第51回 連載「フォークランド紛争小咄」パート20
戦後最大の艦対空戦 前編
文:nona
欺瞞と陽動でアルゼンチン軍を牽制し、あっさりとフォークランド上陸に成功したイギリス軍。ところが「いちばん長い日」はまだ始まったばかり。日が昇る頃にはアルゼンチン軍機による熾烈な抵抗が開始されました。
https://www.pinterest.com/pin/501307002248423844/
http://www.foromilitar.com.ar/foro/index.php?threads/combates-aeronavales.325/
http://www.taringa.net/posts/info/18680542/Un-dia-como-hoy-25-de-mayo-hundiamos-al-HMS-Coventry.html
http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/the-atlantic-conveyor-falklands30/
5月21日からの4日間に沈んだ4隻のイギリス艦艇。左上「アーデント」、左下「アンテロープ」、右上「コベントリー」、右下「アトランティックコンベアー」。
5月21日未明。アルゼンチン軍守備隊を牽制しつつ、闇に紛れてフォークランドへの上陸を果たしたイギリス軍。もっとも、いつまでも上陸を隠しておけるはずがなく、夜明けと共にアルゼンチン陸軍の分遣隊に発見されていました。[1-2]
そして太陽が昇り始めた午前10時、サンカルロス湾にアルゼンチン軍海軍航空隊のアエルマッキMB-339練習攻撃機がサンカルロス湾に侵入。
その30分後にはダガー戦闘攻撃機10機(1機はトラブルで引き返している)が現れ、夕方までに計45ソーティもの攻撃が行われました。[2-1]
http://www.taringa.net/posts/imagenes/19050141/Sistema-Mirage-yo-te-banco-GRACIAS.html
サンカルロス湾を飛ぶダガー。
https://www.youtube.com/watch?v=IdsjkHjmhVo
突如として始まった空襲に凍りつく、BBCスタッフとハンラハン記者。
この日の空襲で最初に被害を受け、かつダメージが大きかった艦が12I型フリゲートのアーゴノートでした。
同艦は偵察に現れたアエルマッキMB-339のロケット弾と30mm機関砲ポッドの洗礼を浴び2名の負傷者を生じ、続く午後2時頃の攻撃でスカイホークから2発の不発弾を受け2名が死亡しています。さらに不発弾が操舵装置を破壊し、同艦はファニング岬の岩礁に衝突の危機に。[1-1] [2-1]
http://www.arrse.co.uk/community/threads/falklands-war-hms-argonaut.244349/
アルゴノートに突入した1000ポンド爆弾。イギリス空軍WEBサイトでは「イギリス製の1000ポンド爆弾Mk17」が使用された、としている。事実であれば、かなり皮肉な状況といえる。
この状況で乗員のモーガン中尉の指揮で投錨がなされ、なんとか座礁を回避しています。この活躍で中尉は後に「DSC(殊勲十字勲章)」を受章。[1-1] [3-1]
しかし行動不能になったアーゴノートにロケット攻撃と機銃掃射が繰り返され、レイマン艦長も「なぜ浮いているのか不思議だった」と語っています。[4-1]
さらにカウンティ級駆逐艦の21型フリゲートのアントリムも不発弾をうけ、22型のブリリアントとブロードソードは機銃掃射によるダメージを受けていました。
http://seradata.com/SSI/2014/08/on-a-sadder-note-venerable-falklands-warship-hms-plymouth-is-sent-to-the-scrappers/
アルゼンチン機による機銃掃射。(相手の艦はプリマス)
この攻撃のうち、ブリリアントに対して射撃された機関砲弾はCICまで到達し、火器管制コンピューターと配線を損傷。さらにCIC内の迎撃管制官ら3名が負傷し、その瞬間に彼らと交信していたシーハリアーのトーマス大尉は、以下のように回想しています。[1-1] [2-1][6-1]
