第47回 連載「フォークランド紛争小咄」パート19
サットン作戦とトルネード作戦 前編
文:nona
1982年5月21日、ついにイギリス軍の上陸作戦が開始されます。コードネームはサットン作戦。しかしアルゼンチン守備隊は約1万人名に対し、英軍の上陸部隊は5500名、午前中までに上陸できるのはさらに少ない3000名。そこでイギリス軍は架空の上陸作戦をでっちあげ、アルゼンチン軍を撹乱。それがトルネード作戦でした。[1-1]
上陸作戦直後の各艦と地上部隊の位置
http://www.rfanostalgia.org/gallery3/index.php/RFA-FALKLANDS-1982/San-Carlos/Sutton
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5月1日から3週間に渡るフォークランドの海と空の戦いで、イギリス軍はおおむね優勢を維持しつづけていました。損害といえば2機のハリアーと駆逐艦シェフィールドを失ったのみ。誰の目にもイギリス軍の上陸は時間の問題、と見えました。
ただイギリス軍には上陸作戦を延期できない、という制約もありました。6月になればフォークランド海域の荒天日が増加し、紛争の長期化による戦費や外交圧力も増大することになるためです。
諸般の事情で上陸作戦は急かされましたが、必要な情報は十分に収集されていました。
上陸ポイントの選定にあたっては、4月30日以来フォークランドを偵察したSASとSBSの10チームが収集した情報と、さらに海兵隊のテルユア少佐の助けがありました。
テルユア少佐はヨットマンとしても知られ、フォークランド警備隊時代には沿岸をヨットで巡視調査。フォークランドの海岸について多くの記録を残していました。[1-1]
こうした情報のもと、いくつかの上陸ポイントが考えられました。そして、その中から選ばれた場所がサンカルロス湾。他の候補地よりも守りやすい地系が決め手になっています。[1-1] [2-1]
https://adventure2013blog.wordpress.com/2014/03/08/some-more-beautiful-photos-from-the-falkland-islands/
サンカルロス湾。写真中央奥がフォークランド海峡への出口になっており、その奥の小高い山がファニング岬。
サンカルロス湾は海への出口が狭く、外洋の潜水艦が入り込みにくい地系となっています。冬の南大西洋の荒波を防ぐことができるメリットもありました。[1-1] [2-1]
湾の周囲は標高2~300mほどの小山に囲まれており、低空から進入するアルゼンチン機やエグゾセの障害となるはずです。この小山の稜線に防御線を築くことで、アルゼンチン軍守備隊による逆襲も容易に阻止できます。[1-1]
そしてサンカルロス湾からスタンレーまでの距離は直線距離で約100km。スタンレーの8000名のアルゼンチン軍守備隊はぬかるんだ泥炭地の道を突破できる車両や、機動防御用のヘリコプターをほとんど持っていません。[1-2]
彼らがサンカルロス湾を逆襲するには、数日かけて、隠れる場所のない平原を徒歩で行軍する必要がありました。[1-2]
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Falkland_Islands_topographic_map-en.svg
サンカルロス湾とアルゼンチン軍守備隊の拠点の位置関係
ところが、5月14日のサンカルロス湾に対する偵察で、アルゼンチン軍の小部隊が進駐していることが判明します。彼らはグースグリーンの入植地から派遣された60名ほどの分遣隊で「鷲分遣隊(Equipo de Combate Aguila)」あるいは「グエメス分遣隊(EC Guemes)」と呼ばれました。[1-3]
この鷲分遣隊のうち20名がサンカルロス湾の入り口ファニング岬に監視哨を設け、残る40名がポートサンカルロスの集落に駐屯したようです。イギリス側はポートサンカルロスの分遣隊員を正確に把握できなかったものの、サンカルロス湾が上陸ポイント選定されたことを隠すため、再偵察は実施されませんでした。[1-3]
http://www.taringa.net/posts/info/14633622/Algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-Malvinas-por-ambos.html
アルゼンチン軍の監視哨(画像はタイガーキャットSAMの陣地)
https://www.flickr.com/photos/ugborough_exile/3341602055
サンカルロス湾の入り口、ファニング岬(ファニングヘッドとも)
さらにサンカルロス湾から40km南のグースグリーン・ダーウィン入植地には、アルゼンチン陸軍軍の第12連隊(鷲分遣隊の本隊)、第25連隊、さらにプカラ攻撃機用の臨時飛行場がありました。イギリス軍はこの上空でハリアーを撃墜されて以降、接近攻撃ができずにいました。[1-1] [1-4]
そこでイギリス軍はアルゼンチン軍の注意をサンカルロス湾からそらし、的確な防御行動ができないように、偽の上陸作戦である「トルネード」作戦を作り上げます。[1-5]
欺瞞作成は、近く実行される作戦暗号名「トルネード」に関する戦略的な電信の漏えいから開始され、それは「大規模なアルゼンチン本土とフォークランド諸島に対する連合作戦が近く実行される」というもの。[1-5]
