第48回 連載「フォークランド紛争小咄」パート19
サットン作戦とトルネード作戦 中編

文:nona

 上陸作戦の前夜、SASの一個小隊が陽動作戦を開始。同時刻にはSBS小隊もサンカルロス湾に上陸。ファニング岬の警備隊との戦闘に備えました。

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http://www.naval-history.net/FxDB01-Milan.JPG

陽動にミサイルを使用するSAS。

フォークランド戦争―“鉄の女”の誤算
サンデー・タイムズ特報部 宮崎正雄
原書房
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 上陸作戦直前の5月20日夕方、SAS・D中隊のデルヴズ少佐ら40名は、2機のヘリコプターで揚陸艦イントレピッドを発進。目標はアルゼンチン軍守備隊が駐屯するグースグリーン・ダーウィン入植地。ヘリコプターで入植地の北20kmのサセックス山南側に降下し、そこから徒歩で目的地に向かいました。[1-1]

 なお夜の時間を最大限に活用させる目的で出撃は夕刻に開始されています。アルゼンチン軍に発見される危険があったものの、集落をさけつつ地形追従飛行をすることで警戒網を回避しています。[1-1] [2-1]

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https://en.wikipedia.org/wiki/File:Falkland_Islands_topographic_map-en.svg
サンカルロス湾(細い赤線)とグースグリーン・ダーウィン入植地(太い赤線)の位置。

 当時グースグリーン・ダーウィンの入植地にはアルゼンチン陸軍の12連隊および第25連隊の約1200名が駐屯し、プカラ攻撃機の臨時飛行場も開設されていました。アルゼンチン軍の連隊の定数は600名強と大隊に近い規模ですが、それでも40名のSASが挑むには手にあまる相手でした。[1-1][3-1]

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http://www.urgente24.com/197208-otra-vez-%C2%BFde-quien-es-malvinasfalkland
グースグリーン入植地の集落

 そこでSASが実施したのはアルゼンチン軍の撃滅ではなく、陽動による一時的な足止め。SASは小銃、機関銃や迫撃砲による一斉射撃で、アルゼンチン軍を脅かします。強大な部隊に攻撃されていると錯覚させるため、ミラン対戦車ミサイルまで使用しました。[2-1] [3-1]

 さらに21型フリゲートのアーデントも4.5インチ砲による艦砲射撃で支援する手筈でしたが、何らかのアクシデントのため実施されませんでした。[1-1]

 それでも陽動は十分な成果を上げ、大軍が襲ってきたと錯覚したアルゼンチン軍は、入植地に篭もってしまいました。もし正体が小隊であると知っていれば、陣地を飛び出して、SASを激しく追撃していたでしょう。[2-1]

 陽動を終えたSAS隊員は北上を開始。(イギリス軍が上陸しているであろう)サンカルロス湾を目指します。[2-1]

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http://www.naval-history.net/FxDB01-Milan.JPG
陽動でミサイルを発射するSAS。

 SASがグースグリーンを襲撃していた頃、北フォークランド海峡およびサンカルロス湾ではイギリス上陸部隊の前進が開始されました。[1-2]

 先陣を切ったのは戦闘艦のアントリムとアーデント、それに後からついてきたヤーマスの三隻。

 アントリムは海峡の入り口とサンカルロス湾の入り口の警戒を担当。航空戦力として2機のシーキングヘリコプターが対戦哨戒を実施しています。[1-2]

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http://www.gerlecreek.com/coolplaces/coolplaces.htm
カウンティ級駆逐艦アントリム。海峡北入口の警備とSBSの支援を担当。

 アーデントは海峡の中央まで進み、地上のSASに艦砲射撃支援ができる位置に展開しました。ただし、前述のように艦砲射撃は実施されなかったようです。[1-1]

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https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Ardent_%28F184%29#/media/File:HMS_Ardent_%28F184%29.jpg
21型フリゲート、ア-デント。海峡中央の警戒とSASの支援を担当。

 そしてヤーマスは2隻の後に続き、持ち込んだ掃海具で未確認の機雷に備えました。

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http://www.leander-project.homecall.co.uk/Type%2012m.html
12M型フリゲートのヤーマス。掃海具を装備し、掃海を担当。ただしフォークランド海峡が機雷原になっていないことも事前に確認されていた。

 この3隻の動きと連動し35名のSBS隊員が2機のウェセックスヘリコプターでサンカルロス湾に先行侵入します。降下地点はファニング岬のアルゼンチン軍監視哨から南東約3キロメートル。[1-2]

 このとき監視哨にはロベルト・レジェス少尉と部下の下士官4兵士15名が警備中。106mm無反動砲や81mm迫撃砲も装備していました。[1-2]


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http://www.taringa.net/posts/info/14633622/Algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-Malvinas-por-ambos.html
106mm無反動砲。岬の対岸まで狙える有効射程があり、小型舟艇にとっては大きな脅威となった。


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http://www.taringa.net/posts/info/14633622/Algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-Malvinas-por-ambos.html
81mm迫撃砲。

 対するSBSはファニング岬の監視哨の後方900mの稜線に占位し、アルゼンチン軍の退路を遮断。さらに7.62mm機関銃と81mm迫撃砲を添えつけます。[1-3] [3-1]

 そしてSBSは艦砲射撃を要請、ヘリコプターに乗る砲射撃前進観測員(NGSFO)の観測のもと、アントリムが艦砲射撃を開始します。このときの観測には熱線映像式の暗視装置が使用されました。[1-3] [3-1]