「ブリリアントの航空統制官が話しかけてきました。攻撃部隊が侵入してきている、と告げたんです。と、無線にいくつかのコン、コンという音が聞こえました。しばら前進一杯の取舵く沈黙が続いたかと思ったら、航空統制官が叫んだんです。『やられたッ!畜生、なんだかさっぱりわからんぞ……ちょっとまってくれ……隣のやつは腹をやられている。俺は腕をやられた!』」[2-1]
http://www.hmsbrilliant.com/content/dsection5.html
ブリリアントに残る弾痕。
各艦が被害を受ける中、最も甚大な被害を被った艦が21型フリゲートのアーデントでした。
http://www.taringa.net/posts/imagenes/5152157/A-4-skyhawk-en-la-guerra-de-malvinas.html
アーデント。全長117m、排水量3200t。小さな船体に重武装を施すため、上部構造は軽量なアルミニウム合金を多用していた。
アーデントはグースグリーンの部隊を艦砲射撃で牽制と前進警備のため、フォークランド海峡にありました。ところが同地はサンカルロス湾を目指すアルゼンチン機の通り道。敵機の目を引きやすい海域です。[2-1]
最初にアーデントを狙ったのは午前中に現れた2機のプカラでした。同機はターボプロップ推進の低速機ですが、アーデントの4.5インチ砲もシーキャットも命中せず、2700mまで迫ったところで、ようやく攻撃を諦めさせています。[2-1]
http://seradata.com/SSI/wp-content/uploads/2013/02/seacatlaunch.jpg
シーキャット対空ミサイル。旧世代のミサイルで命中率が悪く、頻繁に故障した。
http://www.taringa.net/posts/imagenes/19144300/Pilotos-Argentinos-yo-los-banco.html
なおアーデントに迫ったプカラのうち1機は、ウォード少佐が操縦するシーハリアーに両エンジンを狙撃され撃墜された。パイロットは脱出している。
次に現れたのは1機のA-4スカイホークでした。当初は4機で離陸したものの、1機は空中給油に失敗、もう1機は増槽の燃料が使用できないトラブルで、最後の1機も廃船を誤爆し爆弾を浪費。残る1機だけで突入してきたのです。[2-1]
http://www.taringa.net/posts/imagenes/18396341/La-guerra-desde-el-Aire.html
空中給油を受けるスカイホーク。
しかしアーデントのレーダーはスカイホークを探知できず、たった2海里(3700m)に迫ったときに見張り員がようやく発見。[2-1]
スカイホークは艦首方向から突進してきますが、アーデントの艦砲は指向が間に合わず、手動旋回式の20mm機関砲が使用できたのみ。アーデントのウェスト艦長はとっさに全速で取舵を指示し、奇跡的に爆弾を2発とも回避しています。[2-1]
しかし幸運は続かず、14時30分に現れた3機のダガー編隊は、アーデントの艦尾から接近していました。このとき後部のシーキャット対空ミサイルは作動せず、艦首の主砲は死角となっていました。[2-1]
ダガー編隊もアーデントがほとんど無防備であることを見抜いたのか、3機は高度90mに上昇し、6発の爆弾を投下。3発が命中し、2発が爆発しています。[2-1] [6-1]
http://www.hmsbroadsword.co.uk/gallery/falklands82/ardent/ardent1.htm
被弾したアーデント
この攻撃でアーデントが搭載していたリンクスヘリコプターが格納庫ごと破壊され、(役立たずの)シーキャット発射機を吹き飛ばし、さらに4.5インチ砲まで停止してしまいます。[2-1]
さらにアルゼンチン機の襲来も続き、海軍航空隊の3機のスカイホークがアーデントに接近してきました。[2-1]
やむなくアーデントはエリコン20mm機関砲と、警備用の7.62mmの機関銃でA-4に対抗。
この機関銃を指揮したのは陸軍出身のリーク上等兵曹。ただ彼は一度軍を退役してNAAFI(イギリス三軍の酒保組合)の酒保マネージャーとなっており、正規の軍人ではありませんでした。[2-1][6-1]