当該地域で航空活動が行われ、SASが上陸して偽情報を流し、上陸用の装備品を当該地域に置き、艦砲射撃の実施、海軍の防空能力の不備な点に関する漏えい、架空の偵察隊の上陸に関する漏えい、アルゼンチン本土の空軍基地に対するバルカン戦略爆撃機による爆撃の可能性に関する欺瞞活動が行われました。[1-5]
そしてイギリス軍の主要な関心はポート・スタンレーの近郊にあると印象付けるように、艦砲による妨害射撃も継続。[1-5]
正直者のように思われたイギリス政府も、このときは「(サンカルロス湾単独ではなく)複数の上陸が進行中」と解説するなど、上陸ポイントの秘匿に一役買っていました。(現場としてはノーコメントを貫いて欲しかったようですが)。[1-5]
「小さな嘘をつくことで、大きな嘘を隠す」イギリスの推理小説ではよくある技法ですが、軍事においてもそれは同じ。その一例として1944年のノルマンディー上陸で連合軍は「ボディーガード作戦」によって偽の上陸作戦計画をいくつもリークし、ドイツ軍の牽制に成功しています。[3-1]
http://www.buzzle.com/articles/d-day-facts-summary-and-timeline-of-the-normandy-landings.html
第二次対戦時、連合軍が欧州各地で計画した偽の上陸作戦。特に「Fortitude South作戦」が功を奏し、ドイツ軍の警戒をノルマンディーから逸らしている。
そして本当の上陸作戦(サットン作戦)の前日となる5月20日。11隻の上陸部隊の揚陸艦、輸送艦と商船を中心に、護衛の戦闘艦7隻がサンカルロス湾を目指し、フォークランド島の北東を航行していました。速度は12ノット、海況は4ないし5(波高1.25~4m)空は曇り、霧も発生していました。 [1-5][2-1]
https://www.pinterest.com/pin/437764026251855734/
前進する上陸部隊。写真の上陸部隊は撮影用に密集している。
13時には進路の安全確保のため、カウンティ級駆逐艦アントリム、21型フリゲートのアーデントの2隻が前哨としてフォークランド海峡へ先行しています。
さらに前方500km先にはニムロッド哨戒機がアルゼンチンの海岸100kmの地点で水上艦の同行を探り、水中では原子力潜水艦が攻撃指令を待っていました。アルゼンチン艦艇に動きはなかったものの、フォークランドまでは戦闘艦の足なら1日かからずに到達するため、なおも警戒は続きます。[2-1]
そして上陸部隊も日没の直前に上陸作戦用の3つの縦陣に組み替えられました。[1-5]
第一波は衛艦の12M級フリゲートのヤーマス、続いて上陸部隊の旗艦フィアレスとイントレピッド、さらに2隻が格納していた8隻のMk.9型LCU (汎用揚陸艇)です。LCUはより小さいMk2型LCVP(車両人員揚陸艇)をサンカルロス湾でスムーズに発進させる目的で、湾へ入る前に揚陸艦の外へ出されていました。[1-5]
上陸作戦の要の艦といえるフィアレスとイントレピッドですが、実は財政難のために2隻とも早期退役する予定でした。イントレピッドに至っては4月の時点でドックで解役作業中のところを、急いで元乗組員を呼び戻し、現役復帰しています。[1-6][1-5]
http://www.flickriver.com/photos/12732212@N00/popular-interesting/
揚陸艦フィアレスとイントレピッド
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/07/ship-to-shore-logistics-03-history-1982-falkland-islands/
揚陸艦イントレピッド。全長158.5メートル、排水量約12000トンのドック型揚陸艦。ウェセックスヘリコプターを5機搭載できるが、格納庫は持たない。
https://www.pinterest.com/pin/84161086763032054/
スコーピオンとシミター軽戦車と搭載するMk9型LCU。フィアレスとイントレピッドは4隻のLCUをウェルドック内に格納できる。主力戦車はフォークランドの軟弱地形には不向きとされ、スコーピオンやシミターなど軽戦車を8両だけ持ち込んでいる。
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/07/ship-to-shore-logistics-03-history-1982-falkland-islands/
Mk2型LCVP(?)。フィアレスとイントレピッドは各4隻を搭載した。
フィアレスとイントレピッドに続く、第二波はイギリス補助艦隊(RFA)の、輸送艦ストームネス、補給艦フォート・オースティンと(STUFT)徴用客船のキャンベラ、徴用RORO船ノーランド、そして護衛に12M型フリゲートのプリマスと22型フリゲートのブリリアント。[1-5]
http://www.nam.ac.uk/exhibitions/online-exhibitions/falklands-war-1982
徴用された客船キャンベラ
http://www.mediastorehouse.com/falklands-war/print/679795.html
キャンベラに乗り組んだ乗員たち
この第二波の艦船は自前の揚陸手段がないため、フィアレスとイントレピッドの上陸用舟艇とMexefloat、そしてヘリコプターの助けを借りることになります。[1-6]
なお、キャンベラには2個海兵コマンド大隊と1個空挺大隊の2000名の兵士が乗船しておりましたが、リスクを減らすため、5月19日になって洋上で2個海兵コマンド大隊の人員を他艦への分乗が命令させています。[1-8]
