレルなどは予備がなくて苦労したとか。
・・・様
手持ちの資料でも爆弾処理の状況についてより詳しく書かれておりました。
省略してしまい申し訳ありあません。
不発弾のエピソードでも1話書けそうなので、余裕があればまとめたいと思います。
なおレイピアの不調原因がIFFにもあるとして、サンカルロスの航空機全てのIFFを止めていたという話もあります。
6様
アトランティックコンベヤーはハリアー輸送船として活用されていました。
写真のハリアーもコンベヤーに着船可能です。
なお5月25日には空母への移送が完了していたので、ハリアーの喪失はありませんでした。
誤字様
ルーデル氏が空軍で教鞭(?)を執ったのは1940~50年代の一時期ですから、
フォークランド紛争に与えた影響は不明な点も多いのです。
ただアルゼンチン海軍航空隊は伝統的にアメリカ式の戦術を心得ていたようで、
ある程度は空軍にも伝授できたようです。
輸送船を外したのは故意かもしれませんね。
紛争の戦訓については日本はイギリスはもちろんアルゼンチンにも学ぶべき点が多いなあ、と感じております。
空母を狙う為に、射程の長いエグゾセ搭載のシュペルエタンダールを使用した
それで空母を狙ったつもりが、レーダー反応のでかいアトランティックコンベアーに命中したという顛末
ヘリの風除けに、両舷にコンテナ積み上げてたので余計にレーダー反応が大きかった
さすがベトナムでミグを返り討ちにしてのけるスカイホーク
技量と勇猛果敢さの低空攻撃が仇になった
ラテン気質とか関係ない
無断転載ウンヌンの件をなんとなし把握、複数のまとめサイトが「対応するとか言っておきながら何もしてねーじゃねーか」的なリプライ送られててこりゃ仕方ないか~ 的な気持ちに・・・
これを機に粗悪なまとめサイトが淘汰されたらいいけど、それまでは読者投稿サイトになるのかな?
コメントする