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2042700/HMS-Ardent-Falklands-canteen-manager-John-Leakes-service-medals-sold-record-price.html
リーク上等兵装と愛銃(?)L7GMPG。
この上等兵曹らの活躍で急接近するスカイホークに若干のダメージを与えたものの、撃墜は叶わず、スネークアイ減速装置付きの爆弾を投下されています。この爆発で上等兵曹は負傷、アーデントも操舵装置や各種の配線が破損し、ダメージコントロールが困難に。[2-1]
このときまでに乗員も22名が戦死し、30名が負傷しており、やむなくウエスト艦長は総員退艦を決断。その後にアーデントは沈没しています。[1-1] [2-1] [6-1]
この日の激戦でアーデントは1000ポンド爆弾と500ポンド爆弾7発を被弾し、3発ないし5発が起爆し同艦にダメージを与えました。[1-1] [2-1] [6-1]
こうもアーデントに攻撃が集中したのは、前述のとおり、アルゼンチン軍機の注意を引きやすい場所にいたためでした。
もっとも、同艦が囮となることで、後方の艦の被害を減じた、という側面もあり、不発のエグゾセ一発で無力化にされたシェフィールドと比べると、非常に粘り強い艦でもありました。[1-1] [2-1] [6-1]
ちなみにアーデントのウエスト艦長は健闘を評され、アーゴノートのモーガン中尉に続きDSC(殊勲十字勲章)を受章。後には第一海軍卿まで出世しています。[2-1]
http://www.hmsbrilliant.com/content/dsection5.html
生き残った乗員をヤーマス移乗させるアーデント。
この日の夕方、アルゼンチン政府は民間マスメディアを通じて、「2隻撃沈、2隻大破、4隻に損害」と発表。続けて「上陸作戦は失敗」と報じました。 [4-1]
ところが、実際の戦果は「1隻沈没、5隻破損」で、すべて戦闘艦の被害。輸送船や地上の集積物資にダメージはなく、イギリス軍は3000名の兵士と1000トンの物資を安全に揚陸しています。上陸は成功と呼べるものでした。[1-1] [6-1]
http://www.naval-history.net/F13-History_of_Falklands_dispute.htm
攻撃をうける輸送船団。アルゼンチン軍機は戦闘艦への攻撃を優先したため、ほとんど被害がなかった。
それでも大型客船のキャンベラが沈まなかったことは奇跡のように思われたようで、同船を地上部隊の宿舎とすることをあきらめ、サンカルロス湾を脱出しています。[1-1][5-1]
https://en.wikipedia.org/wiki/SS_Canberra#/media/File:SS_Canberra_%26_HMS_Andromeda_Falklands_1982.jpg
客船キャンベラ。
なおこの日の戦いについて、機動部隊のウッドワード司令は、
「アルゼンチンの作戦可能な航空機の約50パーセント、そしてアルゼンチンが我々を負かしたこと以上に、ともかく、少なくとも我々はアルゼンチンをかなり負かしているはずである。実際に、アルゼンチンは攻撃する艦船を間違うという点で愚かであり、そして我々の旧式の艦艇にだけした損害を与えていないという点で不首尾であった」[1-1]
と日誌に綴っています。
ただし公式戦史によれば彼の言葉は「楽観的」とのこと。本当の地獄はこれからでした。[1-1][2-1]
後編に続く
https://www.youtube.com/watch?v=ocJ3KVPhZ2c
サンカルロス湾の戦いでは少しでも弾幕を濃くするため、旧式のL4機関銃(ブレン軽機関銃の7.62mmNATO弾仕様)まで使用された。
出典
[1-1]フォークランド紛争史P198~204
[1-2]同 P255~257
[2-1]空戦フォークランドP111~142
[3-1]兵器ハンドブックP217~227
[4-1]フォークランド紛争の内幕P165~172
[5-1] サッチャー回顧録上巻P284~285