これは上陸作戦の直前の5月19日に洋上で達せられた命令で、現場は日中に大西洋の外洋に上陸揚収艇を使っての移乗を強いられました。当然ながら作戦計画の変更も余儀なくされています。
かなりの無茶を強いられた現場の水陸両用軍の指揮官クラップ准将と、海兵コマンド旅団長のトンプソン准将は「憤激」しています。[1-8]
そして第三波は「円卓の騎士型」ことラウンドテーブル型(サー・ランスロット級)兵站揚陸艇(LSL)5隻と徴用フェリー船ユーロピック・フェリー。護衛はブロードソードとアーゴノート[1-5]
同型は艦首に上陸作戦用のバウドアがありますが、サンカルロスの海岸にはビーチングできる砂浜がなく、代わりにMexeflote(メクセフロート)を用いるRORO船として使用されました。[1-5]
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/07/ship-to-shore-logistics-03-history-1982-falkland-islands/
サートリストラムの舷側に装着された板状のMexeflote。
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/07/ship-to-shore-logistics-03-history-1982-falkland-islands/
単独中のMexeflote
これら三波の上陸部隊には3つの海兵コマンド大隊と2つの空挺大隊、防空部隊、支援部隊など約5000名が乗り込み、サンカルロス湾の上陸に備えました。[1-5]
http://fdra-malvinas.blogspot.jp/2013/05/ataque-britanico-desembarco-en-san.html
地上の上陸部隊のおおまかな配置。
艦隊が前進する中、SASとSBSは一足早くヘリコプターで出撃、特殊作戦の任務地に向かっています。
SASはトルネード作戦の総仕上げとなるグースグリーン・ダーウィンへの陽動作戦。そしてSBSはサンカルロス湾の鷲分遣隊の排除にあたります。[1-5][4-1]
中編に続く
出典
[1-1]フォークランド戦争史 P233~235
[1-2]同 P257
[1-3]同 P247
[1-4]同 P241
[1-5]同 P194,242
[1-5]同 P195~197
[1-6]同 P90
[1-7]同 P85
[1-8]同 P193
[2-1]空戦フォークランド P100~102
[3-1]BUZZLE D-Day: Facts, Summary, and Timeline of the Normandy Landings
[4-1]世界の特殊部隊作戦史 P104
参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル・カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
国際通信社
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コメント
待ってました
待ちわびました。いよいよ上陸作戦ですね。
当時の英海軍の艦名が出てきてワクワクします。
作戦変更で海兵隊が苦労したことは後で知りました。上陸部隊が一番割を喰うのは古今東西変わらないですね。
上陸にこぎつけた英海軍部隊に、この後悲劇が襲う。ゴメンナサイ。待ちきれなくて、先走ってしまった。クライマックスを期待しています。
サンデー・タイムズ特報部 宮崎正雄
原書房「フォークランド戦争―“鉄の女”の誤算」は貪るように読みました。
今回出てきた参加艦艇の名前を見るだけでイヤ~な汗が吹き出します…
それにしても、財政難で早期退役するはずだったフィアレス級揚陸艦が、この後20年も現役でいるとは。
現役と言えば、ブラボー・ノーベンバー・・・いや何でもないです。
早く追いつかねば。
それでイギリスはこの戦争において相手を上回ることができる辺りが強いなあと
1様
ありがとうございます!
先任伍長 様
「鉄の女の誤算」
サンデー・タイムズ紙の日訳版ですね
...未読だったので探して読んでみます
・・・様
この上陸作戦ではあまりに多くの出来事が起きているため、
防空戦については次回のパート20で掲載する予定です。
恐らく来週になるかとは思いますが、
出稿済みのため、滞り無く掲載できると思います。
名無しのミリヲタ(40年もの)様
もしかして、お誕生日ですか?
フィアレス級についてはwikipediaには「アルゼンチンに転売する計画」まであったと
書かれています(流石にそれは...)
「ブラボー・ノーベンバー」のもその後が凄まじいですね。
イラク戦争とアフガニスタン戦争にも送ったとか
http://www.raf.mod.uk/news/royalairforcech47chinookbravonovember.cfm
5様
焦らずに楽しんでいただければ幸いです
6様
イギリスの徴用船の話ですが
運行中でも構わず徴用したため、指名を受けた船は最寄りの港に乗客と貨物を降ろし
戦場に駆けつけた、との話です。
7様
イギリスにとっても数十年ぶりの上陸作戦ですが
準備は熟れてる感はあります
8様
テルユア少佐は6月になってからとある事情で再登板します。
階級は少佐のままですけどね。
歳をとったのは10日ほど前の話なので、まあ気にしないで。
英語版のwikiだと「イントレピッド」が売却されるような事が書かれていたので、42型駆逐艦みたいに敵味方に分かれて相対する事になっていたかも。
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