第45回 連載「フォークランド紛争小咄」パート18
フォークランド紛争に学ぶイギリスの戦争報道・後編
文:nona
フォークランド紛争中、イギリス政府が期待した「民間マスメディアの良識ある報道」、ですが現実には政府の意に沿わないメディアもありました。戦争煽る礼賛するサン紙に、逆に中立報道が過ぎるBBC。両メディアとも自らの報「道」を貫くあまり、競合他紙、あるいは政府から問題視されたのです。
http://c0.thejournal.ie/media/2012/12/falklands-war-rte-bbc-310x415.jpg
紛争中に本土でサン紙を読む男性
フォークランド紛争では過度に戦争を煽る報道も問題になっています。その代表例としてよく挙がるのがザ・サン紙。[1-1]
サン紙は、かのメディア王マードックが率いるタブロイド新聞です。記事は娯楽性が強く、誤報も多いことが知られていました。さらに大きなニュースがない限り3ページ目にヌード写真が掲載されていました。日本の一般新聞とは3面の扱いが大きく異なります。[2-1]
https://www.opendemocracy.net/ourkingdom/anthony-barnett/falklands-syndrome-30-year-legacy-of-iron-britannia
戦争報道とヌード写真が一体化するサン紙。フォークランド紛争後の1997年には橋本龍太郎首相が一般紙と勘違いして同紙に寄稿する珍事を起こしている[3-1]
こんなサン紙ですが、ハイライトはやはり、ベルグラノ撃沈時の「gotcha(やったぞ)」の特大見出し。死傷者の存在を無視した、不謹慎なものとして非難されていますが。[1-1] 読者の評判は良かったようで、同紙はさらに戦争を煽ることになります。
http://mhill46-holdthefrontpage.blogspot.jp/2012/06/falklands-its-war.html
「やったぞ。我らの友は砲艦を沈め巡洋艦に穴を開けた」
あるときサン紙は「アルゼンチン兵を殺すときに使えるジョーク」を募集。しかも優秀作にはアルゼンチン産コンビーフを景品にする、ブラックなおまけつき。サン紙が扇動していたアルゼンチン製品の不買運動と、競合他誌からの批判への答えでした。[2-1]
http://mhill46-holdthefrontpage.blogspot.jp/2012/06/falklands-its-war.html
「奴らのコンビーフは買うな!」アルゼンチン製品の不買を呼びかけるサン紙
さらにサン紙はイギリス軍のため「ミサイルの購入費の募金キャンペーン」を開始。これは戦費上昇の問題を挙げ、戦争に消極的な社説を掲載したデイリー・ミラー紙への挑戦でした。[1-1]
ミラー紙は「力が正しいとは限らない」「殺戮を停めなければならない」「(両国は)妥協すべだ」と、サン紙とは論調が異なるタブロイド紙です。[2-1] サン紙はミラー紙を「売国奴」、「臆病者」「泣き虫ミラー」「読者を気の毒に思う」とあざ笑っていました。[1-1]
当初はサン紙の悪口を相手にしなかったミラー紙も、執拗な誹謗に耐えかね反撃を開始。サン紙を「安全な場所から戦争と殺戮を求める臆病者たち」「プラウダ紙でさえサン紙一緒にされたくない」と非難。[4-1]
果てにはサン紙に対し「フリート街(新聞街)の売春婦」という渾名を与えます。 [2-1]
この報道合戦でしたが、サン紙は100万部を増刷し、一時420万部を売り上げる大躍進をとげます。一方でミラー紙は時流に乗れず、320万部に落ち込むことになりました。[1-1]
戦争そっちのけで醜い罵り合い繰り広げるタブロイド紙もあれば、あまりにも中立報道に過ぎる、と政府から批判されたマスメディアもありました。BBC(イギリス放送協会)です。
BBCの姿勢が問われるきっかけは、1982年4月10日のニュース番組「パノラマ」。同番組ではアルゼンチン側の立場と主張を、イギリスのそれと同じ時間をかけて解説し、暗に「戦いを回避しよう」と呼びかけたのです。[2-2]
https://www.youtube.com/watch?v=vsgRTYe8dXQ
「戦争は回避できるか?」1982年5月12日のパノラマ内で使用されたテロップ。
さらにBBCはその後の放送でも「我が軍」「敵軍」という言葉を使用せず、単に「イギリス軍」「アルゼンチン軍」と言いました。この奇妙な言いまわしは第二次世界大戦時にBBCがラジオ放送で用いた「イギリス軍」「ドイツ軍」という呼称を踏襲したものです。[2-2]