[6-1] The Falkland Islands CampaignよりD Day - The British Task Force lands at San Carlos
参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland
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コメント
あと空中給油するスカイホークの画像で、被弾による燃料漏れで帰還不能になった機が緊急発進した空中給油機に繋がったまま本土まで帰還した話を思い出した。
アーデントのウエスト艦長はが第一海軍卿まで出世したことは知らなかった。実戦経験は大きな評価を受けるのかな。
伏見宮も永野修身も山本五十六も日露戦争の経験者で、海軍の最高首脳まで出世したが、本人の能力に加えて実戦での活躍がモノを言ったのだろうか。まあ宮様は別格だけど。
後編、大いに機体しています。
ぶっつけで低空侵入して攻撃を当ててるアルゼンチン軍の練度はかなりのものですね。
あった、あった。スカイホークと空中給油機がトンボの交尾みたいにつながったままで、本土にたどり着いた話。
嘘付け!と思ったけど、ベトナム戦争で米軍機が似たようなことやってるね。
対空用にブレン軽機関銃まで引っ張り出してきたとは存じ上げませんでした。
搭載機関銃にM2が欲しくなりますね、これじゃ。
(現在一部のイギリス艦にミニガンついているのはこの時の戦訓なのだろうか)
両大戦の時代じゃないのだから
ファランクスは味方機はもちろん、まれに海上の残骸や岩礁、水柱にも反応するそうです。
そこで友軍が射界にいるときは、スイッチをOFFにするとか。
狭い湾内の防衛には不向きでしょうね。
2様
不発の原因ですが、整備不良というよりは
爆弾の滞空時間が短すぎて、信管の安全装置が解除されない、とのことです
「空戦フォークランド」によるとアルゼンチン側もこれを認識しつつあったそうで、
相手からの反撃がない場合に投弾高度を上げる、
爆弾に減速装置を装着する、などの工夫をしていました。
3様
あがとうございます。
ただ使用画像の問題がありますので...
先任伍長様
英語版wikipediaにウエスト艦長のフォークランド紛争から現代までの経歴が
記されていますが、
「犬の散歩中に機密文書を落し、タブロイド紙にすっぱ抜かれた」
という彼の危うい一面も紹介されています。
5様
信管の不発は母機を守るための仕様みたいなものですが、
それでも命がけの低空飛行なのに、不発とはやるせない話ですよね。
もっとも起爆すれば、それはそれで多くの人は死ぬことになるので、
無邪気に喜ぶこともできませんが。
6様
給油プローブの件は6月8日の出来事ですね、
現在執筆中の記事も同時期の出来事を扱う予定なので、
少しだけ登場するかもしれません。
7様
ブレンやらL1ライフルやら、撃てるものはなんでも撃ったそうで、
少なからず命中弾はあったようです
ただその場で撃墜できるほどの威力はないので、
対空射撃は隊員にとっての気休めなんでしょうね。
8様
過去の一大海戦とは比べるべくもない小さな戦いですが、
1日おきに1~2隻の艦が沈んでゆくことは、
かなり衝撃的だったとは思います。
いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
爆弾に不発が多発した件は、私もアルゼンチン空軍パイロットの果敢な超低空攻撃の結果、投弾高度があまりに低かったためと記憶しています。
何でも、第二次大戦後アルゼンチン空軍士官学校で教官を務めたかのハンス・ウルリヒ・ルーデルが超低空飛行による目標への肉薄攻撃を徹底的に叩き込んだおかげだとか。
彼らの操縦技倆と旺盛な士気は所謂「ラテン的ないい加減さ」とは対極にあると思います。
陸戦でのアルゼンチン徴集兵は練度も士気も低く駄目駄目でしたが、士官の忠勇ぶりは英軍側からも評価されていますしね。
だってこいつら鬼神ルーデルの孫弟子だもん
エグゾセに関してはイラン・イラク戦争でも不発だらけ(ほぼ無傷で回収された物すらあるほど)で使用したイラク軍からクレーム受ける代物ですからね
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