 アントリムの艦砲射撃はかなり濃密で、深夜0時52分からの30分間で268発もの4.5インチ砲弾を発射しています。(射撃時間は2時間だった、とする資料もあります。)この艦砲射撃でアルゼンチン軍の通信設備、106mm無反動砲が損傷したものの、少尉が山影への退避を指示したため、兵士達は無事でした。[1-3] [3-1]

 この轟音はサンカルロス湾に響き渡り、10km以上離れたポートサンカルロスの鷲分遣隊本部、エステバン中尉もこれを聞いています。ところが肝心のファニング岬の監視哨との通信は途絶。[1-3]

 この日にはグースグリーンの陽動もありましたから、サンカルロスの騒ぎが上陸作戦の前触れなのか、単なる陽動なのかアルゼンチン側は判断できなかったのです。[1-3]


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SBSの降下地点とファニング岬、ポートサンカルロスの位置関係
http://www.eliteukforces.info/special-boat-service/operations/fanning-head/

 艦砲射撃の終了後、SBSはファニング岬のアルゼンチン兵に降伏を呼びかけました。そのために拡声器を持ったスペイン語通訳の士官が同行していました。ところがアルゼンチン兵は降伏することなく、逆にSBSに向かって前進。[1-3] [3-1]

 直後にSBSとアルゼンチン兵は戦闘状態となりますが、有利な位置に占位したSBSが一方的に勝利。アルゼンチン兵の3名が投降、負傷者3名も捕虜となり、翌日に10~12名の遺体を回収しています。[1-3] [3-1]

 少尉と数名の部下は闇にまぎれて脱出に成功しますが、退路を塞がれポートサンカルロスの本隊への合流に失敗。以降の彼らは動物を狩って自給自足しながら荒野をさまよい、その過程で塹壕足(凍傷)を患い、6月6日になって、ようやくイギリス軍の捕虜となりました。[1-3] [3-1]

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http://foresightpaintblog.blogspot.jp/2013/10/falklands.html
フォークランドに残るの無反動砲の残骸。(写真の無反動砲はファニング岬とは異なる場所で撮影されたもの)

 攻撃から一夜明けた21日の早朝、SASの40名は本部との交信のため、オズボーン山の斜面にありました。[2-1]

 この通信の直後、オズボーン山に1機のプカラ攻撃機が現れ、SAS隊員と同じ高度を数百メートル離れた場所をかすめます。グースグリーンを発進したアルゼンチン空軍のベニテス大尉搭乗機でした。[2-1][4-1]


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http://www.flickriver.com/groups/943248@N21/pool/interesting/
アルゼンチン軍のプカラ。

 突如飛来したプカラに対し、SASはアメリカから供与されたスティンガー携帯式対空ミサイルで対抗。スティンガーは「撃ちっ放し(自動追尾)」方式を採用し、イギリス軍の制式装備であるブローパイプ携帯式対空ミサイルより、命中率が高いものと考えられていました。[2-1]

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http://i.imgur.com/n0Mx4Il.jpg
英語版wikipediaはスティンガーの初陣はフォークランド紛争としている。

 ところがスティンガーはプカラを追い越すと急反転し、そのまま飛び去って行きました。[2-1]

 しかしSASは必死の抵抗を継続。旋回し続けるプカラのコクピットめがけ銃撃します。弾丸はコクピットに命中しなかったものの、操縦系統にダメージを与えました。ベニテス大尉は銃撃で操縦が困難になったプカラから脱出し、無人のプカラは斜面に墜落。大尉は最後まで銃撃に気付かなかったようです。[2-1] [4-1]


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http://img149.imageshack.us/img149/5816/dsc04394c.jpg(リンク切れ)
ベニテス機の残骸(?)とされる残骸

 大尉が脱出する様子は地上のSAS、フォークランド海峡のアーデントのウエスト艦長も目撃されました。が、パラシュートは風で流されサセックス山の南方で着地。ベニテス大尉は捕虜とならずに、グースグリーンへ徒歩で帰還しています。[2-1] [4-1]

 この騒ぎの後、さらに2機のプカラが現場空域に飛来。この2機は片方が上空を旋回して地上を監視し、もう片方が攻撃態勢をとる、ハンター・キラー戦法と思しき行動をとりました。[2-1]


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http://www.flickriver.com/groups/943248@N21/pool/interesting/
増援の2機のプカラ(イメージ)

 対抗するSASは岩陰に身を潜めつつ、背嚢を背負ったまま、仰向けで対空射撃。プカラが上空を通過時に2回ほどの対空射撃を行ったあと、被弾したプカラは追撃をあきらめ、去っていきます。[2-1]

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http://www.forgottenweapons.com/wp-content/uploads/2015/03/soviet-snipers-train-at-ranging-aircraft.jpg
仰向けの対空射撃(イメージ)

 グースグリーンの陽動、そして3機のプカラ攻撃機との戦いを終えたSASは、再びサンカルロス湾を目指し北上を再開。後はただ上陸作戦の成功を祈るばかりでした。

後編に続く



出典
[1-1]フォークランド紛争史 P242
[1-2]P197
[1-3]P252~254
[2-1]SASセキュリティ・ハンドブック P28~30
[3-1]世界の特殊部隊作戦史 P103~104
[4-1]空戦フォークランド P104

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル・カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)

1/72 アルゼンチンFMA.IA58A/Dプカラ攻撃機
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