こうした報道姿勢は政府から批判され、イギリス国会にBBCハワード会長と専務が喚問。[2-2]「BBCは反イギリス、新アルゼンチン」と露骨に語る特に保守派議員も現れました。[2-2]
サッチャー首相も「(BBCの中立報道の意義は理解できなくもないが)これは多くの国民を傷つけ、大きな心配を与えるもの」と語っています。
ところが公共放送のBBCは政府のコントロール外にありました。サッチャー首相といえども「個人個人がBBCに手紙や電話で抗議しましょう」という呼びかけ以外、何もできなかったのです。[2-2]
結局パノラマのプロデューサーは5月下旬に辞任していますが、BBCが中立報道を完全に改めることはありませんでした。BBCの世論調査では実に81%が「BBCは責任ある姿勢を示している」と回答していたからです。[2-2]
結局、サッチャー首相の「BBCが国民を傷つけ、大きな心配を与える」という不安は杞憂でした。多く国民は中立報道にしっかり耳を傾け、その上で政府と軍を支持し、時に批判していたのです。(サン紙のような報道を見て、無邪気に政府と軍を応援する人々がいたかもしれませんが)
一方のアルゼンチン軍政権では、積極的にマスメディアを統制しプロパガンダを実施していました。
軍政権は5月1日に戦死したプカラ攻撃機のパイロット、アントニオ・ユキク中尉の最期も、プロパガンダのために改変。グースグリーンの飛行場で戦死したはずの彼は、プカラ機で空母ハーミーズを攻撃、大打撃を与えた直後に名誉の戦死を遂げたことに改変されて発表されました。
ただ、真実を知る空軍の同僚たちには許せない内容だったそうで、軍政権への不信を募らせる結果になりました。[5-1]
さらにアルゼンチンの敗北が決定的になりつつあった5月30日、「イギリス空母、大破炎上」という見出しをつけて、黒煙を吹き上げるインヴィンシブルの写真を公表しています。
http://www.patagonianexo.com.ar/v2/historias-de-malvinas-cronica-de-como-los-britanicos-escondieron-un-portaaviones/
当時アルゼンチンから発表された(?)写真。
アルゼンチンによると、空軍がイギリス空母を攻撃し、ウレタ少尉が乗るA-4Cがこれを大破させたというのです。ところが実際には戦果がなかったため、代わりに合成写真を証拠に用いたのです。[5-2]
しかし、写真が贋作であることは明らかでした。イギリスのクーパー国防次官は「このような情報を流すのであれば、もう少し写真の合成技術を勉強してからにしてほしい」とアルゼンチンの嘘を一蹴。[6-1]
アルゼンチン軍政権は、マスメディアを自由に制御できたものの、結局は(第二次世界大戦を焼き直しのような)古いプロパガンダに頼ることになりました。情報統制された自国民を、戦争期間中だけでも騙せればOK、と彼らは考えたのかもしれません。しかし対外的にはまったく意味のなさない話でした。
出典
[1-1]仁義なき英国タブロイド伝説 P114~115
[2-1]フォークランド紛争の内幕 P110~112
[2-2]同P105~109
[3-1]yahooニュース「死の泰麺鉄道」戦争の真実と和解(5)謝罪
[4-1]the guardian A new Britain, a new kind of newspaper
[5-1]空戦フォークランド P81~82
[5-2]同P194~198
[6-1]兵器ハンドブック P294~296
参考書籍/WEBサイト
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
現代の戦争報道 (門奈直樹 ISBN 4-00-430881-X 2004年3月19日)
仁義なき英国タブロイド伝説(山本浩 ISBN 4-10-610097-5 2004年12月20日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
コメント
最後のプロパガンダ写真ですが、
もしかしてインビンシブルにシェフィールドの艦橋を合成したもの
に見えたのですが気のせい…でしょうか。
(目を擦りながら)
腐っても大英帝国であり、民主主義国家か
アルゼンチンの素人でもわかる稚拙な宣伝が余計に思わせるのだろうけど、様々な報道の中でより理性的に戦争を遂行するのだからなあ
人間やっぱり自分が有利な状況にいることを確認したいので、英雄的な活躍や中傷的な罵りを書いた記事の方が好まれるのは仕方ないことなのかな?
BBCが極端なまでに中立的な報道をし、それが評価されていたのが救い、やっぱり経済原則にとらわれない報道機関というのは貴重だね。
一方でアルゼンチン軍政が旧世代のプロパガンダ放送をして自軍兵士に不満を持たせ外国に笑われるのは面白い。
純軍事的に考えるなら、報道発表はある程度自制しつつも事実を適切に伝えた方が兵隊の士気の維持や軍隊の行動的に良いのかな?
報道各社が自由に報道することも大事だが、それなら一つくらい公共放送的なところが中立を貫く報道をしないと変な方向に暴走しちゃいそう
現代民主主義発祥の地だけあって国民のメディアリテラシーが高いお国柄
BBCの中立過ぎる、というのが面白いですね。
前後2回の戦時報道の話は面白かった。当時はサン紙の紙面が好戦的で、日本でも話題になったことを覚えています。
ノーコメント」を貫くことと、虚偽の情報を発表することは本質的に違いますね。
大本営発表も、過大な戦果、過少な被害を垂れ流しました。正確な情報を握っていた米軍にとっては、日本軍が「何を隠蔽して、何を水増ししたか」を把握でき、その意図を読み解くことができたことが大きいかったと、山本七兵が「私の中の日本軍」でしつこく述べています。
メディアが仮に一人の政治家の意見を聞いて「政治的中立」を守れるのだろうか?
1様
写真の上部構造はシェフィールドではなく
インヴィンシブルそのままかと思います
(ただこの写真の出典がいまいち不明なんです)
2様
以外と冷静なんですよね、イギリスの人
BBCの「トップギア」で車が燃えても
視聴者は滅多に炎上しませんし
(標的にされたメーカーは怒りますが)
誤字様
日露戦争期に「萬朝報」というゴシップ紙がありました
社主は「戦争になれば発行部数は増える」と予想したものの
実際には同紙の論調が非戦派のため、売上が減少
そこで、戦争は煽ったほうが儲かると
お抱えの内村鑑三や幸徳秋水など
非戦派の記事を排除する凶行に出ています
今は昔の話ですが、
今後もきっと起こりうるんでしょうね
名無しのミリヲタ(39年もの)様
フォークランド紛争が奇妙な戦いだけに
戦争報道もまた奇妙ですよね
5様
チャーチルさんは第一次大戦後にも落選してますね
ガリポリ作戦の失敗の責任で
当然新聞でも叩かれたそうです
第二次大戦では政府に批判的な
ミラー紙の発禁を試みたそうですが、
失敗して逆に猛批判をうけたという話も
国によってやり方はいろいろですが
米英は何事も振れ幅が大きいです
ただ保守と革新を行ったり来たり
している面もありますが
7様
BBCの報道は柔道や茶道のように
独自の「道」を持っている感じがします
ただBBCでも娯楽番組は信条が異なるようですが
8様
アルゼンチンでは
「とにかく空母をやっつけた」
といった報道が何度も繰り返されたそうです
(英軍の空母は2隻しかないのに)
基本的に全部が嘘ですが、
潜水艦が空母に迫ったというデマだけは
確かめようがないだけに
イギリスも苛立ったとか
先任伍長様
ありがとうございます
敵を欺く計略ではなく、国民を騙すために嘘をつくというのは
気分のいいものではありませんよね
10様
日本マスメディアは記者クラブ制で
政治家や企業家から直接取材できる代償として、
都合の悪い記事を書けば
その1社だけクラブを追放される決まりとしています
こうした事情もあるのか
論調は制限されるようですね
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